現在別荘廃墟にて
※とあるミステリーの真相について触れています。未読の方は先に進まないでください。
現在別荘廃墟にて
「つれづれなるままに」黒川が歌うように言った。「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば……って、徒然草でしたっけ?」
「ええ、日暮らし、硯に向かひて、が抜けていますが……。吉田兼好のね」
「退屈なままに、心に浮かぶとりとめもないことを、あれこれ書きつけていると――、とかそんな訳でしたっけ?」
「ええ、あやしうこそものぐるほしけれ――(思わず熱中して)不思議と、気が変になることだ、とかでしょうか?」
「気が変になる?」黒川が笑った。
「ええ、やはりあのミステリーが……」私も頷いてみせる。
「そして、ここはその舞台となった別荘……」
「正確には別荘廃墟ですね」
私と黒川は約束通り、あのミステリーの舞台となった別荘廃墟に来ていた。
「そして、ここは密室だった」
我々の目の前に離れだった痕跡――基礎だけが残った離れがある。
「火事で全焼してしまえば、密室だったことすら検証しようがないですね」
「いや、そうでもないですよ」黒川は首を横に振る。
「基礎だけで何かわかりますか?」
「ええ、わかります。やはり浅いですね」
黒川は左手で離れの基礎を指差した。右手は相変わらずズボンのポケットに突っ込んだままだ。
「なるほど、浅いですか……。確かに浅いですね……」
「探偵役の脳外科医の暴いた密室トリックは浅すぎて成立しませんね。念のため確認してみませんか?」
黒川に促されて、私は離れの中――廃墟となって基礎だけだが――に入っていく。そして胡坐をかいて座った。
基礎だけ残っていて床は残っていないが、床面の高さはある程度想定できる。
「このシーンも書くんでしょう? そろそろ事件について語ろう……そうなってる」
「ええ」私は否定はしなかった。「次の段階に進みますよ。そして開幕――再び幕が上がる」
「なるほど、この、求めよ、さらば与えられん、はミステリーなんですね、やはり」
「いいえ」私は否定する。「ただの小説ですよ。だいたい、この、『求めよ~』だけを読んでも読者はちんぷんかんぷんだ。事件の詳細は何も書いていないに等しい。もし、それを読者の想像に委ねれば、まあ、前衛小説になると思います」
「じゃあ、あのミステリーは……」
「いえ」私は黒川を遮って「あれはアンチ・ミステリーでしょう?」
「なるほど。まあ、AIもそんなことを言ってましたね。で、そのアンチ・ミステリーを読んだ後にこの前衛小説を読めば、トータルとしてミステリーになりそうですね。本格ミステリーに……」
「誰が探偵役ですか?」
「私じゃ駄目ですか?」黒川が笑った。「私もあの事件の現場にいたんでね」
「あなたは黒服ですよね?」私が訊くと、
「ええ、で、あなたが黒幕?」
意味ありげな黒川の問いに私は答えなかった。
「失敬、とにかく――、これで十分でしょう」黒川が胡坐をかいて座っている私に立ち上がるよう促した。「このシーンを書いたら、読者にわかりやすく、画像を付けてくださいね。基礎は浅かったと」
「ええ、確かに床に穴を開けて首だけ出すのは難しそうですよね。これだけ浅いと多分肩が出てしまう」
「AIの解釈は崩れましたね」黒川が笑った。「尾崎凌駕が解明してみせた密室トリックは現実には使えない」
「私もそう思います」
「すると彼は犯人ではない? AIは結局騙されてしまって、謎は少しも解けていない?」
「そうかもしれませんね」私も同意する。
少なくとも、離れの基礎のこの浅さでは、尾崎凌駕の解明した密室トリックは役に立たない。それは確かだ。
「あのAIはしたり顔で――いや、AIに顔はないですが――さも自分が正しいかのように解釈してくれましたが、探偵役が犯人だったというのは別に目新しくもないでしょう。『探偵』自身が考案し実行した密室トリックを、小説内で『探偵』として暴いてみせたという、二重の役割を演じていた――これは、ミステリーの約束事を逆手に取り、読者の常識を揺さぶる、まさに『アンチ・ミステリー』の極致と言える――これはちょっと大げさな気がしませんか?」
「そうですね。それに密室トリックも実際には使えない――それが今判明したわけですしね」私も頷いてみせる。
「では帰りましょうか?」
「え? 帰る? あなたが真の密室トリックを暴くんじゃないのですか? 真の探偵役はあなたなんじゃ?」
「いえ、まだ無理です」黒川が首を横に振った。
「まだ?」
「ええ、情報が足りない」
「例えば、どんな?」
私のその言葉に黒川はじっと私の目を見た。
「『求めよ~』を読むと、あなたは事件の一週間前にこの別荘に来て、隠しカメラのシステムを構築してたんですよね?」
「ええ」
「一応、探偵なんで尋問させてもらいますよ」黒川は笑った。「それで社長に何か仕事を頼まれた、と」
「尋問ですか」私も笑って「その答えはWeb小説に地の文として書きますよ」
「ははは、そうですか。でも、一応言っておきますよ。社長の頼みとは隠しカメラシステムのサーバーに細工をすることでしょう? あなたはSEだ。ちょこっとスクリプトを書けば……」
私は笑って何も答えなかった。
「まあ、今日のところはここまでにしましょうか。さあ、帰りましょう」
黒川に促されて別荘廃墟を後にした。
「今日はありがとうございました。またお邪魔します」
「また? 今度はどこで?」
「医療センターの地下のあの……」
「人体標本室ですか? しかしなぜ?」
「ちょっと首猛夫の話がしたいんです。首の話なので、生首を前にして話したくてね」黒川が笑った。
「わかりました」
「では佐藤さん、また」
黒川は意味ありげにそう言って、バイクに跨った。
「そうそう」黒川が思い出したように「殺し屋首猛夫ですが、本名は佐藤でした。下の名前は知りませんが――」
「ええ、尾崎凌駕から聞いています」
「佐藤――ありふれた苗字ですね」
「ええ」
黒川は右手をポケットから出してバイクのハンドルを握った。
「え?」思わず声が出る。
右手の小指はちゃんとあった。
「ああ、これですか」
黒川が右手を握り、小指だけを曲げ伸ばししてみせた。
「よくできているでしょう?」
それだけ言って彼はバイクをスタートさせた。
――小指があった……、右手の……
黒川が去って一人になった。
――ここはあの惨劇があった別荘廃墟……
あの立派な――コンクリートの基礎で十二段ある階段はまだそのまま残っていた。
火事ですっかり焼けたはずのライラックも、二十数年経って一部再生したのか、それと思われる灌木が二、三認められた。
しかし、私も黒川も、ライラックも階段も無視した。
ライラック 階段誘う 夢の国
探偵役の脳外科医はそう詠んだが……
ここは夢の国ではないのだ。現実の世界だ。
あの惨劇は実際に起こった。それは確かだ。
そして私はそれについて書いている。
これはそういう小説だ……




