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第二十帖。十二月三日・六 関東防空に対する朝本中佐の推察


 昭和十九年十二月三日  東京 竹橋


 午後一時になって静岡県御前崎の監視哨から報告が入る。それはB29梯団(ていだん)多数が侵入したとの情報である。


「機数は?」

「六十機内外です」


 第一報が不確実なのはしょうがないことだった。それから十分もしないうちに朝本がさらに正確な情報をもたらす。


「御前崎より侵入したB29は複数の梯団を組んでいます。機数は七十六です」

「少ないな」


 吉田は首をひねった。サイパン基地アスリート飛行場へは決死の偵察が幾度となく行われていた。

 その結果、十一月末の時点でB29は百五十機を超えていると予想されたのである。その後の増強の如何によっては予備機も含めて二百機を超すB29がサイパンにはいると予想していた。それなのに来襲した敵機群は百機にも満たない。


 朝本も納得しがたい顔である。


「予想よりも過小です」

「御前崎から侵入したんだな」

「間違いありません」

「よし、警報を出せ」


 警戒警報を発令せよ、との命令だった。

 空襲警報ではない。御前崎から侵入したことは確実だったが、現時点ではどこに向かうのか判然としない。

 三回目の東京空襲に向かう可能性はもちろんある。だがもしかすると日本側の目をくらますためにワザと東京方向に向かい、その後に機首を西に転じて名古屋に向かう可能性もあった。名古屋へも偵察機が飛んで来ている。空襲目標となっていることは確実だった。また無傷の裏日本に向かう可能性もゼロではない。


 吉田が考えている間に朝本は手塚(いち)()伍長に警戒警報発令を命令した。

 手塚は急ぎ壁にかけ寄ると、壁掛け電話の受話器を取った。この電話器は隣室の第十飛行師団電信室と、日本放送協会待機室に直通であり、しかも電話一本で同時に二部屋にかけられる便利なものだった。


『はっ。了解です』

『はい! ただちに放送したします』


 二者は二者の反応をした。

 第十飛行師団長からの命令を受けた電信員はただちに隷下の各飛行戦隊と独立飛行中隊に無線あるいは有線により命令を伝達した。

 日本放送協会の局員は、軍が発表した警報を国民に伝えるべく関東各地のラジオ局分室へ通信を始める。


 朝本はチラっと時計をみた。十三時四十分であった。





 昭和十九年十二月三日  東京 隅田


 十三時四十分、付近のサイレンが連続一分間吹鳴された。

 伊藤敏四郎はスコップの手を思わず止めた。他の者も同様で、ただ空を見上げるのだった。


「警戒警報発令だよ」

「ああ」と山倉君がぶっきらぼうに言う。

「どうなるんだろう。来るのかな」

「心配すんな。警戒警報が出ても作業は中断にならんよ。せいぜい〝安易ナ行動ハ之ヲ厳ニ慎ミテ……〟だろ? ほら掘っちまうぞ。今日中に柱の一本でも立てておきたい」

「う、うん」

「なんだ敏四郎。ビビってんのかよ」

「そんなわけあるか!」

「お、そうだ、その意気だ」

「でも……」

「あ?」

「次の空襲の目標はここだっていうウワサがある」

「そんなことはよく聞く話だ。大丈夫だって、心配いらん」

「なんでそんなこと分かるのさ」

「心配ならさっさと防空壕を作るぞ。ほら、さっさと掘った掘った」


 山倉君は落ち着いていた。第一小隊の生徒たちはみんな不安げに空を見上げたりお互いに見つめ合ったりしていた。

 だが山倉君が何も言わずに穴を掘っているのを見て、一人また一人と作業に戻るのだった。

 なるほど、と敏四郎は思う。山倉君は級長で第一小隊長である。人を率いる者が簡単に浮ついていれば着いて来るものも着いて来ない。肝がすわっていると敏四郎は感心した。


 二分後、設置されたスピーカーからラジオ放送がなされた。


『関東地区。関東地区。警戒警報。東部軍管区司令官発令……』




◆ 


 昭和十九年十二月三日  千葉 柏


 二式戦「鍾馗」の操縦席に座る西川。

 カッさん大尉が翼の上に立って西川に説明をしている。


「二式戦の翼は九・四五メートルあり、これは一枚翼だ。それを胴体に貼り付けてある。普通の飛行機では左翼と右翼が別に作られ、それぞれを胴体にくっつけられるが、二式戦ではそれをしていない。なぜだか分かるか」

