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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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聖騎士団の葛藤

夜半――。


王城内、聖騎士団第四大隊執務室。


重苦しい沈黙が部屋を支配していた。


長机の上には北方戦線の地図が広げられている。

赤い駒は日に日に増え続け、青い駒は既に半数近くが盤上から消えていた。


かつて百六十名を誇った第四大隊。


今、生存者は四十名にも満たない。


室内には血と薬品と疲労の臭いが染みついていた。


その空気の中で。


ハインリヒは静かに口を開いた。


「集まってもらったのは他でもない」


低く、掠れた声。


その場にいた全員が顔を上げる。


リオーネ。

ルシャ。

ベリアリア。

アリア。

フィリス。


誰もが疲弊し切った顔をしていた。


新型魔導砲グングニルについてだ」


その単語に、リオーネの表情が僅かに変わる。


第四大隊は以前から関連任務へ関わっていた。


だが、炉心構造も完成目的も知らされていない。


「……ついに完成するのですか」


蒼髪の騎士が静かに尋ねる。


「ああ」


ハインリヒは短く答えた。


「帝国軍主力を一撃で消し飛ばすだけの出力に到達した」


室内がざわめく。


北方帝国の圧倒的物量。


それを覆し得る兵器。


もし事実なら、戦争の流れそのものが変わる。


だが――。


誰一人、喜ばなかった。


ハインリヒの顔色が、あまりにも暗かったからだ。


「……問題がある」


沈黙。


老騎士はゆっくり視線を落とした。


「炉心起動に必要な高濃度魔力源が不足している」


「通常魔石では出力に耐えられん」


ベリアリアが眉を寄せる。


「まさか……」


嫌な予感がした。


そして。


ハインリヒは静かに告げた。


「ジンの左腕を使用する」


空気が凍った。


誰も理解できなかった。


数秒遅れて。


アリアが立ち上がる。


「……は?」


掠れた声だった。


「何を……言ってるんですか」


ハインリヒは感情を押し殺したまま続ける。


「祠で吸収した特殊魔石は、現在ジンの左腕内部へ完全定着している」


「極めて高濃度の魔力反応を維持したまま安定状態にある」


「摘出後、《グングニル》炉心へ転用する」


リオーネが机を叩いた。


激しい音が執務室へ響く。


「待ってください!」


瑠璃色の瞳が怒りに揺れていた。


「それではジンを……!」


「兵器として使うと言っているのと同じです!」


「その通りだ」


即答だった。


あまりにも冷たい肯定。


ルシャの牙が剥き出しになる。


「……ふざけるな」


低い唸り声。


「アイツは道具じゃない」


「戦場でどれだけ戦ったと思ってる」


「どれだけ仲間を助けたと思ってる!!」


怒号が部屋を震わせた。


だがハインリヒは動じない。


「理解している」


「だからこそ必要なのだ」


その瞬間。


アリアの瞳から涙が零れ落ちた。


「必要って何よ……!」


机へ拳を叩きつける。


「やっと笑えるようになったんだよ!?」


「皆で生き残ろうって言ってたのに!!」


「なんでジンくんばっかり!!」


叫びは半ば悲鳴だった。


ベリアリアも顔を青くしていた。


「左腕を切除すれば……」


震える声。


「魔力循環に重大障害が出ます」


「最悪、命に関わる……」


「承知している」


ハインリヒは静かに目を閉じた。


「だが、《グングニル》が完成しなければ数万の民が死ぬ」


フィリスが静かに言った。


「だから、一人を犠牲にすると?」


「……」


「答えてください、団長」


老騎士は苦しげに息を吐く。


「これは女王陛下直々の命令だ」


その瞬間。


全員が沈黙した。


アストレア・グランデール。


絶対君主。


戦時下において、その命令は覆せない。


「実行は三日後」


ハインリヒが告げる。


「対象には、まだ知らせていない」


その言葉に。


アリアが椅子を蹴飛ばした。


「言えるわけないじゃん!!」


