私と彼の逢瀬
2話目
それからレッスンが終わって部屋を退出し、私は玄関に向かって歩く。
勝手知ったる……とまではいかないが、流石に毎日訪れていれば大分中の構造が分かるようになるものだ。
既に私を先導する案内の人はいない。
それが婚約者として……将来の家族として認められているようで、少し嬉しい。
「お、メリーちゃんじゃねえか」
聞き覚えのある口調と声に振り返れば、案の定ロメルおじさんがそこにいた。
「ロメルおじさ……ロメル様」
思わず言い慣れた呼び名を言いかけてしまったが、すぐに修正して礼をする。
「ロメルおじさんで良いって。今更畏まられても、照れちまう」
相変わらず、この屋敷にいるということの違和感が半端無いと内心少し苦笑した。
「……先ほどのように、咄嗟にその呼び名を言ってしまうような未熟者なのです。ですから、『ロメル様』と呼び慣れるまでご容赦いただけますでしょうか」
「……そういうことなら、仕方ねえかねえ。にしても、メリーちゃんは随分と変わったなあ。オーレリアに随分と絞られているのか?」
「まあ……オーレリア様の教えが素晴らしいことには同意致しますが、絞られているでは語弊がございますわ」
「そうかい。……確かに、お前さんの根性は筋金入りだもんなあ」
「お褒めいただき、恐縮ですわ」
「ふははは……すっかり板についているな。オーレリアが、飲み込みが早いと褒める訳だ」
「まあ……」
思わぬところから聞けたお褒めの言葉に、ついにやけてしまった。
「あいつは中々礼儀作法に厳しくってな。だが、嬉々としてお前さんのことを話していたよ。『強い』お嬢さんだと」
オーレリア様が仰られたのは、勿論、戦闘力という意味ではなく精神的という意味だろう。
そこを評価いただけたことは、純粋に嬉しかった。
私の今ある武器は、それしかないのだから。
「まあ、頑張ってくれや。今までと全く違う戦場に出陣するのに、中々戸惑うことも多いだろうけどな。お前さんなら、きっとそこでも強者に成り得るさ。……んじゃ、俺はそろそろ失礼するぞ。引き止めて悪かったな」
そう言ってニコリと笑うと、私が来た道の方へと歩いて行った。
私は再び礼をして、見送る。
お忙しいのだろうな、と私はその背をぼんやりと見つつ思った。
以前と変わらず快活な調子ではあったものの、その瞳の下には薄っすらと隈らしきものがあったのだ。
果たして、ロメル様もまた……己が戦場と見定めた場所で戦い続けているのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
……何が、アルメリア公爵家の方々を見極めるだ。
過去の……婚約の顔合わせ前の思い上がっていた自分を、殴ってやりたい。
例え今私が見ている彼らが彼らのほんの一面に過ぎずとも、それでも十分過ぎるほどに彼らは『貴族』だ。
私がイメージしていたそれとは全く違う、けれどもきっと本来の貴族の姿。
己の背負うものを、義務を理解して果たそうとするその姿に……私は、尊敬の念を抱いていた。
そして、叶うことならば……この家に相応しい女性になりたいと、そう思った。
否、叶うことならばではない。
叶えてみせると、そう決意を新たにした。
「メリー。こんなところで突っ立って、どうした?」
再び聞き覚えのある声が耳に入ってきて、私は我に返る。
「ルイ! ……ごめんなさい、少し考え事をしていて」
「そうか。問題無いなら良い」
ルイも学園に入学して寮住まいのため、私が毎日アルメリア公爵家を訪れていても実は会ったのはあのお見合い以来片手で数えるほどにしか会えていない。
……それが、少しだけ寂しかった。
とはいえ、ルイもルイで頑張っているのだから我儘は言えないのだが。
「……時間は、あるか?」
「え……馬車は待たせているけれども、この後予定は特にないわ」
「そうか。なら、少し付き合ってくれ」
そうして、ルイが私の手を握って先導する。
