『風の加護1』
フレアとソナーレを森に残し、俺とレインは家路についていた。
膝まで伸びた雑草を掻き分け、森の出口へと向かう。
「きゃあっ!」
突然の悲鳴に振り返ると、レインは尻餅をついていた。鎧に付けていた花がぽとりと落ちる。
わなわなと震え、微かに目を潤ませ、こけたわけではなさそうだ。
何事かと視線の先を辿れば、なんということはない。
「お前ってお嬢様なわけ?」
呆れながらジト目で問う。
返答する余裕の無いレインは――虫に怯えていた。
「こんな小さいのの何が怖いってんだ」
しかもにょろにょろと細長く地面を這っているタイプや尻に針を生やしたタイプではなく、ヒラヒラと美しい羽で舞う蝶だった。
「だ、だってドロップリアには全然いないんですよっ」
要するに見たこと無い生物がダメってわけなのか?
確かに得体の知れない未知の生物ってのは怖いっちゃ怖いけど、蝶くらいで驚かれるのはなあ……
適当に手で遠くへと追い払う。
「ほら」
手を差し出してやると、レインはおずおずとその手を掴んだ。腕を引き寄せ、身体を起こしてやった。
「あ、ありがとうございます……」
レインは恥ずかしげに頬を染めながら頭を下げた。
「お前ら、何者なんだ?」
「え?」
改めて、レインの装備に目を留める。
「お嬢様と従者――って格好じゃないんだよな」
「あ、あの?」
ジーッと全身を舐め回すように見ていると、何故かレインが真っ赤になっていた。
動かないことをいいことに、胸元に触れてみる。
触れるといっても決して如何わしい理由なんかじゃない。
「この薄くて軽い鎧の材料って、魔法の氷だろ?」
魔法の氷。いわゆる魔法により生成された一生溶ける事がない氷だ。
金属よりも丈夫で、氷だからこそ錆び付いたり劣化することが少ない。
純水だからこそ透明であり、水色の布製の鎧が見えている。
レインは火照った顔を手の平でパタパタと扇いでいる。
「よくわかりましたね」
お洒落としてガラスの鎧を着る人もいるため、おそらくガラス製だと間違えられやすいのだろう。
けれど氷の方が透明度が高くて光沢があり、分子が密なため衝撃を受けても壊れにくい。
「魔法の氷を身に付けるヤツは前線に出るのが前提だが、レインが戦う様子はない」
断言した理由は一つ。
前にすれ違った時は服装の組合わせから剣士だろうと予想していたが、実際にじっくり見ると、レインは武器を一つも身に付けていなかった。
「フレアが剣士だったからレインの方が魔道師かとも考えたが、杖も持たないのはおかしい」
優れた魔道師ならば杖を使わないこともあるが、一般的には魔法の起点や対象を指定する場合、杖を使用した方が効率がいい。
もう一度、レインに問い掛ける。
「お前らは何者なんだ?」
レインの頬から赤みが消えた。
静かに俯き、睫毛を揺らした。
「…………ごめん……なさ、い」
まだ、俺には言うことができないらしい。
レインは黙ったまま早足で進んでいく。
俺はその背をゆっくりと追い掛け、やがて湖畔まで戻ってきた。
周囲に咲いた花びらがヒラヒラと水面を泳ぎ、日の光を眩しく反射させている。
「なんでわざわざ戻ってきたんだ?」
レインの魔法はレインの性格に手掛りがなかったため、全くわからなかった。属性は水や氷のような気がするけど……
