「兄妹それぞれの一歩:氷の才媛【スノア編】」
朝のブレストンは、いつも通り賑やかだった。
市場の露店からは焼きたてのパンの香りが漂い、冒険者ギルドの前には新しい依頼を求める人々の列ができている。
その人混みの少し外れを、黒髪に赤い瞳の少女が歩いていた。
スノア・アルシエル。十四歳。
彼女は今日、「魔法の学び舎」――王都直轄の名門校に通うための初日を迎えていた。
「ふう……、わたし、ちゃんとやれるかな」
胸元で小さく拳を握る。
兄ノアトの前ではつい甘えてしまうが、今日は一人で立たなくてはならない。
才媛と呼ばれることもある自分の力を、他人の目にさらす時が来たのだ。
石畳の道を抜けると、白壁の建物が並ぶ学び舎が見えてきた。
門の上には星と書物を象った紋章が掲げられている。
――グランディア王立魔導学院。
通称、王立。
「星と知識の館」を掲げる、その門をくぐるスノアの背筋は、少し震えていた。
(……お兄ちゃんも、こうやって一人でギルドに入っていったのかな)
そんな想像が、ほんの少しだけ足取りを軽くした。
* * *
一方そのころ、ノアトは冒険者ギルド《遺物調査局クロニカ》の扉を押し開けていた。
中は相変わらず喧噪に包まれている。
依頼掲示板の前に群がる冒険者たち、受付前で口論する商人、そして奥では支部長の学者然とした声が響いていた。
「お、来たな兄ちゃん!」
この前も顔を合わせた警備兵が、真っ先に声をかけてくる。
口の軽い、あの“おじさん”だ。
「まだ新人だったとはなぁ。てっきりベテランのシーフかと思ったぞ」
その何気ない言葉に、周囲の冒険者たちがちらりとノアトを振り返る。
だが本人はいつもの調子で気にしていない。
受付のカウンターでは、金髪をひとつに結んだフェリスが、冷ややかな目で書類を整理していた。
「次の依頼を探しに来たんですか?」
「まあ、そんな感じです」
「ちょうど調査依頼があります。――市場で出回っている妙な魔具について、です」
フェリスの眼鏡の奥に、冷たい光が宿る。
「危険度は低いと見なされています。聞き取りと現物確認が中心ですから。……くれぐれも、単独で深入りはしないでくださいね」
(また市場……? ま、面白ければなんでもいいか)
「了解。市場なら慣れてるし、なんとかなるでしょ」
ノアトは依頼書を受け取り、軽く首をかしげる。
* * *
アストラの中庭に、生徒たちが集められていた。
石造りの講堂を背に、整列した新入生たちのざわめきが風に乗って揺れる。
「――お集まりの皆さん、ようこそ」
壇上に立ったのは、白衣をまとった壮年の教師だった。落ち着いた声が中庭に広がる。
「ここでは、皆さんの素質に応じて授業が分けられます。まずは適性を測る簡単な実技を行いましょう」
その言葉に、生徒たちの顔が一斉にこわばる。
スノアも思わず背筋を伸ばした。
一人ずつ呼ばれ、魔力を込める試験器具の前に立つ。
透明な水晶柱の中に手を差し入れ、魔力を流すと、光の色と形が現れる仕組みだ。
「次――スノア・アルシエル」
名前を呼ばれた瞬間、周囲の視線が集まる。
少女はゆっくりと歩み出て、水晶に手を触れた。
冷たい感触。息を整え、指先から意識を流し込む。
途端に――水晶の内部が淡い蒼色に染まり、ひとひらの雪の結晶が浮かび上がった。
やがて結晶はひらひらと舞い散り、中庭に小さな霜を残す。
「氷属性……見事だ」
教師が目を見張る。周囲からもざわめきが上がった。
「きれい……!」「氷魔法なんて、珍しいな」
スノアは頬を赤らめ、思わず下を向く。
(目立っちゃった……。でも――)
(……お兄ちゃん、見てたらなんて言うかな)
胸の奥で、ほんの少しだけ誇らしさが芽生えていた。
* * *
その後、講堂に案内された生徒たちは座学と基礎魔法の説明を受ける。
スノアは真剣にノートを取りながらも、ちらりと窓の外に目をやった。
