宰相の驚嘆
本日2話目の投稿です
「……はあ、はあ……っ……!」
眼下に映るのは、アンダーソン侯爵家の訓練場。
その中央に、メルリスはいる。
彼女は今、荒くなった息を整えようとしているようだった。
ポタポタと汗が次々と流れて、遠目から見ても服が汗を吸いすぎて絞れそうなほどだ。
「あんま人様の教育方針には口出ししないようにするがよぉ……ちょいとお嬢ちゃんには厳しいメニューなんじゃねえの?ガゼル」
俺は彼女のそんな様子を観察しつつ、自身の後ろにいるガゼルに声をかけた。
「厳し過ぎる?勝手をした罰だ、厳し過ぎるぐらいで丁度良いわ」
ガゼルは鼻を鳴らしながら、けれども一向に眼下にいるメルリスの方は見ない。
彼女が自分の言いつけた訓練を、監視せずとも確かにこなしているのだという自信があるのだろう。
尤ガゼルの想像通り、彼女はその他の面々からは離れてガゼルの言いつけた過酷な訓練を独り行っているようだった。
「勝手をした罰って……街歩きしていただけだろう?」
「何故、ロメルが知って……いや、失言だな。本当に毎度思うが、お主が知らんことはないのか?」
「馬鹿言うな。俺だって知らないことはあるさ」
「どうだかな……」
「おおっと、やけに突っかかるなあ」
飄々と答えた俺を、ガゼルは睨んだ。
その様を見て、笑う。
そんな反応に、ますますガゼルの睨みが強くなった。
……これ以上笑ったら噴火するだろうと、笑いを引っ込めて代わりに溜息を吐く。
「分からないことだらけさ。特に、人のありようについてはな」
俺はそんな言葉を、ガゼルに投げかけていた。
そこに、先ほどまでの軽快さはなかっただろう。
「……どういう意味だ?」
そんな俺の様子に、ガゼルも真剣な声色で問いかける。
「そのまんまだよ。例えば、そうさなぁ……どうして人っつうのは、身の丈にあわないものを望むんだろうねえ。希望は灯火だ。だが願いが強くなり過ぎて制御できなくなれば、それは野望、過ぎた野望の炎は、己の身を、国を、焦がすだけだっつうのに」
珍しく思ったことをそのまま口にしたその言葉に、ガゼルは首を傾げる。
「ま、こっちの話。で?何でお嬢ちゃんが街に出ちゃダメなんだよ」
「急に話を戻すな!…….まあ、良い。逆に聞くが、貴族の息女が勝手に街に出たらそりゃ親は怒るだろう?」
「嬢ちゃんは危険に対処できる力があるっつうのに?」
「子を心配する親に、そんなこと関係ない。だいたい、野盗の黒幕とやらはまだまだ釣れてないんだ。その上で、何故あやつが外に出るのを許可しようと……まさか、お主……」
ガゼルは、言葉を止める。
「良い勘してんな?」
何となくガゼルの思い立った考えが読み取れて、彼が言葉を発する前にそう答えた。
「やはりあの子を囮にしようとして、背後にいる奴らを炙り出そうとしているのか?」
ガゼルの声色が、一段二段下がる。
その迫力は、流石英雄と褒め称えられるほどの、戦場を駆け抜けた者特有のそれだった。
「先走り過ぎだ。まあ、考えなかった訳じゃない。だが、俺には分からんからなあ。嬢ちゃんの強さが、どれほどのもんかなんてな。お嬢ちゃんが強くて問題ないとお前が太鼓判を押すのなら、あるいはと思ったが……」
嬢ちゃん一人を差し出して、国家レベルの問題から単なるお家騒動にしてくれるなら非常に楽だ。
尤も、それをガゼルが許すとは到底思ってはいなかったが。
それに、流石に俺も大人の尻拭いを子どもにさせるほど矜持がない訳ではない。
「馬鹿言うな。あやつにそのような危険なことをさせられぬ」
「だよなあ。分かったから、そう睨むなって」
「……どうだかな」
「はあ……あんまり、見縊るな」
ガゼルの追撃に、俺もまた声色が真剣なそれになった。
