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変装娘と市場に



 月隠宿ルナシェイドの裏口から抜け出したノアトと、変装したアメリアは、石畳の路地を抜けてブレストンの市場へと歩いていった。

 露店がひしめく大通りは、いつも通りの喧噪と匂いに満ちている。焼き串の香ばしい匂い、揚げ菓子の甘い匂い、喧嘩腰の値切り合戦。


「……これが、庶民の市場……」

 アメリアはマントのフードを目深に被りながらも、きょろきょろと周囲を見回す。瞳は隠しきれない好奇心で輝いていた。


「まあ、だいたいこんなもんです」

 ノアトは肩をすくめつつ、串焼きを二本買うと、ひょいと一本を差し出した。

「はい。お嬢――アメリア様もどうぞ」


「……それ、手づかみで?」

「食べ歩きはそれが基本です」

 半信半疑で串を受け取ったアメリアは、恐る恐る一口かじる。


「……っ」

 目を瞬かせ、次の瞬間、頬がふわりとゆるんだ。

「……おいしい……!」


「ですよね。城の晩餐とは違う方向性で」

「こっ、庶民の味に感動してるわけじゃありませんわ。ただ、その……香辛料の配合が絶妙なだけで」

 アメリアは慌ててツンと顔をそむけ、しかし串はしっかりと最後まで平らげた。


 そんな“初めての市場”に満足げな表情を浮かべていた彼女が、ふと足を止める。


◆市場の商人


 前にノアトが遭遇したことのある露店の前。

 簡素な木の台の上に並んだ小箱。その一つに、銀細工のピアスが陽光を受けてきらりと光った。


「まあ……このピアス、とても綺麗ね」

 アメリアが思わず目を輝かせ、そっと手に取る。


 商人は待ってましたとばかりに身を乗り出した。

「お嬢さん、見る目がありますなぁ。そのピアスは特別品でしてね。お嬢さんのような可憐なお方にこそ似合う逸品でございますよ」


「なんか言い方が怪しいぞ……」

 ノアトが眉をひそめて小声で漏らすが、アメリアは聞こえないふりをしてピアスを光にかざす。


「おいくら?」


「そうですねぇ……特別価格で二十万リル!」

 にこやかな笑顔と共に、遠慮のないぼったくり価格が飛び出した。


「まあ、思ったより安いのね」


「安いの!?」

 ノアトは素で声を上げた。

「これ、正規なら二万もしないやつですよね?」


 突然振られた商人の顔が引きつる。

「なっ……!」


 ノアトはひょいとピアスを持ち上げ、台に軽くカチカチと当てる。

「細工は悪くないですけど、地金は量産型。箱もこの前見たシリーズと同じです。十倍ふっかけてるのはさすがに良くないでしょ」


 周囲の客が「おや?」と振り向き始める。

 視線が集まる中、商人は青ざめた顔で額の汗を拭った。


「……な、七千リルでいかがでしょう」


「よし、交渉成立」

 ノアトはあっさりと頷き、アメリアに向き直る。

「欲しいんですよね?」


「え、ええ……」

 アメリアはまだ事態を飲み込めていない様子のまま、財布袋からリルを取り出す。


「じゃあ七千。さっきの差額は、お嬢様の世間勉強代ということで」


 支払いを済ませ、ピアスを受け取ったアメリアは、しばしそれを見つめ──そして顔を赤くし、ツンと横を向いた。

「べ、別に助けてもらう必要なんてなかったのに……」


「いやいや、リルは大事に。特にブローカーズ・オークション前は」

「……それは、どういう意味かしら?」


 ノアトの何気ない一言に、アメリアの蒼銀の瞳がきらりと光った。


◆ブローカーズ・オークションへ


「なるほど。庶民の買い物とは、駆け引きと情報戦なのですね」

 ピアスを大事そうに懐へしまいながら、アメリアは満足げに頷いた。


「まあ、そんな立派なもんでもないですけど」


「いいえ、面白いわ。だったら次は――もっと大きな場で挑戦してみたい」


 アメリアは胸を張り、高らかに宣言する。

「ブローカーズ・オークションに行きますわ!」


「え、いきなり本丸!?」

 ノアトは素で声が裏返った。

「半年に一度の物騒な祭りですよ、あそこ。値段も治安も、全部が跳ね上がる場所ですけど」


「だからこそ、ですわ。さあ行きましょう、ノアト。庶民の案内人としての腕を見せてちょうだい」


 そう言ってぐいっと腕を引っ張られ、ノアトはため息をつきながらも足を向ける。

(……まあ、面白そうだからいっか)


