番外編④ 雛鳥は種をまく 後編
少女の年齢は10歳程度に見えます。
赤いひなげしが似合いそうな、可憐な体躯。
シワだらけのTシャツとショートパンツを身に着け、足元はサンダルだけ。
潮風に煽られた長い黒髪は、まるでSOSを示す旗のようで、自然と目が吸い寄せられていきました。
「……最期にちょっとだけ、ですね」
善行なんて、はじめての経験です。
ずっとずっと苦しい。
あたしを助けて。
いつも、都合のいい救いを求めてばかりでしたから。
「こんなところで、何をしているんですか?」
顔を上げる、少女。
目元が、恵巳さんに似ています。
「お姉ちゃん……誰?」
彼女の声は、大泣きした後みたいに掠れていますね。
「幽霊みたいなものと思ってください」
「放っておいて」
あれ、そっぽを向かれてしまいました。
ファーストコンタクトは失敗です。
「何か辛いことでもあったんですか?」
「関係ないでしょ」
「相談にのりますよ?」
「……死ね」
まあ、明日本当に死ぬんですけどね。
よくよく思い返せば、子供に触れ合った経験がありません。
どう接すればよいのでしょうか……?
「あれ?」
突然、少女が顔を覗き込んできました。
しかも、表情が徐々に明るくなっているような……。
「あなた、もしかして……兎本ナギサちゃん?」
「そうですけど……」
「え、うそっ!? 本物!?」
さっきまでの陰鬱な雰囲気はどこへやら。今度はトランポリンみたいに跳ねています。
なんであたしの名前を知っているのでしょうか?
「わたしファンなんですっ! ずっとずっとネットで動画をみてましたっ!」
なるほど。
記憶喪失していた時期、ママはあたしの姿をテレビやネットに垂れ流して、注目を集めていました。
その兎本ナギサに対して目を輝かせているみたいですね。
「え、なんでこんなところにいるの!?」
「ちょっと旅に出ているんですよ」
「もしかして、病気が治ったんですか!? え、絶対にムリって……」
「違いますよ。あたしは明日、死にます」
「え……?」
固まってしまいました。
子供には刺激が強すぎましたかね。
「病気は治っていません。もう、あたしの体は限界なんです」
穏やかなさざ波に混じって、喉の鳴る音が聞こえました。
「あ、えっと。ごめんなさい……」
目を伏せて、口を閉じてしまいました。
こういう時、どんな言葉を投げかければよいのでしょうか?
頭をひねっても妙案が浮かびません……。
「わたし……その、すごく勇気づけられたんです」
ぞうきんを限界まで絞ったような、少女の声。
「テレビに映ってるナギサちゃんは、余命が宣告されるような病気にかかっているのに、必死に生きてる。毎日みんなを笑顔にしてて、わたしもまだまだ頑張らなくちゃって……」
「あなたも病気なんですか?」
「ううん、お母さんがずっと診療所のベッドで寝てるの。詳しくは教えてくれないんだけど……」
「そう……なんですか」
空気の重苦しさに、息を呑むしかありません。
「わたし、がんばったんだ。お母さんの着替えを毎日持って行ったり、好きなブドウを食べさせたり……。でも、お母さん、いつも泣いちゃうの。ごめん、ごめん、苦労をかけて酷い母親だよね……って」
ああ。
聞きたくなかった。
あたしの世界とは別物です。
「ねえ、どうしたらいいの? あたし、もう頑張らない方がいいのかな……?」
「あなたは、何を望んでいるんですか?」
「わかんない。でも、お母さんの泣いてる姿を見るだけで、胸が苦しくなるの……」
鼻水をすする音。
膝を抱えて、泣き始めてしまいました。
気づいた時には、あたしの手が震える頭に伸びていました。
「よく相談してくれましたね」
自然と口に出ていた、言葉。
「え……?」
「つらい話なのに、すごいですよ」
なんで、あたし、こんな優しく褒めているのでしょうか。
目の前の少女は他人です。
彼女が笑顔に戻っても、あたしに利益はありません。
……いえ。
そう……ですよね。
褒め言葉って、とっても純粋。
あたし、ずっと思い違いをしていたのでしょうか。
ママはあたしをコントロールするために褒め言葉を使っていて……ずっとそんな環境にいたから……。
