第三章 才媛と初めての依頼
放課後の学院
午後の授業が終わり、スノアは机にノートを閉じてほっと息をついた。
窓の外では、陽が傾き始めている。王都の空は淡い橙色に染まり、尖塔の影が長く伸びていた。
「スノア!」
元気な声とともに、金髪ツインテールの少女――ミリエルが駆け寄ってきた。
その後ろには、少し控えめに眼鏡を押さえるサラサの姿もある。
「ちょっといい? わたし、面白い話を聞いたの!」
「面白い話……?」
ミリエルは椅子の横にどすんと腰を下ろすと、身を乗り出して声を弾ませた。 「市場の掲示板に出てたんだけどね、**“街外れの薬草林で、魔力を帯びた草を集める”**って依頼があったの。
ギルドの人に聞いたら、“学生の実地演習扱いならRCL-0で通せる”って言ってたのよ!」
「えっ、依頼って……冒険者の?」 スノアは目を瞬かせる。
「そうそう! ちゃんと学院の連携窓口を通して、ギルド《クロニカ》に学生登録すれば、わたしたちでも受けられるって。
わたしたち、せっかく魔法を学んでるんだから試してみたいじゃない!」
隣でサラサが不安そうに呟いた。
「……でも、危なくない? 魔力を帯びた草って、時々“生物に近い性質”を持つこともあるって本に……」
「だからこそ! スノアが一緒にいてくれたら安心なの!」 ミリエルがスノアの手を握り、目を輝かせる。
「わたしが……?」
スノアは視線を落とした。
才媛と呼ばれているけれど、学院の実技ではまだ未熟さを痛感している。
氷魔法の“理論”なら答えられる自信はあるのに、実技になると、思うように体がついてきてくれないのだ。
本当に自分が役に立てるのだろうか――。
「……でも、ミリエルやサラサが行くなら、わたしも一緒に行く」
小さく笑みを浮かべ、スノアは決意を込めて頷いた。
「友達を守るのが、わたしの役目だから」
「やった! じゃあ決まりね!」
ミリエルが嬉しそうに跳ね、サラサも安心したように微笑んだ。
こうして三人は、学院の連携窓口で学生証を提示し、実地演習扱いとして依頼を登録した。危険度の低い薬草採取――それが、スノアにとって初めて“学院の外で魔法を試す”一歩となる。
---
街外れの薬草林
王都の外れに広がる薬草林は、湿った風が漂い、木々の間から薄い霧が差し込んでいた。
葉の縁が青白く光る草花が群生し、魔力を帯びた空気が静かに揺れている。
「これが……魔力草?」
スノアは膝をつき、そっと手を伸ばした。冷たい気配が掌に触れる。
サラサが囁く。
「きれい……でもちょっと怖い。根の部分に“反応点”がある種類もあるって、図鑑に……」
「だいじょうぶ! わたしがいっぱい集めるから!」 ミリエルは元気よく草を摘み取ろうとした――その瞬間。
草の根元から、灰色の蔦が蛇のように伸び上がり、彼女の腕を絡め取った。
「きゃっ!」
---
「ミリエル!」
スノアは反射的に杖を構えた。
氷の刃を生み出し、蔦を断ち切る。パキン、と霜が広がり、蔦は粉々に砕けた。
白い結晶が地面に散らばり、霧の中で淡くきらめく。
しかし、林の奥でざわめきが広がる。
魔力草に潜んでいたのか、小さな獣の影が複数飛び出してきた。
四足の小鬼――《マナリンクス》と呼ばれる魔獣だった。
「……本当に“生物に近い性質”って、こういう……」 サラサが青ざめながらも、どこか本で読んだ記述をなぞるように呟く。
---
「下がって!」
スノアはミリエルとサラサの前に立ちふさがる。
迫る魔獣に向けて氷槍を放つが、狙いは浅く、一本は外れて木を凍らせただけだった。
「……まだ全然、思い通りに撃てない……!」