フレアは『未来』を望まなかった俺に対して憤怒してたから、使えるのは間違いなく火属性の魔法だろう。
レインは湖の前でしゃがむと、水面に写った俺のことを見つめた。
「私は水面を通して、他人の魔法を知ることが出来るんです」
「ふぅん」
ちょっと意地悪な言葉だとはわかりつつ、俺はレインに告げる。
「俺のことを調べるってのに、お前は自分達のこと言わないのか」
俺は不服を訴えるような言葉に、レインは申し訳なさそうに頭を下げた。
「もう少しだけ、待っていてください」
辛そうな姿はこれ以上話しかけてはいけない気がして、追求するのはやめた。
それよりも今はレインの魔法だ。
レインは俺の本質――本当の魔法を探れるらしい。
今まで俺が使える魔法は、風属性の潜伏と加速だと思っていた。
でもメイジーとソナーレ曰く、俺の本質は風だけじゃないらしい。
「ま、本質がわかったところで、俺は一緒に行けないけどな」
自嘲した俺を見かねてか、レインは一言ポツリと溢した。
「一度フレアが選んだのなら、必ず意味があるはずです」
そう告げたレインはフレアが俺を選択するまでの過程を辿っているかのように見えた。
指を少しだけ噛み、水面に血を垂らす。
「……神に捧げし清き水よ。我が願いを聞き届けるなれば、この聖水に答えを示したまえ……彼の者の真の姿を暴きたまえ」
呪文の長さからしてそれなりに高度な魔法であることは間違いないだろう。湖の水面が揺らぎ、鏡のように数回煌めいた。
レインの瞳が、同じように揺れた。
キラキラと水面に浮かび上がる金色の粒。それはまるで星空のように神秘的な光景で、思わず息を飲む。
「これは……」
青く澄んだ瞳が大きく見開かれた。
「なんかわかったのか?」
「はいっ!」
元気良く答えたレインは立ち上がり、何故か俺の両手を握りしめた。
純粋無垢な瞳が真っ直ぐと見つめてくる。
視線がこそばゆく、落ち着かずにソワソワと目を泳がせる。
「あ、あのー……レイン、さん……?」
思わず『さん付け』で呼び、距離を置きたいほど、今のレインは心の距離が近く感じた。
左右や上下に腕を振ってみるが、一向に放してもらえる気配がない。
まるで恋する乙女のような熱い眼差しを浴びる。
タラリと汗が額から垂れ、頬を滑ってから地面へと落ちる。
――いやいや、そんなわけないはずだ。
個人的にこの状況は冗談としか思えないのだが、帯びている熱と紅潮する頬がそれを現実だと知らしめている。
「ま、まさかレインは……本当に俺のこと……」
パアッと顔を明るませ、レインは強く頷いてみせた。
花のように愛らしく微笑み、ゆっくりと口を開く。
「私は」
緊張しているのか、それとも声を張り上げるためなのか、一端言葉を切って大きく息を吸い込んだ。
加速する鼓動を抑えられず、顔が熱くなってくる。ゴクリと、喉仏が下がった。
「ハヤテのことが」
そう、俺のことがす――
「欲しいんです!」
「え?」
予想外の言葉にキョトンとする。
好きと欲しいでは明らかにニュアンスが変わってしまう。
「はあっ!?」
ビクリとレインが跳ねた。
「わ、私何かおかしなこと言いましたか?」
不安そうに俺の様子を窺う。
てっきり恋愛感情を抱かれていると勘違いしていたなんて恥ずかしすぎる……!
「えっ!? ハヤテさんっ!?」
――ドボンッ!
