本人のいない学園の日常
「はい、今日の授業はここまで」
教官が講義の終わりを告げると、生徒たちは続々と席を立ち、講義室を後にしていく。
「カント、次の演習は集合場所が遠いから急いで!」
「悪い。そうだったな。さあ、行こう」
カントたちが退出するのを遠巻きに見つめる生徒がちらほらといた。
「ああ、カント君にどうやって声を掛けたらいいのかしら」
「彼ら、注目されてるからね。声かけて目をつけられても困るし……」
「いいよね。あの黒髪」
当の本人は全く気が付いていなかったが、カントは女子生徒からかなり人気があった。
カントの風貌は、この世界では珍しいものであったが、黒髪であるということが高評価につながっていた。
聖典内では天使が黒髪であることが多いために、天使の象徴として黒髪は聖なる者であるというイメージが定着しているからだ。
当初は、新入生主席候補と囁かれたジェシカと対をなす将軍家令嬢アイリスの側近とみなされ、本人の実力とは関係ないところで注目を浴びていたカントであったが、いつの間にかその枠から外れて、カント自体の株が急上昇していた。
カントの正確な魔力量は知られていないものの、魔法の演習では、ジェシカやアイリスと同じ上級グループに配属されたことを皆知っており、将来性も周知の事実となっていたところである。
その一方で、ジェシカ派から陰湿な嫌がらせを受けていることも有名であり、カントに近づいたらその煽りを受けるのではないかとの不安から、大胆にアプローチする者はいなかった。
「あんな平民のどこがいいんだよ。読み書きもできないんだぞ」
「それはそうだけど……」
カントは言語理解の魔法を使っていたため、王国の公用語である聖典言語を話せないことはカントが説明するまでもなくばれており、当然読み書きもできないであろうことも周囲は勘付いていた。
「魔法の才能があっても、学問もできなければ出世はできないからな。その点、俺ならまだ伸びしろはあるぞ」
やはり男子生徒としては、カントに女子の黄色い声が上がるのが面白くないようであり、中には意中の相手に自分を必死にアピールする者もいた。
「あれ?カント君、ノートを忘れていったみたいよ?」
カントが座っていた位置には、紐で綴った紙の束――この世界で言うノートが置かれたままだった。
急いで退席したために忘れてしまったのだろう。
「へえ、あいつ、何を書いてるんだろう」
「全部絵だったりしてな」
「そいつは傑作だ」
「「「はははは」」」
同調する生徒の中で笑い声が上がった。
まだ講義室に残っていた者が、カントのノートの内容に興味を持ち、わらわらと集まってきた。
「何だ、これは」
ノートを開くと、そこには見たこともない文字がびっしりと書き込まれていた。
何が書いてあるか理解できる者はその場にいなかったが、その量から講師の説明の大半が書き留められていることが推測された。
「見たこともない文字ね。凄く複雑そうだし、何種類文字があるのかしら?覚えるだけでも大変そう」
聖典言語の文字は40文字弱で構成されており、文字を覚えるだけならすぐにできる。
実はカントもトルンスタント家に滞在している間に全部覚えてしまっていた。
「誰よ。読み書きができないなんて言ったのは。どこの国の言葉か知らないけど、私たちよりも高度な読み書きが出来そうよね」
彼らの認識の中では、カントが同年代ということで話が進んでいるが、カントの中身は大学を卒業した大人である。
おっさんが小学生と読み書きを比べられている時点で、カントにとっては不名誉なことであった。
言うまでもなく、大人が子供よりも読み書きができるのは当然のことであるが、そんな現実離れした事実を想像できる生徒は誰もいなかった。
「確か神様が使ったとされる書き言葉は、沢山文字がある言葉ものではなかったかしら」
聖典によれば、神の話す言葉は多くの音を持ち、書く言葉は多くの文字を持つとされている。
「彼、本当に天使だったりしないわよね?」
それがどこの言葉かわかる者がいないので、否定できる者もいなかった。
「た、確かにどこかの国の言葉は達者なのかもしれんが、単位試験もパスできないようでは駄目だからな!」
殆ど捨て台詞とも呼べる発言である。
これまで、カントは入学まで読み書きの教育の機会がなかった少年というイメージがあったが、それはこの時点で完全に払拭されていた。
「カント君は平民で入学したんだから、特待試験に合格したということなのよ。貴方、読み書きができなかったら筆記試験にも合格できるはずがないことぐらいわからないのかしら。きっとこの言葉で解答したのよ」
余計なことを言って自分の考察力の無さを露呈させてしまったと気づき、その発言をした生徒はがっくりと肩を落とした。
「彼は頭のいい方だと思うな。算術関係の単位は、授業を受けずに全部取れたらしいわよ。記号の意味さえわかれば解答できるから今の俺には向いてるとかってアイリスさんに話してたのを聞いたの」
算術の授業は、難関科目の一つとされている。
基礎科目こそ四則演算など平民でも必要となりそうなものもあるが、応用・発展レベルの科目となると趣味の世界で、卒業間近で余力のある学生が受講するような科目である。
平民がこの内容の教育を受ける機会があったとするのは、かなり違和感があった。
「あいつ、異国の貴族じゃないのか?俺は短剣術の授業を一緒に受けてるんだが、恐ろしい速さで上達してるぞ。実戦で死にそうになると嫌でも上達するとかなんとか……」
「どこで戦ってるんだよ」
最早苦笑いしか生まれてこない。
一同は、暫くの間、様子見を続けるべきだと心の中で思った。