涙声だった。


「ジンくん、団長のこと信じてるんだよ!?」


「聖騎士団の皆を家族みたいに思ってるんだよ!?」


誰も反論できない。


窓の外では。


何も知らない黒髪の少年が、中庭で槍を振っていた。


ただ皆を守りたい一心で。


その左腕が、“燃料”として切り落とされるとも知らずに。


――重苦しい沈黙が執務室を満たす。


誰も言葉を発せない。


窓の外では、ジンが一人、中庭で槍を振るっている。


黒髪が夜風に揺れるたび、訓練槍の穂先が月光を反射した。


何も知らない。


自分の未来が、この部屋で決められていることを。


その左腕が、“兵器を動かす燃料”として扱われていることを。


「……対象には、どう説明するつもりですか」


最初に沈黙を破ったのはフィリスだった。


鳥獣人の記録係らしく、感情を抑え込んだ声音。


だが、その指先は微かに震えている。


ハインリヒはすぐには答えなかった。


やがて低く言う。


「知らせれば逃走、あるいは抵抗の可能性がある」


「ジンは従順だ。だが……仲間を守るためなら命令に逆らう可能性もある」


「だから――」


そこで一度言葉を切る。


老騎士の顔には深い疲労が刻まれていた。


「睡眠薬を使用する」


空気が凍った。


アリアの猫耳がぴくりと震える。


「……え?」


ハインリヒは淡々と続けた。


「ベリアリア」


突然名を呼ばれ、牛獣人の癒術騎士が肩を震わせる。


「医療用鎮静薬の調合を頼む」


「深度睡眠状態へ移行可能な強度のものだ」


「眠っている間に切除を完了させる」


ベリアリアの顔から、一瞬で血の気が引いた。


「……私に」


掠れた声。


「私に、それを作れと……?」


「君以上の適任はいない」


「嫌です……!」


初めてだった。


温厚な彼女が、はっきり拒絶を口にしたのは。


「無理です……!」


震える声。


「ジンは……あの子は……!」


「私を信じてくれてるんです!」


「怖くて眠れない夜、何度も手を握った……!」


「傷だらけになっても皆を助けようとして……!」


「そんな子を眠らせて……腕を切るなんて……!」


嗚咽が混じる。


ルシャが拳を握り潰しそうな勢いで机を掴んだ。


「団長」


低い声。


「本気でやるつもりか」


「……ああ」


「アイツはもう家族なんだぞ」


狼獣人の瞳が怒りで揺れる。


「第四大隊は、もう半分壊れてる」


「ライラも死んだ」


「皆、ギリギリで立ってる」


「その上でジンまで壊したら……本当に終わる」


ハインリヒは答えない。


代わりに、静かに窓の外を見た。


中庭では、ジンが訓練を終えて夜空を見上げている。


その横顔は幼い。


まだ少年だった。


「……承知している」


老騎士の声は酷く掠れていた。


「だが、《グングニル》が完成しなければ首都防衛線は三ヶ月ともたん」


「帝国軍は百万規模だ」


「このままでは聖王国が滅ぶ」


「だから一人を犠牲にするんですか!?」


アリアが叫ぶ。


涙を流しながら。


「そんなの間違ってる!!」


「間違っているとも」


ハインリヒは即答した。


その迷いの無さが、逆に全員から言葉を奪った。


老騎士は疲れ果てた顔のまま続ける。


「これは正義ではない」


「救済でもない」


「……ただの戦争だ」


静寂。


誰も否定できない。


戦場で何千もの死を見てきた。


だから理解してしまう。


戦争とは、正しい者を救うものではない。


生き残るために、誰かを切り捨てるものなのだと。


「……睡眠薬は、いつ使うんですか」


フィリスが静かに尋ねた。


ハインリヒはゆっくり目を閉じる。


「三日後だ」


「その夜は、士気向上を名目に補給物資を開放する」


「宴会として自然に振る舞わせる」


「そのまま眠らせるのだ」


アリアが唇を強く噛む。


鉄の味が口内へ広がった。


「最低だ……」


誰にも届かないほど小さな声。


その時だった。


窓の外のジンが、こちらへ気づく。


黒髪の少年は、無邪気に笑いながら軽く手を振った。


まるで家族へ向けるような、優しい笑顔で。

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