「時速八百五十キロの急降下にも耐えられる設計にするためです」

「そうだ。当然だが一枚翼の方が強度が高い。ついでに射撃時の方向安定が良くなる。普通、機銃を撃てば反動で後方への力が機体が働く。これは不安定要素の一つだ。二式戦の機銃は主翼内にあるから翼にブレが生じるんだ。だが一枚翼にすることで二式戦はそれを克服している。……西川、照準器をのぞけ」


 西川は眼鏡型照準器をのぞく。それは操縦席の正面に備えられた筒のようなもので、ガラスが入っている。筒をのぞき、ガラスを通して敵との距離を測り射撃のタイミングを摑む。

 眼鏡式照準器は旧式扱いされており、今では二式戦一型にしか付いていない代物だった。この機は二式戦ニ型だからこんな旧式が付いているのは珍しい。新型にはすべて反射式照準器が付いている。


 眼鏡式照準器には欠点があるからだった。これを使うときパイロットはこれをのぞくために体を前のめりにしなければならない。操縦に集中したいのにこの動作は無駄だった。それにパイロットの中にはのぞき口に目をぶつける者もあった。不便だし危険だった。

 これに引き換え反射式照準器ならば姿勢そのままで使えた。海軍ではゼロ戦も反射式照準器を採用している。


「二式戦二型の最大速度は?」

「時速六百キロです」

「よろしい。巡航速度は?」

「時速四百キロです」


 巡航速度とは最も経済的な飛行が出来る速度をいう。


 操縦席を挟んだ逆側でサチ子とミツも話を真剣に聞いていた。


 二式戦一型との大きな相違点は、発動機換装によりプロペラが直径三メートルの定速式三翅型になったことと滑油冷却器が環状式から蜂の巣型に変更されたことにある。またこれに加えて、風防前面に厚さ四十ミリの防弾ガラスを使い、かつ燃料タンクにゴム防弾を施したところにある。

 これらの改造により二式戦ニ型の重量は一型と比べて二百キロ程度も増えていた。それに伴い翼面荷重が百四十五キロ・平方メートルから二百五十キロ・平方メートルに増大していた。


 翼面荷重とは全備重量を主翼面積で割ったもので、数値が大きいほど着速……着陸速度が大きくなる。

 つまり翼面荷重の増大で離陸速度も着陸速度も増大し、離着陸が難しい機体になってしまっていた。


 ただ改造の甲斐あって、二式戦二型は上昇性能と最大速度に向上が見られている。

 例えば悠祀の乗る複戦では高度五千メートルまでカタログ上、七分かかるところを二式戦二型ならば四分十五秒で駆け上ることが可能だった。これは二式戦には爆撃機用の大馬力エンジンを積ませるという陸軍にしては異色とも言える仕様だったからである。

 武装は陸軍機初の主翼に収めた機銃を持ち、七・七ミリ機関銃二丁に十二・七ミリ機関砲二門を装備する。陸軍では七・七ミリから七・九二ミリまでを機関銃、十二・七ミリ以上を機関砲と呼称する。


 少なくとも昭和十八年の段階では陸海軍の中では飛び抜けて優秀な機体だった。


「……と、二式戦二型はまあ、このような機体だ。従って高度一万メートルに来襲する敵機に対しては比較的役立つものと思われる。B29の武装はどれほどだ、平原伍長」

「はい」とサチ子はハキハキ答える。「十二・七ミリ機関砲二連装五基十門。二十ミリ機関砲二連装一基二門です」

「その通りだ。爆撃機のクセに二式戦の五倍近い火力を備えている。そして速度は二式戦とほぼ同じくらいだ」


 西川は驚く。速度は同じだが武装は五倍。そんな強敵と戦おうというのだ。身震いする。


「B29に対する攻撃はさまざまあるが、北九州の攻防で学んだ結果、直上方攻撃が最も良いものと判断されている。美納伍長。これはどんな攻撃だ」

「はいっ」とミツは答えた。「敵機を前にしたとき、我が方はまず進行方向その上方に占位します。そして四十五度の降下角を以て急降下いたします。このとき機を背面飛行させ、垂直降下、敵機の操縦席や主翼付け根を射撃して六十から七十度で下方に抜ける戦法であります」

