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第六章 遺物博覧会


◆支部長エリオットの執務室


「エリオット殿! あの美しい《鏡影仮面リフレクス》を……ぜひ我が家に飾りたい! 金ならいくらでも払う!」


 慌ただしく駆け込んできた富裕貴族が、額に汗を浮かべて叫んだ。

 その必死な様子に、執務机の向こうで書類を整理していた支部長エリオットは、露骨にため息をつく。


「……何度も申し上げましたが」

 眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、冷静な声音で続ける。

「この仮面はただの装飾品ではありません。危険指定遺物です。

 影を喰らい、魂の輪郭に触れる類のものを、邸宅の客間に飾ろうなどという発想自体が論外ですよ」


 貴族はなおも食い下がる。


「ですが! あの鏡のように澄んだ仮面こそ、我が家の威光にふさわしい……っ!」


「聞き分けなさい」

 エリオットは淡々と口調を切り替えた。


「《鏡影仮面リフレクス》――仮分類はRCL-3。

 人の影を奪い、その存在証明を削ぐ危険物です。

 金銭でやり取りできる物ではありませんし、ギルドの管理下で封じるのが唯一の選択です」


「しかしだな、私は――」


「これ以上は、調停局を呼びますが?」


 さらりと告げられた一言に、貴族は顔色を変えた。

 唇を噛みしめ、悔しさを隠せぬまま、乱暴にマントを翻して退室していく。


 扉が閉まる音を聞き届けてから、エリオットは深い溜息を吐いた。


「……この調子では、同じような申請書が山ほど来ますね」


 机の隅には、すでに「《リフレクス》譲渡願」と書かれた申請書が数通積まれている。

 それを一枚ずつ裏返しながら、彼は小さくつぶやいた。


「ならば、いっそ――隠すのではなく、“見せる”か」


 思考を組み立て、窓の外へ視線を向ける。


「一ヶ月後に王族主催の遺物博覧会があったはずだ。

 あの場で【王族管理の危険遺物】として展示し、情報と危険性の双方を広く知らしめる……」


 彼は指先で机をとんとんと叩き、結論を出す。


「所有権は回収者――アルシエル家のご子息、ノアト君にある、と明記して。

 “美術品としての独占”ではなく、“功績者としての名”だけを与えれば、多少は矛も収まるでしょう」


◆アルシエル家の朝


「超速便でーす!」


 玄関扉の向こうから、やけに景気の良い声が響いた。


 リビングの食卓でパンをちぎっていたノアトは、父の代わりに立ち上がり、ポストに入れられた封筒を拾い上げる。

 分厚い紙。金の箔押し。封蝋には王家の紋章。


「……嫌な予感しかしないんだが」


 ノアトは戻ってきて、椅子に腰を下ろしながら封を切った。

 流麗な筆跡で記されているのは――


『王族主催 遺物博覧会へのご招待』


 隣から覗き込んだスノアが、ぱちりと赤い瞳を瞬かせる。


「お兄ちゃん、これ……本物だよ。王族主催の博覧会なんて、滅多に開かれないのに!」


「……げぇ」


 ノアトは頭を抱えた。


「俺、礼儀作法とか一番苦手なんだけど。

 “お上品に立って座って微笑んでろ”って言われる場所だろ、これ」


 そんな兄の反応に、スノアは思わず笑ってしまう。


「でも、せっかくだから正装しなきゃね。

 アルシエル家のご子息とご息女なんだから」


「いや、そこを忘れてくれてていいんだけどなぁ……」


 げんなりした顔で招待状を見つめる兄と、少し誇らしげに目を輝かせる妹。

 朝のパンは、いつもより少しだけ味が薄く感じられた。


◆ギルドにて


 そして博覧会当日の朝。

 正装を身にまとったノアトとスノアが、ギルド《クロニカ》の扉を押し開けた瞬間――


 受付カウンターの奥でレジストリエを叩いていたフェリスは、ペンを落としかけた。


「…………なにかの冗談ですか?」


 普段はラフなシャツ+腰ベルトスタイルのノアトが、きちんとした礼服に身を包んでいる。

 髪も一応整えたらしく、いつもの寝癖は影を潜めていた。

