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蒼鏡浜の影


蒼鏡浜の追加調査は、朝のうちに決まった。


ギルド《クロニカ》ブレストン支部。ロビーの掲示板に、白縁の腕章向けの札が一枚貼られている。

レジストリエの半透明スクリーンにも、同じ件名が淡く点灯していた。


蒼鏡浜「大きな影」追加調査。接触禁止。観測優先。


その前に、紺の監査コートが五着並ぶ。

腕章の縁は白。現場調査班。


レイン・フレイザーが短く息を吐いた。ミルクティーベージュの髪、澄んだ灰青の瞳。表情は動かないのに、場の空気だけが整う。


「点呼」


声は低く、短い。


「セリア」

「はい。確認、出動です」

黒い大剣を背負った小柄な少女が背筋を伸ばす。黒い大きなリボンがぴんと跳ねた。


「フィン」

「はいはい。《封解》、います。今日も裏、見とく」

淡い茶髪の少年が軽く手を挙げる。指先が落ち着かない。


「サラ」

「います。《整文》。記録と時系列、担当します」

小柄な眼鏡の少女が、静かに頷く。声は穏やかなのに、言葉だけが鋭い。


「ミナ」

「……わたし、います。《柔灯》」

蜂蜜色の髪の少女が小さく手を上げた。水筒をそっと持ち替え、手の中で温度を確かめる。


最後にレインが言う。


「手順確認。結論から。――接触しない。追わない。水に入らない。観測して帰る」


セリアが真面目に頷いた。


「確認。接触禁止。観測優先。つまり――格好よく帰還が主」


「余計な“つまり”は現場で」


サラの静かな声が刺さる。

フィンが吹き出し、ミナが小さく肩をすくめた。



蒼鏡浜は、名の通り“鏡”だった。


半月形の入り江。透明度の高い海と淡い青みを帯びた砂浜が、風の弱い日には空を映す。

朝の光が砂を撫で、潮だまりが小さな空をいくつも作っていた。


セリアが板道の入口に立つ。


「線、引く」


境界線チョークの白い筋が、砂にすっと走る。

続いて小型の現場印を置く。金属が砂に沈む音。


「現場印」


「記録」


サラが写影水晶フォトクリスタを掲げる。

淡い光が一瞬だけ瞬き、浜と板道、潮位の目安となる杭までが“写影”として刻まれた。


レインが全員を見回した。


「退路を決める。板道は一本。砂浜は広い。……迷うな」


「迷ったら、戻る。……ね」


ミナが小さく付け足す。

それだけで空気が少し柔らかくなる。


フィンが砂浜へしゃがみ、指先で砂をつまんだ。

澄晶砂は光に透け、細い粒がきらきらする。


「……裏、あるな」


「何?」


セリアが覗き込む。黒い大剣が砂に影を落とす。


フィンは答える前に立ち上がりかけ、言葉を飲み込んだ。

そして次の瞬間、言い忘れた顔になる。


「……今の、言うタイミング逃した」


サラが無音で振り返る。

視線だけで刺さる。


「結論から」


「はい。結論。板道の継ぎ目の砂、沈んでる。重いのが通った感じ」


「時系列で」


「……え、まだ何も始まってないのに」


「始まっています」


サラの声は相変わらず静かだ。

フィンは肩をすくめた。


「昨日の干潮のあと。板道の下、砂がえぐれてる。潮流が変。――それで、影が“浜に寄った”可能性ある」


レインが短く頷く。


「良い。続けて」


そのとき、泡が弾ける音がした。

足元に、小さな泡がぽこぽこと生まれている。


泡猫だ。


白い泡の塊みたいな小型魔獣が、潮だまりから顔を出し、ふわふわと歩いてくる。足元に泡を残し、板道の影へすり寄った。


セリアが一歩踏み出し――滑った。


「……っ」


転びはしない。だが体が傾き、大剣の重さでバランスが崩れかける。

その瞬間、ミナがそっと肘を支えた。


「……大丈夫」


「大丈夫。確認。これは――浜の歓迎」


「歓迎で人を滑らせないでください」


サラが淡々と言い、フィンが笑う。


レインが短く言った。


「集中。影の“理由”を拾う」


影そのものではなく、理由。

調査班の仕事の焦点が、そこで揃う。



浜の端――湿地側へ抜ける細い流れ出し口に、フィンが足を止めた。

視線が落ちる。指先が砂を払う。軽口の顔が消える瞬間。


「……裏、ある」


それは冗談の言い方ではなかった。


「杭痕」


フィンが指で示した。砂の下に、丸く固められた痕がある。

同じ大きさが二つ、少し離れて並んでいる。


「新しい。砂が“潰れて固まってる”。ここ、何か立てた跡がある」


サラが一歩寄り、眼鏡の奥で見た。


「位置、流路の出口。足跡、複数。……自然ではありませんね」


フィンが頷き、言いかけて止まる。

そして、また“言い忘れ”かけた顔をした。


「……縄の擦れもある。杭に巻いた跡」


サラが静かに刺す。


「結論から」


