第56話 歪む想い
今から十三年前………────
王宮の庭園の端を通りまだ少年期であったクリストファーが護衛を付けずに一人である場所へ向かおうとしている時、茂みの横で太陽の陽に当たると銀色のように輝くプラチナブロンドがさらりと揺らめいた。
『フィーリア…こんな所でどうしたの?』
『クリス兄様…えっと…リボンを落としてしまって探していたの。』
『そうか…フィーリアこちらへおいで。折角の美しい髪の毛が絡んで乱れているよ。私の髪紐で良ければ結んであげよう。』
『でも…ほどいてしまったらクリス兄様が困ってしまうんじゃ…』
『私なら大丈夫だよ。フィーリアの髪の毛は銀糸のようで美しいね…それにフィーリアの深い藍色の瞳はサファイアのように美しい。』
『クリス兄様…?』
『フィーリアは人形のように美しくて私の傍にずっと置いておきたいよ。フィーリアが望めば君は家柄的にも妃になれる立場なんだ。』
『妃…?』
『そう…私がフィーリアの初めてを全て貰うという事だよ。』
『初めて…?って…クリス兄様は何が欲しいの?』
『全てだよ…フィーリアの初めては勿論フィーリアの全てが欲しいな…』
クリストファーは幼いフィーリアの口許を指で触れた。
『この…小さな赤い唇なんてさくらんぼのようだ…艶やかでふっくらとして…どんなに甘いのだろうね…
フィーリアの初めてを私にくれるかい?』
『兄上っ!』
茂みから慌てて飛び出してきたのはジークフリードであった。
『ジーク…』
『何を…フィーリアに今…』
『ジーク!やっぱり見付からなくてクリス兄様がクリス兄様の髪紐で髪の毛を結んでくれたの。』
『あ…ああ…フィー…見付かったよ…フィーのリボン…木に引っ掛かっていた。』
『ありがとうジーク!ジークからのプレゼントのリボン見付かって良かった。
ジーク大好きよ!』
フィーリアは嬉しそうにジークフリードへ抱き付いた。
そんなフィーリアを黙って見ていたクリストファーは作り物のような笑顔をジークフリードへ向ける。
『フィーリア、探し物が見付かって良かったね。
フィーリアは本当にジークの事が好きなんだね…
また、一緒に話をしようか…
ジーク、フィーリアをしっかり送っていくんだよ。
それじゃあ、私は行く場所があるから失礼するね。』
その場を離れていくクリストファーの事を無言でジークフリードは見詰める。その時、フィーリアから服を引っ張られた。
『フィー?』
『ねぇ、ジーク初めてってどんな事?』
『初めて…?』
『クリス兄様が言っていたの。私の初めてが欲しいって…どんな初めての事をあげたらクリス兄様は嬉しいの?』
フィーリアの言葉を聞いた瞬間心臓が大きくドクンと音をたてジークフリードの背筋に嫌な汗が流れ落ち咄嗟にフィーリアの事を抱き締めた。
『ジーク…?どうしたの?』
ジークフリードのフィーリアを抱き締めている手が震えていた。
この時ジークフリードを襲った強烈な感情は焦りと怒りであった。強く望めば叶えられない事など殆んどない立場と力を持っているクリストファーがフィーリアの事を望んだらどうなるのかという事が頭の中を一気に駆け巡った。
フィーリアは王家に嫁ぐ事に何の障害もない家柄や年齢である事は明確で今まで様々な事や物を我慢し時には自分の思いとは反対でもその考えすらも譲っていたジークフリードにとってフィーリアだけは絶対に誰にも渡したくない存在であった。
『フィーの初めてはフィーはまだわからなくていいんだ。大きくなったら自然にわかるようになるから…
だから…大切にして…誰にもあげないでくれ…』
『ジーク…?震えているの?怖いの?大丈夫?』
『大丈夫……フィーが傍に居てくれたら大丈夫だよ…』
『私はずっとジークの傍にいるわ』
『ありがとう…』
《俺は狡い…フィーは自分のものでも何でもないのに…こんな事を考えるなんて…
だけど…フィーだけは…絶対に誰にも渡したくなんてないんだ…》
