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無人の検品屋敷



貴族街の外れ。

塀は低く、外壁は乾いた灰色。窓は多いが、どれも薄く煤けている。

扉の金具は古いまま――閉じられているのに、仕事の痕だけが残っている。

無人と思われていたが、正確には昔“検品”に使われていた屋敷。


セリアは入口の前で立ち止まり、メモホルダーを叩いた。


「点呼。セリア、現場。――確認」

視線だけで二人を見る。


「ノアト・アルシエルとスミレは入口で待機。つまり――連絡係」


「了解」

ノアトは扉脇へ位置を取り、外壁へ視線を走らせた。窓の位置、裏への回り込み、荷車口の痕。

スミレは一歩引いて、連絡石を掌に包む。


ノアトが窓へ近づきかけた瞬間、スミレの指が袖をつまんだ。


「……だめ」


「まだ何もしてないのに」


「……する顔」


ノアトは小さく笑い、素直に引いた。


煤が指先に少しだけ付いて、黒い筋になった。


「黒くなった」


スミレが小声で指摘する。

ノアトは指先を見て、わざとらしく肩をすくめた。


「セリアさんに寄せた」


「寄せなくていい」


短いやり取りの間にも、入口のほうから微かな金属の軋みが聞こえた。

二人はすぐ戻る。規律は守る。今はそれが最優先だ。


セリアは境界線チョークを取り出し、敷地の内と外を線で切り分ける。

「線、引く」

現場印をひとつ置いた。

「現場印」


導光粉を入口の床へほんの少し散らす。

粉が淡く舞い――次の瞬間、何もない空間に白い縁取りが走った。


細い筋が、入口の高さで斜めに交差している。


「……筋、出た」


セリアの黄色い瞳が細くなる。

「感知光線。つまり――入口は“手順通り”」


その言葉の直後だった。


外壁のどこかで乾いた金属が鳴った。

小さな、しかし確かな作動音。


入口の上から、厚い鉄板のような扉が落ちる影が差す。

落下音が来る前に、影が落ちてくる。


セリアの手が腰のポーチへ走った。


「……最終手段」


小瓶の栓を抜き、淡い緑を喉へ流し込む。ポーション《瞬励滴》。


一拍。

そして――身体が“先に出た”。


踏み込みが鋭い。足音が一つ遅れて追いかける。

セリアは落ちる扉の下へ潜るのではなく、扉の“縁”へ飛び込んだ。大剣を水平に振り、刃の腹を鉄板へ当てる。


ガン、と鈍い音。

重い扉の勢いが大剣へ伝わる。小柄な身体が押しつぶされそうな瞬間――セリアは膝で受け、腰で耐え、刃を楔の角度に滑らせた。


扉は完全には落ちない。

人ひとりが身を滑り込ませる隙間が残る。


セリアはその隙間から外へ戻った。

黒いリボンが揺れ、黒いコートの裾がふわりと翻る。


扉がドン、と床へ落ち、静止する。

隙間に大剣が噛んだまま、動かない。


「……今の、やばかった」


ノアトが呟くと、セリアは平然と頷いた。


「確認。扉落下機構、作動。回避成功。つまり――格好よく決まった」


「そこ“つまり”でまとめるところ?」


ノアトが思わず突っ込む。

スミレが前髪の陰で、息を吐いた。笑っているのか緊張しているのか分からない顔で。


セリアは扉の隙間を確保したまま、内側へ滑り込む。

検品台の上に、黒い布が折り畳まれている。口元を覆う形。音を吸うみたいに黒い。


セリアは布に触れない。息もかけない。

封緘袋の口を広げ、布が自重で落ちる角度を作り、すべらせるように収めた。


「封緘」


袋の口を整え、境界線の内側で止まる。


「記録。形状、口元覆い型、布製。発見位置、検品台中央。周辺状況、感知光線作動、扉落下機構作動」


ノアトは境界線の外で、迷いなく書く。


スミレは連絡石を握り、ノアトの手元を見守る。字が整っていくのが、なぜか安心材料になった。


問題は封蝋だ。

セリアの指先はまだ震えている。


「……封蝋、困難」


ノアトは線を越えずに封蝋セットを扱い、袋の封部だけに蝋を落とす。

刻印を押す。


コトリ、と乾いた音。


「……綺麗」


スミレが小声で言うと、セリアが少し悔しそうな顔をした。


「本来は私の仕事」


セリアは一拍置いて頷いた。

「規律は規律。……ありがとう。書記係」


封緘袋が封じられ、記録が整い、検体が“仕事”として形になる。

空気が少しだけ軽くなった。


「帰還」

セリアが短く言い、三人は屋敷を離れた。



クロニカ支部へ戻ると、ロビーは相変わらず賑やかだった。

受付カウンターの前で、フェリスがレジストリエ端末の表示を指先で流している。


その隣に、白縁の腕章――現場調査班。

ミルクティーベージュの髪を短く整えた青年が立っていた。姿勢が正しい。視線が静かに鋭い。


「――ここまでが現場の所見です。夕刻に再確認を」


「承知しました」


青年の声は短い。必要十分。


セリアが近づき、口を開く。


「――帰還しました。確認、三点」


言いかけた瞬間、セリアの視界に青年の横顔が入る。


「……っ」


喉が止まり、言葉が詰まる。

黄色い瞳が一瞬だけ泳いで、それから妙に真っすぐに戻った。


「……お、おつかれさまです」


“確認”が消えた。

ノアトはスミレの方へ目線を送る。スミレは前髪の陰で小さく頷いた。


(崩れた)