「うむ。原案だ」とカッさん大尉は満足そうである。「この戦法は敵から見える面積を小さく出来、かつ高速で抜けるため被弾の可能性さえ小さく出来る。しかしながら欠点がある。西川伍長」

「降下角が六十度を越えるとほとんど垂直降下に近く感じる点です。従って機を引き起こすときに強いGがかかりブラックアウトを惹起することがあります」

「その通り。悪くすれば失神してしまう。そして地面に激突して死ぬ。強力だが危険な戦法だ。海軍さんではよく用いられているそうで、南方では陸軍(ぐん)もこの方法でB17やB24、B25を落としたそうだが、B29に限ってはそうでないかもしれない。言うまでもなくB29よりも高度を取らねばならん。二式戦の実用上昇限度は一万一千二百メートルだが、実際はどうかな」


 熟練工が徴兵されて、工場でも学生が戦闘機を作っている、とのもっぱらの話である。だから質にバラツキが生まれ、カタログ上の速度や上昇力が出せるのかという意味だった。またB29よりも高く飛ぶ必要があるのも懸念だった。


「ここまでで質問はあるか。なければエンジン全開訓練に移ったのち、地上滑走訓練を」とカッさん大尉が言いかけたとき、飛行場のサイレンが鳴った。


 鳴り方からそれが警戒警報であることを四人は聞き取る。

 そしてスピーカーから流れる。


『関東地区。関東地区。警戒警報。東部軍管区司令官発令……。戦隊はただちに警戒戦備甲に移られたし』


「警戒警報が出たか」

 

 カッさん大尉がつぶやく。

 控え所(ピスト)を飛び出たパイロットたちが慌ただしく機にかけよっている。警戒戦備甲はいつでも離陸が出来るようにする体勢をいう。

 警急中隊と思われる戦闘機が上昇して行くのが見えた。


「警急中隊はさすがに速いなあ。邪魔になってはいかん。全員、離陸中の機に注意して控え所(ピスト)に集まれ。集合の後、室内でのシミュレーター訓練に切り替える」





 昭和十九年十二月三日  東京 竹橋


 ずっと腕組みをしていた吉田はたずねる。


「朝本。この梯団が東と西に分かれたうちの一方という可能性はあるかな。実際にはB29が二百機来ており、それが左右に分かれたという線は?」

「考えにくいです」

「根拠は?」

「サイパン島にいるはずのB29に比して数が少ないのは否めません。しかし全機を出していては備蓄ガソリン量が足りなくなります。これは偵察機や潜水艦が報告してくるタンカーから算出しました。それにわずか一週間の間に三回も空襲に来ています。一回に参加するB29の機数を落とし、回数を増やす算段なのでしょう。練習をこなしているといった言い方のが正しいかもしれません」


 朝本は開戦前からB29対策に関わっている。

 開戦前から日本にはB17や、それに倍する四十トン級の超重爆撃機B29やB32をアメリカが開発中との情報が入ってきていた。

 それの情報は開戦とともに入らなくなったが忘れていたわけではない。しかしB17にさえ手を焼いていた日本であるし、情報が途切れては研究の仕様がなかった。


 続報は外紙や外伝で知った。「昭和十八年二月にボーイング社の新型爆撃機が試験飛行で墜落」「その名はB29」と報じられたとき朝本は真っ青になった。試作機が飛んだのであれば量産機の出現は遠い話ではないし、B17対策も不充分な現今、さらに新型が現れるというのだ。

 陸軍が軍務局長をトップにB29対策委員会を設置したのは昭和十八年四月のことで、対抗兵器やその生産、訓練の検討を始めることになる。


 また航空本部の総務部第二課の調査班が、開発状況や性能などの推算を始めたが、ここに朝本の姿があった。

 といっても機体の詳細なデータが手に入るわけはない。分かっていることはわずか。B29もB32も中翼式の四発機で、全備重量は約四十トン。装備エンジンは二千五百馬力である……と、非常に大ざっぱな推定をするのが精一杯だった。