 その隣では、スノアが淡い色のドレスに身を包み、きちんとした令嬢の笑みを浮かべている。


 ノアトは気まずそうに招待状を差し出した。


「えーっと、その……本物らしいです」


 フェリスは受け取って内容を確認し――ほんの一瞬、息を呑む。


「……王族主催遺物博覧会、特別招待客。

 所有者名義――ノアト・アルシエル。

 ……本物、ですね」


 眼鏡の奥の瞳が、じとりとノアトを見据える。


「……あなた、また面倒ごとを拾ってきましたね?」


「俺はただ依頼受けてただけで……」


 肩をすくめるノアトに、フェリスは小さく息を吐く。


「会場は王都グランディア城内の大広間です。

 危険遺物の展示もあるはずですから、くれぐれも――」


「近づかないように、でしょ?」


 ノアトが先に言うと、フェリスは口元だけで笑った。


「いいえ、“余計なことをしないように”です」


「ハードル高いなぁ……」


 スノアは二人のやり取りに小さく笑い、礼儀正しく一礼した。


「案内、ありがとうございます。いってきますね、フェリスさん」


「ええ。……お二人とも、お気をつけて」


 ノアトの背中を見送りながら、フェリスはレジストリエの画面にちらりと目をやる。

 そこには【湖上遺跡・依頼完了】の記録と、《鏡影仮面リフレクス》の危険指定欄が淡く光っていた。


「……“影を見通す新人”が、今度は王都で何を巻き込むやら」


 ぼそりと呟き、再び書類の山へ視線を落とした。


◆王族主催 遺物博覧会


 豪奢な大理石の床。色鮮やかな旗と、天井近くまで垂れ下がるタペストリー。

 煌びやかなシャンデリアが光を降り注ぎ、王族と貴族たちが談笑しながら行き交う。


 場違いなほど荘厳な空間に足を踏み入れたノアトは、思わず小声で呟いた。


「……か、帰りてぇ」


 スノアは横目で兄を見やり、苦笑しつつも背筋を伸ばす。


「お兄ちゃん、顔。今だけは“普通の貴族の長男”でいて」


「難題ふっかけるなぁ……」


 広間中央には壇上が設けられ、王族や高位貴族が列をなして並んでいた。

 会場を埋め尽くす視線が壇上へと注がれる。


 第一王子がゆるやかに立ち上がり、朗々とした声で言葉を紡ぐ。


「諸君、よくぞ参集した。本日ここに集められた遺物は、我が国の誇りであり、未来を映す宝でもある。

 それぞれの由来と危険性を知り、その価値を正しく認識してほしい」


 拍手が広がる中、スノアは背筋を正し、緊張した面持ちで壇上を見つめていた。

 一方――


「長いなぁ……」


 ノアトは退屈そうに欠伸を噛み殺し、小声でぼやく。


 すかさず、スノアの肘が脇腹に突き刺さった。


「お兄ちゃん! 失礼だよ!」


「いてっ……わかったよ、わかったから」


 挨拶が終わると、貴族たち同士の挨拶回りが始まった。

 場違いな気配を隠しきれないノアトの代わりに、スノアは微笑みを絶やさず、完璧に礼をこなしていく。


「アルシエル家のご息女、スノア様ですね。才媛と名高い――」

「もったいないお言葉です」


 柔らかく返すスノアに、貴族たちの視線が好意的に揺れる。


 ふと、視線が兄へと向けられた。


「……隣におられるのは?」


「兄のノアトです」


 きっぱりとスノアが告げると、周囲は一瞬ざわめいた。


「ほう……あの湖上遺跡から生還した――」

「“影を見通す青い目の新人”と噂の?」


「なにそれ」


 スノアは内心で眉をひそめる。(影を見通すって……言い方がもう盛られてる)


 ノアトは汗をかきながら、慌てて頭を下げた。


「ど、どうも……」


 そこへ、例の気さくな警備兵――今日は王都警備の応援に呼ばれているらしい男が、腕を組んでうんうん頷く。


「そうそう、この兄ちゃんがさ。

 湖の上で影を見通した“青い目”の新人シーフって、ブレストンじゃ持ちきりなんだわ」


「ちょっと待ってそれ初耳なんだけど」


 ノアトが心の中で頭を抱える横で、スノアは引きつった笑みを浮かべる。


(お兄ちゃんは、お兄ちゃんでしょ……。なにそれ、恥ずかしい)