ジークフリードはレオンと宰相であるジョゼフにこの日の事を話す事にした。
万が一ジョゼフがクリストファーの言葉に賛同してしまったらという最悪の結末も想像したが、ジョゼフが権力に固執しない人間である事は理解していた事と、先にクリストファーが動いたらという危惧を感じジークフリードは先手を討つ事にした。
クリストファーのフィーリアへ向ける目、言葉がフィーリアを望んでいるかもしれないという事を二人に伝えた。
『殿下はその事を私に伝え、私がフィーリアを王家へ嫁がせたいと願うかもしれないとは考えられなかったのですか?』
『考えた…。
だが…宰相は権力に固執する人間でないと俺は考えている事と、幼いフィーリアの気持ちを無視して縛り付ける事は望んでいないと思ったから、このまま兄上がフィーリアを望んで縛り付ける危惧の方が強かったんだ。』
『殿下はやはりまだ甘いですね。裏の裏まで何重にも相手の考えを読まねばいつか足元をすくわれ貴方が大切にしているものまで全て奪われますよ。
焦りは思考を鈍らせます。そういう時こそ冷静に判断しなければなりません。誰が貴方の敵かなどわからないのです。私が確固たる力を裏で望んでいたら殿下のこの報告は貴方にとって悪手でしかありません。』
『……………。』
ジークフリードはジョゼフを強い眼差しで見据える。
『……まぁ、殿下が私をそう評価してくださっていた事は喜んでおきましょうか?
知らせて頂きありがとうございます。この件につきましては私がフィーリアが自分の意思を示せる年齢まで事が起こらないように何とかしましょう。それで宜しいですか?』
『…………今はそれでいい。ただし、宰相には何れ伝えたい事がある事だけは覚えていてほしい。』
『そうですか…貴方にも兄君であるクリストファー殿下にでさえ譲れないものがあるという事ですな…覚えておきましょうか。私を納得させられる話を期待しておりますよ』
《兄上の様子に違和感を感じ始めたのはいつからだったのだろうか…それとも俺が知っている兄上が作り物だったのだろうか…
自分がこんなにも自分の気持ちをコントロール出来なくなるとは思っていなかった…
だけど…どんな事をしてもフィーだけは譲れないんだ…》
─────………
王宮の端にある古びた塔の横の石造りの建物には一人の人間が自分の愛でているものを手に取り眺めながら口を開いた。
「ジェスト…私の大切なものを傷付けたら駄目だと言わなかったか?」
「申し訳ありませんでした。」
「お前が実際に手を下した訳ではないけれどね…傷は付いてしまったが…そこを隠せば美しいままであるから今回は許そうか…
でも、どうして黒獅子はお前に辿り着いたのに動かないのだろうね?
黒獅子の傍で欺いていた時は気持ちが良かっただろう?
なんたって、お前の一番嫌悪する存在なのだからね…
あとさ…あの人形が何を考えているのか早めに調べてくれるだろうか?」
「はい。畏まりました。」
その者は手元にある柔らかな上質な布を開くと中からプラチナブロンドの数本の髪の毛を大事そうに摘まみ目の前に掲げた。
「天使は私のものでなければいけないのだから…そろそろ私も動くとするよ…
あいつは天使に近付きすぎたんだ。傍にいるだけなら寛大な私は許しもしたが、自分の所有物のように触れる事はもう許さないよ…
ねぇ…ジーク…フィーリアをそろそろ本当の所有者に返してもらおうか…
私が諦めたと思っていたのだろうけどね…もうそろそろお前の手の届かない所へお前の大切なものを匿ってあげよう。
フィーリアの初めてはもうこれ以上黒獅子のお前には奪わせないよ。」
クリストファーは笑みを浮かべながらプラチナブロンドの数本の髪の毛を大切に布にくるみ仕舞った。
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