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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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訓練参加

早朝の射撃場には、乾いた弦音が澄んだ空気を震わせていた。


朝露の残る草地に白い靄が漂う中、アリアが軽やかに弓を引き絞る。


水色の尾が風に揺れた。


次の瞬間――


ビシュッ!


放たれた矢が一直線に標的へ突き刺さる。


だが止まらない。


二射。

三射。

四射。


流れるような連射だった。


細い指が矢を掴み、弦を引き、放つまでの動作に一切の淀みがない。


十本目の矢が中心付近へ突き刺さった瞬間、射撃場にいた騎士たちから小さなどよめきが起きた。


「見て見てー!」


アリアが弓を抱えたまま駆け寄ってくる。三毛模様の耳がぴこぴこと忙しなく揺れていた。


「わたしこれが得意なの!」


「す、すごい……」


ジンは素直に目を見張った。


剣や槍の訓練は見慣れてきたが、弓だけはまた違う。


まるで風そのものを射抜いているようだった。


「やってみる?」


「えっ」


返事をする前に、訓練用の短弓が押し付けられる。


思ったより軽い。


だが、構えた瞬間に違和感が走った。


腕へ上手く力が入らない。


弦を引こうとしても肩がぶれる。


「うわっ」


無理に引いた瞬間、弦が指から滑り、情けない音を立てた。


アリアが思わず吹き出す。


「あははっ!ぎこちなーい!」


「む、難しい……」


槍や木棒とは違う。


身体が全然動いてくれない。


これまでのような“身体の記憶”も感じられなかった。


アリアは笑いながらジンの後ろへ回る。


「コツがあるのよ。見ててねー」


柔らかな肉球が肩へ触れた。


「まず力入れすぎ。弓ってね、押すのと引くの両方大事なんだから」


背中越しに聞こえる声。


猫獣人特有の柔らかな体温が近い。


ジンは僅かに肩を強張らせたが、アリアは気づかないまま楽しそうに続ける。


「あと呼吸!止めちゃダメ!」


再び弓を構える。


今度はゆっくり。


押して。

引いて。

呼吸を合わせる。


矢は標的の端へ突き刺さった。


中心には程遠い。


それでも。


「当たったじゃん!」


アリアが嬉しそうに尻尾を振った。


その笑顔を見ていると、失敗したはずなのに少しだけ嬉しくなる。


朝日が射撃場へ差し込み、並んだ矢羽根を金色に照らしていた。


夕方。


訓練を終えた騎士たちが食堂へ向かう中、ジンは雑用の報告書を抱えながら廊下を歩いていた。


王城の窓から差し込む夕陽が石壁を赤く染めている。


その時。


団長室の扉がゆっくり開いた。


中から現れたのは、銀髪の老騎士ハインリヒだった。


年老いてなお背筋は真っ直ぐで、その隻眼には鋭い光が宿っている。


彼はジンを見ると、口元をわずかに歪めた。


「ほう」


低い声。


思わず足が止まる。


「そろそろ次の段階に入るか」


「……え?」


意味が分からない。


だがハインリヒはそれ以上何も言わず、肩を揺らして去っていった。


残されたジンは困惑したまま廊下を歩き出す。


すると角を曲がった先で、ルシャと鉢合わせた。


紅い毛並みが夕陽を受けて燃えるように輝いている。


「団長に呼ばれたのか」


質問というより確認だった。


「いえ……少し話しただけで……」


ルシャは数秒だけジンを見つめる。


やがて小さく息を吐いた。


「そうか」


それだけ言って横を通り過ぎる。


だが去り際、狼耳が僅かに動いた。


翌朝。


冷えた空気の中、星影の聖騎士団が訓練場へ整列していた。


白銀の甲冑が朝日に照らされ、規則正しく並ぶ光景は圧巻だった。


ジンはいつものように端で雑用道具を抱えて立っていた。


その時。


ルシャが一歩前へ出る。


「通達する」


低く通る声が訓練場へ響いた。


騎士たちの空気が引き締まる。


「本日より、暁ジンの正式訓練参加を認める」


一瞬、空気が止まった。


ジン自身も理解が追いつかなかった。


「えっ……」


思わず漏れた声がやけに小さく聞こえる。


周囲の騎士たちがざわめき始めた。


