役割に縛られた世界で、バグが侵入した日(挿絵あり)
この世界は、神という名の脚本家が綴った『絶対の台本』によって回っている。
すべての生命は生まれながらにして『役割』を授かる。
土を耕す農民、剣に生きる騎士、国を統べる王。誰もが魂に刻まれた配役の通りに舞台の上を歩く。
その完全なる秩序によって、世界は残酷なほど美しく、そして息苦しく管理されていた。
世界のルールそのものとも言える、長寿で強大な『龍族』も例外ではない。
『――あの忌み子は、我ら誇り高き水龍一族の面汚しだ』
いつだったか。記憶の底で、一族の長老が冷たく吐き捨てた声が響く。
『群を抜いた魔力を持って生まれながら、いつまで経っても龍の姿になれぬ欠陥品め。あのような異常な魔力を持ったまま外へ出せば、世界の理を壊す劇薬となりかねん』
『しかし長老。あの者の魂には、確かに神より「水龍脈の守護者」という役割が刻まれております』
『ならば好都合ではないか。その立派な役割を鎖としろ。奴を一生、極寒の聖域へ縛り付けよ。不変の守護者という名の、永久の囚人としてな』
神聖なる『役割』は、異端を排除するための都合の良い口実だった。
かくして「龍になれない水龍」は、世界の果てへと幽閉されたのだ。
* * *
大陸の最北端、極寒の吹雪に閉ざされた山脈のさらに奥。
人間が決して足を踏み入れてはならない絶対不可侵領域――『蒼水龍の聖域』。
天を突く巨大な魔鉱水晶の柱が乱立し、淡く青白い光を放っている。上空を覆う分厚い氷のドームが太陽の光を完全に遮断し、この場所を薄暗い冷凍庫のように閉じ込めていた。
――ピチャン。
遠くで雫が落ちる音が、数百年の静寂を震わせる。
水鏡のように磨き上げられた床の上で、リル・アクエルはゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……今日も、異常なし、か」
透き通るような水色の瞳と髪。一度も外気に触れたことの無い様な、陶磁器のように白い肌。額には、彼の種族を示す小さな二本の角。
見た目は、声変わり前の愛らしい少年そのものだ。だが、その唇から漏れた声には、数百年を孤独に生きた者特有の、重苦しい諦念が張り付いていた。
リルは自身の細い指先をかざし、自嘲するように笑う。
白く、細く、人間と変わらない非力な手。
(どうして、僕は……)
歴代最強の魔力を持ちながら、どれほど修行を積んでも「龍化」の兆しすら現れない。
山を砕き、天を舞う偉大な姿。誰もが当然のように手にする姿に、自分だけが辿り着けない。
「……役割。水龍脈の、守護者。それが僕の存在意義。それだけが、僕を形作るすべて……」
自分に言い聞かせるように呟く。そうでもしなければ、空っぽな自分自身に押し潰されてしまいそうだったからだ。
その時だった。
「……やっべー! マジで寒い!環境耐性仕事してる!?」
――ザッ、ザッ、スパーン!(派手に転ぶ音)
数百年の荘厳な静寂が、無残にもギャグのような物音で踏み荒らされた。
リルは弾かれたように顔を上げる。
凍てついた大気の中には存在しない、土と汗、そして生々しい「生命」の匂い。
水晶の柱の影から現れたのは、奇妙な黒い服を着て、巨大な剣を背負った黒髪の少年だった。
彼は氷の床で盛大にすっ転び、鼻をさすりながら立ち上がった。
「……痛ってぇ!」
(……なんだ、あれは? 人間? なぜこんな結界の奥底に?)
リルの警戒をよそに、侵入者――カイトは、無遠慮に周囲を見回した。
「うわ、すっげ。マジで全部魔鉱水晶じゃん。これ、売ったら一生遊んで……って、あ! やっと人見つけた! なぁ、そこの角生えた子! 出口どこ!? 俺、完全に迷子になっちまってさ!」
「……は?」
リルは言葉を失った。恐怖でも畏敬でもなく、「道に迷った」とヘラヘラ笑いかけてくるアホな生物など、生まれて初めてだった。
一方、飄々とした態度を見せるカイトの内側では、全く別の思考が駆け巡っていた。
(……やっべぇ。なんだこのガキ。息をするだけで空気が重い。底なしの魔力量だぞ。間違いなくこのダンジョンの『主』クラス……。いや無理無理無理、俺の残りMPスライム一匹分だぞ!? 背中見せて逃げたら絶対ワンパンで消し炭にされる!)
カイトは内心で冷や汗を滝のように流しながらも、表情筋を総動員して「余裕のある強キャラ」の愛想笑いを顔面に接着した。
ここでビビったら死ぬ。野生の熊に出会った時と同じだ。
対するリルは、自分の威圧を意に介さない(ように見える)カイトに、苛立ちと戸惑いを募らせていた。
(僕の魔圧を浴びて平然としている……? いや、僕を値踏みしているのか? 舐められている。守護者たる僕が……!)
