私と兄上の休憩
本日7話目の更新です
その日、私はお父様に呼ばれて書斎に向かった。
余程重要な事だったのか、お兄様も学園より戻られて共に向かっていた。
「……来たか」
部屋に入りまず目に入ったお父様の憔悴具合に、思わず言葉を失う。
お母様が亡くなられた時と同じような暗い影を、その身に纏っているようだった。
「そこに、かけろ」
指示された通り、私たちはお父様に向き合うようにして椅子に腰掛ける。
「……本日を以って、ヴェルス・アンダーソンに永蟄居処分を下した」
蟄居処分とは、屋敷の中で監禁される処分。
更に永蟄居となると、生きている限り指定された屋敷から外に出ることが叶わなくなるという非常に厳しいものとなる。
「叔父上を、ですか?果たしてどうしてそのような……」
私と同じように困惑していたらしいお兄様が、珍しくそれを表に出してお父様に問う。
「どうしても何も、あやつがメリルダを殺させ、お主らを襲わせた張本人だからだ」
その言葉に、私たちは一瞬言葉を失う。
「何故……叔父様が……」
「それだけ、あやつにとって儂は許せぬ存在だったのだと。……すまぬな、過去の儂の過ちにお主らも巻き込む形となって」
お父様の自嘲するかのような笑みに、胸が苦しくなる。
……果たして、最愛の人を家族に殺された重みは如何程のものなのだろうか。
私には想像することすらできない。
愛する人を失った……それは、まだ共感ができる。
何故なら、私たちは皆同じだから。
例えそれが家族愛であれ夫婦愛であれ、私たち三人の誰にとっても掛け替えのない大切な存在だったのだ。
その喪失感は、きっと同じだった。
けれどもそんな失いたくない人を、同じく大切な人によって奪われたお父様の心情は、決して想像できない。
むしろ、想像もしたくない。
お兄様の手で、ルイが死ぬような……そんなあり得ないことなど。
だからこそ、何も言えなかった。
叔父様との思い出がほぼない私からしたら、お父様の話に真っ先に叔父様への怒りと憎しみが湧く。
正直、蟄居処分などという甘い処分も耐え難い。
けれども、お父様の心情を思えば……何も言えなくなってしまったのだ。
かつてのように、自分の気持ちだけを優先してお父様やお兄様の……周りの大切な人たちの心を蔑ろにするような真似だけはしたくなかったから。
重苦しい空気が室内を包んでいた。
私もお兄様もそしてお父様も、口を開かない。
誰もが口を開こうとして、けれども次の瞬間には口を閉ざす。
……それから、どれぐらいの時が経ったのだろうか。
お父様が、再び口を開いた。
「……話は、以上だ」
ピクリ、その言葉に私とお兄様は身体を震わせた。
……聞きたいことがあるような、言いたいことがあるような。
けれども、その全てが思案と困惑に塗りつぶされて言葉にならない。
結局、私は何も言わずにその場を立った。
それと同時に、横に座っていたお兄様もまた立ち上がる。
そして私たちは、どちらともなく部屋を出た。
そのまま、無言で廊下を歩む。
目的地など、ない。
お父様に呼び出され書斎に向かう時には、次の予定やしなければならないこと等が頭の中で次々と思い浮かんできたというのに……先ほどの衝撃で全部吹っ飛んでいた。
「……少し、共に休まないか?」
弱々しくお兄様は笑って言った。
私は無言で頷くと、お兄様と共に応接室に向かった。
そして部屋に着くと、私とお兄様は椅子に腰掛ける。
使用人がお茶の準備をし、私たちの前にそれぞれ置いた。
ゆっくりとカップを持ち上げ、こくりこくりと温かなお茶を嚥下する。
その温かさが、何よりも心を落ち着かせる気がした。
「……随分と、変わったな」
「ありがとうございます。オーレリア様の教えの賜物ですね」
「そうじゃない。……先ほど父上から話を聞いた時、お前はもっと激昂するかと思ったよ」
「あら……お父様のお心を計れないほど、もう子どもではありませんわ」
「そうか……そうだな」
乾いた笑みをこぼし、お兄様はお持ちになられていたカップをテーブルに置いた。
「なら、私が成長できていないだけなのだろうな」
「……叔父様が、憎いと?」
「分からない。……否、正直言うと憎いな。ただそれ以上に、何故だと喚きたい気持ちだった」
「それは……私も、そうでした」
