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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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新たな出発

春の暖かな風が温泉街を吹き抜けていた。


スタンピードからしばらく。


温泉街は再び平穏を取り戻していた。


ジンもまた、慌ただしかった日々を終え、束の間の休息を過ごしていた。


グリムヴァルドと共に食卓を囲み。


市場を歩き。


時には宿の縁側で茶を飲みながら他愛もない話をする。


戦いも無ければ依頼も無い。


そんな穏やかな日々だった。


ジンにとって、それは決して当たり前ではない時間だった。


家族と呼べる人と過ごす時間。


帰る場所があるという安心感。


それを静かに噛み締めていた。


だが。


そんな時間も永遠には続かない。


ある朝。


荷物をまとめていたグリムヴァルドが言った。


「さて、私はそろそろ帰るとするよ」


「もうですか?」


ジンが尋ねる。


グリムヴァルドは小さく笑った。


「辺境街の家を空けているからな」


「薬を待っている客がいるかもしれないだろう?」


「怪我人もいるだろうし、病人もいるだろう」


「放っておく訳にもいかないからな」


相変わらずだった。


困っている人を見ると見過ごせない。


それがナディア・グリムヴァルドという人だった。


ジンは少しだけ寂しそうに笑う。


「そうですね」


「母さんらしいです」


グリムヴァルドは目を細めた。


「お主もだろう?」


そう言って額を軽く小突く。


「いてっ」


「誰かさんが困っている人を放っておけない性分なのは知っているよ」


「私が教えた覚えは無いのだがな」


そう言いながらも、どこか嬉しそうだった。


やがて旅立ちの日。


グリムヴァルドは馬車へ乗り込む。


ジンはその横に立っていた。


「気を付けるんだよ」


「はい」


「無理はしないことだ」


「はい」


「怪我もしないこと」


「それは努力します」


「それだと全く安心できないな」


呆れたように言うグリムヴァルド。


だがその声は優しかった。


昔から変わらない。


ジンがどれだけ成長しても。


どれだけ強くなっても。


彼女にとっては心配な息子なのだ。


やがて馬車がゆっくりと動き出した。


「試験、頑張るんだよ」


「はい!」


「終わったら帰っておいで」


その言葉に。


ジンは少しだけ目を見開く。


帰る場所。


昔の自分には無かった言葉。


だが今は違う。


辺境街の森の家。


南方の里。


温泉街。


待っていてくれる人達がいる。


ジンは静かに笑った。


「はい」


「帰ります」


グリムヴァルドは満足そうに頷く。


「ああ。それでいい」


馬車はゆっくりと遠ざかっていく。


やがて見えなくなった。


ジンはしばらくその方向を見つめていた。


帰る場所がある。


それだけで人は前へ進める。


ジンは腰の短刀を軽く叩いた。


聖騎士団時代から使い続けている短刀。


そして肩には杖に偽装した長巻。


朝霧家の家紋が刻まれた相棒だ。


都市連合。


金級昇格試験。


冒険者達の頂へ続く道。


どんな強者がいるのか。


どんな出会いが待っているのか。


まだ分からない。


だが恐れは無かった。


少年は歩き出す。


帰る場所を胸に抱いたまま。


新たな舞台へ向かうために。


馬車が見えなくなるまで見送った後。


ジンは小さく息を吐いた。


辺境街へ帰るグリムヴァルド。


都市連合へ向かう自分。


しばらくは別行動になる。


だが不思議と寂しさは無かった。


帰る場所があると分かっているからだろう。


そして別れを告げなければならない相手は、まだいた。


ベリアリアの宿へ戻ると。


