『風の加護 3』
ソナーレの合図と共に決闘が始まった――のだが、両者共に間合いを計りながら相手の様子を窺っていた。
レインは氷のレイピアを、脇を締め、身体の前に立てるように握っている。空いた片手は背中へと回していた。
一方フレアは長剣――その中でもオーソドックスなロングソードの切っ先をレインに向けている。
隣にしゃがんでいたソナーレが、チラリと俺へ顔を向けているのが視界の端に写った。
気付きながらも、目線は二人から外さない。
「お前さん、どうして嬢ちゃんが戦わないのかは聞いたのかい?」
「入団が決まったわけじゃないから、まだ言えないらしい」
「じゃあお前さんの本質と魔法については?」
「……それも、まだだ」
やれやれと呟きながら、ソナーレはめんどくさそうに頭を掻いた。
「嬢ちゃんは頭が堅いからなぁ……だからこそ柔軟に対応できるフレアをつけられてるわけなんだろうが……」
水と油の関係かと思えば、互いの火に油を注ぐようにも見えるわけで……相性が悪いこの二人だけで旅できていたのが不思議なくらいだ。
「まぁ、本質はあの二人に聞いてもらうとして、お前さんが自分の魔法について知っていることは?」
「魔法の話、か?」
声がした方を見れば、目をキラキラと輝かせたトールがずいっと近寄っていた。
パーソナルスペースを侵害され、思わず後ろへと後退り、ソナーレの身体にぶつかった。
「すま、ない……興味深く……」
申し訳なさそうに呟き、元の位置へと離れていく。
「いや、そこまで離れなくても」
というわけで、トールはほんの少し距離を詰めた。
「で? どうなんだ?」
俺とトールのやり取りが一区切りついたところでソナーレが再び切り出した。
「俺は、風の魔法はずっと隠蔽と加速だと思ってたけど」
「隠蔽と加速ねぇ……」
「ああ。音を消したり、走るときに追い風で速度を出したりとかな」
ふと、レインとフレアが聞き耳を立てていることに気付いた。相手がいつ動くかわからないため、睨み合ったままだ。
「リーフェルは昔、お前さんを連れてこの村随一の占師の元へ行ったそうだ。そこでお前さんの本質、そして魔法について知ったらしい」
前置きの長さにイラつきを隠せない。胸のざわつきを押さえ付けるように、大きく息を吸った。
「それで?」
思わず当たりが強くなってしまったが、ソナーレは慣れた様子で話を続ける。
「なんでも、風魔法の系統は加護らしい」
「加護?」
「お前さんの親が、せめて風の力が助けとなるようにと、わずかな良心でその魔法をかけたんじゃないかと思うわけだ」
つまり俺を捨てることに罪悪感があったから魔法をかけたと?
子供を捨てるような親との縁がこんな形で残っていたなんて、冗談じゃない。
「風、の……加護……」
トールが不信感が入り交じった声で呟いた。
加護なんて聞いたことがないけれど、何か心当たりでもあるんだろうか。
「信じられんよな。両親はこんな能力を与えながら」
キン! と刃の交わる高い音が聞こえた。
視線を向けると、隙を見たフレアの一振りをレインが受け止めているところだった。
レインは長剣を押し返した直後に、レイピアの先で右腹部への突きを繰り出した。
身を捻ってかわされてしまうが、反対の手はフレアの避けた方向に定められ、しっかりと腹部を捉えていた。
「水よ集いて氷柱と成せ」
空気中の水蒸気が凝結し、氷の刃が赤いローブを切り裂いた。
ヒラリと舞った布片は、まるで出血したかのように見える。
いや、細々としてるのだから火の粉の方が近いかもしれない。
「いくらローブの防御力が高めっつっても、レインの前じゃ布切れ同然ってか」
楽しそうに笑い飛ばし、フレアは迫ってきたレイピアを上空に弾いた。
ガードががら空きとなったところで長剣を叩き付けようとするが――
「水よ集え!」
瞬時に現れた分厚い氷の壁が行く手を阻む。
「大質量、詠唱、一言……?」
トールが驚きの表情を見せ、パチリと静電気レベルの雷が爆ぜる。けれど呪文の詠唱はあくまで魔力の流れ、発動時のイメージが大切なのであって、訓練すれば必ずしも必要なものじゃない。
その証拠にレインが武器として扱い慣れているであろうレイピアは、強固なイメージを基に無詠唱で生成しているようだ。
「てか、お前の雷の魔法も無詠唱だったろ」
「否、自動発動。系統、『拒絶』」
その言葉に唖然としてしまう。
「俺、よく感電せずに生きてたな……」
「威力、加減可」
つまり自分に脅威が及びそうになると反射的に拒絶を表す雷撃が放たれ、その威力は意識すれば自分でコントロールできるってわけか。
――ガシャアァァンッ!