「結論。追い込みの“柵”か“囲い”作ってた。逃げ道を――海側に絞るやつ」


セリアの黄色い瞳が細くなる。


「確認。人為。つまり――影は“迷い込んだ”だけではない」


レインが短く言った。


「推測は持つ。証拠も拾う」


“拾う”。

ここで、サラが静かに頷いた。



板道の下、潮だまりの縁。泡猫が泡を残して逃げていったあたりで、サラがしゃがみ込む。

目線だけで位置を決め、先に写影水晶を掲げた。


「記録」


淡い光が瞬く。

水面、板道の継ぎ目、砂の沈み、そして濡れた糸の切れ端。


サラは細い木片でそれをすくい上げ、持っていた小さな封緘袋へ落とした。

袋の口を整え、口元だけを軽く閉じる。


「これは検体ではなく付随物ですが、同様に封緘します」


セリアが頷く。


「確認。封緘」


フィンが結び目を覗き込み、眉をひそめた。


「この結び、雑。急いで張ったやつ。……湿地の下請けが使ってたのと似てる」


サラは一拍置いて、言葉を整える。


「“似ている”は推測。事実は、網が存在した痕跡。結びは粗い。砂と潮を噛んでいる。以上」


レインが短く頷く。


「良い。次。影が寄った“痕”を探す」



潮だまりの水面に、薄い膜が張っていた。

光の角度で、油膜のように揺らぐ。


ミナが小さく言った。


「……ここ、滑る。水面に薄い膜」


セリアが反射で一歩出そうとして、止まる。


「確認。転倒リスク。つまり――近づかない」


フィンが潮だまりを覗き込む。


「粘い。……ウナギっぽい。底をなぞって通った時の膜かも」


サラが即座に返す。


「“ウナギ”は推測。事実は、薄い膜。転倒要因」


そのときだった。


潮だまりの小魚が一斉に散った。

割れるように、一方向へ。静かな水面が、ひとつだけ“逃げる”形に歪む。


フィンが指先で方向を示す。


「逃げ方が変。でかいのが“下”を通った」


レインが短く命じた。


「退く」


全員の足が止まる。

距離を取る。視線を揃える。


サラが写影水晶を掲げた。


「記録します」


淡い光が、朝より鋭く瞬く。


水面直下を、長い影が滑った。

黒い帯がほどけるように、S字の波を刻む。影だけが先に動き、胴が一拍遅れて追う。

波紋だけが遅れて浜へ届く。


セリアが境界線チョークを取り出し、板道の先へもう一本、白い線を引いた。


「線、追加。ここから先は近づかない」


レインが頷く。


「良い」


影は水面の下で一度だけ身をひねり、波がきらめいた。

次の瞬間、影は沖へ戻っていく。まるで“ここは違う”と言うように。


浜には何も起きない。

被害もない。

ただ、確かに見えた。


――大きな影。


レインが短く言った。


「結論。大型水棲。浜へ寄った理由に人為が混じってる」


セリアが真顔で頷く。


「確認。黒蔦の線で当たる」


サラが小さく息を吐き、淡々と続けた。


「事実:網の痕跡、杭痕、薄い膜、魚群の散り。影を写影で記録。推測:追い込みの可能性」


ミナが、足元の泡をそっと避けながら言う。


「……滑る場所、増えてる。採取の人、危ない」


「そうだな」


レインが言う。短く、決めるように。


「セリア、危険域の仮設定。ミナ、注意札の文言を。サラ、記録を整える。フィン、湿地の件と照合」


全員が動く。

若い班でも、仕事の歯車は噛み合う。


セリアが追加の線を引き、現場印の位置を写影に残す。

ミナが木札に短い注意を記し、板道の入口に結ぶ。

サラは写影水晶をもう一度掲げ、危険域の“見え方”を残す。

フィンは流路を見て、結び目の癖を指でなぞった。


最後にレインが言った。


「帰還する」



帰り道、浜の鏡は静かだった。

泡猫は何事もないように潮だまりで泡を弾かせ、板道の影に丸まっている。

支部へ戻る頃、レインは連絡石を手に取った。


「フェリス。現場調査班、帰還。結論――人為の痕あり。作戦会議が必要」


短い言葉で、次章の扉が開く。


セリアは黒いリボンに指を触れ、いつもの口調で頷いた。


「確認。次は――会議」


サラが静かに言う。


「事実が揃いました。あとは、選択です」


ミナが小さく息を吐いた。


「……帰せると、いいね」


フィンは軽く笑って、でも目は海の方を見ていた。


「裏、でかいぞ。これ」


レインは歩調を変えない。


「整える。――《調律》の仕事だ」


白縁の腕章が、支部の扉へ吸い込まれていった。



作戦会議


ギルド《クロニカ》ブレストン支部の奥。

受付の喧噪が嘘のように遠い、支部長室。


室内は整っていた。壁際には背丈ほどの書棚が並び、革表紙の報告書と封緘箱が几帳面に分類されている。机上には黒綴じの手順書が重なり、その横でクロニカ登録端末レジストリエの半透明スクリーンが淡く光っていた。