何百年もかけて築き上げたプライドが逆撫でされる。リルは威厳を保つように、一歩前に出た。
「人間風情が、気安く話しかけるな。僕を誰だと思っているんだ? この地を任された、誇り高き龍族の一人、蒼水龍リル・アクエ……」
「あははははっ!」
カイトが腹を抱えて吹き出した。
「リルって! その見た目でその名前!? ゲームで言う所の……っ、ひー! 最高すぎるだろ! ギャップ萌えって知ってるか?」
(よし、まずは相手のペースを崩す! 怒らせてでも主導権を握らないと、有無を言わさず魔法を撃たれるからな!)
カイトの必死の生存戦略(煽り)は、リルの地雷を見事に、かつ致命的なレベルで踏み抜いた。
「……不愉快だ」
リルの瞳に、絶対零度の殺意が宿った。
右手をスッと上げる。周囲の湿気が一瞬で凝縮され、ダイヤモンドより硬い『水の弾丸』が数千発、カイトの全方位を取り囲む。
「役割に従い、侵入者を排除する。君がどれだけ異質だろうと、逃げられないよ」
指が振り下ろされ、数千の凶弾が音速を超えて殺到した。
(――来るっ!)
カイトの瞳孔が開く。
「おっと。悪いな、俺の役割は一応『勇者』なんだけど、俺自身のスキルは『システムブレーカー』なんだわ」
直撃の瞬間、カイトの体が陽炎のように揺れた。
水弾はカイトの体をすり抜け、背後の水晶柱を木っ端微塵に粉砕する。轟音と光の雨の中、カイトは無傷で立っていた。
「『当たった事実』を消したんだ。この世界のルールに縛られてる攻撃は、俺には効かない」
余裕の笑みを浮かべるカイト。
だが、その足元のブーツの中では、足の指が痙攣するほど力んでいた。
(ぐっ……! いってええええ! 神のルールの書き換え、相変わらず内臓を雑巾絞りされてるみたいに痛ぇ……!しかも魔力消費がエグい。今のハッタリで完全にガス欠だ! 次撃たれたら俺の存在がこの世からログアウトする!)
(防いだ? いや、違う。僕の理が『なかったこと』にされた……!? なんだこの人間は。こんな不条理、あり得ない!)
そんなカイトのギリギリ限界に気づかず、リルは戦慄していた。魔術ですら無い、水の理による絶対の攻撃が、完全に無効化されたのだ。
「なぁ、リル」
カイトは足元に落ちた水晶の欠片を拾い上げ、ジャグリングのように弄びながら続けた。
「お前、蒼水龍って言ったけどさ。なんでそんなガキの姿のままなんだ? 龍って言ったら、もっとデカくて翼があって、ギャオーってブレス吐くもんじゃないのか?」
――ピタッ、と。
聖域の時間が止まった。
それは、リルが数百年かけて封印してきた最大のコンプレックス。自身を「なり損ない」と決定づける、最も呪われた事実。
(あ、ヤバい。これマジで言っちゃダメなやつだったか?)
カイトの背筋に本能的な悪寒が走るが、時すでに遅し。
リルの魔力が、怒りと哀しみで赤黒く変色し、大気が悲鳴を上げて軋み始めた。
「黙れッ! 人間風情が、僕を愚弄するか!!」
リルは叫び、膨大な魔力を練り上げる。
だが、カイトは動じなかった。逃げることも、武器を構えることもせず、荒れ狂う魔力の奔流の中を軽い足取りで平然と歩いてきたのだ。
(……なんで、あんなに泣きそうな顔してんだよ)
カイトには見えていた。強大な魔力の奥で、傷つき、怯え、ただ自分の存在価値を守ろうと必死に牙を剥く、孤独な迷子の姿が。
カイトはリルの目の前まで来ると、スッと手を伸ばし――
ポン、と。
その小さな頭に、そっと掌を置いた。
「……っ!? な、なにを……」
リルの思考が停止した。
高密度の魔力防壁を突破してきたその掌は、驚くほど温かかった。冷え切ったこの世界で初めて触れた、生きた他者の「体温」。
「き、気安く……触るな!」
リルは顔を真っ赤にして、反射的にカイトの手を振り払おうとした。だが、カイトの掌は、吸い付くようにリルの頭から離れない。それどころか、まるで愛おしいものを慈しむように、ゆっくりと柔らかく髪を撫でてくる。
「……離せ! 僕は守護者だぞ! 龍になれずとも僕は、強いんだ。君みたいな人間なんて、一瞬で……っ」
「ああ、知ってるよ。お前がめちゃくちゃ強いことも、怖いくらいの魔力を持ってることも。髪の毛がすっげぇサラサラなこともな」
「か、髪の毛は関係ないだろ!!」
カイトが至近距離でのぞき込んでくる。その瞳には、恐怖も、あるいは蔑みも一切混じっていなかった。
「お前のその肩書き、自分を縛るために使ってねえか? ……この場所に一生引きこもって、神様が書いた通りの『守護者』を演じ続けるためにさ」
「な……っ」