まるでガラスが割れたかのような派手な音と共に、氷の壁が砕け散った。
「えっ!?」
驚くレインをよそに、フレアは怒濤の斬撃の嵐を放った。
とっさに避けるレイン。焦ることなく、一つ一つの軌道を冷静に見切っている。
優美に、軽やかに、時折艶やかにすら見える。ヒラリヒラリと舞う蝶のような姿は、まるで踊っているかのようだ。
……本人は嫌がる例えかもしれないけど。
徐々にレインの足は一定のステップを踏み出し、踊っているという例えが確信に変わる。
レインが手を叩くのを合図に、二人の周囲が淡く煌めいた。同時に、涼やかな風が吹き抜ける。
「げ」
ようやく事態に気付いたフレアは額に汗を浮かべていた。
氷の矢が雨のように次々と、フレア目掛けて上空から放たれる。
リーフェルと同じく、詠唱の代わりに踊りをトリガーとして魔法を発動させたようだ。
フレアは慌てて頭上に剣を掲げてやり過ごそうとするも、大剣のように幅が広いわけではない。防ぎきることは不可能だ。
「ぐ……っ!」
氷の雨が止んだ時には、頬から血が流れ、ローブのあちこちが破れていた。幸運にも、頬以外は出血に至らなかったようだ。
その状態を目にした途端、レインの動きが止まった。
険しい表情で手を前に出したままだ。
「あーあ。嬢ちゃんはやっぱ戦えないようだなぁ」
「は? 何言って――」
レイピアを再構築しようとしていたのだろう。掌に集められていた魔力が、一瞬にして霧散した。
既に間合いを詰めていたフレアは、避けろと言わんばかりに高々と剣を掲げる。
レインは硬直したまま俯いていた。
戦意喪失としか言い表すことは出来ない。
フレアは残念そうに溜め息を吐く。
「ここまで、ってのか? 昔のお前はこんなことでへこたれねぇくらい、心の強いやつだったってのによぉ……」
哀愁漂う表情が、レインの本来の強さを物語っていた。
フレアが他国からも多くの騎士候補が集うドロップリア王国において、どれ程の腕前なのかは知らない。
だが、副団長の補佐となるのならば数えられる程度の存在だろう。
そんなフレアが憧れのような態度さえ見せるレインが、あっさりと逆転されてしまった。
長剣が容赦なく降り下ろされようとした刹那――レインが一歩踏み込んだ。フレアの懐に潜り込み、辛そうに目を細める。
「……負けるわけにはいかないんです!」
凛として言い放ち、フレアのローブを氷の矢が貫いた。
反撃されると思っていなかったのだろう。フレアは剣を鞘に納め、レインの頭を撫でた。
「いくらハヤテのためとはいえ、よくやったじゃねぇか」
「フレア?」
「それまで!」
再び木の皿を重ねたような楽器をソナーレが鳴らした。
満足げに頬笑み、フレアは氷の矢をローブから引抜く。
どちらに軍配が上がったか、それは二人の表情を見れば明らかだ。
「勝者は嬢ちゃんだ!!」
レインはへなへなとその場にへたり込み、顔は真っ青に染まっていた。
どうやら壁を乗り越えられたのは一瞬だけだったようだ。
フレアは俺の前まで来ると、ゴホンと咳払いした。
「見ての通り、今のこいつは副団長としての器が錆びちまってんだよ。でも、お前なら……」
「は?」
「や、その……お前なら、研いでやれるんじゃねぇかって期待してて……」
モゴモゴと口ごもっているし、言葉の意味が全くわからない。
「一緒に行くのは反対だったんだろ?」
「ちっげーよ! てめぇのことは最初から連れてくつもりだったっての!」
「じゃああの決闘は……」
「ちぃとイジワル過ぎるんじゃないかと一応は反対したんだぞ?」
ソナーレのフォローが入り、こいつもグルだったことがわかる。
レインは頭を抱えて混乱しているから知らなかったみたいだな。
俺やレインとの決闘は最初から無意味だったわけか?