いつか街で逸れた時に繋がれたそれと、同じ手。
そこから伝わってくる温かさに、私の口角が自然と上がった。
同時に、少しだけ頰が熱い。
成されるがままルイの後を着いて行き、辿り着いたのは中庭だった。
彼は庭の端にある長椅子まで私をエスコートすると、そこに座らせる。
そして自身も私の横に腰を下ろした。
「……ここ辺りの花は、例年ちょうど今頃が見頃なんだ。お前にいつか見せたいと思っていたが、それが叶って良かった」
続けられた言葉に、益々私の頰に熱が集まった心地がする。
「レッスンは、どうだ?」
「そうね、訓練……もといレッスンは、とっても勉強になるわ。今まで知らなかったことを知る毎日は、私が思っていた以上に楽しい」
「そうか。それは確かに楽しいな」
そう言って、ルイは小さく微笑んだ。
「ルイに知らないことがあるなんて、想像が付かないわ」
「何を言っているんだか。知らないことだらけだぞ? ……現に、メリーがアンダーソン侯爵家のご令嬢だなんて知らなかったじゃないか」
「……それを言われてしまうと、そうねとしか言えなくなってしまうじゃない」
「ははは……そうだな」
少しむくれた私の機嫌を直すように、ルイは私の頭を撫でた。
「学園は、どう?」
「まあ……興味深いかな。同世代の貴族が全員集まることは、恐らく学園以外では無いだろうから。パークス先輩もよくして下さってるよ」
「まあ……お兄様とは、よく会うの?」
「学年が違うから、そんなに頻繁ではないけどな。メリーの婚約者として挨拶をしに行って以来、たまに話をしているんだ」
「そう……」
私がお兄様と学園でお会いすることはない。
何故なら私が入学する前に、お兄様は卒業してしまっているからだ。
やはり、兄として私に見せるお兄様と学園でのお兄様は違うのだろうか。
家族としてお兄様のことを慕っているので、少し気になるところだ。
そんなことを考えていたら、ルイが私の髪に手を伸ばす。
「……髪、伸びたな」
「ええ。今は伸ばしているから。……どうかしら?」
ルイにはずっと短い髪の姿を晒していたので、正直気になる。
「……似合っているよ。短い髪も、長い髪も」
「ふふふ……嬉しい。ありがとう」
風が吹いて、サラリと肩にかかった髪が揺れた。
少し近づいた彼の頰に手を当てて、その顔を凝視する。
「……ねえ、ルイは眠れてる?」
……そう問いつつも、彼の目の下にロメルおじさんのような隈が見当たらないことに、安堵した。
「どうした? 急に」
「ロメル様の目の下に隈があった気がして。……あの方がお忙しくしているのであれば、ルイもそうなのかしらって心配になったの。特にルイは学園に入学した後も、ロメル様のお手伝いを続けているみたいだから」
「……大丈夫だ。俺は父と違って、若いからな。多少無茶をしても、身体がついてきてくれる」
「もう、そんなことを言って。前にも言ったけれども体を壊してからでは、遅いのよ?」
「忠告は、ありがたく受け取っておくよ」
「あら、受け取っていただくだけではダメよ。聞き入れて下さらないと」
私が揚げ足を取るような言葉を言うと、ルイは再び笑った。
「一本取られたな。……そうだな、聞き入れるよう努めるさ」
「全く。……貴族の人たちって、もっと無駄にプライドが高くって肩意地張ってるってイメージを持っていたの。……自分も貴族の一員なのにね」
そう苦笑いを浮かべて言葉を続ける。
「でも、ここに来てそれが随分と変わったわ。むしろ、そう思っていた自分を恥じたぐらい。印象だけで知った気になって、それで判断していた浅はかな自分を」
「お前の思う通りの貴族も、中にはいるだろうさ。それに、ウチだとて立場が変わればまた違った見方をされる。……印象とは恐ろしいものだな。一部だけを知って全てを知った気になると、大きな見誤りがある」
確かに、そうだ。
知った気になって、それを踏まえて判断を下すことの何と恐ろしいことか。
