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冒険しない勇者  作者: 和泉きよ


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09.お嬢様の秘密を知る

 翌日。


 城へ着くと、いつもなら真っ先に駆け寄ってくるお嬢様の姿がなかった。


「……あれ?」


 俺は辺りを見回した。


 庭にもいない。


 いつもの応接室にもいない。


 昨日、裁縫をしていた部屋にもいない。


「お嬢様はどこに?」


 近くにいた侍女に尋ねる。


「それが……先ほどから姿をお見かけしていません」


「そうですか」


 珍しい。


 お嬢様は、どこへ行くにも俺に声をかけてくる。


 昨日だって、部屋を出るときには、


『明日も続きをやりましょうね』


 そう言っていた。


 だから今日も、俺は自然とその言葉を思い出していた。


 ――会えると思っていた。


 それなのに、いない。


 たったそれだけのことなのに、胸の奥が落ち着かなかった。


「……何を心配してるんだ、俺は」


 お嬢様だって、たまには一人になりたいことくらいある。


 そう思おうとした。


 けれど。


 昨日の笑顔が頭から離れない。


 俺は城の中を探すことにした。


 ◇


 しばらく歩いて。


 俺は誰も使っていない小さな庭を見つけた。


 城の中心から少し離れた場所。


 木々に囲まれていて、外からはほとんど見えない。


 その奥に、ベンチが一つ置かれている。


 そして。


「……お嬢様?」


 そこにいた。


 お嬢様は一人でベンチに座っていた。


 いつもの華やかなドレス姿。


 けれど、いつもの笑顔はなかった。


 膝の上に手を置き、俯いている。


「……勇者様?」


 俺に気づくと、慌てて顔を上げた。


「どうしてここに?」


「探していました」


「私を?」


「はい」


 お嬢様が少しだけ目を見開く。


「……どうして?」


「昨日、明日も続きをやるって言っていたので」


「あ……」


 お嬢様が小さく笑った。


 けれど、その笑顔はいつもより弱かった。


「そうでしたね」


「何かありましたか?」


「何もありません」


 即答。


 でも。


 俺には分かった。


 何もない人間は、そんな顔をしない。


「本当に?」


「……はい」


 お嬢様は笑う。


「本当に何でもありません」


 その笑顔が、少しだけ苦しそうだった。


 以前の俺なら、その言葉をそのまま信じていたかもしれない。


 けれど今は違う。


 お嬢様のことを知りたいと思う。


 何を考えているのか。


 何を喜んで。


 何を悲しんでいるのか。


 好きになってしまったからなのだろう。


 だから、放っておけなかった。


「……お嬢様」


「はい」


「俺には話せませんか?」


「…………」


 お嬢様が黙り込む。


 しばらくして、ぽつりと言った。


「私……嫌なんです」


「何がですか?」


「王女でいることが」


 意外な言葉だった。


「お父様も、みんなも、私を大切にしてくれます」


「はい」


「欲しいものがあれば用意してくれるし、困ることもありません」


 お嬢様は庭の花を見つめた。


「でも……」


 少しだけ唇を噛む。


「何をするにも、『王女だから』って言われるんです」


 俺は黙って聞いた。


「料理をしたいと言えば危ないから駄目って言われて」


「……」


「外へ行きたいと言えば護衛が必要で」


「……」


「何か失敗すると、すぐに誰かが代わりにやってくれて」


 その声が少しずつ小さくなっていく。


「私って……何もできないんだなって」


 俺は胸が痛くなった。


 いつも明るいお嬢様。


 何でも楽しそうにして。


 失敗しても笑って。


 俺に無茶なお願いをして。


 そんな彼女が。


 こんなことを考えていたなんて。


「……前の料理の時も」


 お嬢様が続ける。


「本当は、少し怖かったんです」


「怖かった?」


「失敗するのが」


 俺はお嬢様が料理した時の厨房を思い出した。


 焦げたクッキー。


 散らばった小麦粉。


 それでも楽しそうに笑っていたお嬢様。


「でも、勇者様が笑ってくれたから」


 お嬢様がこちらを見る。


「失敗してもいいんだって、少し思えました」


「…………」


 俺は言葉を失った。


 そんなふうに思ってくれていたなんて。


 嬉しい。


 でも同時に、少しだけ苦しかった。


 俺はお嬢様のために何か特別なことをしたわけじゃない。


 ただ、一緒に笑っただけだ。


 それなのに。


 その小さなことが、この人にとっては大きかった。


「お嬢様」


「はい」


「俺は、お嬢様が何でもできる必要なんてないと思います」


「……」


「料理が失敗してもいい」


「……はい」


「裁縫がうまくできなくてもいい」


「……はい」


「転んでもいいし、迷惑をかけてもいい」


「迷惑……」


 お嬢様が少しだけ笑った。


「私、かなりかけていますよ?」


「そうですね」


「否定してください」


「でも、それもお嬢様らしいので」


「もう……」


 ようやく、いつもの表情が戻った。


 俺はそれを見て、ほっとした。


「それに」


 俺は少し考えてから言った。


「お嬢様がやりたいことをやるなら、俺がそばにいます」


「……勇者様が?」


「はい」


「失敗しても?」


「はい」


「何度失敗しても?」


「何度でも」


 お嬢様がじっと俺を見る。


 その目が、少し潤んでいるように見えた。


「……どうしてですか?」


 その質問に。


 俺の心臓が大きく跳ねた。


 どうして。


 理由なら分かっている。


 好きだから。


 お嬢様だから。


 あなたの笑顔を見ていたいから。


 あなたが悲しんでいるなら、そばにいたいから。


 全部、本当のことだった。


 でも。


 それを口にする勇気は、まだなかった。


「俺は勇者ですから」


 結局、いつもの言葉で誤魔化した。


 お嬢様は一瞬きょとんとして。


 それから、ふっと笑った。


「……便利な言葉ですね」


「そうでしょう?」


「でも」


 お嬢様は立ち上がった。


 そして俺の隣まで歩いてくる。


「その言葉、私は好きです」


「……そうですか」


「はい」


 お嬢様が笑う。


「勇者様が私の勇者様でいてくれるなら、私も頑張れそうです」


 その言葉が胸に残った。


 俺は思った。


 この人の「勇者」でいたい。


 国を救う英雄としてではなく。


 目の前にいる一人の女の子が、安心して笑える場所として。


 そんな存在になりたい。


「じゃあ、戻りましょうか」


「はい!」


 お嬢様が歩き出す。


 数歩進んだところで、振り返る。


「勇者様!」


「はい?」


「昨日の服、続きをやりましょう!」


「もちろんです」


「今日は絶対に完成させます!」


「……お手柔らかにお願いします」


「ふふっ」


 お嬢様が笑った。


 俺も笑う。


 その笑顔を見ながら、俺は胸の中で静かに思った。


 ――この人のそばにいたい。


 それはもう、勇者としての使命なんかじゃない。


 俺自身が望んでいることだった。


 だけど。


 今は、それでいい。


 伝えなくてもいい。


 この穏やかな日々の中で。


 もう少しだけ、この人の隣にいられるなら。


 俺はそれだけで幸せだった。


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