「……俺やレインの覚悟のためには必要な試練だったのか」
「お? お前さん、やけに物分かりがいいなぁ」
頭をポンポンと撫でられるのはいつもなら不快なはずだが、何故か今日は手を払う気にならなかった。
「お前さんの成長を見守るのは、リーフェルとの約束だったからな」
そう言ってソナーレは木の皿の楽器を見つめた。
「あの金貨も、いつかお前さんがこの村を出るための資金として預かっていたものさ」
「……なるほど、な」
元々ソナーレは、俺が成長するために、この村の外へと旅立つことを望んでたってわけか。
――いや、ソナーレだけじゃない。
なんたってソナーレに俺の未来を託したのは、他でもないリーフェルだったのだから。
村の外は魔物や魔獣が蔓延っており、一人旅は命に関わる。だからソナーレは待っていたのだ。
いつか俺を村の外へ連れ出し、冒険を共にしてくれる、俺が心から信頼できる仲間が現れることを……
正直、知り合って間もない相手のことを信頼しきることは出来ない。
けれど俺はこいつらとならなれる気がするんだ。
一度は失ってしまった、血ではなく、絆で結ばれた『家族』に…………
「フレアは本当に性根が腐ってるとしか思えません」
「悪かったって」
フレアはレインの手を引き、立ち上がるのを補助する。
「あの決闘は私が恐怖と戦う覚悟を決めること、それに私の弱点を仲間となるハヤテ達に知らしめることですよね」
「ああそうだ」
「弱点?」
それはつまり、レインが突然硬直した原因ということだろうか?
「恐怖、他傷、が理由……似た者同士、だな……」
「はい。恥ずかしながら、私は人が傷付く姿――血を流す姿を見ることが苦手になってしまったんです」
「確か魔獣によって無惨にも食い荒らされる仲間達の姿を直に見ちまってな。すっかりトラウマになっちまったってわけだ」
申し訳なさそうにレインがしょぼくれている。
「だから、ただレインのブルースター隊に入ってもらうっつーわけじゃねぇ。団長直々の命で護衛任務も請け負ってるってわけだ」
「じゃああの決闘は、強さを計るって意味もちゃんとあったわけか」
「まぁ、そういうこったな」
全身を脱力感が支配した。
なんだか無駄に疲れた気がする。
「さて――」
フレアは両手を組んで大きく背伸びをすると、トールとツクヨミ、ギンシへと目を向けた。
「とりあえず、今日は宿に戻るとすっか! 旅の荷造りの時間も必要だろうしなぁ!」
俺は首元のマフラーを握りしめると、大きく頷いた。
フレアは突然何かを思い出したようだ。
「こいつらを宿に寝かせるっつーことは寝具が足りねぇなぁ……」
「一晩くらいならうちに泊めてもいいけど」
次の瞬間、俺は激しく後悔した。
しかしもう言質を取られており、撤回など出来るわけがない。
フレアは笑顔を浮かべながらハッキリと告げた。
「んじゃ、レインのことはよろしく頼むぜっ!!」