補給班の鼠獣人ミーナ
補給庫の天窓から差し込む夕陽が、積み上げられた木箱の影を長く引き延ばしていた。
乾いた麻袋の匂い。
油紙の匂い。
保存食に使われる香辛料の匂い。
補給庫独特の空気の中で、ジンは黙々と木箱を積み直していた。
木材同士が擦れる鈍い音が響く。
汗が額を伝い、顎先からぽたりと床へ落ちた。
「こんにちは! 力持ちだね~」
柔らかな声に振り返る。
白い毛並みの鼠獣人が、荷札の束を抱えながらにこにこ笑っていた。
補給班所属のミーナだ。
小柄な身体。
丸い灰色の瞳。
ぴくぴく動く丸い鼠耳。
彼女は軽い足取りで近づいてくると、木箱の山を見上げて感心したように口を開いた。
「それ一人で運んだの?」
「はい。そんなに重くなかったので」
「えぇ~……」
ミーナが目を丸くする。
「補給班の子たち二人がかりでも大変だったのに」
言いながら、自分の腕を見下ろして小さく肩を落とした。
「やっぱ男の子って違うんだなぁ」
その言葉に、ジンは少しだけ動きを止める。
男の子。
聖騎士団の中では、あまり聞かない言葉だった。
この場所では“騎士”も“補給兵”も、全て女性だったからだ。
ミーナはそんな空気を気にした様子もなく、ひょいと木箱へ腰掛けた。
「でもさぁ、最初はびっくりしたんだよ?」
「……僕がですか?」
「うん!」
灰色の瞳が真っ直ぐ黒髪へ向く。
「こんな真っ黒な髪、初めて見たもん」
興味津々といった様子だった。
彼女は少し身を乗り出す。
夕陽を受けた黒髪を、じっと観察するように見つめていた。
「しかも目まで黒いんだよ? 夜みたい」
細い指先が、黒髪へ触れかけて止まる。
最初の頃のジンなら、反射的に身を引いていた。
けれど今は、逃げなかった。
ミーナはそのことに少し驚いたように目を瞬かせる。
「最近、前より怖がらなくなったね」
「え?」
「最初は誰か近づくだけで肩跳ねてたよ?」
言われてみれば、そうだったかもしれない。
鎧の音。
怒鳴り声。
大きな物音。
それだけで身体が勝手に反応していた。
「今は普通に話せるようになったじゃん」
ミーナは嬉しそうに笑った。
「補給班の子たちも、最近ジンくんと話しやすいって言ってるよ?」
「そう……なんですか」
不思議だった。
自分は何も変わっていないつもりだったのに。
ミーナは荷札をぺらぺらめくりながら、小さく頬を膨らませる。
「でも羨ましいなぁ」
「何がです?」
「背ぇ高くなるの」
「えっ」
「わたし全然伸びないんだもん!」
両手を広げて抗議する姿は、小動物みたいだった。
「補給棚の上とか届かないし、荷車重いし、毎回大変なんだから!」
そう言いながら、無理やり木箱を持ち上げようとしてふらつく。
ジンは慌てて支えた。
「あ、ありがとうございます……」
「うう~……やっぱり男の子いると便利……」
悔しそうに耳を垂らす。
だがその顔はどこか楽しそうだった。
「聖王国の別部隊なら男手も多いんだけどねぇ。ここ、女性しかいないから」
ぽつりと零す。
その瞬間だけ、補給庫の空気が少し静かになった。
女性だけの聖騎士団。
そこへ混ざる、唯一の男性。
ミーナは荷車へ寄りかかりながら、ジンを見上げた。
「ねぇ、ジンくんってさ」
「はい?」
「ここ嫌じゃないの?」
唐突な問いだった。
「女の人ばっかりだし。最初とか絶対怖かったでしょ?」
ジンは少しだけ考える。
怖かった。
それは本当だ。
誰も知らない。
自分自身すら分からない。
そんな状態で、この騎士団へ放り込まれた。
けれど。
「……今は、そんなに嫌じゃないです」
ぽつりと答える。
するとミーナの耳がぴくりと揺れた。
「そっか」
それだけ言って笑う。
優しい笑い方だった。
「なら良かった」
補給庫へ風が吹き込む。
棚の隙間から差し込む橙色の光が、少しずつ藍色へ変わり始めていた。
ミーナは荷札を抱え直し、ぱたぱたと尾を揺らす。
「じゃ、残りお願いね~」
軽い足音と共に去っていく小さな背中。
その姿を見送りながら、ジンはふと思う。
ここでは、自分は異物だ。
男。
東方人。
記憶喪失。
誰とも違う。
けれど。
ミーナも。
アリアも。
ベリアリアも。
少しずつ、自分を“普通に”扱うようになっていた。
その事実が、不思議と胸を温かくした。