机の前に、一列。

レイン、セリア、フィン、サラ、ミナ。紺の監査コートの色だけが静かに揃う。


その向かいで、フェリス・ハートリーが眼鏡を押し上げ、紙束を整えた。


そして窓際に、ひとり。

細身の体躯を学者風の外套が静かに支えている。

腕章の縁は――金。


支部長エリオット・アウレリウス。現場案件として、この会議を“決裁”の線まで引き上げた印だった。


「……報告を。結論からで結構」


低く艶のある落ち着いた声。

レインが一歩前に出る。声は短い。


「蒼鏡浜。大きな影を確認。被害なし。接触なし。――ただし、人為の痕あり」


「ふむ。人為とは?」


「杭痕。網糸。結びが雑。追い込みの可能性」


レインは必要十分だけ言う。

続いて、サラが静かに一枚の記録紙を差し出した。写影水晶フォトクリスタの写し絵が添えられている。


「事実を整理します。

一、湿地側流路出口に杭痕と縄擦れ。

二、板道下に網糸の切れ端。封緘済み。

三、潮だまりに薄膜。転倒要因。

四、魚群が一方向に散る現象。

五、水面直下に長い影。S字の移動。大型水棲の可能性が高い。以上」


淡々としているのに、情報だけが鋭い。

エリオットは顎に手を添え、少しだけ目を細めた。


「実に結構。……“事実”と“推測”が分かれているのが良い」


サラは小さく頷くだけで返す。

フェリスが眼鏡越しに一行だけ刺した。


「付随物証(網糸)の封緘は適切です。受領番号もレジストリエに記録済みです」


「なるほど。では――“影”そのものは、まだ触れていない、と」


「触れていません」

レインが即答する。

「接触禁止、遵守」


エリオットは満足げに息を吐いた。


「ええ。賢明だ。未知を相手にする際、まず整えるべきは“線”と“退路”ですからね」


その言葉に、セリアが背筋を伸ばす。


「線は引きました。現場印も設置。危険域は仮設定済みです」


「素晴らしい。……《律火》、君の線引きは――美しい」


セリアの顔が、ほんの少しだけ赤くなる。


「ありがとうございます」


エリオットは机上の資料に視線を落とし、ふと独白調に声を低くした。


「……しかし、興味深い」


レインは表情を変えない。


「蒼鏡湿地で捕縛された“黒蔦の下請け”――あの件。

まさか、蒼鏡浜の影へ連なっていたとは」


空気が一段、重くなる。


「観察眼の青年――彼が“点”を押さえたことで、我々の線がここまで伸びた……実に興味深い」


エリオットは小さく笑って、取り繕うように頷いた。

「ともあれ。問題はここからです」


エリオットは指を一本立てた。


「選択肢は三つ。

一、住処へ帰す――誘導と監視。

二、経過観察――浜の一部封鎖と巡回強化。

三、討伐――最終手段としての手順確定」


フェリスが即座に追記する。


「加えて“密猟対策”が必要です。人為の痕が出た以上、再発します」


レインが短く言う。


「討伐は今じゃない。接触してない。実力も不明。水上戦は不利」


セリアが真顔で頷いた。


「確認。浜は滑る。泡猫も事故要因。つまり――撤退線が生命線」


「……泡猫を“事故要因”と言い切るの、やめてください」


ミナが小声で言い、セリアが一拍遅れて頷く。


「確認。言い方を調整します」


サラが淡々と補う。


「経過観察だけでは、密猟に情報を与える可能性があります。目撃情報が増えるほど、売られます」


エリオットはゆっくり頷き、決裁者として結論を落とす声になった。


「よろしい。まずは――“帰す”を第一案としましょう。

同時に、経過観察ではなく“封鎖と監視”。浜の線引きと情報の封鎖を行います」


フェリスが頷く。


「掲示は“危険域のみ”に限定し、理由はぼかします。採取導線は迂回で、事務方で回覧を回します」


レインが短く言う。


「次の現場の巡回は夜間にする」


「ええ。責任は私が持ちます。討伐については、条件付きで手順のみ確定する。

――人身被害、居座り、あるいは遺物汚染の兆候が出た場合。

それまでは、手順を整え、帰路を作り、密猟者の線を断つ」


レインが短く頷く。


「了解」


サラが静かに言う。


「議事、記録します」


ミナが小声で付け足す。


「……みんな、怪我しないように」


フィンが軽口で笑い、空気を少しだけ戻した。


「大丈夫大丈夫。……裏、でかいけど」


セリアが真顔で締める。


「確認。格好よく帰還が主」


「それは感想です」

サラが静かに刺す。


エリオットは小さく息を吐き、穏やかな声に戻った。


「実に結構。では――閉会」


レジストリエの表示面が淡く揺れ、蒼鏡浜の区画図に白い線が一本、引かれた。

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