「本当に?」

「雑用係から?」

「団長命令か……?」


アリアだけは真っ先に笑顔になった。


「やったじゃん!」


背中を勢いよく叩かれ、ジンがよろめく。


これまで見上げるだけだった場所。


訓練場の中央。


騎士たちが剣を振るい、汗を流し、強さを磨き続けてきた舞台。


そこへ、自分も立つ。


胸の奥が熱かった。


怖い。


でも――


その熱は、確かに誇らしかった。




訓練場に茜色の夕陽が差し込んでいた。


西の空を染める赤光が、白銀の甲冑へ淡く反射している。


五十人を超える女性騎士たちが規則正しく円陣を組み、剣を振るう音が広い訓練場へ木霊していた。


踏み込み。

斬撃。

回避。

呼吸。


全てが揃っている。


その中で、ジンだけが明らかに違う動きをしていた。


カンッ……カキンッ


乾いた木剣の衝突音。


少年は必死にルシャの剣筋へ食らいついていく。


紅毛の狼獣人は容赦がない。


振り下ろされる木剣は重く、速く、そして鋭い。


真正面から受ければ腕が痺れ、少し反応が遅れるだけで肩を打たれる。


それでもルシャの黄色い瞳には侮蔑がなかった。


試している。


見極めようとしている。


そんな視線だった。


「重心が左に偏っているぞ」


言葉と同時に木剣が閃く。


咄嗟に受け止めようとした瞬間、足元が滑った。


「あっ――」


体勢が崩れる。


倒れかけた刹那。


脳裏へ、知らない景色が流れ込んだ。


夕焼けの土道。

木造の家屋。

風に揺れる竹林。


『腰を落とせ、ジン』


低く掠れた老人の声。


皺だらけの手。

振り下ろされる木刀。


(東方の……村……?)


知らないはずの光景。


なのに懐かしい。


胸の奥が妙に熱くなる。


次の瞬間。


「大丈夫?」


柔らかな声と共に、背中へ大きな手が添えられた。


ベリアリアだった。


牛獣人の温かな体温が触れた瞬間、幻のような景色は霧のように消えていく。


気づけば、自分は訓練場の砂の上へ膝をついていた。


「……あれ……?」


呼吸が少し乱れている。


ルシャが木剣を肩へ担ぎ、小さく息を吐いた。


「考え事をしながら受けるな。死ぬぞ」


厳しい声。


だが以前ほど冷たくはなかった。


「す、すみません」


ジンが立ち上がると、周囲で訓練していた騎士たちがちらちらと視線を向けていた。


雑用係だった東方の少年。


その彼が、今は正式訓練の輪へ加わっている。


未だ半人前ですらない。


それでも少しずつ、この場所へ立つことを許され始めていた。


「今日はここまでだ」


ルシャの声で訓練が終わる。


張り詰めていた空気が緩み、騎士たちが一斉に息を吐いた。


汗に濡れた髪。

砂埃。

夕陽に染まる白銀鎧。


その光景を見つめながら、ジンは自分の胸へ手を当てる。


まだ鼓動が速い。


先ほどの記憶。


あれは何だったのだろう。


祖父。


東方の村。


木刀。


断片的すぎる。


だが確かに、“誰かに教わっていた”感覚だけは残っていた。


宿舎へ戻る頃には、空は群青色へ変わり始めていた。


廊下の窓から夜風が入り込み、汗ばんだ身体を少し冷やしていく。


すると部屋の前で、アリアが壁へ寄りかかって待っていた。


「おかえりー!」


水色の尾がぱたぱた揺れる。


「今日の訓練どうだった?」


無邪気な声。


ジンは少し考えてから、小さく笑った。


「疲れました」


「それだけ?」


「……でも、少し楽しかったです」


その返答に、アリアの猫耳がぴんと立つ。


「ほらやっぱり!」


嬉しそうに笑う姿を見ていると、胸の奥に残っていた不安が少しだけ薄れていく。


部屋へ戻り、窓を開ける。


夜空には無数の星が浮かんでいた。


漆黒の瞳へ、白い星光が映り込む。


記憶は戻らない。


自分がどこで生まれ、何を失ったのかも分からない。


けれど。


(記憶なんて、本当はどうでもいいのかもしれない)


今はただ、この場所にいたかった。


星影の聖騎士団。


温かな食事。

騒がしい食堂。

厳しい訓練。

不器用な優しさ。


それだけで十分だと思えた。


窓から吹き込む夜風が、黒髪を静かに揺らしていた。


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