他者から聞いたことを鵜呑みにし自ら考えることを怠ることや、集団を一括りで考えて個々の違いに目を向けないこと……それで下した判断は果たして正しいのだと、後々後悔することなく胸を張ることができるのだろうか。
……これから様々な人たちと関わり、そしてその中で何らかの判断を下す時のために、この教訓は決して忘れてはならないことだろう。
「そうね。それを、痛感したわ」
「だが、今は訓練中なんだろう? なら、『新たに学べて良かった』というぐらいで良いんじゃないか?」
「ふふふ、確かにそうね。……ねえ、ルイ。一つ変な質問なのだけど……」
言葉を切って、ルイを窺い見る。
彼は特段私の言葉を遮るような仕草を見せなかった。
「何故、アルメリア公爵家の皆様はそこまで貴族であろうとするの?」
「何故、と問われても……そもそも、今のお前の中での貴族の定義は何だ?」
「……そう言えば、何かしら?」
今のところ、私の中で貴族らしい貴族と言えばオーレリア様だった。
自らが持つ権威をよく理解して、それを民のために役立てる……そんな、姿勢が。
けれども、それが貴族の全てかと問われると少し違う気がした。
……未だ私の中で、貴族というものそのものの定義が固まっていないことの証左だろう。
「ごめんなさい、言い直すわ。……どうして、民たちのためにと考え行動することがねきるの?」
「どうしてだろうな? ……これが、我が家の普通だからとしか答えられないな。強いて言うのであれば、俺の場合は民を知れと色々なところに連れ出されたことがあるぐらいかな」
「ええ……? アルメリア公爵家の皆様が?」
疑問を口にしつつも、頭の片隅で納得する。
ロメル様とお父様がお会いになったのは街の飲み屋さんだと伺っているし、ルイと私が出会ったのも街中だ。
目まぐるしく環境が変わってゆっくり考えたことはなかったが、二人の正体がアルメリア公爵家の方々だと知った今となっては、それは確かに不自然。
大貴族の当主、次期当主が街中を歩いていたら出会うなんて……普通はあり得ないことだろう。
……完全に自分のことは棚に上げているが。
「現状を知らなくては、施策を新たに出すことも改正することも難しいだろう? だから、かな。事実、俺は自らの道を決めたのはトワイル国との戦場跡地に行った時だった」
けれども、政のためというのであれば確かに腑に落ちる。
私自身街に出て、彼らと触れ合って……そうして知り得たことがたくさんあるのだから。
何より私自身、指針を見出したのは間違いなくその経験のおかげだから。
「そう……」
「だが、お前が不思議に思うことの方が俺には不思議だな」
「あら、それはどうして?」
「自分と同じような思いをして欲しくない、守りたいと……どこの世界にそう決心し、過酷なガゼル将軍の訓練を乗り切る貴族令嬢がいるんだ?」
ルイの問いに、つい苦笑いを浮かべる。
「私の場合、ほら……一番訓練が厳しかった時の原動力となったものは違うものだったから」
「そうだったな。……まあ、その時から俺はお前を尊敬していたけれどもな」
「……え?」
「目的はどうあれ、あのガゼル将軍の訓練をこなす人がどれだけいるのか……とな。ガゼル将軍の訓練は確かに人気だが、その反面、その過酷さと厳しさは有名なものだぞ?」
訓練を始めてからずっとお父様にしか教えを受けていない私には、イマイチ実感の湧かない発言だった。
正直、他の人の訓練とは一体どのようなものなのか気になる。
……もう、知る機会もないだろうが。
「だからこそ、ガゼル将軍の下には精鋭が集まるのだと納得もした。……それはさておき、自分よりも年下の女の子が、その強い意思を以って、大の男も逃げ出すような訓練を受け続けている。それを知って俺は、お前に尊敬の念を抱いた。そしてお前の存在自体に鼓舞されたんだ」
「……ありがとう」
私の言葉に、ルイは柔らかく笑って頭を撫でた。
ルイの笑顔は本当に心臓に悪いと、彼から目を逸らしつつ内心息を吐く。
