82 最後の願い
赤ちゃんのいる若い夫婦がいた。
二人はともに会社勤めなので、毎日が目のまわるほど忙しい。
会社帰り、妻は食料品などの買い物、夫は保育所まで子供を迎えに行く。さらに帰宅してからも、夕食のしたく、掃除や洗濯などが待っていた。
今夜も……。
赤ちゃんはおなかをすかせたのか、寝かせていたリビングでぐずり始めた。
「あなたー、ミルク作って!」
「おまえがやってくれ」
「今、火から目がはなせないのよ」
「オレだって、風呂を洗ってるんだ」
二人ともなかなかゆずらない。
と、そこへ。
長い杖を手にした神様が現れた。
「おまえたち、赤子が腹をすかせて泣いておるというのに、いったいなにをもめておるのじゃ?」
神様が夫婦に向かって言う。
「だれだ、あんたは?」
「なんですか、他人の家に勝手に入りこんで」
夫婦はびっくりして聞き返した。
「ワシは神である」
「神ですって?」
「ああ、家庭内のもめごとを解決する神なのじゃ。おまえらの力になろうと、こうして現れたのだよ。それぞれ、自分の言い分を話してみるがいい」
神様はヒゲをなでてうなずいた。
「妻がオレのことをわかってくれないんです」
「あら、あなただって! あたしのこと、ちっともわかってくれないじゃない」
「いや、おまえが!」
「あなたこそ!」
ことがおさまるどころか、二人は前にもましてもめ始めてしまった。
「待て、待て。そんなに感情的になっては、いつまでも解決しないではないか。ここは一度、お互いの立場を分かり合う必要があるな」
神様が杖をひと振りする。
するとたちどころに、夫は妻に、妻は夫に姿を変えていた。
「どうじゃな? こうして入れ替われば、相手のことがよくわかるじゃろう」
ところが、
「なんで、こんな勝手なことを!」
「早くもどしてください!」
夫婦は叫ぶようにして言った。
「気をきかせてやったのだが、どうもおまえらはこの方法が気に入らんようだな。では、すぐにもどしてやろう」
神様が杖を振ると、夫婦はふたたび入れ替わり、元の姿にもどった。
「これで、三つの願いのうち二つを使った。あとひとつはなにがいいかな?」
「願いって、三つあったんですか? そのことを先に言ってくれなきゃあ」
「あたしたち、二つ損したじゃないの」
夫婦は口をとがらせて文句を言った。
「すまん、出すぎたことをしたようだな。だが、まだひとつある。なんでも叶えてやるぞ」
と、そのときだった。
「まんまー、まんまー」
赤ちゃんがキッチンにはい寄ってきた。
「わかったぞ」
神様は杖を振り、その姿を夫婦の前から消した。
そしてテーブルの上には、ミルクの入った哺乳ビンが残されていた。
「これでよかったんだよ」
「ええ、そうね。これからはなによりも先に、この子にミルクをあげなきゃあ」
夫婦は互いの手を取り、にっこりほほえみ合ったのだった。




