39 父の記憶
母の葬儀から三日が過ぎた。
――そろそろ取り替えなくては。
仏壇の線香が燃え尽きているころではないかと、私は気になって座敷をのぞいてみた。
すると……。
仏壇の前に老いた父のうしろ姿があった。淋しそうに肩を落とし、亡き母の遺影をじっと見ている。
――死んだこと、わかってるのかしら?
父は認知症であった。
そんな父のことを、母は死ぬまぎわまで気にかけていた。
「お父さん」
私は父に声をかけた。
「だれだ、この女は?」
振り向いた父は遺影写真を指さした。
やはりわかっていないようだ。
一昨日も昨日も同じ会話を交わした。
いくら母だと教えても、記憶が五分ともたない父はすぐに忘れてしまう。
「お母さんよ」
「おふくろは、ワシが子供のころ死んだんだ。今になって、なんで線香をあげるんだ?」
短くなった線香の煙がユラユラとゆれている。
「おばあちゃんじゃないの。よく見て、お父さんの奥さん、スズヨさんよ」
これも父には何度も話したことだ。
「そうか、スズヨは死んだのか」
「で、お父さん。今日はなんの用なの?」
「いやな。向こうで女に、親しげに声をかけられたんだが、この顔の女にそっくりでな」
「その人、きっとお母さんだったのよ。ねえ、早く帰ってあげて。お父さんに会いに行ったのよ」
「さっき言わなかったか、スズヨは死んだって。死んだ者にどうやって会うんだ?」
父が悲しげに遺影の母を見る。
「お父さん、忘れちゃってると思うけど」
「なにをだ?」
「死んじゃったのよ。三年前、お父さんも……」
「そうか……ワシも死んでいたのか」
「そうなの」
「じゃあこれから、スズヨのところへ行ってやらなきゃあ」
そう言い残し、父は仏壇の中に消えていった。
――お父さんのこと、頼むわね。
私は母に向かって手を合わせた。
そして願う。母に会えるまで、どうか父の記憶がもちますようにと……。
線香が燃え尽きていた。