普段鋭い雰囲気をその身に纏っているだけに、たまに柔らかく笑う姿を見てしまうと、未だに鼓動が早くなってどうして良いか分からなくなってしまうのだ。
「……ところで、ルイはこちらによく来るの?」
「そうだな。父上に報告がてら少し時間が空いた時には、休憩がてらよく来るな。……ほら、緑を見ていると心が落ち着くだろう? 疲れた時は大抵そうして気分転換をしているんだ」
そっと目を瞑り、風の囁きに耳を傾ける。
それに合わせて花々が踊り、木々が歌う。
誘われるように目を開けば、太陽の光が美しい花々を照らしていた。
まるで、スポットライトが役者を照らしているかのように。
「確かに、そうね。とても美しくて……とても落ち着くわ」
そっと、今度はルイが私の頰に手を添える。
「良い笑顔になったな」
「え……」
一瞬、その真意が掴みきれず呆けた。
「母上のもとで学ぶようになって、お前の纏う雰囲気は変わった。そうと感じられるほど張り詰めていて、笑顔も曇っているような気がしていたんだ。それは、お前が新たに知識や技能を身につけようと頑張っているからこそだろう。……けれども、元来お前が持つお前の良いところを失くす必要はないんだ」
「私の良い、ところ?」
「たくさんあるだろう? 目標に向かって、直向きなところ。素直に、心のままに泣いて笑うところ。身につけた武術の腕も、そうだろう」
「でも……昔とは同じではいられない。そうでしょう?」
この少し伸びた髪のように。
「確かにそうだな。これから多くの人たちと関わる中で、集団から弾き飛ばされないように、溶け込むためにと、自分を抑えなければならないこともあるだろう。そうして、分厚い仮面を作り上げて被り続けなければならなくなるだろう。……けれども、俺の前でまで気を張らないでくれ。よそ行きの仮面なんて被らず、そのままのお前でいてくれたらそれが良いんだ」
「ルイ……」
思いも寄らない言葉だった。
オーレリア様に師事いただいてから、私の有り様が如何に貴族の令嬢とかけ離れたものだったのか……それがよく理解できたから。
だからこそ、私は今までの自分を押し殺さなければならないと思っていた。
それが私の進む道のためにも必要なことだと思っていた。
けれども、ルイがそれを否定してくれたのだ。
今までの私を肯定してくれて。……丸ごと、好きなのだと。
「……傲慢な、願いだが」
けれども、ルイはそう言って苦笑いを浮かべる。
「傲慢? どうして?」
「この道に引きずり込んだ張本人が、変わらないでくれと願っているようなものだから。変わらないものなど、ないのにな」
「……そうね。変わらないものなど、ないわね」
私は、彼の手に自身の手を重ねた。
「けれども、私は今……救われたわ。ありのままで、良いと。他ならぬ、貴方にそう言ってもらえて。これまで積み上げてきたものを、切り捨てることなどしなくて良いと……そう、言ってくれたから」
貴族の嗜みは、武器の一つ。
そう、オーレリア様にも仰っていただいていたのに。
いつの間にか、私は自分の仮面ばかりを優先させていた気がする。
そっと、彼の手にキスを落とす。
「ありがとう、ルイ」
ルイは重ねた手を掴むと、顔を寄せて唇を重ねた。
「……まずは、この家に訓練所を整えるか」
唇が離れた後、鼻と鼻が触れ合うような至近距離で止まったかと思えば、そう呟く。
「良いの!?」
「……さっき言った俺の言葉、信じてなかったのか?」
「まさか。でも、それも良いなんて」
「勿論」
「ありがとう! ルイ!」
喜びのあまり、そのままルイに抱きついた。
「……これからも、たくさん苦労をかけるだろう。けれども、溜め込まないで何でも言ってくれ。俺も、こうしてお前を頼らせて貰うから」
ルイの頭が、私の肩にのしかかる。
その重さと温かさが、酷く心地良い。
「うん……」
頑張れると思った。
頑張りたいと、そう思った。
彼の隣で、彼と共に歩いていくために。




