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「兄妹それぞれの一歩:目がいいシーフ【ノアト編】」



 ギルドの受付を離れたノアトは、手にした依頼書をひらひらと振りながら市場へと向かっていた。


 『市場に出回る不思議な遺物の調査』。

 字面だけ見れば退屈そうだが、どこか妙な期待を抱かせる響きがある。


「ふーん……人が消える鏡とか、夜に笑う人形とか……噂がごちゃ混ぜだな」


 依頼書に走り書きされた情報を読み上げ、ノアトは肩をすくめた。


「まあ、面白いかどうかは実際見てから……だな」


* * *


 市場はいつも以上に賑わっていた。

 果物を並べる露店、声を張り上げる商人たち。その隙間を縫うように、情報屋や子供たちが走り回っている。


「おっ、兄ちゃん!」


 この前の警備兵が、手を振ってきた。


「また来たのか! この前は“目がいいシーフ”って評判になってるぞ!」


(一応シーフだった。適当に決めてしまったけど)


「シーフだけど、盗みはしないよ」

(……できないし)


 ノアトがぼそりと返すと、周囲の商人たちが「シーフなのに盗まない!?」と驚いたように振り返る。

 本人は気にも留めず、露店の奥――人通りの少ない方へと歩き出した。


* * *


 露天商の一人が、奇妙な木箱を客に見せているのが目に入った。

 その箱は、まるで呼吸するように小さく膨らんだり縮んだりしていた。


 ノアトの青い瞳が細められる。


 ――ほんの一瞬、木箱の隙間から、黒い光が漏れた。


「……お?」


 口元にかすかな笑みが浮かぶ。


 木箱の異様な脈動を目にしてから、ノアトは市場の雑踏を歩き回っていた。

 露天商や客たちの会話に耳を傾ける。


「昨夜、倉庫で勝手に動く人形を見たってよ」

「いやいや、聞いたか? 鏡に映ると顔が別人になるんだと」

「俺は聞いたぞ。あの木箱から、子供の泣き声がしたってな」


 どの噂も怪しげで、真偽のほどは分からない。

 だが――ノアトの観察眼は、群衆の中の一人にぴたりと留まった。


* * *


「ちょっといいですか?」


 ノアトは気楽な声で、古びた布をまとった行商人に近づいた。

 男は一瞬ぎくりと肩を震わせる。


「な、なんだい?」


「いや、別に。……丁度声をかけるタイミングがよかったから」


 何気ない一言に、商人は箱を隠そうとしていた手を止めた。


「……っ!」


 周囲の商人がざわつく。

 いつのまにか例の警備兵も近くに来ていた。


「やっぱり目がいい! ほら見ろ、あの視線だ!」


「こ、これがシーフの洞察か!」


 ノアトは首をかしげる。


「え、そんなつもりはなかったんだけど」


 行商人は観念したようにため息をついた。


「……わかった。話す。俺はただ、あの“箱”を運んだだけだ。北の街外れにある廃屋で手に入れたんだよ」


「廃屋?」


「ああ。人が寄りつかねえ古い屋敷だ。中にはまだ、得体の知れない遺物が残ってるらしい」