そこには旅支度を整えているアリアとミーナの姿があった。


アリアは弓の弦を確認し。


ミーナは荷物を纏めている。


二人もまた出発の準備を進めていた。


「いよいよね」


アリアがそう言って顔を上げる。


「ええ」


「そっちは帝国ですか?」


ジンが尋ねる。


アリアは頷いた。


「ええ。一度帝国へ戻るわ」


「今回のスタンピードの件も報告しなければならないわ」


背中に背負った新式魔導歩兵銃を軽く叩く。


「ついでに補給と装備の整備も受けてくるわよ」


「都市連合には後から向かう予定ね」


ミーナも頷いた。


「流石に補給兵が報告もせずに長期間姿を消す訳にはいきませんからねぇ」


「書類も溜まってますし……」


「補給品の確認もしないといけませんし……」


面倒そうに肩を落とす。


アリアは苦笑した。


「その辺は任せるわ」


「酷いですよ隊長」


いつものやり取りだった。


ジンも思わず笑う。


そんな様子を見ていたアリアが言う。


「先に行っておくといいわ」


「どうせ試験会場でまた顔を合わせるでしょうし」


「その時にどれだけ強くなったか見せてもらうわよ」


ジンは少しだけ笑った。


「アリアさんもですよ」


「南方でかなり強くなってましたし」


「そうかしら?」


アリアはそう言いながらも、どこか満更でもなさそうだった。


すると宿の奥からフィリスが姿を見せた。


鳥系獣人の少女は帳簿を抱えながら歩いてくる。


「私はもう少し後になります」


「折角銅級に昇格できたんです」


「まずは銅級冒険者として仕事をこなして経験を積みたいんです」


真面目なフィリスらしい答えだった。


そして少し照れたように続ける。


「それに……ベリアリアさんの宿も忙しいですから」


「しばらくは宿のお手伝いをしながら冒険者の仕事をこなそうと思っています」


カウンターの向こうではベリアリアが嬉しそうに微笑んでいた。


「助かるわぁ」


「フィリスちゃん本当に働き者なんだから」


フィリスは少しだけ照れ臭そうにする。


アリアも頷いた。


「それが良いわ」


「経験は裏切らないもの」


ミーナも笑う。


「都市連合は逃げませんからね」


「ちゃんと準備してから来てください」


「はい」


フィリスは力強く頷いた。


「その後、アリアさん達と合流して都市連合へ向かいます」


そしてジンを見る。


「都市連合でまた会いましょう」


「ああ」


「待ってます」


そう答えるとフィリスは嬉しそうに笑った。


こうして。


皆それぞれの道を進み始める。


辺境街へ帰るグリムヴァルド。


帝国へ戻るアリアとミーナ。


温泉街で経験を積むフィリス。


そして。


都市連合へ向かうジン。


進む道は違う。


だが皆、同じ場所を目指している。


都市連合。


金級昇格試験。


次に再会する時。


きっと皆、今より少し成長しているのだろう。


そう思いながら。


ジンは旅支度を整え始めた。



皆との別れを済ませたジンは、長巻を肩に担ぎながら温泉街の馬車停留所へ向かっていた。


春の陽気に包まれた街は今日も賑やかだった。


温泉帰りの観光客。


露店の呼び込み。


冒険者達の笑い声。


そんな光景を横目に歩いていると、都市連合行きの大型馬車が見えてくる。


そして。


その馬車の前には既に待ち人がいた。


大柄なリザードマンの女性。


黒紫の長髪。


腰には巨大な双曲刀を二振り。


銀級冒険者。


そして自分と同じく金級推薦を受けた相棒。


リザリア・スカルレイスだった。


リザリアは馬車の車輪に寄り掛かりながら腕を組んでいた。


その姿を見つけたジンは思わず笑う。


「早いですね」


するとリザリアは鼻を鳴らした。


「おう」


「相棒が遅ぇんだよ」


「まだ出発まで一時間ありますよ」


「遅ぇ」


理不尽だった。


ジンは苦笑する。


リザリアはそんなジンの姿を見てニヤリと笑った。


