初めての買い物、もしくはひどい扱い
「良かったですね」
「ん? ……ああ」
俺たちは今、王都——ではなく領地の入り口付近にある領内一の市場へ来ていた。
露店が立ち並び、それなりに活気があるようだ。
先日の、ユインの発言をちゃんと聞きただしてみると、王都に行きたい、というよりも買い物をしたい、ということだったらしい。
いろんな物がある場所はどこかと聞かれたクロエが、安直に「ああ、それなら王都かとっ!」なんて答えたものだから、あんなことになったわけだ。
「それで、ユインはどこに……ん?」
いきなり、背中をツンツンと突つかれた。
振り向けば、
「うわっ!?」
なまはげ並みの怖さの顔が間近にあってぎょっとする。
と、その顔はパッとどけられてユインの可愛らしい笑みが覗いた。
なんだ、ただのお面か……。
「えへへ、おにぃたま、おどろいた?」
「い、いや? 別に?」
「……むー。ざんねんなの」
俺の強がりに、ユインは眉を下げた。
が、すぐに顔を明るくして、面を店に戻すと、次の店へと興味を移したようだった。
耳を隠すために着せたフード付きの外套が、風になびいていた。
……本当はフード無しで、外出させてあげたいんだけどな。
「『うわっ!?』って言ってましたよね」
「ん?」
「『いや? 別に』でしたっけ」
「……うるさい」
弱みを見せたくない兄のプライドだ、察しろ、と言いたいところだが、ミゼットの場合察した上でからかっているのだから質が悪い。
俺は早々に話を逸らすことにした。
「そう言えば、本屋はどこだ?」
「本屋?」
「ああ、ノマールに聞いたんだが、魔法を使うための魔導書、みたいなのがあるんだろ?」
「ありますけど、こんな市場に売っていないに決まっているでしょう」
「そうなのか?」
聞けば、紙などの価値、ちゃんと分かってますか、と呆れた顔をされた。
誤魔化すように一つ咳払いをした。
「えーと、クロエたちはどこだ? 護衛のくせに姿が見えないが」
「あそこです」
ミゼットの指差した方向を見て……俺は全力でため息を吐きたくなった。
「クロエって、一応良家の娘なんだよな?」
「そのはず、ですけど……」
ミゼットの声も自信なさげだ。
だって、当のクロエと言えば、
「お兄さん、それは少し、高すぎるんじゃないですか? それ、前に他の店じゃあ半分の値段で見たことある気がするんですけどねぇ!」
盛大に値切っていた。
むしろ容貌からすれば高圧的な印象のあるトウガの方が、みっともないからやめろ、と止める始末である。
「な、に、が、みっともないですかっ! 物は正当な価格で手に入れてこそ、でしょう!」
「……お前はやりすぎだ。向こうとて商売、無茶を言うな」
「無茶なんて言ってません! 常識の範囲内で値下げの交渉をしてるんです!」
「……定価の半額にすることが、か? それは一体どこの常識だ?」
口喧嘩も、うるさいです、と怒鳴って逆ギレするクロエの負けのようだ。
そのまま市場を見回していた俺だが、嫌なものを見て思わず、
「……げ」
という声が出た。
浮浪児だろう兄弟が、露店の女にしっしと追い払われていた。
ミゼットもそれを見て、眉をわずかにひそめる。
浮浪児がいること自体もそうだが、あれほどぞんざいに追い払う商人がいるというのも、また嫌なことだ。
と、そこに、
「お二方、難しい顔をなされて、どうしたのです?」
クロエたちが戻ってきた。
手には布に包まれた何かを持っている。
それを見たユインが、目を輝かせて戻ってきた。
「クロエ、かえたの!」
「ええ、だいぶん安く買えましたよ!」
「……本来の半分の値段で買い叩いておいて、よくのうのうと」
ボソリと呟くトウガを、クロエが睨みつけた。
あれだけ値切っていたものは、どうやらユインの買い物だったらしい。
それを、半額まで値切ったのか……。
「ちなみに、何を買ったんだ?」
「それは秘密です!」
「ひみつなのー!」
二人でクスクスと笑う。
楽しそうな分、仲間はずれにされて少し寂しい。
値切られた男をふと見てみれば……案外明るい表情をしていた。
口がパクパクと動く。
こ、ん、ご、と、も、よ、し、な、に。
今後ともよしなに?