 表向きは微笑みを保ちつつ、内心だけ冷静にツッコんでいた。


◆展示会場と「雑貨遺物」


 やがて貴族の挨拶回りも一段落し、展示場が解放された。


 豪奢なガラスケースの中には、煌びやかな遺物がずらりと並んでいる。

 紅蓮宝珠クリムゾンオーブ虹彩宝剣プリズマブレード黄金竜冠ドラゴンクラウン――

 どれもいかにも「権威」を誇示するための、派手で力強い品々だ。


 スノアは学院関係者や貴族夫人たちに引き止められ、挨拶を続けることになった。


「ごめんね、お兄ちゃん。少し一人で見てて」

「助かった、自由時間だ」


 ノアトは早足で人混みを抜けると、自然と会場の隅――人気の少ない一角へ引き寄せられた。


 そこには「日用品・工芸遺物」と書かれた札が掲げられている。

 靴紐が勝手に結ばれる回転靴紐ツイストレース

 鳥や獣の鳴き声を奏でる吹鳴石ホイッスルロック

 逆さにしても中身がこぼれない宴会芸の反転杯フリップゴブレット


 貴族たちは興味なさそうに素通りしていくが――


「……うわ、こっちの方がよっぽど面白いじゃん」


 ノアトだけは、目を輝かせていた。


 そして、その中に並んだ一本の銀のスプーンに目が止まる。


「出たな、お前」


 展示札にはこう書かれている。


無限匙エターナルスプーン

 ――掬ったものが“ほんの少しだけ多め”になる、謎の匙』


「食べ物を掬うと必ず“ちょっと多め”になる……ってことはさ」


 ノアトはガラス越しにスプーンを凝視しながら、ぽつりと呟いた。


「これ、食い物だけじゃなくて、金貨とか宝石とかでも“ちょっと多め”になるんじゃね?