「俺は、『勘が良い』とは言ったが、『正解』とは言っていない。……俺が動けないのは、お前を動かさないのは、そうすることで俺たちが不利にならないようにするためだ。彼女が動けば盤面を動かし易くなるかとも思ったが……彼女がその役を担わなくとも、他の策を取るだけ……ってわけだ」
「……。急に真面目になるな」
「おいおい、俺の言葉への一番最初の返しがそれか?」
「ふん……」
ちょうどその瞬間、闘技場の方から歓声が上がった。
反射的に、そちらの方に視線をやる。
見れば幾多の男たちもまた、訓練場の中央にいるメルリスに注目していた。
どうやらガゼルの言いつけたメニューをやり切った後、通常の訓練をしていた面々と合流し、模擬戦で見事に勝利を収めたようだ。
その証拠に、彼女に負けた面々が地べたに転がっている。
「おいおい、本当にお前さんのところのお嬢ちゃん……とんでもねえな」
つい、声をあげてしまった。
俺は各方面からの情報で、メルリスの情報をある程度掴んでいる。
けれどもそれでも、今初めてその現場を見ることによって驚かされていた。
「誰が想像できるかねえ。あの華奢な女の子が、そこいらの軍人よりも強いなんてな」
「……本人曰く、集中すると『周りの動きが遅くなったように感じられて、よく見える』そうだ。ついでに、『耳が研ぎ澄まされて、相手の呼吸・自分の身体の筋肉の一つ一つの動く音が聞こえてくる』らしいぞ」
「ガゼルにも、同じ事が?」
「まさか。俺は人よりちょっとばかし勘の良い凡人だ」
「お前こそ、どの口が言うのだか。……まあ、良い。今日は面白いもんが見れた。また、酒持って邪魔するよ」
「次はマッカラン産のを持ってこいよ」
「へいへい」
俺はそうしてガゼルに別れを告げ、自宅に戻る。
戻った瞬間、待っていましたと言わんばかりに構えていたルイが、目に入った。
「戻ったぞー」
「お帰りなさい。……さっさと執務室にそのまま戻ってくれませんかね?」
十を越えたばかりのルイは、けれどもそうには見えない。
鋭い目つきに、温和とはかけ離れた顔立ちというのもあるが、何よりルイが纏っているその雰囲気が最たる理由だろう。
子どもとしてではなく、責任を背負う大人顔負けのその雰囲気。
たまに職場で子どものことを話をロメルは聞く機会があるのだか……彼らの話から聞く子どもとは随分掛け離れているというのが、俺の感想だ。
「冷えなあ」
「誰のせいだ、誰の」
「さあってね。ほれ、お前さんもさっさと仕事をしろ」
そう嘯きながら、苦笑いを浮かべる。
子どもらしくないというのは、半分以上俺のせいか……と考えて。
子どもと呼べる年だというのに、ルイは既に俺の仕事を補佐してる。
それ自体は俺の時も同じだったため、アルメニア公爵家は代々そうなのだろうが。
俺は頭の中を切り替えて、目の前に置かれていた大量の書類をザッと見た。
「おい、ルイ」
途中、手を止めてルイを呼ぶ。
「なんですか?」
「そっちの資料も全部、やってやる。代わりに、こいつの資料を精査して整理してこい」
訝しみつつ書類を受け取ったルイも、けれども渡されたそれらを見て瞬時に顔色を変えた。
「これは……」
「言わずもがな、分かるよな?一番の優先事項だ」
「勿論です。傭兵だけでも厄介だと言うのに、まさかリンメル公国が一部動き出しましたか」
「……よく、傭兵に気がついたな?」
「ええ……と言いたいところですが、父上の足跡を調べた結果ですよ。だから、私一人で思い至った訳ではありません」
「にしても、だ。 ……傭兵はもう、どうにもならんからなあ。せめて、こっちは俺が片をつける。お前も、もちろん俺の手助けをしてくれるよな?」
「ええ、勿論」
ルイの返事に頷きつつ、俺は仕事に没頭することにした。




