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冒険しない勇者  作者: 和泉きよ


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20/25

20.お嬢様から離れる

 朝。


 いつものように、俺はお嬢様の部屋の前に立っていた。


「勇者様、おはようございます!」


「おはようございます、お嬢様」


 扉が開く。


 今日もいつもと変わらない笑顔。


 それを見た瞬間、俺は昨日のことを思い出した。


 丘で食べた弁当。


 帰り道に見つけた花。


 そして――。


『また明日』


 本当に、また会えた。


 それだけのことなのに、少し嬉しかった。


「今日はどうしましょうか?」


「そうですね……」


 お嬢様が考え込む。


「昨日見つけた花を、庭に植えたいです!」


「ああ、いいですね」


「一緒にやってくれますか?」


「もちろん」


「やった!」


 お嬢様が笑う。


 俺も笑った。


 何も変わっていない。


 今日も、いつもの一日だ。


 ――そう思っていた。


 俺たちは庭園へ向かった。


 花を植える。


 土を掘る。


 お嬢様が手を汚して、俺が笑う。


「勇者様、笑いましたね?」


「笑ってません」


「笑いました」


「気のせいです」


「絶対に笑いました」


 そんなやり取りをしていると、時間が過ぎるのは早かった。


 昼になり、俺たちは城へ戻った。


 食事を終えた後、俺は一度自室へ戻ることにした。


「少しだけ待っていてください」


「どこへ行くんですか?」


「剣の手入れをしてきます」


「分かりました」


 いつもなら、腰に剣を佩いている。


 けれど今日は、庭仕事をするために邪魔になると思い、朝のうちに外していた。


 そのまま――。


 部屋に置きっぱなしだった。


 完全に忘れていた。


「……まずいな」


 自室へ戻り、壁を見る。


 そこにある剣。


 いつもの剣。


 それを手に取る。


 鞘を腰に固定する。


 その瞬間、妙な安心感があった。


 俺にとって剣は、ただの武器ではない。


 勇者としての責任そのものだった。


 これまで何度も、この剣で人を守ってきた。


 そして今。


 俺が守るべき相手は、お嬢様だ。


「……もう、絶対に忘れないようにしよう」


 そう呟いて部屋を出る。


 廊下へ戻った、その時だった。


 ――鐘が鳴った。


 城内に、緊急を知らせる鐘が響く。


 俺は足を止めた。


 一度。


 二度。


 三度。


 ただ事ではない。


「何があった?」


 近くにいた兵士へ声をかける。


「東側の城壁で異常が確認されました!」


「敵か?」


「まだ分かりません!」


 俺は反射的にお嬢様のもとへ走った。


 庭園。


 そこにお嬢様がいた。


「勇者様?」


「お嬢様!」


 俺は駆け寄った。


「どうしたんですか?」


「今、警報が鳴りました」


「……!」


 お嬢様の顔が強張る。


「危険なんですか?」


「まだ分かりません」


 周囲を見る。


 兵士が集まってくる。


 少なくとも、この場所には十分な護衛がいる。


 俺は考えた。


 剣はある。


 敵の姿はない。


 お嬢様の周囲には兵士がいる。


 なら――。


「お嬢様。ここから動かないでください」


「勇者様は?」


「東側を確認してきます」


「私も――」


「駄目です」


 思ったより強い声が出た。


 お嬢様が驚く。


「……すみません」


 俺は声を落とした。


「今は、危険かもしれません」


「分かりました」


 お嬢様は頷いた。


 俺は東側へ向かおうとした。


 だが。


 そこで、ふと気づいた。


 ――剣。


 さっき腰に佩いたはずの剣が。


 ない。


「……?」


 腰を見る。


 鞘がない。


 一瞬、頭が真っ白になった。


「……まさか」


 思い出す。


 剣を手に取った。


 だが――。


 鞘を腰に固定したつもりで。


 実際には、机の上に置いたままだ。


 つまり俺は。


 今、丸腰だった。


「勇者様?」


 お嬢様が俺の顔を見る。


「どうしました?」


「……剣を、部屋に忘れました」


「え?」


 お嬢様の表情が変わった。


 俺は東側を見る。


 もし本当に敵がいるのなら。


 丸腰の俺が向かっても意味がない。


 いや。


 それどころか。


 俺はお嬢様の専属勇者だ。


 守るべき相手の目の前にいるのに、戦うための剣を持っていない。


 そんな状態で「大丈夫です」と言うことはできない。


