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冒険しない勇者  作者: 和泉きよ


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11/24

11.お嬢様のお願いを断れない

 最近、俺は少し困っている。


 何が困るのかと言えば。


 お嬢様のお願いを、断れなくなっている。


「勇者様」


「はい」


「お願いがあります」


「……何でしょう?」


 このやり取りだけで、少し身構えるようになった。


 お嬢様のお願いには、だいたい何かがついてくる。


 料理。


 裁縫。


 古い塔。


 どれも最初は簡単そうに見えて、最後には俺が何かしらの後始末をしている。


 だから今回も、嫌な予感がした。


「実はですね」


 お嬢様が両手を後ろに隠す。


「今日は、一緒に庭園へ行きたいんです」


「庭園ですか?」


「はい」


「それなら構いませんよ」


 思ったより普通だった。


 少し安心する。


「ただ、いつもの庭園ではありません」


「……どこです?」


「東の庭です」


「何をするんですか?」


「見せたいものがあります」


「俺に?」


「はい」


 お嬢様が嬉しそうに頷いた。


 その顔を見た瞬間。


 断るという選択肢は、俺の中から消えた。


「分かりました」


「本当ですか?」


「はい」


「やった!」


 お嬢様が小さく跳ねる。


 その姿を見ると、自然と笑ってしまう。


 ――本当に、俺は弱い。


 この人に喜ばれると、それだけで何でもしてあげたくなる。


 昨日、自分で認めたばかりの気持ちが、日に日に俺を変えている気がした。


 ◇


 東の庭には、小さな温室があった。


「ここです」


 お嬢様が扉を開ける。


 中には色とりどりの花が並んでいた。


「綺麗ですね」


「でしょう?」


 お嬢様が得意そうに笑う。


「私、ここが好きなんです」


「知りませんでした」


「誰にも言っていませんから」


「どうして?」


「ここに来ると、誰も私を『お姫様』として見ない気がするんです」


 その言葉に、俺は少しだけ胸が詰まった。


 昨日も聞いた。


 お嬢様にとって「お姫様」という立場は、誇りであると同時に重荷でもある。


 何をするにも、周囲は王女としての彼女を見る。


 けれど。


 ここでは違う。


 花を見て。


 土に触れて。


 ただ笑う。


 そんな一人の女の子でいられる。


「だから、ここに来ると落ち着くんです」


「そうなんですね」


「はい」


 お嬢様が一つの鉢植えの前でしゃがみ込む。


「この花、私が育てたんですよ」


「お嬢様が?」


「はい」


「……ちゃんと育てられたんですね」


「失礼ですね」


「すみません」


 お嬢様が笑う。


「でも、嬉しいです」


「何がです?」


「勇者様に見てもらえて」


 まただ。


 何気ない一言なのに、胸に刺さる。


 俺は花を見るふりをして、お嬢様から視線を逸らした。


「……綺麗ですね」


「花がですか?」


「はい」


「私が育てたから?」


「それもあります」


「それも?」


「……何でもありません」


 危ない。


 今の俺は、お嬢様と二人でいるだけで言葉を間違えそうになる。


 好きだと自覚する前なら、もっと自然に話せていた。


 なのに今は。


 お嬢様が笑うだけで嬉しくなり。


 名前を呼ばれるだけで心が浮つき。


 近くにいるだけで意識してしまう。


 自分でも呆れるほどだった。


「勇者様」


「はい?」


「少し手伝ってくれませんか?」


「何を?」


「花の植え替えです」


「分かりました」


 お嬢様から小さな鉢を受け取る。


「土をここまで入れて……」


「こうですか?」


「はい」


 二人で並んで作業する。


 静かな時間だった。


 剣もいらない。


 魔物もいない。


 誰かを守る必要すらない。


 ただ、花を植える。


 そんな時間が、俺には不思議なくらい心地よかった。


「勇者様」


「はい」


「楽しいですか?」


「……はい」


 俺は少し考えてから答えた。


「楽しいです」


「よかった」


 お嬢様は嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見ていると、俺の胸の中にも温かいものが広がっていく。