* * *


 ノアトは依頼書を折りたたみ、空を見上げた。


「街外れ、か。……面白そうかも」


 その呟きに、近くで聞いていた警備兵が勢いよくうなずいた。


「お前なら絶対に解決できる! 俺が保証する! なんたって影まで見通す“眼”だからな!」


「俺、そんなこと言ったっけ……?」


 ノアトは曖昧に笑って肩をすくめ、そのまま街外れへと歩き出した。


* * *


 街を抜けると、冷たい風が吹き抜ける丘にぽつんと古びた屋敷が見えた。

 屋根は崩れ、窓は割れ、蔦が絡みついた壁は今にも倒れそうだ。


 人の気配はなく、代わりに――妙な“ざわめき”が漂っていた。


「……なるほど。怪しいって言えば怪しい」


 ノアトは扉を押し開けた。


* * *


 中は埃とカビの匂いに満ち、床板はギシギシと悲鳴を上げる。

 奥へ進むと、家具や書物が乱雑に放置され、まるで住人が突然消えたかのようだった。


 ふと、廊下の隅に“木箱”が置かれているのが目に入る。

 市場で見たのと同じ……いや、それ以上に不気味な脈動を繰り返している。


 ノアトは一歩近づき、眉をひそめた。


「……心臓みたいに、脈打ってるな」


 その瞬間――箱の隙間から、子供の泣き声のような音が漏れた。


「おいおい……冗談だろ」


 呟いた矢先、箱がガタンと跳ね上がり、床を這うように動き出した。


 ノアトは即座に横へ跳び、床板が砕ける寸前にかわす。

 箱は転がりながら黒い靄を撒き散らし、幻のように人影を映し出した。

 泣き声が重なり、部屋中に不気味な残響が響く。


* * *


 ノアトはじっと目を凝らした。

 幻影の揺らぎの中に、ほんの一瞬――“模様”が浮かび上がったのを見逃さなかった。


「……ああ、なるほど。これはただの幻惑だ」


 木箱の表面に刻まれた符号が、淡く光を放っている。

 幻を見せ、音を響かせる仕掛け。中身は空っぽだ。


 ノアトは手近な鉄片を拾い、符号の一部を軽く削り取った。


 靄は一気に薄れ、泣き声も消える。箱はただの古い木箱に戻った。


「……ふう。なんとかなったか」


 苦笑を浮かべ、ノアトは肩の力を抜いた。


 だが――その背後で。

 廃屋の奥の部屋から、別の箱がカタンと音を立てた。


* * *


 廃屋の奥は、さらに暗かった。

 窓は板で打ちつけられ、ほのかな光も届かない。


 ノアトは壁にかかった古い燭台を取り、火を灯す。

 途端に、部屋の隅々が浮かび上がった。


「……マジで?」


 そこにあったのは、大小さまざまな木箱。

 十も二十も、まるで倉庫のように積み上げられていた。


 そのどれもが、かすかに脈打ち、黒い靄を漏らしている。


 不気味な泣き声や囁き声が重なり合い、耳を覆いたくなるほどの雑音になった。

 普通の人間なら恐怖で立ちすくむだろう。


 しかしノアトは、ただ目を細めて靄を観察していた。


(全部が同じ動きをしてる……いや、違う。

 箱ごとに“符号”の欠け方が微妙に違うのか)