頭では“心を静めて一点を貫く”と教わった通りにイメージしているのに、胸の鼓動ばかりがうるさくて、狙いがぶれてしまう。
歯を食いしばりながらも、再び杖を振る。
氷の破片が飛び散り、魔獣の一体を退ける。
「スノア……すごい!」
「で、でも無理しないでね!」
友人たちの声に背を押されるように、スノアは立ち続けた。
その間、サラサは震える手で本から書き写したメモを見返し、小声で言う。
「弱点は後脚……関節部分が薄い……そこを狙えれば……!」
「後ろ足……!」
スノアは頷き、魔獣の動きを目で追う。
---
やがて魔獣たちは数を減らし、残るは一体。
最後の一匹が飛びかかってきた瞬間――
「えいっ!」
ミリエルが勇気を振り絞って、足元の石を投げつけた。
石は見事、魔獣の顔面に命中し、そちらへと注意が逸れる。
その隙に、スノアの氷槍がきれいに後脚の関節を貫いた。
刃は霧の中で淡く光り、魔獣は悲鳴もなく崩れ落ちる。
やがて魔獣たちは霧の中へ散り、林は静けさを取り戻した。
荒い息を吐きながらも、スノアは仲間と一緒に、この小さな危機を乗り越えたのだ。
---
◆スノアの心情
草を集め終えた帰り道。
スノアは二人の笑顔を横目に、小さく胸の内を押さえた。
(……お兄ちゃんは、もう冒険者として活躍してる。
遺物を調べて、街を救って……きっと、すごく頼られてるんだろうな)
尊敬の念と、少しの寂しさ。
足取りはまだぎこちない。
けれどその瞳には、確かな光が宿っていた。
---
◆迷子調査
ブレストンのギルド《遺物調査局クロニカ》の受付カウンターに、ノアトの姿があった。
フェリスは眼鏡を押し上げ、書類をめくりながら言う。
「……依頼内容は“迷子の子供を探すこと”。対象は八歳の男の子。
市場にいたはずが帰ってこないそうです。依頼者は一般の市民で、報酬は“謝礼金+感謝の品”とだけありますね」
ノアトは依頼書を手にとって眉をひそめた。
「うーん、迷子探し……市場か」
「引き受けますか?」
ノアトはしばらく悩んだ末に決めた。
「はい、受けます」
フェリスは書類にハンコを押しながら、ぼそりと呟いた。
「あなたが引き受けると、不思議と依頼が大事になるのよね……」
---
市場に着いたノアトは、人の波をかき分けて歩きながら声を張った。
「あのー、この子供を見かけませんでしたか?」
「迷子? 見てないな」
「そこの角で遊んでた気がするぞ」
「いや、裏路地の方に走ってった」
情報は錯綜し、方向はまるでバラバラだ。
「なるほど……いやまて、目撃者多数いるじゃん」
ノアトは腕を組み、真剣に考え込む――が、近くの屋台に目を奪われた。
「お、うまそうな串焼き」
一本買って口に運ぶ。
「……ん、うまい」
そのままの足で角を曲がり、裏路地の方へ向かった。
やがて市場の喧騒が遠ざかり、細い裏路地に足を踏み入れる。
気がつけば冷たい風が吹き抜け、静まり返った石畳。
「……あれ?」 ノアトは辺りを見回した。
「これ、俺も迷子になった?」
少し辺りを見ると、奥の壁に刻まれた奇妙な“符号”に目が止まった。
淡く緑色の光が脈打ち、何かを示すように輝いている。
(子供って、隠れるとき“自分だけの秘密の印”をつけたがるよな……でも、これだけ整ってると、遊びでやるにしては出来すぎじゃない?)
路地の奥、壁際に小さな影がしゃがみ込んでいた。
八歳ほどの男の子――依頼で探していた子供だ。
その足元には、刻まれた符号が淡く光り、黒い靄がじわじわと子供を包み込もうとしていた。
「……なるほど、影と靄で見つかりにくかったのか」 ノアトは串焼きの串を数本束ねた後、靴紐で結んで符号へと投げつけた。
パキンッ!
