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第十章 詩人エルフ、エリオンの依頼


――トライアド・カウンシルの翌日、朝。


市場の喧噪がまだ上がりきらない街路を、ノアトとスミレは並んで歩いた。昨夜の騒ぎの名残りか、門番のおじさんは欠伸混じりに「今日こそは平和だといいな」と笑っている。

ノアトは頬を掻きながら、ふと考え事に沈む。


(遺物って、やっぱり“使うにも許可”がいるのか。スミレの腕輪――共鳴腕輪エモーションリンクは大丈夫だったのかな)


隣を歩くスミレは小さな歩幅でついてくる。言葉は発しないが、ノアトがときどき見せる心配そうな横顔に、安心させるようにこくりと頷いた。


クロニカの木扉を押し開けると、朝いちばんの受付にフェリスがいた。磨かれた眼鏡が光り、帳簿を捲る指の動きは相変わらず無駄がない。


「おはようございます、フェリスさん」

「おはようございます、ノアトさん。スミレさんも」


挨拶もそこそこに、ノアトは本題を切り出す。

「スミレの腕輪のこと、確認したくて。あれ、申請とか許可がいるタイプですか?」


フェリスは「少々お待ちを」と帳簿棚から黒背の台帳を取り出し、ぱらぱらと捲った。細い指がある一行で止まる。


「登録名、共鳴腕輪エモーションリンク――区分は“共鳴型。RCLは“2”。市中での携行は許可制、使用は申請の記録が必要です」

「RCL-2……?」

「影響範囲と副作用の度合いで段階が決まります。2は“町中で使うならギルドに一言、記録も残してくださいね”の等級。危険物ではありませんが、相互干渉の可能性があるので」


フェリスは視線をスミレへ移し、柔らかく目元を和らげる。


「メリットは持ち主の感情波に同調して持ち主の能力を底上げします。デメリットは“精神が不安定な時、副作用など起こします”。スミレさんの場合――発言に縛り、ですね。無理に声を出そうとすると痛覚反応が起きる」

スミレは胸元を押さえ、こくりと頷いた。


ノアトは思わず身を乗り出す。

「なるほど……スミレはやっぱりすごいな。言葉で戦えるってことだよね?」


スミレは照れくさそうに目を伏せる。

フェリスが、そこで帳簿をもう一冊開いた。


「ついでに、ギルドランク“GR”の話を。スミレさんは魔術式ではありませんが、魔力量と制御が良い。試験を通せば“GR-6相当”と査定が出ています」


「え、つっよ!最初からGR6!?」

ノアトの声がひっくり返る。


「すごい、スミレ!」


「……ノアトさん」

フェリスが眼鏡を押し上げる。

「あなた、リーダーですよね? 先に試験、受けられては?」


「別にいいかな。面倒……パス。権限譲渡しようか?」


「全く堂々と…」



スミレは困ったようにノアトを見上げる。ノアトは慌てて両手を振った。


「でも、スミレがGR上げれば受けられる依頼の幅が一気に広がるんだ。でさ――」


ノアトはスミレの手から借りた、子供向けのシャボン玉セットを掲げた。色褪せた小さな吹き輪。


「これの、ちゃんとしたやつ。泡をふわっと吹ける道具、作ってもらおう。精密なやつ、どこで頼めばいい?」


フェリスは少し考えてから頷く。

「市場に出ている詩人エルフの工房が、今なら良いかもしれません。吹きガラスも楽器も一級品。口は……とても軽いですけど」




スミレが試験の準備に向かうのを見送り、ノアトはシャボン玉おもちゃをポケットにしまって市場へ出た。朝陽が露店の帆布に跳ね、香草と焼きパンの匂いが混じる。

楽器の音色が細く流れてくる方へ歩くと、遠目にも分かる亜麻色の髪。小さなステージの前で、青年エルフが客の女性に流暢に微笑みかけていた。


「麗しき方、あなたの瞳は今日の空より――」

「すみません、その、ちょっといいですか」

女性客は助かったとばかりに会釈して去り、エルフは肩をすくめて振り向いた。


「製作かい? それとも楽器を探しに?」


「頼みたい物があって」


ノアトは例の吹き輪を見せる。

「泡を吹ける道具。もっと、こう……精密で、きれいに丸くなるやつが欲しいんだけど」


エルフは吹き輪を手にとると、軽く息を吹きかけて泡を一つ作った。陽光の中で虹色に揺れる。


「ふむ。扱うのは女性かい?」


浮いていた泡がパチっと弾けた。


「女の子です」


なにかを思いついたのか、エルフの男性に真面目なスイッチが入った。

「それは美しいねぇ」


エルフは真剣な職人の顔に切り替わる。

「作れるよ。ただ、材料が二つ足りない。

上物の“澄晶砂じょうしょうさ”と、“泡綴草あわつづりぐさ”の抽出液」


「どこにあります?」


澄晶砂じょうしょうさは“蒼鏡浜そうきょうはま”。街から北東、風の穏やかな入り江だ。泡綴草あわづりぐさは“星見ヶほしみがおか湿地しっち”の木陰。朝露の残る時間帯なら採りやすい。僕の名はエリオン、依頼はクロニカに出しておくよ。受けてくれたら、特注で“多孔吹輪たこうふくりん”を作ってあげよう。音も立たず、息の圧で泡が“綴じる”やつだ」


「助かります、エリオンさん!」


ノアトはぺこりと頭を下げ、足早にギルドへ引き返した。



戻ってみると、訓練場の扉が開いて、数人の冒険者たちが「おおー」と声を上げている。

フェリスの前の椅子に、スミレがちょこんと座っていた。濡れた前髪をハンカチで押さえている。どうやら水の技巧で場を落ち着かせる課題が出たらしい。


「スミレ!」

スミレはぱっと顔を上げ、嬉しそうに胸のバッジを見せた。銀色の小さな盾に“GR-6”の刻印。光が当たって、たまらなく誇らしげに煌めく。


「合格です。見事でしたよ」


フェリスが頷く。

「魔力、質、制御。特に“腕輪との同調”は見事でした。……ノアトさん、あなたの出番は?」


「いやあ、その……ほら、リーダーって、忙しいから…」


ノアトは姿勢を正し、真面目な声に切り替える。

「職人、見つけたよ。詩人エルフのエリオンさん。材料が二つ必要で、依頼を出してくれるって」


フェリスは卓上の伝票を一枚取り上げる。早い。もう届いていた。

「“特注吹口用素材採取”。

目的地は二か所―― “蒼鏡浜”と“星見ヶ丘湿地”。

納品は“澄晶砂・上選一袋”“泡綴草の抽出液・小瓶二”。危険予告……“浜に泡猫あわねこが出ることがある。見た目は可愛いが、滑るので注意”」

「泡猫……可愛い……!」ノアトの目が輝く。

スミレも“可愛い”にだけ小さく反応してこくこく頷いた。


フェリスはペン先で依頼票の端をとんとんと叩く。

「あと、スミレさんは合格直後ですので無理な連戦は避けること。リーダー」

「はい。ちゃんと背中で……じゃなくて前で守ります」


受領印が押される。紙の匂いと朱の色が、始まりの合図みたいに鮮やかだ。


ノアトは立ち上がり、スミレに手を差し出す。

「行こう。風が出る前に浜へ」


スミレは差し出された手を両手で包み、小さく頷く。手首の《エモーションリンク》がかすかにきらめいた。


扉を開けると、秋の陽射しが一段明るい。通りの向こうで、鐘が一度鳴った。

揺れた音色に合わせて、スミレの胸元――新しい“GR-6”の証が、風鈴みたいに小さく触れて、光った。

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