 そう気づいた瞬間、一つの箱がガタリと大きく揺れた。

 次の瞬間、黒い靄が人型を結び――廊下にまで伸び上がる。


* * *


「おー……これは面白いな」


 ノアトは呟き、後ろへ跳んだ。

 人影はまるで操り人形のように、ぎこちなく首を傾けて迫ってくる。


 箱に刻まれた符号が強く光り、黒い靄を繋ぎ止めていた。


「……ってことは、繋ぎ目を断てば」


 ノアトは近くの机を蹴り飛ばし、その破片を掴んで影の動線に投げつけた。

 木片が符号を叩き割り、光が途絶える。


 靄は悲鳴のような音を残して霧散した。


 静けさが戻る。

 だが、積み上げられた他の箱はなお脈打ち続けていた。


 ノアトは一番大きな箱に目を向ける。

 そこには他のものとは違う、見慣れぬ紋章が刻まれていた。

 刃のような曲線と、緑色の塗料。


「これは誰かが“意図的に”流した?」


 そのとき、背後の床に、ひらりと一枚の羊皮紙が落ちた。

 拾い上げると、そこにはこう記されていた。


 『市場の中央広場――』


* * *


 ノアトは廃屋を後にし、ギルド《クロニカ》へと足を向けていた。

 手には一枚の羊皮紙――そこには『市場の中央広場――披露』

と記されている。


「市場か……ギルドに伝えれば、あとは騎士団がなんとかするだろ」


 肩をすくめつつ歩いていると、不意に人々の叫び声が耳を打った。


「うわああっ! な、なんだあれは!」

「逃げろ! 遺物だ!」


 市場の方角だった。


* * *


 広場は群衆が逃げ惑い、その中心で異様な光景が広がっていた。


 石畳の中央に、黒い箱がひとつ。

 そこから噴き出す靄が絡まり合い、巨大な“影の獣”を形作っていた。


 牙をむいた幻影が咆哮を上げ、露店を吹き飛ばす。

 人々の悲鳴が響き渡る。


「……報告はもういらないか」


 ノアトは羊皮紙をひらひらと掲げ、皮肉げに笑った。


* * *


 警備兵たちが必死に剣を振るうが、靄の獣は斬っても形を変えて迫ってくる。

 ただの幻ではなく、実体を持つ力が混じっているのだ。


「くそっ、斬っても手応えがない!」

「矢も効かんぞ!」


 広場の中央に鎮座する黒い箱は、靄を吐き出し続けていた。

 靄は人影をつくり、やがて巨大な獣の幻を形作る。

 その咆哮が広場を震わせ、群衆が悲鳴を上げる。


* * *


 ノアトは一歩引いた場所から、その光景を冷静に眺めていた。


(あの靄はただの幻じゃない。箱に刻まれた“符号”が力の源だ)


 彼は既に廃屋で箱の仕組みを見ていた。

 戦う必要はない。ただ“あの符号”を壊せばいい。


 周囲を素早く見渡す。

 箱はまだ広場の中心に脈打っている。

靄は幻獣の体を繋ぐ鎖のように、符号から溢れ出していた。


「……狙うのは、あれ」


 ノアトは近くに転がっていた槍を拾い上げ、符号の光を目がけて投げつけた。


 鋭い音を立てて槍が突き刺さり、符号の一角が砕け散る。


 瞬間――幻獣の体が崩れ、轟音とともに靄は一気に霧散した。


* * *


 静まり返った広場に、しばしの沈黙。

 そして、誰かが叫んだ。


「やったぞ! あの子が倒したんだ!」


「あの符号が……? 初見で完全に見抜いていたんだな!」

「さっすが“目がいいシーフ”だぜ!」

「今の、影そのものの“繋ぎ目”を狙ったんだろ? こえぇな……!」


 歓声が渦を巻き、兵士も市民もノアトを見上げて口々に称える。


 例の警備兵が、これ見よがしに胸を張って叫んだ。


「言っただろう! こいつは影を見通す眼を持ってるってな!」


「いや、それ俺のセリフじゃ……」


 ノアトは頭をかきながら、困ったように笑った。


「……いや、壊しただけなんだけどな……」


* * *


 ノアトはギルド《クロニカ》に寄り、依頼報告を済ませた。


 受付のフェリスは眼鏡を押し上げ、信じられないものを見るような目で彼を見た。


「あなた……調査なのに、また厄介な事件を片づけたんですか?」


「箱を壊したら終わったんです」


「……それを人は“解決”って呼ぶんです」


 書類に淡々と記入するフェリス。その背後で、支部長エリオットが姿を現した。

 学者風の長衣をまとい、落ち着いた眼差しに知的な光を宿した男だ。


「また、あの少年が……か」


 エリオットは顎に手を当て、独りごちる。


「偶然にしては出来すぎている。あの幻獣の構造を一目で看破し、要点だけを断ち切るとは……。

 ――おそらく高度な観察魔術か何かだな」


「いえ、ただの新人シーフです」


 フェリスの即座のツッコミは、支部長の耳には届いていない。


「ふむ、やはり本人に一度、詳しく話を聞いてみる必要があるな……」


 支部長の「深読み」が静かに始まり、ノアトにまつわる“勘違い”の火種が、また一つ増えたのだった。

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