……わかっちゃいました。
ただただ純粋に褒めて欲しかったんですね、あたし。
成長するだけで、当たり前のように褒められる子供が羨ましい。
無事に産まれてえらいねって、抱きしめてくれたら……。たった、それだけのことだったんですね……。
「わたし……わたし……」
彼女の顔は見えません。
でも、腕が止めどなく濡れていきます。
ああ。
我慢、できません。
……ちょっとだけ。
「……え? ナギサ……ちゃん?」
頬の温もりが、まだあたしの唇に残っています。
やってしまいました。
でも、仕方ないですよね。
恵巳さんに言い訳するなら『魅力的過ぎる女の子が悪い』です。
「こんなあたしですから、『生きろ』なんて言えませんよ」
恵巳さん。
優しいあなたなら、きっとこんな言葉を贈りますよね。
「ただ、この瞬間だけでも、あたしはあなたに生きてほしいと願っています」
「で、でも……わたしは……」
「あなたが大好きな兎本ナギサが保証します。あなたはとっても強くて魅力的な女の子です。死ぬ前の貴重な時間を捧げたくなるほどに」
「あ…………」
幼い口から出た「ごめんなさい」。
まるで子供の指に遊ばれるオジギソウみたいに、かわいらしい謝罪です。
「謝らないでください。ただ、もしよかったら明日、この海辺にまた来てください。きっと、ひとりの女性が倒れていると思います。彼女はあなたの人生を変えてくれますから」
「それって……どういう……」
「ふふふ。明日になってからのお楽しみです。明日から世界は薔薇色になりますよ」
「……わたし、いいの?」
「いいんです。あなたはもっと甘えるべきなんです」
「甘える……そうだね。そうかもっ!」
彼女の顔を見ればわかります。
もう、大丈夫。
ひなげしも逃げ出すほど、よい表情をしています。
「本当に、ありがとうございます!!!」
少女はわんぱくに走り去っていきました。
何度も立ち止まって、手を振りながら。
「……ふぅ」
あたしの唇は恵巳さんのものなのに、少女のほっぺに触れさせてしまいましたね。
完全に浮気。
でも、ちょうどいいかもしれないです。
不貞を犯したあたしには、恵巳さんと死ぬ資格がありません。
だから、恵巳さんは次の夕日を眺めているでしょう。
さて。
予想外の出来事がありましたが、さっさと本来の目的を済ませてしまいましょう。
遺書を書くだけですから。
ペンを走らせている間、もっと涙が出ると思っていました。
でも、ひたすらに集中できました。
あの人に残す言葉。一言一句を愛で尽くし、紡ぐ。
遺書を完成させた後、思わず笑ってしまいました。
あたし、まだ高校も卒業してないんですよ。
あんなロクでもない母親が長生きしているのに、おかしい話。
でも……最期ぐらい。
いてもたってもいられなくて、木の棒を拾い、砂浜に文字を書いていきます。
――産んでくれて、ありがとうございました。
時間が経つにつれて、波が少しずつ押し寄せ、跡形もなくなっていく。
その光景を見届けた後、沈みかけの太陽を一瞥しました。
「さて、行きますか」
ああ。
生まれて初めて、脚が軽い。
恵巳さん、恵巳さん。
お花が見せる、最もかわいらしい姿を知っていますか?
険しい環境で花弁を開く瞬間?
それとも、恋人への花束になった時?
違います。
正解はですね、死体を彩るひと時。
恵巳さん。
意味のない死を華やかに変えてくれた、あたしのお花畑。
ふふふ。
大丈夫ですよ。
離れ離れになるわけじゃありません。
ほんのちょっとだけ、あなたの背中を押すだけ。
また、会えますから。
こんな針のむしろみたいな世界よりも、ずっとずっと穏やかな場所で。
今度は、あたしの番です。
がんばりましたね。
偉いです。
かわいい。
素敵です。
たくさん、お花畑を用意しておきましょう。
ですから、安心してくださいね。
あたし――兎本ナギサは。
いつでも帰れる場所となって、あなたを待ち焦がれています。
これにて番外編も完結です
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました




