補話 英雄と斧②
ライオは天使と聞いて思い浮かぶものはただ一つ、教会の連中が言っている神の使いのことである。
人並みの信仰心を持っているとライオは自負するが、目の前に自称天使が現れて、それをはいそうですかと信じるほど単純でもない。
「そんな薄汚れた服を着ているから怪しまれるんだ。最初からそれらしい恰好をして来い」
ライオを諫める羽目になったバースは、自分に余計なことをさせるなとセルシャを睨み付けた。
「我々は、あまり現地の衣類を持ち合わせていないですからね。着る服がなかった。それだけのことですよ。私が天使である証拠はこれです」
セルシャが頭の上を指さすと、そこにぱっと光の輪が現れた。
ライオも説法で聞いたことがある。
それは神の祝福を受けた証であった。
「目立つので、光輪と翼は普段消しています。声を聴かれると困るので、窓も閉めますね。女の声が聞こえるといって誰かがこの部屋に乗り込んできても困りますから」
窓を閉めても、どこかの部屋で同じように飲んでいる兵たちの騒ぎ声が聞こえてくる。
寮の部屋の壁は薄いため、声の遮蔽効果は薄いようである。
「セルシャはこの世界が管轄でな。俺も前に並外れた力があるとかで目をつけられて、声をかけられた」
バースはセルシャを呼び捨てにしているが、神の使徒をそんな風に扱って良いのか。
そんなことを疑問に思いながら、ライオはもう一度セルシャを上から下まで眺めてみる。
風貌は10代後半の年齢とみられるが、顔や手足に汚れなどはなく、どこかの令嬢と名乗っても全く違和感はない。
こんな若い娘が、遠方にあるシナリ王国内部の情報を持っているというのだから、やはり天使としての力あるということも間違いないのであろう。
「あ、今私のことを「こんな小娘が」と思いましたね?これでも私は貴方たちよりも年上ですからね」
小娘とまでは思っていなかったライオであるが、考えていたことは強ち間違いではない。
セルシャの説明によると、天使は老けないのだそうだ。
「それで、セルシャ様、シナリ王国ではどんな話になってるんですか?」
「セルシャでいいですよ。シナリ王国は徹底抗戦する構えですね。神官も神に加護をと必死に祈っていました。どちらも助けませんけどね。我々が人間に干渉するのは、大抵国とか大陸単位で文明を滅ぼす時ですから」
ライオは、さらりと恐ろしいことを言うなと思った。
セルシャ曰く、神が人を救うというのは人間の抱く幻想らしい。
天使が動くのは、天界の都合によるものであり、それがたまたま人々の救済となり、それが後世に伝えられていく結果だというのである。
生き残った者の残す言葉こそが真実となっていくわけであり、「救済」の裏で犠牲になった者たちは、語ることすら許されないのだ。
「それでセルシャは何をしに来たんだ?戦地に赴く俺たちを激励しに来たたわけではないだろう?」
いつまで経っても訪問の目的を明かさないセルシャに痺れを切らし、バースは本題に切り込んだ。
「まあ、相変わらずバースはせっかちなのですね。普通、ただの人間が天使と話せる機会なんて滅多にないのに」
セルシャは残念そうに語った。
「事あらば俺を抹殺しようと監視している奴と、長々と談笑なんてしてられるかよ」
セルシャのわざとらしい振る舞いにうんざりして、バースは不快な表情を表した。
「あら、気付いていたのですね。意外でした。まあ、貴方ならそんなことにはならないと思いますが」
ライオはようやく、セルシャの本性が垣間見えたような気がした。
「単刀直入に言うとですね、我々は近いうちにタンダラス帝国を審判することになりそうです。悪行の事実としては、既に十分すぎるくらいに累積されています。今度シナリ王国が侵略されようとしていますから、その前に――ということになるでしょうね」
セルシャの言葉に、バースとライオはごくりと生唾を飲み込んだ。
審判――それは神が愚行極まりない国家を消滅させてしまう恐ろしい裁きである。
これは、罪なき人々も含めて多くの国民が死ぬことを意味している。
どこかの国が一日にして滅んだという話は、教会の神官から神話として聞くだけでなく、風の噂でも流れてくる。
つまるところ、これは単なる作り話ではない。
まして、その実現性を天使が語っているのであるから、事態はかなり切迫していると考えて良かった。
「それで、何か俺たちにできることがあるのか?教えてくれ」
バースは椅子から腰を上げ、前のめりになってセルシャに答えを求める。
一方のセルシャは、微笑を崩さないまま答えた。
「審判というものは対象の最小単位が国なのです。対象がなければ審判はできないでしょう?」
二人は、セルシャの意図するところがすぐには理解できなかった。
それでも、少し考えた後に、バースは一つの結論にたどり着いた。
「俺に、帝国を滅ぼせというのか」
バースが導き出した答えに、ライオは絶句した。




