依頼完了報告――受付は戦場
――ブレストン支部・昼下がり。
扉が開くや、受付前にぬちゃっという音が連続した。
「……」
フェリスは眼鏡を押し上げ、何も言わずに**『泥客用非常措置』と書かれた札をカウンター上にパタン**と立てた。
札の裏から、泥落とし刷毛・防泥布・足元用の木枠が飛び出す(手慣れた動き)。
「終わりました。えっと、湿地は思ったより湿地でして…」
「まず、そこで足を木枠に収めてください。はい、右足から」
「……こう?」
ぎゅぽっ。木枠が泥を吸う。
スミレもおとなしく従い、刷毛で裾をこしこし。
フェリスは嫌そうな顔のまま、極めて鮮やかな所作で伝票を並べる。
「依頼『泡綴草』――検品、始めます。瓶、こちらへ」
並べられた泡封瓶がぽん、ぽんと歌うみたいに震え、かすかな旋律が重なった。
検品メモ:
・切り口良好(鉄未接触)。
・“綴り音”保持、AA 1分強を確認。
・瓶内泡は安定、外れなし。
・副産物:密採取者の所持品(押収・引渡し済)。
「密採取者の引き渡し書、黒星等級は暫定黒★1。
通報はありがたいですが、泥はありがたくないです」
「頑張った結果の泥なんだけどなぁ」
「努力は評価します。床は評価しません」
ちょうどそこへ、例の口の軽い警備おじさんが通りかかる。
「お、アルシエル坊や、泥だらけでご帰還か! “泡で寝かしつける魔女”が相棒って噂、ほんとだっ――」
フェリスが無言で封蝋済みの通報控えを掲げる。
「えっ、仕事中ね! うん! みなまで言うまい!」と、おじさんは自分で自分の口を塞ぎながら去っていった。
フェリスは咳払いひとつ。
「搬送係! エリオン宛・至急! 『泡綴草AA×3、A×8、B×1』、瓶シールは青・白・灰の順で積んで!」
若いランナーが「了解!」と駆け出す。
フェリスは水濡れ耐性の封蝋で封を増し、伝票にペン先を走らせた。
すっ……(一発でインクが出る)
「今日は機嫌がいいわね、このペン」
言ったそばからポトリ。朱肉のハンコが泥の上に落ちる。
「あ……」
フェリスは無言で新品のハンコを出し、何事もなかった顔で押印した。
「では精算。押収品の通報協力加点、清掃補正……相殺しても黒字です。はい、受領書です」
ノアトが受け取り、スミレも会釈。
「スミレさん、喉は?」
「……少し。まだ、平気」
フェリスは淡々と小瓶の蜂蜜湯を机に置く。
「医務室の処方前に飲んで。無料じゃないけど、現物支給で引いておきます。それから―」
「ノアトさん、泥足で再来店した場合――」
「した場合?」
「別窓口です(屋外)」
フェリスにピッと指差された方を見ると、ヌメヌメ、黒焦げの一団が見える。
「気をつけます…」
二人が泥客用の扉から外へ向かうと、奥でランナーが叫ぶ。
「フェリスさん! エリオンさまのお屋敷から受領の光信号、来ましたー!」
フェリスは眼鏡を押し上げ、ふっと表情を和らげた。
「よし。製作開始ね」
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陽の刺さない室内。壁には音符模様の導管、机上には空気を編む小さなフイゴ。
封蝋が解かれ、泡綴草がそっと取り出される。
「……いい声だ」
エリオンは薄い手袋で茎を撫で、樹液の“綴り音”を聴診器のような貝殻で拾う。
AA束を芯にして、詩泡管を組む。フイゴで息を送り、泡が咲く。
部屋の隅で助手が目を丸くする。
「歌ってます、殿が……!」
「歌わせるのではない。歌を『留める』のだよ」
エリオンは微笑み、最初の“詩泡”を薄銀の枠に収めた。
「――彼女に合う“静泡”の芯が、これで作れる」
◆詩人エルフ・エリオンの工房
薄紫の光が、作業台の上でやわらかく脈打っていた。
エリオンは白手袋でそれを持ち上げ、スミレの胸元へそっとあてがう。
「星綴泡笛、最終調律済みだ。灯に寄せた刃――君の声の形に合わせてある」
ネックレスの鎖がさらりと音を立てる。薄紫のガラスの中、星砂が瞬き、正面の小さな星孔が息を待っている。
スミレがそっと息を通すと、薄紫の泡がひと粒。星図の刻印を流れ、ぽんと静かに弾けた。
「……きれい」
「強風下は指向環を半目盛だけ右にするといい」
エリオンのまなざしはやさしい。ノアトが隣でうなずく。
その時、助手が扉を開けて工房に吊られた小鈴がチリンと鳴った。
天井の通気管が偶然開き、微風が星砂を一斉にきらめかせる。
ノアトが見上げ――ぱふっ。
真上の試験泡がはじけ、ノアトの前髪が泡でふわっふわに。
エリオンは咳払い一つ。
「……調律は万全だ」
スミレは肩を小さく震わせ、笑いを飲み込んだ。
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――お昼前。街角の魔道具店。
「いらっしゃーい!」
赤髪ショートを後ろでちょい束ね、快活に手を振る少女。名札にはライラ。
店内はガラス棚と奇妙な筒、色とりどりの瓶でいっぱいだ。
「今日はこんなのがあるよ! 即効回復瓶!……ただし数分後にめちゃくちゃ疲れるやつ!」
「最後のやつ、推し方に良心があるね」
ノアトが苦笑する。
「だって事実だもん」
「喉ケアするアイテムはあるかな?」
棚の端で、ノアトが小瓶のラベルを眺める。
「《回復即効No.3(後疲労強)》……ネーミングが正直」
「でしょ? ほかに喉用は、《蜜柑ハチミツのど飴》と、《月桂ミルクのシロップ》。飴は長持ち、シロップは速効」
スミレはノアトを見る。
「よし、買おう」
会計台。ライラが手早く包みを作る。
「またきてねー! ……の前に、お試しどう? 《月桂ミルク》ひと匙、サービス」
ノアトがスプーンを受け取り、スミレに差し出す。
「はい」
スミレはちいさく口を開け、「……ん」
喉の奥がゆるみ、肩の力がすっと抜ける。
「効き目、ある?」
「……あたたかい。楽」
ノアトがほっと微笑む。その表情を見て、ライラはにんまり。
「はい、カップ用の蓋もおまけ。こぼしにくいから――ってわっ!」
蓋がころりと転がり、ノアトの足元でピタと止まった。
「ナイスキャッチ……ではないか。ありがとうライラ」
ライラは勢いよく手を振る。
「じゃあ――またきてねー!」
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――通りへ。
スミレは《アステルフルート》を胸元に下げ、
薄紫と星のきらめきが、昼の光でもさりげなく映えた。
「似合ってるね」
ノアトが素直に言う。
スミレは頬を少しだけ赤くして、こくり。
「……ありがと。ノアトも、髪」
「髪?」
「ふわふわ」
工房でのふわふわ事件の名残が、まだ少しだけ。ノアトはそっと前髪を触った。




