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モブになりたい悪役令息ですが、ヤンデレ王太子の執着を逆手にとって真の玉座に君臨します  作者: 水凪しおん


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第4話「息を潜める影と匂いたつ執着」

 天井まで届く巨大な本棚が幾重にも連なり、迷路のような空間を作り出している。

 王立学園の巨大な図書館は、古い紙とインク、そして革の装丁が放つ独特の匂いに満ちている。

 窓から差し込む午後の光が、空中に舞う微細な埃を金色の粒子に変えて照らし出している。

 分厚い歴史の専門書を抱え、人けのない一番奥の通路へと足を踏み入れる。

 教室での出来事以来、ノアの視線は常に背中に張り付いているような感覚がある。

 そのプレッシャーから逃れるため、授業の合間の時間はこうして図書室の死角に身を隠すことが日課となりつつあった。

 指定された参考書を探すため、本棚の背表紙を目で追う。

 指先で古い背表紙をなぞっていくと、ふいに隣に人の気配を感じる。


「あの、クロード様。その本、僕も探していたのですが」


 控えめな声に振り返ると、同じクラスに所属する小柄な少年の姿がある。

 彼はβであり、貴族の中でもさほど力を持たない家柄の出身であった。

 敵意のない穏やかな気配に、少しだけ肩の力が抜ける。

 モブとしての立ち位置を確立するためには、こういった目立たない生徒との無難な交流を重ねることも必要である。


「構わない。私よりも先にお使いください」


 抱えていた重い本を両手で持ち直し、少年に向かって差し出す。

 少年はほっとしたような表情を浮かべ、本を受け取ろうと手を伸ばす。


「ありがとうございます。クロード様は、いつもお一人で本を読まれていますね」


 他愛のない会話の糸口を探るような少年の言葉に、浅く頷く。


「静かな場所を好む性質なだけだ」


 その言葉を口にした瞬間、首の裏側に鋭い痛みに似た悪寒が走る。

 図書室の空気が、突如として凍りつくように冷たくなった。

 先ほどまで穏やかだった古い紙の匂いが、圧倒的な冬の冷気と深い森の匂いによって一瞬で駆逐される。

 本棚の向こう側から、ゆっくりとした、しかし確実にこちらを追い詰めるような足音が響いてくる。

 足音が近づくにつれて、周囲の酸素が薄くなっていくような錯覚に陥る。

 目の前にいたβの少年が、びくりと肩を震わせ、恐怖に顔を引きつらせる。

 彼の手から本が滑り落ちそうになり、私はとっさにその本を支える。

 その瞬間、彼と私の指先がほんのわずかに触れ合う。

 直後、空気が爆発したかのようなすさまじい重圧が、通路全体を押し潰す。

 ノアが、本棚の陰から姿を現す。

 その表情は氷のように冷ややかであるが、黄金の瞳の奥には、どす黒い炎が渦巻いている。

 彼から発せられるαの威圧的なフェロモンが、目に見えるほどの濃度を持って空間を支配している。

 それは、自らの領域を侵された猛獣が放つ、怒りと独占欲にまみれた匂いである。


「何をしている」


 地を這うような低い声が、静かな図書室に響き渡る。

 ただの問いかけではない。

 明確な殺意すら孕んだその響きに、βの少年は完全に腰を抜かし、壁に背中を押し当てて小刻みに震え始める。

 私は本を抱え直し、感情を押し殺した表情でノアに向き直る。


「探していた本を、お譲りしていただけです」


 平坦な声を保とうとするが、喉の奥がひきつり、声がわずかにかすれる。

 ノアの強大なフェロモンを真正面から浴び、薬で抑え込んでいるはずの身体の奥底が、危険信号を発して熱を持ち始める。

 本能が、目の前の絶対的な捕食者に服従せよと叫んでいる。

 爪が手のひらを突き破るほど強く握りしめ、痛覚によって必死に自我を保つ。

 ノアはゆっくりと歩み寄り、私と少年の間に割り込むように立つ。


「私には見向きもしないくせに、他の者とは随分と親しげに話すのだな」


 ノアの言葉は静かであるが、その裏にある狂気じみた執着が肌を刺す。

 彼は少年を一瞥することすらせず、ただヴィンセントだけをその視界に捉え、逃げ場を奪っている。


「殿下、誤解でございます。ただの同級生としての会話に過ぎません」


「誤解? では、なぜその男と触れ合っていた」


 ノアの視線が、本を支えたヴィンセントの指先に突き刺さる。

 ほんの一瞬の、意図しない接触。

 それすらも、彼の異常な独占欲は許容しないらしい。


「触れてなどおりません。偶然、本を落としそうになったのを支えただけです」


 冷静に事実を説明するが、ノアの瞳の奥の炎は消えるどころか、さらに暗く深く燃え上がっていく。

 彼は一歩距離を詰め、私の目の前で足を止める。

 制服越しでも伝わってくるノアの高い体温と、肺を侵食するような濃密な匂いに、呼吸の仕方を忘れそうになる。


「私の目の届かない場所で、誰かに触れられるのは不愉快だ」


 耳元で囁かれる言葉は、愛の囁きというよりも、絶対的な所有権の宣言である。

 背中が本棚にぶつかり、これ以上退がることはできない。

 ノアの指先がゆっくりと上がり、私の頬に触れようとする。

 その手が触れれば、自分が何か決定的な一線を越えてしまう。

 そう直感し、ヴィンセントは咄嗟に顔を背ける。


「失礼いたします。授業の準備がありますので」


 ノアの手をすり抜けるように身を翻し、早足で通路を抜け出す。

 背後からは、追いかけてくる足音は聞こえない。

 しかし、図書室を覆い尽くす濃密なフェロモンは少しも薄れることなく、ヴィンセントの背中にねっとりと絡みついたまま離れない。

 冷や汗でシャツが肌に張り付き、心臓の激しい鼓動が耳の奥で鳴り響いている。

 安全であるはずの学園のどこにも、もはや逃げ場は存在しない。

 ノアの異常な執着は、日を追うごとにその牙を鋭くし、着実に私の退路を断ち切りつつあった。

 息を潜める影の生活は、光り輝く狂気によって今、完全に引き剥がされようとしていた。

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