 最も知りたい航続距離については見当も付かず、海軍側から出された「ミッドウェイ島からの空襲もあり得る」という非現実的な意見さえ否定できなかった。

 やむなく調査班は敵の立場になって推定を進めることにし、同時に対策機の試作も進めることで話が一致している。


 昭和十八年十二月、大本営陸軍部で行われた「虎号兵棋」演習でもB29の存在が重視されている。といっても昭和十九年夏以降に五百機が対日戦に用いられる、程度の見解が示されたに過ぎない。

 この兵棋演習自体が楽観的なムードの中であったから無理もない。兵棋演習によれば「十九年は持久戦、二十年に局部反撃、二十一年に総反撃」と結論付け、さすがに陸軍省軍事課が「甘すぎる」と反論が出た程である。


 こうした状況の中、陸軍航空本部調査班は昭和十九年を迎える頃にはB29の実態を摑むことに成功しつつあった。


 予想・昭和十八年十月に量産開始

 実際・昭和十八年九月に量産一号機が完成


 予想・昭和十九年三月末までの生産合計機数は二百機

 実際・昭和十九年三月はじめまでにウィチタ工場で百七十五機が完成。他に少数機が別工場で完成。


 予想・昭和十九年末までの生産合計一千三百機

 実際・昭和十九年末までにアメリカ陸軍航空隊へ一千二百機以上を引き渡し済み


 一見、当てずっぽうのように思える推定数字だったが、工場の床面積に一定の係数をかけて算出されたデータを、過去の生産実績などのよって修正したものである。

 こう言えば簡単なように思ってしまうが、資料がまったく不足した当時、敵の動きも考慮してこれらを算出したときは、まさに血を吐くような日々であった。

 朝本は知らないが、事実は上記のように近い数字を算出していたのである。これは驚異的と言うほかない。


 朝本のいた調査班ではB29の作戦開始時期を昭和十九年五月から六月にかけて、と予想した。北九州空襲が六月十五日であったことを考えれば、これまたピタリ的中。

 一番危惧されていた性能は難物で、せいぜい「与圧室を備えている」「常用高度は一万メートルを超える」「性能はB17やB24を上回る」といった大体のことしか分からなかった。

 正確なことが判明したのは北九州邀撃戦のときで、このとき撃墜したB29から焼け残りの操縦マニュアルが回収されてからのことだった。武装や航続距離、速度、爆弾搭載量もかなりオーバー気味な予想をしていたことが判明した。だが朝本は自分たち調査班の予想がかなり現実に近かったことを知り、密かに狂喜したのだった。


 このように開戦前からずっとB29にかかりっきりの朝本である。第十飛行師団の参謀としてここにいるのは当たり前だったし、その言葉は適当なところから出ているのではない。これまでの知識の積み重ねが朝本を通して出ているのだった。


「名古屋に向かうのであれば、御前崎から侵入したあとわざわざ東京を目指す必要はないと思われます。発見されれば我々の攻撃にさらされる危険が高まる。そんなことをせずとも最初から名古屋を目指せばいいのです」

「ふうむ。我々がそう考えると踏んで、わざと発見されたかもしれんぞ」

「これまでの空襲は二回とも目標から大きく外れておりました。失敗、と敵は判断したはずです。正攻法が成っていないのにあえて外法に走る理由もないと思います」

「うむ」


 吉田は、さすがは「防空の英才」と音に聞こえた朝本(ひとし)であると改めて感じた。その呼び名を裏付けるかのように富士山監視哨、下田レーダー基地からもB29侵入の情報がもたらされた。

 東進。

 敵は明らかに東京に向かっている。


 予想通りだ、と吉田は驚きつつも命令を下すのだった。


「朝本。警報だ」

「はい!」


 もはや疑いがない。十三時五十七分、空襲警報の命令が出される。これを受けて関東防空の任に就いている飛行戦隊、及び海軍の基地からも邀撃の戦闘機が高度一万メートル目指して離陸を始めたはずである。

 また高射砲連隊にも迎撃の命令が下された。東部軍では主力としてきた七センチ高射砲では射高不足のため、八センチ砲、十二センチ砲への転換が図られている。とりわけB29の侵入が予想された東京西部には十二センチ高射砲が重点的に配備され、もっと高性能の十五センチ高射砲も久我山への配備が決定していた。




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