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夢見人ーVisionariesー  作者: 黒城瑛莉香
第三章 戦いと救いの記録
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紫の記憶ー傷跡ー

「――――?」



 光りから解き放たれたシキブもハクと同様に確実に宮廷ではない場所へ転移していた。


 夜なのだろうか。

 辺りは暗く、遥か空の片隅で姿を隠すように小さな三日月が昇っていた。川の隔てた岸の先では色とりどりの光線が右に左に動いているが、シキブに情報を与える効果はもったいなかった。

 人気はなく、ただ静けさが広がっている。

 通信機に触れ、仲間に呼びかけるも案の定応答はなかった。


 想定内といえば、そうである。

 敵がはびこる場所へ向かおうとしていたのだから、魔法の転移先にあらかじめトラップが仕掛けられても別段おかしくはない。

 そして、彼の発言から推理するに、こちらの行動はある程度把握されていると考えるのが妥当だろう。


 それでも油断しすぎた、と眉をひそめる。

 せめて自分だけが一人ならば、と淡い願いを抱いたその時、風が首元を駆け、思わずシキブは身震いした。



「さむっ!

 なんだ、この気温。まるで季節が冬に戻ったみたいじゃないか」



 環境に順応した目で周囲を確認すれば、すぐそこの木の葉は枯れ落ち、頭の先から木肌がむき出しになっていた。

 夢の世界とはいえ、感覚は健在。任務ではその場に適した装備を纏っていたので、長袖長ズボン、いわゆる春の装いはあまりにも軽装だった。


 手をさすり、ズボンのポケットに突っ込んで寒さをしのぐ。


 幸い不審な気配は感じられない。

 シキブはチカチカと点滅する電灯が照らす道をゆっくりと進んで行った。


 右へ曲がり、橋を渡り、病院を過ぎてから大通りから脇道へ逸れると、シキブは歩を止めた。



「……まさか、そんなわけないよな」



 己の直感を言葉では否定しながらも、心の中では確信を抱いていた。

 そこに電灯の導きはない。

 しかし、向かうべき場所は分かっていた。


 シキブは再び歩き出し、数軒先の家の前で立ち止まると、体の向きを変えて呟いた。



「俺の……前住んでた家……。

 家族みんなで過ごした……思い出の、家――」



 その言葉に連動するように、時間が動き始め、家には灯りが付いてテレビの音がシキブの耳に入ってきた。

 それは二階建てで、玄関の前に三台の自転車が止められた、どこにでもある平凡な一軒家。


 カーテンに閉ざされた窓からは人影が現れては消え、最終的に三つの姿が額の中に納まった。



「母さん聞いてよ! 今日の体育のマラソン、一位だったんだ。すごいだろ」


「兄さんだけ抜け駆けなんてずるい!

 僕も、ほら見て! 国語のテストまた百点取ったよ」


「菖もきょうもさすがだわ。

 お父さんも聞いていたら、なんて言ってくれるかしらね」



 お父さん、という単語に兄弟だけでなく、見ているシキブもそろって肩を震わせると、二人は黙り込んで視線を落とす。

 兄弟は断じて仕事で帰りが遅い父のことを嫌っているのではない。

 ただ、彼がたまに見せるちょっとした一面が苦手なだけだった。


 母はその変化に気付いていないのか、素知らぬ顔で食事を口へと運ぶ。

 家族の会話は途切れ、テレビの声だけがシキブの耳に入ってくる。だが、しばらくするとテレビの内容に引かれて子どもたちと母親は笑い、自然と暗い影は家の隅へ押し込まれていた。



