表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
33/197

切断二日前

アリアの視線が、一瞬だけその左腕へ落ちた。


――まだ、そこにある。


細くしなやかな少年の腕。

無数の戦傷を刻みながら、それでも誰かを守るために動き続けた腕。


胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


「……アリアさん?」


不思議そうに首を傾げるジンに、彼女は慌てて笑みを作った。


「な、なんでもないよ!」


誤魔化すように籠を押し付ける。

中には焼き菓子が並んでいた。少し焦げているものも混ざっている。


「ミーナさん、“今日は甘いやつ食べた方が元気出るから”って」


「はは……ミーナさんらしいですね」


ジンが小さく笑う。

その何気ない笑顔が、今のアリアには酷く眩しかった。


(なんで……そんな普通に笑えるの……)


何も知らないからだ。


あと二日後。

この左腕が失われることを。


彼女達が、それを止められないことを。


「いただきます」


ジンは焼き菓子を一つ摘まむ。

口へ運んだ瞬間、表情がふっと緩んだ。


「美味しい……」


「ほんと?」


「はい。ちょっと焦げてるけど」


「もー!」


アリアが思わず笑う。

だが次の瞬間、その笑みが僅かに崩れた。


ジンの左手。


焼き菓子を持つ指先。

槍ダコだらけの掌。


無意識に視線が吸い寄せられる。


それに気づいたのか、ジンが困ったように笑った。


「なんです? 左手に何かついてます?」


「――っ」


アリアの喉が詰まる。


「ううん! なんでもない!」


勢いよく顔を逸らした。


雪が降っている。


静かで、白くて。

まるで全部を覆い隠そうとするみたいに。


「そういえば最近、左腕の調子いいんですよ」


無邪気な声。


「魔石の件以来、ちょっと変な感じはあったんですけど……今は全然平気で」


アリアの指先がぴくりと震える。


「むしろ前より力が入りやすいというか……変ですよね」


嬉しそうに笑う。


その姿があまりにも残酷だった。


「……そっか」


アリアはそれしか言えなかった。


彼を見ていられなくなる。


だから誤魔化すように、後ろから抱きついた。


「わっ!?」


「ちょっとだけ!」


強く。


失う前に確かめるみたいに。


アリアの細い腕が、ジンの身体へ回される。


温かい。


生きている。


ちゃんとここにいる。


「アリアさん?」


困惑する声。


その瞬間。


胸の奥に、どうしようもない衝動が込み上げた。


(逃げてって言えば……)


(今ならまだ……)


言葉が喉まで出かかった。


けれど。


――女王命令。

――第四大隊。

――グングニル。

――首都防衛。


様々な現実が脳裏を過る。


言えなかった。


代わりにアリアは、少年の背中へ顔を埋める。


「……今日は、いっぱい一緒にいてよ」


掠れた声。


ジンは少し困ったように笑ってから、静かに頷いた。


「はい。もちろんです」


その優しさが、今はあまりにも苦しかった。




― 同刻 ―


第七砦・医療棟調薬室


薬草を煮出す匂いが、静かな調薬室に満ちていた。


窓の外では雪が降っている。


音の少ない午後だった。


その静寂の中で――。


ベリアリアは、一人、調薬台の前に立っていた。


大きな両手で乳鉢を握り、乾燥薬草を擦り潰していく。


ゴリ、ゴリ、と鈍い音。


だが、その手は震えていた。


視線の先には、小さな硝子瓶。


半透明の淡青色。


深度睡眠用鎮静薬。


ジンへ飲ませるための薬だった。


「……っ」


呼吸が乱れる。


乳鉢へ、一滴、涙が落ちた。


――怖くて眠れない夜、何度も手を握った。


脳裏に浮かぶのは、黒髪の少年。


血塗れでも「大丈夫です」と笑った顔。


高熱を出しながら、

「他の負傷兵を優先してください」

と譲った声。


誰より傷ついているのに、誰かを支え続けた小さな背中。


「なんで……」


掠れた声が漏れる。


「なんで、貴方なの……」


その時。


コンコン。


小さなノック音。


ベリアリアは涙を拭いきれないまま顔を上げた。


「……どうぞ」


扉が開く。


白い毛並みを揺らしながら、セレナが静かに入ってきた。


医療班の制服姿。


その視線は、真っ直ぐ薬瓶へ向いている。


もう知っている。


この薬が何のために作られているのか。


だからこそ、部屋の空気は最初から重かった。


セレナはゆっくり調薬台へ近づく。


「……進んでるんですね」


静かな声。


ベリアリアは答えられない。


代わりに、薬瓶を握る指へ力が入った。


「あと少しで完成ですか」


「……はい」


掠れた返事。


セレナはしばらく黙っていた。


やがて、小さく口を開く。


「教えなくていいんですか」


その言葉に、ベリアリアの肩が揺れた。


「ジンさん、何も知らないんですよね」


「……」


「ずっと皆のこと信じたままです」


静かな声だった。


責めるわけでもない。


けれど、その穏やかさが逆に苦しかった。


「……命令だから」


ベリアリアが唸るように呟く。


「逆らえないんです……」


「でも」


セレナは真っ直ぐ見つめる。


「ベリアリアさん、本当は止めたいんですよね」


「っ……!」


その瞬間、感情が崩れた。


「止めたいですよ……!!」


涙が零れる。


「嫌に決まってるじゃないですか……!」


「私だって、こんなことしたくない……!」


「ジンは……あの子は……!」


声が詰まる。


「私達を信じてるんです……!」


「怖くても笑って……」


「傷だらけでも、皆を励まして……」


「そんな子を眠らせて、そのまま腕を切るなんて……!」


耐えきれず、ベリアリアは顔を覆った。


嗚咽が漏れる。


セレナは静かにその姿を見つめる。


そして、小さく呟いた。


「……戦争って」


「人を治す側まで、壊していくんですね」


ベリアリアは答えられなかった。


窓の外。


雪は静かに降り続いている。


まるで、誰にも気づかれないように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