◆オークション会場


 ブレストン中央広場の一角には、仮設の巨大な天幕が張られていた。

 外からでも熱気とざわめき、時折上がる歓声が聞こえてくる。


 中へ足を踏み入れると、吊り下げられたシャンデリアの灯りが天幕の内側を金色に染めていた。

 椅子と机がぎっしりと並び、商人、冒険者、貴族風の客が入り混じっている。


「さあ、続いてはこちら! 虹玉のレインボーワイン! 一樽ごとに味も香りも変化する奇跡の葡萄酒!」


 司会役の男の声が響き、小さな樽が舞台に掲げられる。

 樽の表面には淡い色の光が揺らめき、注がれた酒は瞬く間に色を変えた。


「まぁ……本当に、色が変わっていくのね」

「綺麗だなぁ。味が当たりのときにだけ飲んでみたい……」


 次々と珍品が舞台に上がる。

 金糸細工の人形ゴールデンドール、竜鱗の楽器ドラゴンリュート

 どれも豪奢で、庶民のノアトには“見る専”の世界だ。


 そのとき、司会の声色が一段と高くなった。


「お次は――月影香ルナフレグランス

 夜に灯せば、安らぎと深き眠りをもたらす、希少なる香油でございます!」


 舞台の上で掲げられた小瓶から、柔らかな香りが広がる。

 甘すぎず、落ち着いた月夜のような気配。


 アメリアの蒼銀の瞳が、すっと細くなる。

「……素敵。わたくしの部屋にあれば、夜がもっと心地よくなるわ」


 彼女は迷いなく手を挙げた。

「十五万リル!」


 周囲がどよめく。

 ノアトは小声で囁いた。

「いきなり全力で目立ちにいきましたね、お嬢様」


「競りとは気迫が大事なのですわ!」

 アメリアは胸を張る。


「十八万!」

「二十万!」


 会場のあちこちから入札が飛ぶ。

 アメリアは一歩も退かない。

「二十五万!」


 額が跳ね上がっていく中、ノアトは冷や汗をかきつつ横目で様子をうかがう。

(……本当に欲しいやつなんだな)