「ちゃんと見送ってもらったか?」


「ええ」


「母さんは辺境街に」


「アリアさん達は帝国に戻りました」


「フィリスも後から来るそうです」


そうか、とリザリアは頷く。


「皆それぞれ忙しいって訳だ」


そして双曲刀の柄を軽く叩いた。


「ま、今は俺達の番だな」


「ですね」


ジンも頷く。


今回の旅は違う。


グリムヴァルドもいない。


アリアもいない。


ミーナもフィリスもいない。


同行するのはたった一人。


辺境街から共に戦ってきた相棒だけだ。


リザリアは楽しそうに笑った。


「都市連合か」


「強ぇ奴が山ほどいるんだろうな」


「楽しみだぜ」


まるで遠足前の子供だった。


ジンは呆れながらも笑う。


「試験なんですから少しは緊張してください」


「してるぜ?」


「全然そう見えませんけど」


「だってよ」


リザリアは獰猛な笑みを浮かべた。


「強ぇ奴と戦えるんだろ?」


「最高じゃねぇか」


そう言って豪快に笑う。


全く変わらない。


だからこそ安心する。


ジンは肩の長巻を軽く叩いた。


都市連合。


金級昇格試験。


新たな舞台。


新たな出会い。


そして新たな強敵。


二人の銀級冒険者を乗せる馬車は、もうすぐ出発しようとしていた。


暖かな春の日差しの中。


都市連合行きの大型馬車は街道を走り続けていた。


冬の名残は既に消え去り。


街道脇には若草が芽吹き始めている。


かつてスタンピードによって荒らされた街道も、既に補修が完了していた。


崩れた路肩は整えられ。


壊れた柵は新しいものへ取り替えられている。


帝国や冒険者ギルド、各地の商会による復旧作業は驚くほど迅速だった。


おかげで馬車はほとんど揺れることなく進んでいく。


車窓からその景色を眺めながら、ジンは小さく息を吐いた。


「平和ですね」


向かいに座っていたリザリアも窓の外を見る。


「そうだな」


「魔獣も見ねぇし」


「野盗も見ねぇ」


それも当然だった。


春になれば仕事が増える。


畑を耕す者。


森へ入る者。


商隊の護衛を請け負う者。


冒険者になる者。


冬に盗賊をしていた者ですら真っ当な仕事へ戻ることも珍しくない。


わざわざ命を懸けて街道を襲う理由が減るのだ。


何より。


この馬車は普通の旅馬車ではない。


都市連合行きの大型定期馬車。


複数の冒険者や護衛が同乗し、速度も速い。


襲う側からすれば割に合わない相手だった。


途中、何度か休憩は挟んだ。


宿場町で食事を取り。


馬を休ませ。


再び出発する。


だがそれでも進む速度は驚異的だった。


ジンが温泉街から港町へ向かった時とは比べ物にならない。


「早いですね」


「ああ」


リザリアは腕を組んだまま頷く。


「金級試験を受ける連中や商人がよく使う路線らしいからな」


「なるほど」


街道整備も優先されるのだろう。


馬車は止まることなく街道を駆け抜ける。


窓の外では森が流れ。


草原が流れ。


小さな村々が流れていく。


平和だった。


拍子抜けするほどに。


だがその平和がどこか心地よい。


スタンピード。


温泉街事件。


南方での修行。


振り返れば戦いばかりだった。


だからこそ。


こうして相棒と他愛のない話をしながら旅をする時間も悪くない。


リザリアは窓の外を眺めながら欠伸をした。


「しっかし暇だな」


「平和なんだから良いじゃないですか」


「良くねぇ」


即答だった。


「都市連合まだかよ」


「まだ三日ありますよ」


「長ぇ」


子供か。


ジンは思わず吹き出した。


その笑い声につられるように、リザリアも豪快に笑う。


馬車は進む。


都市連合へ向かって。


新たな舞台へ向かって。


二人を乗せた旅は、まだ始まったばかりだった。

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