「な、なななにをしてるんですかっ!?」
穴があったら入りたいとはよく言ったものだが、あいにく俺の前にある飛び込める場所は湖くらいしかなかった。
暖かい季節とはいえ、やっぱり水の中は強制的に頭を冷やしてくれて助かる。
「えっと、なにか引き上げるものはっ、いえ、これくらいの深さは溺れないですよねっ! あ、でも出てきた時のためにタオルが必要ですよね! でもでも、家には入るなと言われてるしっ!」
突然俺が湖に飛び込んだため、レインは相当動揺しているようだ。
頭も冷えて落ち着いたことだし、潜水を止めて浮上する。
「……悪い、大丈夫だから落ち着いてくれ」
レインはわたわたしながら何故かその辺の葉っぱをかき集めていた。
タオルの代わりのつもりだろうか。
「ハヤテさんっ!」
今にも飛び付いてきて水中へ逆戻りすることになりそうだったので、レインの前に手を出して止めた。
「あ、ごめんなさい」
ようやく冷静さを取り戻してくれたようだ。
「それで? なんで急に俺が欲しいとか言い出したんだ?」
「それは――」
レインが言おうとした瞬間、俺はレインのことを草むらに押し倒した。
「ふぇっ!?」
混乱してバタバタと暴れようとするレインの唇に人差し指を添え、無理矢理黙らせる。
「殺気だ」
小声で伝えると、レインは息を潜めた。
相手の居所がわからない以上、こうして身を潜めるしかない。
とはいえこの草むらでは木の上などから簡単に見つかってしまうだろう。
「音を攫え」
風が音を周囲に漏れないようにしてくれる。
その状態のまま、レインの上から退いた。そっと横へと転がり、距離をとる。
どこからともなく、バチッと何かが弾けるような音がした。
「……どこ、隠れた?」
低く、淡々とした声が耳に届く。おそらく男だろう。
もしかしたら、さっきソナーレが言っていた客人とやらの正体はこいつなのかもしれない。
草を踏みしめる音が近づき、俺は腰元の短剣へと手を伸ばしていた。
また一歩、距離が縮められる。
「見つけ――」
目と鼻の先まで接近された瞬間に足を跳ね上げ、相手の顔面へと蹴りを放つ。
しかし、寸でのところで後退されてしまった。
すぐに足をつき、上半身が起き上がる反動で短剣を叩きつけたが――
「弱者か」
柄の長いハンマー、つまり戦鎚で短剣を防がれていた。
青と紫の紫陽花で彩られた羽織袴にという珍しい格好に、漆黒の髪と京紫の瞳が妙に印象的だ。
この独特な服装や容姿は確か……
「大和ノ国か……」
東方の島国に住まう民。どうやらレインも同じ答えのようだ。
ならなおさらここにいる意味がわからない。
わざわざこんな田舎町まで……いや、一つだけ以前と違うところがある。
「目的はなんだ?」
とても話が通じる相手ではない気がするが、それでも聞いてみる価値はある。
「簡単、その女」
あっさりと答え、戦鎚の力を強める。押し負けそうだが、ここで退くわけにはいかない。
「ハヤテ!」
「名前呼んでる隙あったら逃げろ!」
戦鎚から火花が散った。
「隙、あり」
バチバチと音を立て、戦鎚伝いで雷電が流れてきた。
「うああああっ!」
死ぬほどの電圧じゃないが、正直辛い。
気絶も出来ずにジワジワと消耗し続ける。まさに拷問だ。
雷電の放出が、ピタリと止まった。短剣が痺れた手からスルリと滑り落ちる。
「邪魔」
視界が霞む中、戦鎚が俺の横腹を殴り付ける。
「ぅぐっ!」
殴られるままに身体が吹き飛ぶが、幸いにも花がクッションになってくれたため怪我はない。
「加減、不可」
無表情のまま戦鎚を乱暴に振り回す姿は、何故だか悲しみを感じた。
こいつ、もしかして……
「ハヤテ、伏せてください!」
伏せろと言われるまでもなく地に伏していたが、頭上を何かが通り過ぎた。
冷たい空気で頭が凍りそうだった。
「私を狙う理由ならわかっています」
上半身を起こすと、レインが俺の前に立っていた。
「……けれど、私に戦うつもりはありません」
驚くことに、羽織袴の端を氷の矢で地面へと縫い付けていた。
「あなたも、本当は私と戦いたいわけではないでしょう?」
レインは凛とした声で告げると、優しく微笑んでみせた。
それはまるで子供をあやす母親のように暖かく、まるで日溜まりに包まれているかのようだった。