フェリスは眼鏡を押し上げ、事務の温度で切る。


「セリア。まず封蝋確認」


「は、はいっ」


セリアは封緘袋を差し出す。封蝋刻はくっきりしていた。

フェリスは封印状態を確認し、レジストリエへ入力する。


「封緘良好。刻印も良好。押したのは?」


セリアの指先がわずかに震える。


「……私ではありません。ポーションの副作用により困難。書記係、ノアト・アルシエルが境界線外で実施。私は監督」


「了解。規律違反ではありませんね」


「報告。発見場所、貴族街外れの旧検品屋敷。形状、口元覆い型。現場は感知光線、扉落下機構が作動。回避のためポーションを使用。封緘、封蝋、帰還」


フェリスが即座に挟む。


「負傷は?」


「なし」


「よろしい。――アプレイザへ」


鑑定課アプレイザの受領担当が一歩出て、封緘袋を受け取る。封蝋印を照合し、受領番号を打つ。


「受領。一次鑑定は本日中。結果はレジストリエへ反映します」


箱の蓋が閉まる音が、やけに重い。

フェリスがレジストリエを操作し、セリアの依頼欄を“完了”へ切り替える。


表示面に、小さく完了が灯った。


「依頼完了。加点。理由は“未装着の徹底”“封緘と封蝋”“連絡係の配置”。以上」


事務的な評価が、きちんと胸に残る形で落ちる。


そこで青年――レイン・フレイザーが、ほんの少しだけ声を落とした。

周囲の音に紛れるくらいの小声。


「……セリア。無事でよかった。手が、まだ震えてるが」


セリアが固まる。


「……っ」


指がメモホルダーを叩き、リボンに触れる。

立て直そうとして、立て直しきれない。


「だ、大丈夫です。えっと……確認、一点。震えは、時間で収束……します」


語尾だけ柔らかい。


ノアトは肩を震わせ、スミレは前髪の陰で小さく笑った。


フェリスは眼鏡のブリッジを押し上げる。


「私語は外で。次の方どうぞ」


レインは何も言わず、ただ一度だけ頷いた。

それが“休め”の合図に見えた。



夕方。

宿酒場《かがり火亭》


一階の酒場では笑い声が飛び、厨房からは香ばしい匂いが流れてくる。

奥の卓に、紺の監査コートが五着。

白縁の腕章が揃っている。現場調査班だ。


レインが椅子に腰掛け、短く言う。


「今日はここまで。解散でいい」


その言葉で“締まる”はずなのに、席が若いせいで、すぐに賑やかが戻ってくる。


「いやー、扉落ちるの反則だろ!」

小柄な少年が身を乗り出す。淡い茶の短髪、指先が落ち着かない。

フィン・カストナー――《封解ふうかい》。


「言ったじゃん、裏あるって」

隣で眼鏡の少女が小さくため息をつく。声は低くないのに、刺さる。

サラ・クレイグ――《整文せいぶん》。


「“裏ある”はいいんだけど、言うタイミングが遅いの。あと報告は時系列で」

「はいはい、サラ先生」

「先生ではありません」


その横で、蜂蜜色の髪の少女が小さな湯気の立つカップを差し出す。

ミナ・ルシェル――《柔灯じゅうとう》。


「……手、冷たい。温かいの、飲んで」


セリアは黒いリボンを指でいじりながら、ぷいと顔を背けている。

その横顔はいつもより静かだ。

――レインの一言が、まだ胸に残っているのが見て取れた。


サラが淡々と刺す。


「セリア先輩、顔が赤いです。熱ですか?」


「ち、違います。確認、一点。これは――酒場の熱」


「それは感想です」


フィンが吹き出す。


「いいじゃん、感想! 士気! 士気上がるやつ!」


「格好よさは士気に直結」

セリアが真顔で言い返す。

そして、ほんの少しだけ語尾が柔らかいことに気づいて、自分で慌ててメモホルダーを叩いた。


レインはそれを見て、何も言わずに目を伏せた。

言葉にせず、許している顔だ。


賑やかな卓の向こうで、女将ミレーヌが笑い声を飛ばす。

その声に、かがり火亭の空気が一段と温まった。


今日の仕事は終わった。

封緘された黒い布は、アプレイザの箱の中。

孤立という言葉だけが少しだけ残るが――今は、ここに灯りがある。

そして、白縁の腕章をつけた若い調査班は、明日もまた現場へ行く。

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