 ――そう、これはシキブの昔の記憶。

 まだ、父と母、そして弟の四人で生活していた小学生の時の思い出。



「――っ! 誰だ!!」



 かつての自分の姿に自然と苦笑いがこぼれる中、近くで人の気配とわずかな物音を感知したシキブ。暖めていた手を剣の柄に回し、振り返って警戒する。

 観念したのか、始めから身を隠す気がなかったのか、相手は潔く物陰から出てきて、ローブ姿をシキブの前にさらす。



「……やっぱりお前か――翠」



 そう声をかければ、相手はフードを取って素顔を露わにする。

 数時間前に決裂したてき。いつの間にか遠く離れてしまったとも


 木賊はその緑の瞳を団らんへ向けた後でシキブに移した。



「……菖、できればここで会いたくはなかった」


「俺はお前の方から出向いてくれて感謝しかないけどな。

 ……昨日の一件も宮廷で起こってることも、この空間エリアも全部お前がやったことなのか?」


「今更隠しても仕方ない、か……。

 半分正解で、半分間違い、だ。確かに“俺たち”は昨日も今日も宮廷へ赴き、目的達成のための任を全うした。

 けれど、今この状況は“俺たち”が故意にやったことじゃない。

 悪魔の封印を解放したことで負のマナが急激に増加し、魔塊マナ・マスに影響を与えた結果だ」


「つまりこれは俺の欲望の塊(マナ・マス)が作り出した空間エリアだってか。

 どうりで当時の感覚が蘇ってくるわけだ」



 体勢も神経もそのままにシキブは呟くと、木賊は頼み込むように問いかけた。



「剣は下ろしてくれないのか」


「お前以外の奴が潜んでいるかもしれないからな」


「俺の他に誰もいないことくらい、菖なら感じているはずだろ」


「……」



 木賊の言う通り、シキブは周囲の状況を大方把握していた。

 しかし、ここがザスピルの地である以上、魔物はどこからともなく湧き出てくる。

 飛び道具もなく、仲間の支援も求められない状況で警戒を解くことは己の敗北を早めることを意味するのだ。


 加えて、シキブは目の前に現れた友を疑っていた。

 普通の客人インヴィティでは見られない意識的な行動と、数時間前に交わした言葉の真相。

 魔法という非科学的な力が存在する異空間であるが故に、どんな非常時が起きても不思議ではない。


 シキブの鉄のような態度に木賊はため息交じりに続けた。


「……そうだよな。ずっと菖を拒んで、無視して、避けてきたんだ。

 そんな俺の言葉なんか信用できるはずもない」


「……翠、お前、何しに俺の前に現れた?

 俺の意志も目的も、すべてお見通しなんだろう?」


「……ああ、知ってる。

 菖が幻視者ヴィジョナリーの一人で、これから囚われた住人レジデントを助けに向かっていることも。

 でも、今わかったこともある--そのことで俺たちの仲をもう一度結ぶことができるかもしれないんだ」



 俯いた顔を上げ、木賊はただただシキブ一点をみつめる。

 その声は、表情は揚々とほころび、溢れんばかりの喜色に満ち溢れていた。

 それからニヤリと口角を上げると、同情するような色を浮かべてゆっくりと近づいてきた。



「翠、お前――」


「……菖も嫌だったんだろう? あの家庭が、身勝手な大人が。

 どれだけ頑張っても母親は、さすが、と当たり前のように感心するだけで、頑張ったと自分の判断で褒めることもない。

 父親の方は――仕事が忙しくて、子どもたちに無関心だった、とかか?」



 木賊の推測を検証するように一台の車が徐行してきて、家の前で停車した。

 扉を開けて降りてきたのは、着崩れのないスーツをまとったシキブの父親で、鞄を持って鍵のかかっていない自宅へ入れば、賑わう団らんはたちまち静寂に支配される。



「あら、今日は早かったわね。お帰りなさ――」


「玄関の鍵が開いたままだったぞ。最近は物騒だからいつでも戸締りをしておきなさいとあれほど言っているだろ!」


「ご、ごめんなさい。夕飯の支度をしていたから、確認するのをすっかり忘れていたの。

 そ、それよりも疲れたでしょう? お風呂に入ってゆっくりしてくださいな」



 母親が父親の鞄とジャケットを受け取りながら頭を下げる。

 その隙にテレビを見ていた兄弟はソファを後にして自室へと逃げる。それから宿題を済ませ、空いた風呂に入ると再びリビングへ戻ってきた。


 テーブルでは父がニュースを見ながら夕食を取っていた。

 片づけを済ませた母が兄弟に気が付くと、無神経にも先程の話を持ち出して父に聞かせる。



「ねえ、あなた聞いてくださいよ。

 菖は今日の体育のマラソンで一位、梗は国語のテストで満点を取ったんですって」


「そうか。けどな、父さんは学生の時マラソンはいつも一番だったし、小学校のテストは全部百点だった。

 誰でも一度はトップを取ることはできるさ。大切なのは常に頂点を取り続けること。

 現状に満足すればいつか必ずほころびができて、隙が生まれてしまう。そうなればその座を奪われるのは時間の問題だからな。

 敵は他者じゃなく、己自身。次もその次も一位を取ってこそ、俺の息子たちだ」


「……」


「ほら、わかったら早く寝なさい。

 見ての通りお父さんは仕事で疲れているんだ。家にいるときくらい気兼ねなく好きなようにさせてくれ」



 これで何度目になるだろうか。

 兄弟は期待をへし折られ、気を落としながら自分たちのベッドへもぐりこんだ。


 リビングの電灯はその後もずっと点灯したままで、母親が床についた跡も消える気配はなかった。



「ははっ、はははは!」



 ようやく消灯し、わずかな月明りだけがシキブと木賊に薄い影を作っている中、一連の出来事を見届けた木賊が頭と腹に手を当て、笑い声をあげた。



「ちがう。そうじゃないのか。

 父親は、子どもたちに無関心ではなかったが、自分の仕事で両手も精神も手いっぱい。息子たちを気に掛ける余裕すらなかったんだ!


 彼は子どもたちに現実の厳しさと人生を切り開く方法を教えようとしたのかもしれない。でも、兄弟の本心を理解した上でそうしたわけじゃない!


 ただ一言、助言する前に言ってほしかったんだろ?

 頑張った、って。すごいじゃないか、って認めてほしかったんだろ!」


「……お前っ…………!」


「俺は分かるよ、その気持ち。

 ――褒められたい。

 それは誰もが親に抱く自然な感情さ。なぜなら、大抵の子どもは自分のためなんかじゃなく、親のためにやりたいことを我慢して、楽しくもない勉強にいそしむんだからな!」



 だんだんと苛立つシキブを無視して、木賊は言った。



「醜い大人の事情で純粋な心を踏みにじまれた子どもはどうなるか?

 そんなの決まってる――今度こそ、認めてもらおうとひたむきに努力するか、傷を負って落ち込み調子を下げるか、その二つに一つさ」



 そして空間エリアはページをめくるように舞台を変え、その後の記憶の旅に二人を誘った。



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