(今ごろ、お兄ちゃんは……ギルドで「面白い依頼」を探してるのかな)
そう思うと、胸の中に小さな緊張と、負けたくないという感情が生まれる。
(わたしだって、ちゃんと――お兄ちゃんの隣に立てるようにならなきゃ)
* * *
午後の授業は実技演習だった。
中庭に設置された円形の魔法陣が光を帯び、教師が告げる。
「では二人一組になり、模擬戦を行います。攻撃の威力ではなく、魔力の制御と使い方の工夫を見ます。致命的な術は禁止。結界は張ってあるので、全力で構いません」
生徒たちがざわつき、次々とペアを組んでいく。
スノアの前に立ったのは、銀髪の少年だった。
冷たい蒼の瞳が、彼女を値踏みするように見つめる。
「氷、珍しいな。……でも珍しいだけで勝てると思うなよ」
ライオネル・グレイ。名門グレイ侯爵家の次男だ。
挑発するような笑みに、スノアはきゅっと唇を結んだ。
「……望むところです。ちゃんとやってみせます」
(……お兄ちゃんの妹だからって、なめないで)
* * *
開始の合図と同時に、ライオネルが風の刃を放った。
細かく散った刃は、音もなくスノアを切り裂かんと迫る。
スノアは一歩退き、両手をかざす。
「――《氷壁》!」
空気が震え、透明な氷の壁が立ち上がった。
風刃がぶつかり、鋭い音を立てて砕け散る。
「ほう、防御か。だが守ってばかりでは……」
ライオネルはさらに風を集め、竜巻のようにねじり込む。
スノアは後退せず、逆に一歩踏み出した。
「なら――こちらも!」
足元に霜が走り、氷の槍が幾本も突き出す。
竜巻と氷槍が正面からぶつかり合い、中庭に白い霧が舞った。
* * *
観戦していたミリエルが声を上げる。
「すごい! 本気の応酬だわ!」
霧の向こうからライオネルの声が響く。
「ふん、やるな。だが――まだ制御が甘い!」
次の瞬間、風圧で氷槍が弾かれ、飛び散った欠片が観客席を凍らせる。
生徒たちが慌てて後ずさり、教師が即座に結界を強化した。
「スノア、落ち着け! 魔力を絞るんだ!」
教師の声に、スノアははっと我に返る。
深呼吸をして手を下ろすと、氷の欠片はぱきんと音を立てて崩れ落ちた。
「そこまで!」
教師が合図を送り、模擬戦は終了となる。
* * *
模擬戦後、ライオネルは制服の袖を払いつつ言った。
「俺はグレイ侯爵家の者。風は血筋に宿る誇りだ。珍しさで勝てると思うな」
スノアは悔しさを押し殺しながらも、すぐに視線をまっすぐ返した。
「血筋も大切です。でも、わたしは自分で証明します。この氷が、ただの飾りじゃないって」
周囲の生徒たちが息をのむ。
才媛と呼ばれる少女と、名門の少年。
その対立は、学院の日常に新たな緊張をもたらしていた。
(わたしは――お兄ちゃんの妹だから、じゃなくて。
“スノア・アルシエル”として、胸を張れるようにならなきゃ)
そう静かに自分に言い聞かせる。
* * *
生徒たちがそれぞれ感想を交わす中、スノアが肩で息をしていると、金髪ツインテールの少女がぱっと駆け寄ってきた。
「すごかったわ! 氷の壁も槍も、すっごく綺麗だった!」
勢いよく手を取られ、スノアは思わず戸惑う。
「え、えっと……ありがとうございます」
「わたし、ミリエル・カンデラ! ねえ、友達になろ?」
眩しい笑顔に、スノアの胸が温かくなる。
外では「才媛」と呼ばれるようにしっかり振る舞ってきた彼女だが、こうして真正面から「友達になろう」と言われたのは初めてだった。
「……はい。よろしくお願いします」
自然と笑みがこぼれた。
* * *
そこへ、おずおずと近づいてきた小柄な少女が一人。
眼鏡の奥で、落ち着いた瞳が揺れている。
「あの……わ、わたしはサラサ・ブルーミア。氷の結晶……とても素敵で、見とれちゃった」
「サラサさん……ありがとう」
スノアが丁寧に返すと、少女はほっと安堵の息をついた。
こうして彼女は、初めての学院で二人の友を得た。