 こういう時間がずっと続けばいい。


 ふと、そんなことを思った。


 ◇


 作業を終える頃には、二人とも手が土で汚れていた。


「見てください」


 お嬢様が手を広げる。


「真っ黒です」


「俺もですよ」


「ふふっ」


 二人で笑う。


 こんな姿を誰かに見られたら、きっと驚かれるだろう。


 お姫様と勇者が、土まみれになっているのだから。


「勇者様」


「はい?」


「今日はありがとうございました」


「こちらこそ」


「私、こういう時間が好きです」


「……俺もです」


 自然に言葉が出た。


 お嬢様がこちらを見る。


「本当ですか?」


「はい」


「では……」


 お嬢様が少しだけ迷う。


「また一緒に来てくれますか?」


「もちろんです」


 俺は即答した。


 その答えを聞いたお嬢様は、嬉しそうに微笑んだ。


「約束ですよ」


「はい」


 そのときだった。


 温室の外から声が聞こえた。


「お嬢様! こちらにいらっしゃいますか!」


 侍女の声だった。


「あ……」


 お嬢様の表情が少し曇る。


「そろそろ戻らないと」


「そうですね」


 俺たちは温室を出る。


 外には侍女が立っていた。


「お嬢様、国王陛下がお呼びです」


「分かりました」


 お嬢様が返事をする。


 そして歩き出す。


 けれど、数歩進んだところで。


「……勇者様」


「はい?」


「少しだけ、手を」


 お嬢様が自分の手を見る。


 土で汚れている。


「このままでは、手を繋げませんね」


「……」


 俺の心臓が跳ねた。


 お嬢様は冗談のように笑っている。


「汚れていますから」


「……そうですね」


 俺も笑った。


 でも。


 胸の奥では、別のことを考えていた。


 ――手を繋ぎたかった。


 ほんの一瞬。


 そう思ってしまった。


 けれど、俺はその気持ちを胸の奥へしまう。


 お嬢様は王女だ。


 俺は勇者。


 今の関係を壊したくない。


 だから、これでいい。


 そう思う。


 それなのに。


「また今度、綺麗なときに一緒に来ましょうね」


 お嬢様がそう言って笑った。


「……はい」


 俺は答えた。


 その約束だけで、十分だった。


 ◇


 その日の夜。


 俺は自分の部屋で剣を磨いていた。


 いつもなら、無心でできる作業だ。


 けれど今日は。


 どうしても、お嬢様のことが頭から離れない。


 温室で笑っていた顔。


 土で汚れた手。


 花を大切そうに見つめていた横顔。


 そして。


『また今度、綺麗なときに一緒に来ましょうね』


 あの言葉。


「……困ったな」


 俺は剣を置いた。


 勇者としてなら。


 何でもできる。


 強敵と戦うことも。


 危険な場所へ行くことも。


 命を懸けることだって怖くない。


 なのに。


 好きな人に、自分の気持ちを伝えることだけは。


 どうしても怖かった。


 もし伝えて。


 もし拒まれて。


 もし今の関係がなくなったら。


 俺は耐えられるだろうか。


 お嬢様の隣にいられなくなるくらいなら。


 この気持ちは、胸の中にしまっておいた方がいい。


 そう思った。


「……俺は勇者だからな」


 小さく呟く。


 それは自分を納得させるための言葉だった。


 けれど。


 本当は分かっている。


 俺が彼女のそばにいたいのは。


 もう「勇者だから」だけじゃない。


 それでも今は。


 この気持ちを大切にしていたかった。


 明日もまた、お嬢様に会える。


 それだけでいい。


 そう思いながら、俺は再び剣を磨き始めた。


 窓の外では、静かな夜が広がっていた。


 平和だった。


 何も起こらない。


 だからこそ俺は。


 この平和が、ずっと続くものだと思っていた。


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