「それ、お前が本当にやりたいことなのか? それとも、『役割だから仕方ない』って諦めてるだけか?」
心臓を素手で掴まれたような衝撃だった。
図星だった。リルにとって、聖域を守ることは義務であり、同時に「必要とされている」と自分を納得させるための唯一の鎖だったのだ。
「……っ、君に何がわかる! 僕は、龍になれない欠陥品なんだ! 長老たちだって言っていた。この姿で外に出れば、世界のバランスを壊すと……僕には、ここにいるしか道がないんだ!」
叫ぶリルの声が、微かに震える。
あんなに誇り高く振舞っていたリルの仮面が、一人の少年の体温によって、じりじりと溶け始めていた。
「……わかるよ。嫌ってほどな」
カイトの声が、ふっと柔らかくなった。
先程までの生存戦略の計算など消え去り、そこには同じ痛みを分かち合うような共感があった。
「俺もさ。前の世界で、勝手に周りから期待される事に応えられなくて、勝手に失望された。
こっちに来ても『勇者』なんて役割を押し付けられて、戦うマシーンみたいに扱われて。……お前を見てるとさ、なんだか昔の自分を見てるみたいで、放っておけねえんだよ」
カイトの指が、リルの前髪をそっと分ける。
その手の震えを、今度はリルもしっかりと感じ取っていた。
(この男……神のルールを書き換え、僕の威圧を受け止める代償で、命が削れている。そこまでして、どうして僕なんかに……)
「……君は、本当の馬鹿だね」
リルの唇から、ようやく掠れた声が漏れた。
毒を吐く気力も、強がるための虚勢も、もう残っていなかった。
「こんな、僕なんかに、構っても……何にも、ならないのに」
「何もならないかどうか決めるのは、神様でも長老でもねえ。俺とお前だ」
カイトはニッと、太陽のように笑った。
「外に行こうぜ、リル。神様とか長老とかそんな息苦しい役割に縛られてる連中を、二人で笑い飛ばしてやろう。……相棒として、な」
「相棒? ……可笑しなことを言うね。……僕は、龍族で……君は、すぐに死んでしまうひ弱な人間なのに」
リルは俯き、自分の震える手を見つめた。
カイトの熱が、指先を通して心臓まで伝わってくる。
氷の檻の中で死んでいた心に、初めて火が灯るのを感じた。
「……いいよ。そこまで言うなら、君がどれだけ『不条理』なのか、特等席で見届けてあげる。僕を連れ出せるというなら、やってみるがいいさ、不敬で無礼な馬鹿勇者」
リルが小さく、けれど確かに告げた瞬間。
「そうこなくっちゃな! ――っしゃ、行くぞリル!」
カイトがリルの手を、力強く引いた。
その瞬間、パァァァン!! と、聖域全体を包んでいた見えない結界が、ガラス細工のように砕け散った。
数百年の間、リルを縛り付けていた『役割』という名の鎖が、異世界から来た勇者の不条理によって、いともたやすく破壊されたのだ。
地響きと共に上空の氷のドームが崩落し、視界を真っ白に染め上げる眩い太陽の光が降り注ぐ。
「……っ、あ……」
肌を焼く陽光。吹き込む風に乗って流れ込む、青々とした森の匂い。
初めて触れる外の世界の圧倒的な情報量に、リルは目を細めた。
「へへっ。お前の角、太陽の下だとすっげー綺麗に光るじゃん。宝石みたいだぜ」
眩しそうに笑うカイト。
しかしリルは、繋いだ手から伝わるカイトの鼓動が、異常なほど激しく跳ねていることに気づいていた。彼の顔からは完全に血の気が引き、その足取りは生まれたての子鹿のように震えている。
(神の理を壊す代償……か。本当に、度し難い大馬鹿者だ)
「……うるさい。馴れ馴れしく触るな。目が眩んで、歩きにくいじゃないか」
リルはツンとそっぽを向きながら悪態をつく。
だが、繋がれたその手を振りほどくことはせず、むしろ今にも倒れそうなカイトの体を支えるように、自分からギュッと強く握り返した。
「……勘違いするなよ。君がここで倒れたら、僕が道に迷うから支えてるだけだ」
「はいはい、ツンデレ乙」
「……ば、馬鹿にするな!」
自分がなぜ龍になれないのか。その答えは、まだわからない。
けれど、この脆くも温かい手と共に歩む先のどこかに、その答えがあるのだと、初めて信じてみたくなった。
かくして、世界を管理する神の台本に、二つの致命的な『バグ』が解き放たれた。
史上最強の龍のなり損ないと、ルール無用の転生勇者。
二人の、不格好で規格外な世界攻略の旅が、ここから始まる。
前に書いていた小説をリメイクして書き直しました。
画像は生成Aiを使用しております。
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