↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
77/134

77 ソバ屋の娘

 かれこれ三十年も前のことになる。

 その日。

 私と妻はドライブを楽しんでいたのだが、どうもどこかで道をまちがえたらしく、車は山奥に迷いこむばかりとなった。

 進むほどに道が狭くなる。

 さらに曲がりくねっている。

 カーラジオの電波も入らない。

 腹は減ってくる。

 雲行きは怪しくなる。

 とにもかくにも最悪な状況だった。


 そんなとき。

 道端に「手打ちそば処」という看板を目にした。

 私は迷うことなく、店先の駐車場に車を乗り入れた。

 店は古民家風に造られてあった。

 中に入ると、ワンフロアーの床には四人掛けのテーブルが五卓ほど。天井は吹き抜けで、中央にひとつだけ大きな天窓がしつらえてあった。

 赤ら顔の若い娘がお茶を運んできて、私たち夫婦はそろって山菜ソバを注文した。

 開かれた天窓から、薄明りが差しこんでいる。そしてそこからは、今にも降り出さんばかりの、どんよりと曇った灰色の空が見えた。

「雨が降り出しそうだな」

 私は天窓を指さした。

「ほんと。でもあれって、どうやって開け閉めするのかしら? 雨が降り出したら、店の中が濡れちゃいそうだわ」

 妻が首をかしげる。

「電動じゃないみたいだしな」

「ええ、電気のコードが見えないもの」

「なら、ハシゴだろ」

 天窓までは六、七メートルほどあるのだが、そこまで行く手段がないのである。

「ハシゴなんてどこにもないわよ」

 妻が店内を見まわす。

「じゃあ、長い棒を使うんだよ」

「そんな棒も見あたらないけど」

「なら、とんでもなく背の高いヤツがいて、ソイツが開け閉めしてるんだよ」

「また冗談を。たとえそんな人がいてもよ、店にどうやって出入りするのよ」

「こんな山奥だ。妖怪みたいなもんがいても、ちっともおかしくないじゃないか」

「じゃあ、その妖怪。店に入るときは、入り口を通れるぐらい小さくなるのね」

 妻が冗談に乗ってくる。

「まあな」

 バカ話で盛り上がっていると……。

「お待たせいたしました」

 娘が盆にのせた山菜ソバを運んできた。


 食事が終わる。

 出口のカウンターで会計をすませ、店の外に出たところで、雨がポツポツと落ちてきた。

 私は天窓のことが気になり、ドアのガラス越しに店の中に目を向けた。

 娘が天窓の下にかけ寄り、天井に向かって両手を伸ばすのが見えた。

 するとなんとしたことか。

 娘の腕がスルスルと伸びて、手の先が天窓に届いたではないか。

 娘は天窓を閉めると、なにごともなかったかのように、私たちが食べた食器の片づけを始めた。

「なんだったの、あれ?」

 隣で妻の声がする。

 妻も店内をのぞき見ていたのだ。

「行こう!」

 私は妻の腕を取った。

 雨のなか。

 二人は走って車に乗りこんだのだった。


 幻想などではない。

 これは夫婦二人で見たことである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 夫婦の冗談がほぼ現実だったというようなラストで、逆に少しビックリしました。峠はこの世とあの世の境界だと聞きますので、峠のような山道で、人のためではないお店に天候の条件などがちょうど合ってた…
[良い点] そんなに怖くはない素朴な民話風の設定の話だと思いました。手が伸びた後、淡々と後片付けをするのも良いですね。幻想でなくても幻想的な不思議さがありました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。