 重さ・量じゃなくて“価値”を基準にしてるタイプだとしたら、使い方次第でえげつないことになる気が……」


 何気ない独り言。

 だが、その場に居合わせた数人のブローカー商人が、ぴくりと肩を震わせた。


「……なるほど、そういう発想もあるのか」

「ただの宴会用食器だと思ってたが……」

「“価値をちょっとだけ増やす”……怖い使い方もできそうだな」


 ノアトはそんな周囲の反応など一切気づかず、腕を組んでうーんと唸る。


「博覧会の展示品って、買ったりできないのかな……。

 めちゃくちゃ欲しいなぁ、これ」


◆「蒼き慧眼」との邂逅


「――気になるかい? その遺物が」


 背後から落ち着いた声が響き、ノアトは振り返った。


 そこに立っていたのは、ブロンドの髪に蒼銀色の瞳を持つ、気品ある青年。

 だが、その笑みは王族特有の堅苦しさとは無縁で、どこか親しみやすかった。


「君が……アルシエル家のノアトだな?」


「え、……誰?」


「俺はリュシアン。――グランディア王家の第二王子だ」


 ノアトは「げっ」と声にならない呻きを漏らし、慌てて頭を下げる。


「お初にお目にかかります、ノアト・アルシエルです」


 リュシアンはおかしそうに笑った。


「そんなに緊張しなくていいさ。

 ちょうど君に会いたかったんだ。湖上の遺跡から帰ってきた、**“青い目で影を見抜いた新人シーフ”**がいるって聞いてね」


「いや、なんか話がどんどん盛られてません?」


 ノアトは困ったように頭を掻く。


「俺、ほんとただ歩いてただけで……」


「“ただ歩いて”生還できる場所じゃないだろう、あそこは」


 リュシアンの視線が、ガラス越しのエターナルスプーンからノアトの青い瞳へと移る。

 その目がわずかに愉快そうに細められた。


「さっきの話、聞こえたよ。

 ほとんどの連中が“便利な食器”としか見ていないものを、“価値を増やす可能性”として見る」


 握った指先で自分のこめかみをとん、と叩き――


「物の仕組みと使い道、その両方の“筋”を見抜いている。

 ――いい目をしているな、“慧眼”ってやつだ」


「いやいや、大袈裟ですよ」


 ノアトは即座に否定するが、リュシアンは楽しそうに肩をすくめた。


「それに、その青い目だ。

 湖上の霧の中でも影の濃さを見比べていたって噂もあるし――“蒼き慧眼”、悪くない呼び名だと思わないか?」


「全力でやめてほしいんですけど」


「言う側は楽しいし、言われる側は困る。

 それが二つ名ってもんだろ?」


 軽口を叩き合う二人。そのやり取りを、周囲のブローカーや近衛兵たちが密かに耳にしていた。


「今、“蒼き慧眼”って……」

「湖上遺跡のシーフの話か?」

「影を見通す青い目、ね……噂話としては十分だ」


 種は、小さく、しかし確かに撒かれた。


◆眠りの壺


 そんなことを話していた矢先だった。


 ――ざわめきが、ふっと途切れた。


「……ん?」


 ノアトは首を傾げる。

 さっきまで華やかだった広間の一角から、音が消えていた。


 リュシアンの表情が一瞬で鋭くなる。


「この静けさ……嫌な予感がするな」


 彼は双剣の柄に手をかけ、気配を探るように目を細めた。


「――眠りの壺だ」


 呟いた瞬間には、すでに片方の剣が鞘から抜かれていた。


 気配なく忍び寄っていた黒装束の盗人が、リュシアンの足元で崩れ落ちる。

 淡い光を放つ壺が、その手から転がり出た。


「ちょっ、いつの間に!?」


 ノアトが思わず声を上げる。


 薄い煙のような霧が、広間の中央付近に広がっている。

 その範囲にいた貴族や客人たちは、次々とその場に崩れ落ちていた。


「ここは襲撃されている。――来るぞ!」


 リュシアンが短く告げると同時に、別方向の柱陰から複数の盗人が飛び出した。


「ノアト、君は下がってろ!」


「いや、このタイミングで下がるのも逆に危なくない?」


 ノアトは慌てて礼服の裾を蹴り上げ、懐から取り出した。


 ――跳躍靴リープブーツ


 慣れた手つきで靴を履き替え、紐をぎゅっと締める。


「よし、準備完了」


「こんな場で靴を履き替える奴、初めて見たぞ」


 リュシアンのツッコミを背に受けながら、ノアトは勢いよく床を蹴った。


 ――ビョンッ!!


 尋常ならざる推進力で、盗人たちへと一直線。

 あまりの勢いに、自分でも制御しきれない。


「踏み込みすぎた、やば――」


 ――ドガァンッ!!


 ノアトの身体そのものが一種の弾丸と化し、三人の盗人をまとめて薙ぎ倒した。

 派手に床を滑りながら、どうにか姿勢を立て直す。


「いってぇぇ……! 絶対どこか打った……」


 リュシアンは一瞬呆け、それから豪快に笑った。


「ははっ! やるじゃないかノアト!