「……メルリスは、叔父上に会う機会があったか?」
「いいえ。お兄様が学院に行かれた後も、特にそういった機会は……」
「……そうか。ならば、メルリスには叔父上の記憶はあまりないか」
「ええ、正直に申せばその通りです。名前に聞き覚えがある、ぐらいでしょうか」
「そうか……」
「……お兄様には、叔父様との思い出がやはり記憶にあるのでしょうか」
「朧げ、だな。……だが、幼い頃の俺が抱いた彼の印象は柔和で優しげな方だったよ。少し困ったような笑顔をいつも浮かべているような、そんな方。……大凡、アンダーソン侯爵家の者らしくないと言えばそうだが」
アンダーソン侯爵家は、お父様の代になってから親族との交流が希薄になった……らしい。
一つは、英雄の名に擦り寄る面々がお父様にとって鬱陶しいものだったから。
そしてもう一つ……何より、お母様との婚姻を邪魔されたからだそうだ。
その上私は私で鍛錬ばかりしていて、とても親族の前に顔を出せるような状態ではなかったがために、私の中に叔父様との記憶は全くなかった。
同じ家名を名乗る赤の他人……それぐらいの認識だ。
「それだけ、アンダーソン侯爵家当主の座が欲しかったのか……あるいはお父様の存在そのものが憎かったのか……」
ゆっくりとした口調で、お兄様は言葉を続ける。
「いずれにせよ、終わったんだな」
「……終わり?」
お兄様の言葉に、つい首を傾げた。
「ああ。母上の仇のための戦いは、これで終わったんだなと。……尤も私は、戦わせてももらえなかったが」
「いいえ、終わりではありません」
私の言葉に、今度はお兄様が首を傾げた。
「私どものような思いをする者が一人でも出ないようにする……その願いは、変わらずここにあります。ですから、決して終わりではないのです」
お兄様は、笑った。
とても楽しそうに、とても誇らしげに。
「……そうだったな。一本取られたよ……お前は本当に前を見るようになったのだな」
「さあ、どうでしょう? 先ほども申した通り、叔父様への憎しみがないとは言い切れませんから」
「それは私もだ。……きっと、この苦しみは一生付いて回るのだろうな」
「……そうでしょうね。ですが、お兄様は私と違いますわ。お兄様は私のように憎しみに囚われずに、前を向き続けて来たではありませんか。むしろ、それすら糧にされてきたかと」
「……私の目には今のお前は憎しみに囚われているようには見えないが?」
「そうさせてくれた存在があったからです。お母様を失ってからの私には……憎しみしかなかった。お母様を奪った野盗を憎み、それでも尚お父様に助けを求める弱き民を疎み、そして理不尽な世界を呪い続けていました。けれども今は……憎しみ以外の温かな心を、それをもたらしてくださった方々の存在を、私は理解しています。今でも憎しみを捨て切ることはできませんが……それでも、私は彼らの存在があるだけでこの理不尽な世を赦すことができたのです」
決して、叔父様を赦すとは言えない。
それほど私はできた人間ではないし、それだけお母様は私の中で決して軽い存在ではないのだ。
正直……叔父様がお母様を私たちから奪った存在だと知って、それを言葉にするお父様の憔悴ぶりを見て、私は一瞬世の理不尽さを再び嘆いた。
何より、お母様が血の繋がった者に殺されたという事実……身内ですら命を奪うという人の業の深さに、誰も信じてはいけないのではないかという疑念が一瞬頭に過ってしまった。
……けれども。
私はもう、知っている。
ずっと憎しみ呪い続けたこの世界が、決して理不尽で残酷なだけのそれではないのだと。
他者と触れることで生まれる、温かな感情があることを。
だからこそ私はもう、憎しみだけに囚われることはない。
憎悪の感情は私という存在を形作り、私の心に根を張る感情だけれども……決して、それが全てではないのだ。
お兄様は盛大に笑った。
目を細め、楽しそうに……どこか憑き物が落ちたかのような清々しさを感じるほど。
「……礼を言う、メリー。お前のおかげで、少し心の整理がついたよ」
「それは良うございました。私も、お兄様と話したおかげで少し落ち着くことができましたわ」
そう言いつつ私もまた、笑みを浮かべた。
「それでは、失礼致します」