読み取って思わずため息が出た。
……折角これでも変装してきたっていうのに。
クロエのやつ、買い叩くどころか、俺ら一行の正体がばれて、むしろ貸しを作られてんじゃないかよ。
コクリ、と頷いておく。
仕方ない、向こうが一枚上手だったということだ。
それでもにっこりと笑い返されて、少し頬が引きつったが。
「で、最終的にいくらだったんだ? 今、金を出すから……」
「あ、いえ、お金はいいんです!」
俺が館から持ってきたお金を出そうとすれば、クロエが慌てて止めた。
「いい?」
「要らないです! 結構なんです! ね、ユイン様!」
「ねー!」
そう言って二人でまた笑っている。
こちらの主従は意味も分からず、顔を見合わせて首を傾げた。
「あ、おにぃたま!」
「うん? ユイン、何だ?」
ユインが突然、何か良い物でも見つけたらしい、キラキラした目で俺の腕を引いた。
「みて。おにぃたま! きれいなの!」
「おお、ガラス細工か」
ユインがキレイと言ったのは、トンボ玉やビー玉に似た飾りだった。
しかし、その店がいけなかった。
「いらっ……なんだい、子供か」
「……」
先ほど、浮浪児を追い払っていた女だった。
俺たちが子供なのを見て、それからついてきたトウガの尻尾と耳を見て顔をしかめてくる。
嫌なやつだ、と思ったが、ユインが欲しがっているようだから、立ち去るわけにもいかなかった。
向こうも護衛付きということである程度の家のものだとは判断したのだろう。
外行きに無理やり繕った顔で猫なで声を出した。
「何が欲しいのかい、お嬢ちゃん」
「あ、あのね、かみかざりがほしいの!」
「どれを? 見てみるかい?」
「うん……すごい、きれいね!」
「はは、そうかね」
そのユインの無邪気さに、女もいささか毒気を抜かれたらしい。
最終的にユインが薄く青がかったものを手に取ったときには、思わず微笑んでしまったというような表情になっていた。
「これでいいのかい?」
「うん、これがいちばんきれいなの!」
「そうかい。じゃあ、銅貨15枚、銀貨なら3枚だよ」
「15まい……?」
ユインが少し困ったように首を傾げると、女は苦笑した。
「仕方ないね、12枚でいいよ」
「わぁい、ありがとう!」
ユインが笑って12枚の銅貨を差し出す。
よっぽどこちらの方が交渉上手だ、なんて、考えていたのがいけなかったのか。
女はきっとユインに髪飾りをそのまま付けてやろうと思ったのだろう——フードをパサリと取ってしまった、のだ。
あ、と止める間もないほど、一瞬の出来事だった。
「お嬢ちゃ、いや、あんた……エルフかい」
女の顔が嫌悪にゆがむ。
やはりこの店を選んだのは間違いだった。
ユインを引いてでも他の店に行くべきだった。
後悔ももう遅い。
ユインのすぐ近くまで伸びていた手が遠ざかり、そして反対の手が出された。
「……え?」
「え、じゃあないよ。こちとら、エルフに負けてやりなんかしないさ。さぁ、早く後の銅貨三枚、よこしな」
ん、と高圧的に手を押し付けられて、ユインが困ったようにこちらを見た。
「お、おにぃたま……」
「ああ」
ユインを出来るだけこういう人間に近づけないようにしていたから、きっとユインはこんな扱いを受けるのは初めてだ。
戸惑いと恐怖と、ユインの中に今ある感情を思うだけで辛くなる。
しかし何とか場を収めようと、俺がユインを背にかばった時だった。
「ったく、エルフなんかのくせに値切ろうだなんて、図々しいガキだね」
ユインの肩がビクリと跳ねて、その目に涙が溜まっていく。
何かがブツリと切れる音が聞こえた。
知らなかった。
人間ってキレすぎると……
「おばさん、ちょっとよろしいですか?」
逆に、笑顔になるらしい。
つづきます。