 勇者だからこそ。


 自分の力を過信してはいけない。


 俺は、これまで何度もそれを人に教えてきた。


 なのに今、自分がそれを忘れていた。


「……お嬢様」


「はい」


「俺は一度、部屋に戻ります」


「剣を取りに?」


「はい」


 お嬢様が不安そうに俺を見る。


「でも……」


「大丈夫です」


 俺は周囲の兵士を見る。


「ここには護衛がいます。俺が戻るまで、絶対にお嬢様から離れないでください」


「承知しました!」


 兵士が答える。


 俺はお嬢様を見る。


「ほんの少しです」


「……はい」


「数十秒で戻ります」


 そう言って、俺は走り出した。


 数十秒。


 ほんの少し。


 それだけだった。


 自分の部屋は、庭園から遠くない。


 剣を取って戻る。


 それだけ。


 それなら問題ない。


 むしろ。


 丸腰のままお嬢様のそばにいるほうが危険だ。


 俺はそう判断した。


 それは、勇者として間違っていないと思った。


 廊下を走る。


 階段を駆け上がる。


 自室へ飛び込む。


 机の上。


 そこに剣がある。


「……あった」


 俺は剣を掴む。


 腰へ固定する。


 そして、すぐに戻ろうとした。


 その瞬間。


 ――何かがおかしい。


 静かすぎる。


 さっきまで聞こえていた警報が止まっている。


「……?」


 俺は走り出した。


 嫌な予感がする。


 理由は分からない。


 ただ。


 早く戻らなければ。


 そんな思いだけが、胸の中を支配していた。


 階段を駆け下りる。


 廊下を曲がる。


 庭園が見える。


「お嬢様!」


 叫ぶ。


 返事がない。


 俺は走る。


 庭園へ飛び出す。


「お嬢様!」


 ――いない。


 花壇。


 ベンチ。


 噴水。


 どこにもいない。


「……え?」


 兵士たちはいる。


 だが。


 お嬢様だけがいない。


「王女様は?」


 俺は兵士に詰め寄った。


「え……?」


「お嬢様はどこだ!」


「い、今まで、こちらに……」


 俺は周囲を見回す。


「誰かが連れていったのか?」


「分かりません!」


 兵士が青ざめる。


 俺は自分を責めた。


 違う。


 兵士を責めている場合じゃない。


 今、必要なのは。


 お嬢様を探すことだ。


 俺は庭園を走った。


 どこにもいない。


 廊下。


 いない。


 東側の階段。


 いない。


 図書室。


 いない。


「お嬢様!」


 何度呼んでも返事がない。


 胸の奥が、どんどん冷たくなっていく。


 そして。


 庭園の隅。


 昨日まで何もなかった場所に。


 一枚の紙が落ちていた。


 拾い上げる。


 そこには、あの黒い印。


 前に見たものと同じだった。


「……」


 指先が震える。


 紙の裏には、一言だけ書かれていた。


『勇者よ。来るのが遅かったな』


 頭の中が真っ白になった。


 遅かった。


 その言葉が、何度も頭の中を回る。


 俺は。


 数十秒だけ。


 お嬢様から離れた。


 剣を取りに戻るために。


 勇者として、正しい判断だと思った。


 丸腰でいるわけにはいかなかった。


 守る責任があるからこそ。


 剣を取りに戻った。


 ――なのに。


「……俺が」


 声が震える。


「俺が、離れたから……」


 胸が苦しい。


 息がうまくできない。


 何度も戦場に立ってきた。


 どんな敵を前にしても、冷静でいられた。


 それなのに。


 今は。


 頭の中に、一つのことしか浮かばない。


 お嬢様。


 どこにいる。


 無事なのか。


 怖がっていないか。


 俺を呼んでいないか。


 俺は――。


「……お嬢様」


 握りしめた紙が震える。


 その瞬間。


 胸の奥で、何かが切れた。


 今までなら。


 敵を探す。


 情報を集める。


 作戦を立てる。


 そうしていた。


 でも、今は違う。


 そんなことを考えている暇なんてない。


 俺が守ると約束した。


 ずっとそばにいると約束した。


 それなのに。


 たった数十秒。


 俺は、お嬢様から離れてしまった。


「……待っていてください」


 俺は剣を抜いた。


 その刃が、夕日の光を受けて輝く。


「今度は、絶対に離れない」


 俺は走り出した。


 国のためでもない。


 王の命令でもない。


 世界を救うためでもない。


 ただ一人。


 俺が何よりも大切だと思う人を取り戻すために。


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