鋭い音とともに符号が砕け、靄は一気に消え失せた。
「ひっ……」
子供が涙目でノアトを見上げる。
ノアトは子供に指を指して笑顔で言う。
「よし、見つけた。君が迷子?」
「……うん」
ノアトは軽く頭を撫で、片手でひょいと抱え上げた。
「じゃ、帰ろう。依頼達成だ」
---
裏路地から市場へ出ると、慌ただしい足音が迫った。
駆けつけたのは、いつもの門番のおじさんを先頭にした数人の警備兵と、依頼主である母親だった。
「この路地に!? まさかいたとは……」
「子供を抱えて、しかも無傷で……!」
口の軽いおじさんは、いつもより三割増しの声で叫んだ。
「この観察眼……! 危険を察知して飛び込んだに違いない!」
母親は涙を流し、子供を抱きしめる。
「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます!」
そう言ってから、少し躊躇いがちに、小さな箱を差し出した。
「これは……本当はギルドに見せるべきなんでしょうけど……。家に代々伝わる“災い避け”の指輪なんです。登録もしていなくて……すみません。
でも、迷子になった子を連れ帰ってくださったあなたにどうしても持っていてほしくて」
「え、いや……そんな大事そうなもの、いいんですか?」 ノアトは一度断ろうとしたが、母親は首を横に振る。
「お金より、あなたがこれを持って歩いてくれる方が、わたしには安心なんです」
「……そうですか。じゃあ、お守り代わりに」
ノアトは頭を掻きつつ、礼を言って受け取った。
(ギルドに見せた方がいいのかもしれないけど……古びてるし、ただの“家の指輪”だよな)
そう思い込み、ノアトはその場で指輪を右手の指にはめてみる。
妙に指に馴染み、つけ心地がよかったのでそのままつけることにした。
「ありがとうございます……! お礼です、受け取ってください」
母親は別途、約束していた謝礼の袋も押しつけるように渡してくる。
お礼を受け取るノアトは頭をかき、ばつの悪そうに笑った。
「俺も迷子になるとこだったけど…」
だが周囲のざわめきは止まらない。
「やはりあの少年は、只者じゃねぇ…」
「影の中から子供を引きずり出したってことは……」 「《予見》のシーフ現る……!」
門番のおじさんの大げさな語り口を起点に、噂はさらに膨らみ、広場へと響いていった。
---
◆ギルドでの報告
ギルドへ戻ったノアトは、いつものように依頼完了を淡々と告げる。
「迷子は見つけたよ」
フェリスは眉をひそめ、眼鏡を押し上げる。
「……おかえりなさい。早かったですね、他になにかありませんでしたか?」
「いや、特には。……変な光る落書きがあったくらいかな」
その会話の最中、支部長エリオットが顔を出した。 「ふむ……また少年が解決したのか。……《予見》か、それとも……」
意味深に呟き、支部長は去っていく。
ノアトは今日も小さな依頼を達成した。
小さくても、依頼は依頼なのだ。
解決すれば感謝され、名は広まる。
そんなことも露知らず、ノアトは帰路につく。
「誰だろうあの人…」
右手の薬指には、つい最近“なんとなく”はめはじめた古びた指輪が光もせずに収まっていた。
迷子の依頼主から受け取ったものだが、ノアトはそれをただの飾りだと思っている。
---
◆アルシエル貴族の噂
昼休みの学院の中庭。
木陰で弁当を広げていたスノアのもとへ、ミリエルが駆け寄ってきた。
「ねえねえ、聞いた? 最近、アルシエルっていう貴族の息子さんが冒険者になったんだって!」
スノアの手がぴたりと止まる。
「……アルシエル?」
「そうそう! 市場で迷子を助けたとか、幻獣を倒したとか……なんかすごい噂になってるんだよ!」
ミリエルは興奮気味にまくし立てる。
サラサも眼鏡を押さえながら口を開いた。
「本に名前が載るほどの名家じゃないけれど……確か、地方の小貴族の家系ね。けれど“《クロニカ》と縁が深い家”って聞いたことがあるわ」
スノアは少しだけ迷ったが、静かに答えた。
「……それ、わたしの兄です」
「えっ!? 本当!?」
「すごいじゃない!」
友人たちの目が輝く。
スノアは肩をすくめて、努めて何でもないように微笑んだ。
「ただの普通の兄よ。いつも適当で……」
けれど――心の奥では、温かなものが広がっていた。
(……やっぱり、お兄ちゃんはすごいんだ。
わたしが尊敬しはじめたのは、もう随分前だから)
嬉しくて、誇らしくて。
でもそれを顔に出すのは恥ずかしくて、スノアはそっと目を伏せた。
「……ふふっ」
友人に気づかれないように、小さく笑みをこぼす。




