38 九兵衛と絵の狸
九兵衛は腕のいい宮大工なのだが、かたや無類の酒好きでもあった。
毎晩、かかさず酒を呑んだ。酔って昼まで寝ていることもたびたびで、とうぜんのごとく貧乏である。
こんな男だから嫁をめとることもできず、三十の歳を数えてもわびしい長屋住まいをしていた。
そんなある日。
九兵衛に仕事がまいこんだ。近隣の寺からで、本堂の雨漏りを修繕してくれという。
ときには身を入れて働かねば、銭が尽きて好きな酒が呑めなくなる。それどころか最近は、ためこんだ家賃を大家にしつこく催促されていた。
あくる日。
九兵衛はさっそく寺の修理に行った。そして屋根の修理のさなか、天井裏でホコリをかぶった細長い桐箱を見つけた。
中身は掛け軸だった。
――酒代のタシになるかも。
しめしめとそれを道具箱に忍ばせ、その日こっそり長屋に持ち帰ったのだった。
掛け軸には、狸が一匹だけ描かれていた。徳利を片手に、うまそうに酒を口にしている。
九兵衛、自分も晩酌をと……。壁にかけた掛け軸を前にちびりちびりと呑み始めた。
と、そこへ。
「九兵衛、おるかー」
大家が家賃の催促にやってきた。
「今日こそ払ってもらうからな」
「ちょっと待ってくれねえか。近ぢか、銭の入るアテがあるんだ。そいつでかならず払うんで」
「うん? あれはどうした」
大家が掛け軸に目を向ける。
「そいつは前に、労賃としてもらったもんだ」
九兵衛はとっさにごまかした。
「よし、三日間だけ待ってやる。だがな、約束を守らなかったら、その掛け軸で払ってもらうぞ」
「ああ、そんときは持っていくがいい」
酒代にでもなればと持ち帰ったものだ。家賃のかわりになるのならもうけものである。
その晩のこと。
九兵衛がうつらうつらしていると……。なんと掛け軸から、狸が徳利を手にして出てきたではないか。
――奇妙なことがあるもんだな。
九兵衛は酔った頭で、ぼんやり考えながら狸のすることを見ていた。
狸がちゃぶ台まで行く。それから九兵衛の徳利をつかみ、中の酒を自分の徳利に移し始めた。
――夢か……。
掛け軸にもどる狸を目で追いながら、そのまま九兵衛は眠りに落ちていった。
翌日。
朝酒を呑もうとした九兵衛。このときになって、ちゃぶ台の徳利が空であることに気がついた。
――たしか狸が!
あわてて掛け軸を見た。
昨晩と同じ、あぐらをかいた狸が徳利を手に酒を呑んでいる。
――まさか……。
そんなことはあるまい。夢だと思い直し、九兵衛はそのまま仕事に出かけた。
ところが、その日の晩。
九兵衛が酒に酔って、とろとろとうたた寝を始めると、またしても掛け軸から狸が出てきた。そしてやはり、自分の徳利に酒を移している。
――俺の酒が……。
起き上がろうとした九兵衛だったが、酔っているうえに夢うつつである。起き上がったときには、狸はすでに掛け軸の中で酒を呑んでいた。
そして思ったとおり、ちゃぶ台の徳利はすっかり空になっていた。
次の日の晩。
九兵衛は水を入れた徳利を持ち帰ると、酒を呑むようにして水を飲み、それから酔ったふりをして狸寝入りを始めた。
薄目を開けていると……。
狸がそろりそろりと掛け軸から出てくる。
徳利の中身が水だとは気づいてないようだ。ちゃぶ台に行き自分の徳利に水を移し始めた。
――アヤツめ!
九兵衛は狸に飛びかかった。
徳利をかかえた狸が、あわてふためいて掛け軸に向かって逃げる。
――逃がすもんか。
狸のあとを追った九兵衛だったが、そのまま勢いあまって掛け軸にぶち当たってしまった。
このとき。
九兵衛はなぜか掛け軸の中にいた。掛け軸の絵となっていたのだった。
その後。
掛け軸は大家の手に渡り、今は大家の座敷の床の間に下がっている。
さて、九兵衛。
掛け軸の中で腕を枕に寝転がっていた。
そばでは狸が徳利をかかえている。
狸と酒盛り……。
残念ながらそうはならなかった。
徳利の中は水である。




