私の修練
明くる日、私は再びアルメリア公爵家を訪れていた。
因みに、お父様は未だアルメリア公爵家より帰って来ていない。
昨晩私が家に帰った後にアルメリア公爵家より使者がやって来て、やはりお父様は泊まるという報せがあったのだ。
酔った状態で無理に帰るよりも泊まった方が安全だとは思うから、その選択には賛成だけれども……今からそこに教えを乞いに行く身としては、恥ずかしいと言うか行き難いことこの上ないと言うか……。
ふうと溜息を吐きつつ、俯いていた顔を上げる。
そして、アルメリア公爵家をジッと見つめた。
まるで戦いの場に赴くような緊張感。
心臓の鼓動の音が、ドクドクと煩いほどに響いていた。
……それを落ち着けるために、深く息を吸って吐く。
どうしても、苦手意識が抜けない。
貴族として必要なマナーや嗜み、そしてそれらの素養が問われる社交界そのものに対しては。
今まで、ずっと目を逸らし逃げ続けてきた。
『今』は『まだ』必要ないと、問題を先送りばかりして。
そのツケを、払わなければならない。
これから私は、誰もが当たり前にできることができない無様な姿をオーレリア様に晒す。
けれども、それを受け入れるしかないのだ。
それが、今の自分の力量なのだと。
……『できない』ということを目の当たりにするのは、きっと辛いことだろう。
それが、貴族の子女ならば『当たり前』だということならば尚更。
武術しかやってこなかったのだから仕方がない、と開き直れれば楽なのだろうが……生憎と、そう簡単に開き直れるほど強い心は持っていない。
……それはきっと、自分に自信がないから。
殊、武術のこととなればむしろ『できない』ということは『伸び代』だと捉えることができるというのに、マナー等の貴族の嗜みのこととなると『できない』ということが、まるで越えることができない大きな壁に見えてしまって、奮い立たせていた心が萎む。
前へと進む足を、私は止めた。
そしてもう一度、深く息を吸って吐く。
……臆するな。
私のプライドは、自分の虚栄心を守るためのちっぽけなそれではないだろう!
……そう、足を止め続けたいと願う弱い私を叱咤激励する。
「……良し」
私はもう一度屋敷を見つめて意気込むと、そのまま中に入って行った。
「ようこそ起こし下さいました。ご案内致します」
入口に、執事のアルフさんが既に待機していた。
「アルフさん……」
「メルリス様、どうぞ私めのことはアルフとお呼び下さいませ」
「……では、アルフ。私の父は……?」
「ガゼル様でしたら、本日もこちらでゆっくりされるとのことでした」
「そう……父が、申し訳ないわ」
「とんでもないことでございます。我が主人のロメル様もガゼル様がいらっしゃった時はそれは楽しんでおりますので」
「……そう」
そんなことを話しつつ、彼の先導に従って進んだ先の部屋に入る。
「ようこそ、メルリスさん。早速マナーの講習を始めましょう」
「……その前に、オーレリア様。本日も父がお世話になり、誠にありがとうございます。そして本日よりご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します」
「良いのですよ。夫も楽しんでおりますから。……むしろ多忙なガゼル様に付き合わせてしまって申し訳ないですわ。さて、今日の講習はお茶会にしましょうか。私と貴女の二人だけですけれども、貴女には実践形式の方が良いでしょうから」
そして始まった、お茶会。
以前女王様のお茶会のために突貫で学んだことを思い出しつつ、必死にお茶を飲んだり会話に答えたりした。
「……基本の所作はできていますね」
「え?」
思ってもみなかった言葉に、私はつい呆ける。
「ところで、メルリスさん。お茶会の目的とは何でしょうか」
「……交流、でしょうか」
「ええ、そうですね。貴族間で仲を深めることは、とても重要なことです。情報を得るためにも、何かを為すときの味方を作るためにも。……それはさておき、貴女なら顔を強張らせている方と、にこやかにされている方。どちらの方に話しかけ易いと思いますか?」
分かり易い言葉だった。
直接そうと言われた訳ではないけれども、先ほどの自分の何がダメだったかが。
「……それは、にこやかにされている方です」
「そうね」
にこりと、オーレリア様は手本のような笑顔を浮かべた。
「お茶会に限らず貴族のマナーは煩雑で、どうしてもそちらに意識がいってしまうのは分かりますわ。慣れない内は、特にそうでしょう。だからこそ、意識せずとも自然と体がそれをなぞるようになるのが一番良いのですわ」
そう言いつつ、彼女はカップを持ち上げて飲む。
その一連の動作は、流れるように優雅で洗練されていた。
「ところで、メルリスさん。何故貴族のマナーは煩雑なのだと思いますか?」
「え……?」
考えたことなど、なかった。
ただ煩雑で、面倒だなというぐらいにしか。
「マナーとは、相手を不快にさせないための取り決めです。言動の一つ一つ、受け取り方はその受け手によって如何様にも変わります。例え悪意のないそれだとしても、受け手によっては不快に思うこともあるということですね。そうならないように、長い歴史の中でいくつもの作法が決められていったのです。時に他国の上層部の方々にお会いすることもありますから、外交上も必要なことなのですよ」
「そう、なのですか……」
「尤も、貴族の中には己の権威を誇示したいがためにマナーに拘るという嘆かわしい方もいらっしゃいますが……」
それは分かるな、とついつい苦笑いが浮かぶ。
むしろ、今までマナーとはそのためのものなのだという認識があったぐらいだ。
だからこそ、余計に面倒に思っていたのだが。
「いずれにせよ、マナーは身につけて損はないということです。と言う訳で、早速先ほどの動作について幾つか直しましょうね」
にこりと、再び彼女は笑った。
とても穏やかな笑顔だというのに、相変わらず否やと言わせない圧がそれにはあった。
「は……は、い」
「では、頑張りましょう」
そうしてオーレリア様と濃密な時間を過ごし、私は部屋を退出した。




