キーガンの進むべき道
「あの納屋にあった魔導書、誰のものなの?」
「ああ……」
父さんは杯に口をつけ、暫く無言のままでいた。何か大事なことを隠しているのか? ひょっとして、持ち主はとんでもない魔導師なのか?
「びっしり書き込みまでしてあったしさ。俺、そのおかげで試験に受かってるから……」
俺が言葉を続けても、父さんは黙って杯を傾けて、しばらく無言のままでいた。まさか父さんが使っていたわけではないだろうし、いったい誰の残したものなんだ――
「あれはな、知り合いの預かりものなんだよ」
「……えっ?」
「おたくの納屋に入れといてくれないか、って頼まれてな。まだ引き取られてないだけさ」
「本当に? それだけ?」
「ああ、それだけだ。お前、何だと思ってたんだ?」
「いや、その……」
……拍子抜け、という以外に言葉が見つからなかった。知り合いが預けていただけ? あんな大量の魔導書を? あの田舎で? そんな話があるか?
「いやでも、どうしてうちに」
「別に理由はないさ。お前のおもちゃ代わりになってくれたから有難かったな」
「その、親戚にすごい腕利きの魔導師がいたとか――」
「預かりものだ。それ以上はないぞ」
父さんは淡々と語った。何か引っかかるのだけど、これといって疑う根拠があるわけでもないし。うーん、エレナとヘルマンにどう説明したものか……。
「そうそう、お前は昔から病気ばっかりでな。母さんと一緒に看病してばかりで」
「昔はね。これでもマシになったよ」
「母さんが『ちゃんとご飯を食べてるかしら』とか心配してたぞ。そうそう、マリーも……」
結局、話題がどんどん逸れていき……魔導書のことは詳しく聞くことが出来なかったのだった。それでも、家族の近況を知ることが出来たのは嬉しかったし、何より安心した。もっとも、母さんやマリーからすれば、穀潰しが不在なだけ楽なのかもしれないがな……。
***
いろいろと話は弾んで、すっかり夜になってしまった。街灯がウルムを照らすようになる頃、父さんがすっと席を立つ。
「……じゃあ、そろそろ父さんは行くよ」
「えっ?」
「別の宿屋をとってあるんだ。何日かはウルムにいるつもりだから、また会いに来るよ」
「ありがとう。暗いし、宿屋まで送るよ」
「悪いな。お嬢ちゃん、お勘定――」
「ああ、もういただいてました!」
「ん?」
困惑する父さんを見て、アマリアが笑いながら俺の方を指さした。きっとあの五百万ベルクから出してくれたのだろう。父さんは「参った」とばかりにぽりぽりと頭をかいてから、帽子を被った。
「息子に酒を奢られる日が来るとはなあ。感慨深いよ」
「いいって、これくらい。じゃあアマリア、俺はちょっと出てくるから」
「はーい!」
アマリアに声を掛けて、父さんとともに店を出ようとする。その間際、大きな袋を抱えた店主が店の前に現れた。用事を済ませて帰ってきたらしい。
「おう兄ちゃん、こんな夜にどこ行くんだ――」
店主はいつもの調子で口を開こうとしたが、俺たちを見て固まってしまった。まるで何か見てはいけないものを目にしたかのように、袋を持ったまま唖然としている。
「……て、店主さん?」
「兄ちゃん、その隣にいるのは」
「ああ、父親です。田舎から出てきたみたいで」
「どうも。うちの愚息がお世話になっているみたいで」
「いや……別に……そうか。なんでもない、気にするな」
父さんがペコリと礼をしたのに対して、店主は目をそらすように店の中に入っていく。俺を見て戸惑う、なんてことはないだろうし。父さんと知り合いなのか? いや、あり得ないよな。
「……行こうか、父さん」
「そうだな」
俺は父さんを連れて、通りの方に歩きだしたのだった。
***
宿屋を目指す途中、ヘルト広場を通りかかった。賑やかな昼と違って、夜はあまり人がいないようだな。街灯も少ないし、なんだか寂しい雰囲気だ。
「ああ、大事なことを忘れていたよ」
「えっ?」
突然、父さんが足を止めた。つられて、俺も思わず立ち止まってしまう。
「どうしたの? 忘れ物?」
「そうじゃない。お前、手紙に書いていただろう? ウルムに残って働くか、田舎に帰るか意見が欲しいってな」
たしかに、一番重要なことを聞き忘れるところだったな。落第して「宮廷付き魔導師」の職位を得た場合にどうすればいいのか、手紙で両親に相談していたんだった。
「うん。どうすればいいかな?」
「母さんとも話し合ったんだがな。キーガン、お前が好きなようにすればいい」
「えっ……いいの?」
「王都に残ってもいいし、田舎に帰ってきてもいい。お前の人生だ、父さんや母さんが決めることじゃないさ」
「でも……」
「どちらにせよ、試験が終わったら一度は帰って来い。母さんとマリーも会いたがっていたからな」
少し離れて向かい合う父さんの表情は暗くてよく分からなかったけど、微かに笑みを浮かべているようにも見えた。
俺はなんて良い両親の間に生まれたのだろう。農作業のひとつも出来ない俺を十八歳まで育ててくれたうえ、何の文句も言わずに背中を押してくれているのだから。
「……ありがとう、父さん」
「礼なんていいんだ、親なら当たり前のことだからな」
どこまで感謝すればいいのか、分からなかった。俺は両親に何を返すことが出来るだろう。いったい何をすれば恩に報いることが出来るだろう。金や物ではとても釣り合わないものを、俺は両親から授けてもらった気がする。
自分が両親から大事にされていることを実感して、心が温かくなった。とても幸せで、浮遊感すら覚えていた。父さんが来てくれて、本当に良かったな。
「行こう、キーガン」
「うん」
父さんが歩き始めるのを見て、再び足を進める。目的の宿屋はもう少しだ。父さんを送り届けたら、俺もさっさと「グルート」に帰るとするかな。
……そう、俺は油断していた。家族のいる安心感に、ついつい警戒心を解いていたのだ。だから、広場の暗闇から何人もの刺客が迫っていたなんて――
「うぐっ!!?」
「とっ、父さんっ!?」
全く、気づいていなかったのだ。