 アメリアは、ふと視線を落とし、小さく呟いた。

「……香りが好きなの。自室で過ごす時間が長いから……こういうのが一つあると、きっと、世界が少し変わる気がするの」


 彼女の言葉に、ノアトは何も言わずに肩をすくめるだけにした。


 最終的に、月影香はアメリアの入札で競り落とされる。

 小瓶が彼女の手に渡されると、周囲から拍手が起きた。


「……取ったわ!」

 勝ち誇ったように、けれどどこか照れたように笑うアメリア。

 ノアトはその横顔を見て、(似合うなぁ)とだけ心の中で呟いた。


◆光霧の外套ルーセントヴェール


「さぁさぁ、お次は――装飾品型遺物、光霧の外套ルーセントヴェール!」

 司会の声がひときわ高く響く。


 舞台に淡く透ける外套が掲げられた。

 光を浴びると霞のように揺らめき、見る角度によって銀、薄紫、淡い青と色を変えていく。


 ノアトは思わず息を呑んだ。

「おぉ……これは……便利そう」


 その一言に、即座にアメリアの耳が反応する。

 彼の視線の先を見つめ、少しだけ頬を染めた。


「纏う者を霧のように包み、その姿を朧に隠す……と伝えられる逸品!」

 司会が煽るように説明すると、観客席がざわめく。


 アメリアは椅子からすっと立ち上がり、手を挙げた。

「三十万リル!」


「えっ、今度はそっちも!?」

 ノアトは思わず振り返る。


 アメリアは顔を赤くしながら、ツンと顎を上げる。

「市場で助けてもらった褒美ですわ。庶民――いえ、あなたのような方には、こういう隠れ蓑が必要でしょう?」


 会場が一斉にざわついた。

「褒美?」

「やっぱりただ者じゃないな、あの娘」

「立場なんかどうでもいいさ、金を持ってる客が正義だ」


 ノアトは(やばい、いろいろバレる……!)と青ざめつつも、会場の熱に巻き込まれて何も言えなくなる。


 結局、他に張り合う者も現れず、光霧の外套ルーセントヴェールはアメリアが競り落とした。


 会計を済ませると、彼女は軽く外套を持ち上げ、ノアトの胸元に押しつける。

「はい。これはあなたのものですわ」


「え、ちょっ、待ってください。俺の財布はいま全然――」

「お代はもう支払いました。庶民にしては十分頑張りましたから、これは今日の“ご褒美”です」


 ノアトは外套を抱えたまま、頭を抱える。

「……庶民って言い方、なんか刺さるんですよね」


「気のせいですわ」

 アメリアはそ知らぬ顔をして席に腰を下ろしたが、その口元はどこか楽しげに緩んでいた。


◆オークション終幕から帰路へ


 オークションはその後も熱狂を続けた。

 時渡りの砂時計クロノグラスや、氷涙の鏡片クリスタルシャードといった、高額遺物が舞台に上がるたび、数字は跳ね上がっていく。


「五十万!」

「六十万だ!」

「馬鹿な、百万だと!?」


 ノアトは腕を組みながら、半分呆れ顔でそれを眺めていた。

「もう、数字の殴り合いにしか見えない……」


「……世の中には、これほどの金額を、夢に投じられる方々がいるのですね」

 アメリアは真剣な眼差しでその光景を見つめていた。

 羨望か、驚きか、それとも――別の何かか。


 やがてオークションは幕を閉じ、人々はそれぞれの戦利品と興奮を抱えて会場を後にした。


月隠宿ルナシェイド


 夜の帳が降り始めたブレストンの街を、ノアトとアメリアは人目の少ない裏通りを選んで歩いていく。

 石畳に灯りの影が揺れ、行商人の片付ける音が遠くに聞こえる。


「……なんとか、派手にやった割には正体は割れずに済みましたわね」

 アメリアは胸に手を当て、ほっと息をついた。


「でも、“どこかの令嬢”くらいには思われてましたよ、絶対」

「ふん。あの程度、気にするものではありませんわ」

 アメリアはツンと顔をそむけるが、頬はほんのり赤い。


「ま、楽しそうだったからいいか」

 ノアトは光霧の外套の包みを抱え直しながら、苦笑まじりに呟いた。


 やがて、静かな裏通りの先に、落ち着いた灯りが見えてくる。

 月と霧を模した装飾看板――月隠宿ルナシェイド

 王族や上級貴族御用達の、ひっそりとした高級宿だ。


 裏口に近づいたところで、扉が先に開いた。


◆月隠宿での待ち伏せ


「お帰りなさいませ、アメリアお嬢様。それに――」

 出迎えた宿の主人が、意味ありげにノアトへ視線をやる。


「先ほども申し上げましたが、あまり遠くへお忍びになると、こちらの心臓がもちませんで」


「……ごめんなさい。次からは、もう少しだけ静かに楽しみますわ」

 アメリアが小さく頭を下げると、主人は苦笑しつつ道をあけた。


 その奥。

 ロビーの一角の椅子に腰掛け、脚を組んで待っていたのは――ブロンドの髪を揺らす第二王子、リュシアンだった。


「……やっぱり、ここに戻ってくると思ってた」


「り、リュシアン兄様!?」

 アメリアがぎくりと立ち止まる。


 主人が申し訳なさそうに付け足した。

「先ほど、王子殿下がお見えになりまして。

 『お嬢様がお忍びで外出されましたが、普段は見かけない、少し庶民的な青年とご一緒でして……』とお伝えしましたところ」


「なるほどねぇ?」

 リュシアンはにやりと口角を上げ、ノアトとアメリアを見比べた。

「仮面までつけて出歩くなんて、なかなか大胆じゃないか、アメリア」


「し、視察ですわ! 庶民の生活の!」

 アメリアは慌てて言い訳する。


 リュシアンは片眉を上げて、ノアトへ視線を向けた。

「で? その“庶民の案内人”は――アルシエル家のご子息、ノアト・アルシエル。

 湖上の遺跡から生還した“蒼き慧眼”その人、ってことでいいんだよな?」


「……まあ、一応」

 ノアトは肩をすくめ、気まずそうに頭をかいた。


「最初から知ってましたわよ」

 アメリアはぷいと横を向きながら、妙に早口で言い放つ。

「ただ、その……庶民の視点で案内してもらったほうが面白いと思っただけですの。勘違いなさらないで」


「はいはい」

 ノアトは苦笑しつつ、深くは追及しないことにした。


 リュシアンはそんな二人を眺め、快活に笑う。

「妹を楽しませてくれてありがとう、ノアト。

 城でもこの宿でも、退屈してる時間が長いからな。お前がいて助かったよ」


「いえ……俺も、王族の方と一緒にブレストン歩き回るなんて初めてで。だいぶ新鮮でした」


「べ、別に……楽しかったなんて、思ってませんわ」

 アメリアは口を尖らせて否定しながらも、その声音はどこか柔らかい。


 月隠宿の静かなロビーに、小さな笑い声がこぼれる。

 こうして、ブレストンでの“変装娘と市場行き”の一幕は、光霧の外套と月影香、それから少しだけ広がった世界の記憶を残して幕を閉じた。

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