 今の一撃――狙ってできるなら、立派な戦法だぞ!」


「狙ってないし! 完全に事故だし!」


 しかし、結果として盗人たちの隊列は乱れた。

 そこに、光刃の王子の双剣が舞う。


 眩い軌跡が走り、黒装束たちは次々と地に伏していく。

 リュシアンの剣筋は、まさに“光が踊っている”かのようだった。


 逃げようとした最後の一人の足元へ、ノアトがもう一度跳躍する。


「もう一回は……ちゃんと、狙って!」


 今度は距離を計り、ぎりぎりで手前に落ちて足払いの形で盗人を転ばせた。


「っぐ!」


 顔面から床に突っ込んだ盗人は、あえなく昏倒する。


「おお……今のはちゃんと狙ってたな」

「さっきより痛くなさそうだし、だいぶ成長だ」


「二回目で成長扱いするのやめてくれない?」


◆事件の収束と、新たな噂


 やがて、広間は静寂を取り戻した。


 床に転がる「眠りの壺」は光を失い、ただの陶器へと戻っている。

 効果範囲の外にいた人々が、ゆっくりと目を開け始めた。


「……ここは……」

「私は、いつの間に眠って……?」


 状況を把握しきれていない空気の中、最初に上がったのは感嘆の声だった。


「さすが光刃の王子リュシアン殿!」

「なんと鮮やかな双剣さばき……!」

「眠りの呪いの中でも動けるとは、やはり王族は違う」


 称賛の嵐が、彼の周囲を取り囲む。

 だが、視線はやがて、その隣に立つ青年へと向かっていった。


「……今、王子と一緒に戦っていたのは?」

「青い目の……あれがアルシエル家の長男か」

「湖上の遺跡から生還したという“見通す目”の持ち主だと?」


 それに混じって、先ほどのブローカー商人たちがすかさず囁きを広める。


「さっき、あのスプーンの真価を見抜いていたぞ。

 日用品のコーナーで一番目を輝かせていた」

「湖上遺跡、危険仮面、眠りの壺……

 “危ない場ほどよく見えている青い目”ってやつか」


 例の気さくな警備兵も腕を組んで、やたらと真剣な顔で頷く。


「こりゃもう――**“蒼き慧眼のノアト”**で決まりだな。

 盗賊までまとめてぶっ飛ばしてたし、盗賊スレイヤーのシーフって肩書きも付けとくか?」


「マジでやめてくれません!?」


 ノアトは心の底から抗議したが、すでに遅かった。


 噂は、王都の貴族たち、ブローカーたち、警備兵たちの口から――

 静かに、しかし確実に形を変えながら広がっていく。


「湖上の遺跡から帰還した“蒼き慧眼”」

「光刃の王子と肩を並べたシーフ」

「危険遺物と盗賊に好かれる、妙な幸運と不運の青年」


 どれも、当の本人には身に覚えのない評価ばかりだった。


◆リュシアンからの誘い


 称賛の渦が一段落したところで、リュシアンは人だかりを押し分けてノアトの隣に立った。

 双剣を収め、爽やかに笑みを向ける。


「ノアト、協力してくれてありがとう。

 あの場に君がいなければ、俺ひとりでは守り切れなかった」


「……ただの事故ですよ、さっきのは」


 ノアトは頭をかきながら、居心地悪そうに答える。


「違うさ。

 “ここで踏み込んだらまずい”“ここは行ける”って判断を、瞬間的にやれていた。

 さっきの跳躍だって、勢いに任せたようでいて――ちゃんと盗人の固まりに突っ込んでいた」


 リュシアンはわざと少しだけ声を落とし、

 他人には聞こえない程度の調子で囁く。


「やっぱり、君の目は“よく見えている”。

 ……蒼き慧眼、ってやつだ」


「だからその呼び方は――」


「気に入ってるんだ、俺は」


 悪戯っぽく笑いながらも、その瞳には真剣な光が宿っていた。


「なあ、今度一緒に鍛錬しないか?」


「た、鍛錬? ……王族の稽古なんて、俺には無理ですよ」


 ノアトは反射的に後ずさる。


「違う違う」


 リュシアンは軽く手を振った。


「俺には個人的に雇っている師匠がいる。

 元冒険者で、今は執事をしてもらってるんだ。罠とか、隠密とか――シーフ寄りの技に強いタイプでね」


「……執事でシーフ?」


「変わってるが腕は確かだ。

 君となら、面白い鍛錬ができるはずだ」


 差し出された右手。


 ノアトは少しだけ逡巡し――


「……まあ、“面白そう”ではあるか」


 と、苦笑まじりにその手を握り返した。


「よし、決まりだ」


 リュシアンの笑顔は、王族というより“同年代の悪友”に近かった。


◆博覧会の後味


 事件はギルドと王族の手で素早く収束し、博覧会自体は警備を強化した上で予定通り続行された。


 スノアは、挨拶まわりから戻ってきた兄の姿を見て、少し呆れたように笑う。


「……お兄ちゃん、目立ってたね〜」


「遺物見にきたはずなんだけどな……」


 げんなりしている兄に、スノアは口元を押さえてくすりと笑った。


「さすが“蒼き慧眼”?」


「お前まで乗っかるな!

 それ、正式採用しないからな!?」


 そう言いながらも、ノアトは心のどこかで――

 湖上の霧の中や眠りの壺の静寂よりは、ずっとマシな騒がしさだと感じていた。


◆数日後 ― 支部長室


 数日後。


 クロニカ支部の執務室に、一報が届いた。


 ある高位貴族が自邸の一室で死亡していたという。

 部屋は荒らされた様子こそないものの、家具の位置は微妙に乱れ、何かと争った痕跡がある。

 そして――


『遺体には、影がなかった』


 と報告書には記されていた。


 エリオットは黙って書類を読み終え、静かに目を閉じる。

 机の上には、博覧会に関する資料と招待状の控えが重ねられていた。

 差出人欄には、先日エリオットのもとを訪ねてきた、あの貴族の名。


「……欲をかくから、こうなる」


 呟きは、誰に届くでもなく執務室に沈んでいく。


 彼は窓の外へ視線を移し、低く息を吐いた。


「王都の管理庫へ移送した、“空の《リフレクス》”は囮に過ぎなかったか。

 ……本物は、あの夜のうちにすり替えられていたのだろう」


 椅子の背もたれに身を預け、天井を仰ぐ。


「人は、よく見える眼を欲しがる。

 自分の欲だけは、決して見ようとしないくせに」


 窓から差し込む夕陽が、机の上の影を長く伸ばしていく。


 その影は、当たり前のようにそこにあった。

 影を失った者の末路を思いながら、エリオットはそっと瞼を閉じた。


――こうして、遺物博覧会は幕を閉じた。


 湖上の遺跡から生還した“影を見通す青い目”の噂。

 王都で盗賊をまとめて吹き飛ばした“妙なシーフ”の話。


 そして、誰が言い出したとも知らぬ呼び名――


 《蒼き慧眼》。


 その名だけが、当の本人の知らぬところで、ひとり歩きを始めていた。

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