補話 英雄と斧③
セルシャが去った後も、ライオは受けた衝撃にどう対処したら良いのかわからないままでいた。
「まるで悪魔のような奴だな。手の震えがまだ止まらねえ。自分たちが手を下す前に、お前がやれと言うんだぞ。正気じゃねえよ」
「あいつは前にも言っていた。天使ほど残酷な種族はいないそうだ」
優先させるのは神の意志。
それを粛々と遂行するのが、天界の役人、天使なのである。
人間本意ではないその働きは、人間にとって時には慈悲深く、時には残酷に映るのであった。
バースは、セルシャの導きを断腸の思いで受け入れた。
帝国中が滅ぶのと、その一部が滅ぶのとを天秤にかければ、どちらがましかは容易に判断がつきそうなものであるが、後者の場合、それを行う主体はバース自身である。
果たしてそんな横暴が許されるのかと考えると、結論を出すまでに時間を要した。
できれば、何日かかけて結論を出したいところではあったが、そこまで時間的な余裕もなかった。
バースはセルシャが置いていった大斧に目をやった。
「天界の武器か。世の中には恐ろしい物があるんだな」
壁に立てかけられたそれは、柄の部分が長く、天井に届きそうな長さがあった。
魔金属で造られた毒々しい紫色の光沢を放つ刃先は、複雑な曲線を描いており、ある種の芸術品とも言える技物であった。
セルシャの説明によれば、使い手の魔力消費なしに土系統の固有魔法を無限に放つことができるという破壊兵器である。
いかに戦場で最強と言われるバースであっても、魔法騎士が大勢いる帝国中央部にて、国の機能を一人で完全に破壊するのは困難であった。
それをバースがセルシャに指摘すると、屋外の茂みから引きずり出してきたのがこの斧である。
バースの考えなどセルシャにはお見通しで、事前に準備してあったものだった。
そうではあるが、この武器は万能ではない。
元は、不死身と言われる天使が使用することを前提して作られている武器なので、ただの人間が使う場合、使用者にも大きな身体的負担がかかるというのだ。
「易々と死ぬつもりはないが、いつもの戦場よりはるかに危険度が高い。ライオ、もし俺に何かあった時には、故郷の家族を頼む」
バースは、できればこのテロリズムを起こす前に、家族に会っておきたいと思った。
だが、故郷までの移動時間を考えると、そんな余裕はとてもなかったのだった。
今回のことは、下手をするとバースの死によって家族を悲しませるだけではなく、大罪人の家族ということで迫害を受け、つらい思いをさせてしまうおそれもあった。
このため、後の口裏合わせや、アフターフォローはライオの役目となっていた。
信用できる友人でなければ任せることができない仕事である。
「ああ、任せておけ。俺にできるのはそんなことしかないからな」
その日の夜遅く、帝都のとある教会に「悪魔の与えた斧によって、兵の一人が発狂した」という神託がなされた。
※ ※ ※ ※
早朝、タンダラス帝国の首都には、霧が立ち込め、少し先も見通せない状態にあった。
どこからか、ガラガラと何かを引き摺る音が聞こえてきた。
その音の発生元には、鎧に身を包んだ一人の戦士が、大きな紫色の斧を石畳の路地に擦りつけながら歩いている姿があった。
その戦士の身に包む防具は、どれも猛者が喉から手が出るほど欲しくなる一級品ばかりであった。
これらは、バースが戦場にて敵兵から剥ぎ取った物である。
それらの持ち主は、各国で英雄やら勇者やらと呼ばれる者たちであった。
祖国を守るという確固たる意志のもとに、致命傷を負いながらも最期まで必死の形相で食らいついてきた彼らの眼差しを、バースははっきりと覚えていた。
彼らにも、それぞれ守るべきものがあって、帰るべき場所があって、それを失ってもよいと思った者など、ただの一人もいなかった。
もちろん、戦場にて命を落としても良いと思った者もいなかった。
それでも、彼らはバースに最期まで向かってきた。
「お前たちさえいなければ」
そう言いながらこと切れた籠手の持ち主を思い出す。
自分が兵士などにならなければ、彼は今も穏やかに家族と暮らしていたかもしれない。
バースは、その希望ある未来ごと、彼を叩き切った。
そう。
己が間違えたのだ。
力ある者としての選択を。
人並み外れた力で、人並みに周りの人間だけ守ろうとした結果がこれだ。
どれほどの人々の夢と希望を奪ったというのか、バース自身にもわからない。
だが、それもこれで終わりだ。
自分が終わらせる。
この装備の持ち主たちが成しえなかった悲願、それを自分が達成するのだ。
バースは、宮殿へと続く緩やかな上り坂をゆっくりと歩いていった。




