魔女狩り人形《ウィッカー・ウィッチ》
「紅蓮の槍、破滅の一撃よ……」
その詠唱によって生み出されたのは、燃え盛る炎の槍。ただし、その色はさっきと違い、普通の赤い、あるいは橙色の炎だった。
夜の闇の中、揺らめく炎に彼女の姿が照らし出される。
建物を侵食する赤い炎と黒い炎、光と影のコントラストが、彼女をますます悪魔染みた姿に魅せた。
宙に浮く炎の槍は、彼女の傍らで膨大な熱量を溜めながら、射出される瞬間を待つ。
「――咎人共を貫け」
そして、詠唱が終わると同時、三人を目掛けて炎の槍が放たれる。
とはいえ、長い予備動作から真っ直ぐ飛んで来るだけの攻撃。戦闘の素人ではない三人は簡単に避けることができた。
しかし、名も無き魔女狩り人形の目的は、炎の槍によってコソコソと隠れた獲物を炙り出すこと。
まんまと遮蔽物の無い広場に引きずり出された獣人二人とメイド。彼らの姿を視認した人形は、黒い炎の詠唱を開始する。
「憎悪に燃える……」
「させねえヨ!」
ジャクリーンは片手で銃を構え――。
タァンッ、タァンッ!
幾つかの乾いた発砲音。
ジャクリーンの持つ銃から、鉛の弾丸が放たれた。
だが、事はそう上手く運ばない。
発砲の直前、危機を察した魔女狩り人形。彼女は引き鉄が引かれるよりも少しだけ早く、対策となる詠唱に切り替えていた。
「焔の壁よ」
ゴウッと、風の音を響かせながら、弾丸の前に立ちはだかる炎の壁。
しかも、ただの炎ではなく、魔術の炎だ。
現実に干渉できるほどの力を得た幻想は、魂の宿らない鉛弾をあっさりと拒絶する。
推進力を失った弾丸は地に落ちる前に融解を始め、あろうことか炎の壁に呑まれて蒸発した。
「チィッ! やっぱり普通の弾丸じゃダメみたいだネ!」
ジャクリーンは舌打ちしながら言った。
――以前にも記述された通り、この世界において銃は、剣や弓を淘汰できるほどの武器ではない。
その理由は、魔力の存在がゆえだ。
この世界の理では、魔力は存在の価値を示す。
具体的な例を挙げると、魔力を込めていない弾丸なら、殺せる魔獣はせいぜいゴブリン程度の小物相手だけなのだ(もっとも、口径が小さい拳銃程度では、魔獣でない普通のクマすら殺せないが)。
そして、ドラゴンなどの上位魔獣や人間の枠をはみ出た英雄、あるいは魔女と称される存在だったり――逆に、その魔女を殺すための兵器だったり……そんな幻想的な存在と相対する場面では、この非情な現実が重くのしかかってくるのである。
悲しいことに、ジャクリーンに魔力は無い。
まったく保持していないという意味ではないが、単純に魔術として体外に放出するのが苦手だった。少なくとも魔女狩り人形の防御を貫けるほどの魔力を弾丸に込めることはできない。
……だが逆に言えば、魔力さえ込めることができるなら、原始的な武器でも魔女狩り人形に対して有効であることを意味する。
たとえば、そう――ミトが投擲した投げナイフのように。
炎の壁を突き破ったそれは、ザクッと鎖骨を断つ鈍い音を立て、魔女狩り人形の左肩に刺さった。
「貫け」
即座に反撃する魔女狩り人形は、短縮された呪文で小さめの炎を放つ。
無感情な少女の顔は、ナイフが刺さったままであるにもかかわらず、苦痛に悶えることすらない。
ほぼ反射的に返された炎は真っ直ぐとミトのもとへ向かったが、少年メイドは難なく回避した。
「炎よ、貫け、貫け、貫け……」
少女の口から、機械的に繰り返される呪文。連射される炎。
しかし、彼女が少年メイドに感けていると、横から何者かが斬りかかる。
「オラァッ!!」
叫ぶ声の主は、剣を振りかぶった獣人のヴォルグだった。
最高のタイミングで決行された、死角からの一撃。
しかし、せっかくの奇襲なのに、自らそれを知らせるなんて愚の骨頂である。
振り下ろされた彼の剣は、魔女狩り人形の右手に受け止められてしまった。
「ハァッ!?」
指が細い少女の手は、剣の刃をがっちりと鷲掴みにする。
見た目からは想像もできないほどの怪力だ。柄を両手で握っているにもかかわらず、ヴォルグは剣を全く動かせなくなる。
(魔力で身体能力を上げているのか? だが、俺だってかなり強化してるんだぞ!?)
だが実際のところ、魔女狩り人形にとって獣人の二人は、特別危険視すべき相手ではなかった。
彼らの攻撃が自分に届かないことを、彼女は知っていたのである。
圧倒的な魔力格差。彼女と対等に戦える相手は、そもそもかなり限定される。
今のところ彼女にとって敵となるのは――皮肉にも、英雄になれなかった少年メイドだけだった。
「炎よ……」
心無き少女の唇が、ヴォルグを殺そうと詠唱を開始する。
ヴォルグは直撃を覚悟する。
炎が熱を帯び、彼の髪を焦がし始める――しかし、今まさに炎が放たれようとしたところで、魔女狩り人形は剣から手を離した。
そして数歩後ろに下がり、首筋を狙って飛んできたナイフを躱したのだ。
ヴォルグを救ったのは少年メイド。
彼がナイフで牽制したため、魔女狩り人形は後退したのである。
ミトはヴォルグの襟首をつかむと、後方に下がり相手から距離を取った。
「バカなんですか? こういう場合は剣から手を離して逃げないと。無駄死にしたいのなら別ですが」
「うっ……すまねえ、ミト!」
言われてみればその通りだ。どうやら軽くパニックになっていたらしい。
ヴォルグは素直に自分の判断ミスを謝った。
「……」
一方で、白髪褐色肌の戦闘機械は沈黙する。
油断なく三人を視界に収めたまま、自身へのダメージを分析する魔女狩り人形。
彼女が感じているのは、骨を断たれた痛み。だがそれだけでなく、どうやら即効性の神経毒を食らわされたようだ。
おそらく、さっき肩に刺さったナイフにでも塗られていたのだろう。
「……死してなお、踊れ人形」
彼女は自分の身体を、魔力を使って無理やりに動かす。まるで、操り人形か何かのように……。
「毒自体は効いているみたいですが……彼女は文字通り、命ある限り戦い続けるでしょうね」
少年メイドのミトは、感情を無理やり抑えたような声で言った。
「仕方ねエ。あまり使いたくなかったガ……切り札きらせてもらうヨ」
いつの間にか二人に近付いていた、ハイエナの獣人ジャクリーン。
彼女は弾を装填しながら、さりげなく二人の背後に位置取る。
そして、リボルバーに装填する最後の一発には、懐から取り出した特別な弾丸を彼女は込めた。