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第二章 兄妹それぞれの一歩


 朝のブレストンは、いつも通り賑やかだった。

 市場の露店からは焼きたてのパンの香りが漂い、冒険者ギルドの前には新しい依頼を求める人々の列ができている。


 その人混みの少し外れを、黒髪に赤い瞳の少女が歩いていた。


 スノア・アルシエル。十四歳。

 彼女は今日、「魔法の学び舎」――王都直轄の名門校に通うための初日を迎えていた。


「ふう……、わたし、ちゃんとやれるかな」


 胸元で小さく拳を握る。

 兄ノアトの前ではつい甘えてしまうが、今日は一人で立たなくてはならない。

 才媛と呼ばれることもある自分の力を、他人の目にさらす時が来たのだ。


 石畳の道を抜けると、白壁の建物が並ぶ学び舎が見えてきた。

 門の上には星と書物を象った紋章が掲げられている。


 ――グランディア王立魔導学院アストロラーニア

 通称、王立アストラ

 「星と知識の館」を掲げる、その門をくぐるスノアの背筋は、少し震えていた。


(……お兄ちゃんも、こうやって一人でギルドに入っていったのかな)


 そんな想像が、ほんの少しだけ足取りを軽くした。



---


 一方そのころ、ノアトは冒険者ギルド《遺物調査局クロニカ》の扉を押し開けていた。


 中は相変わらず喧噪に包まれている。

 依頼掲示板の前に群がる冒険者たち、受付前で口論する商人、そして奥では支部長の学者然とした声が響いていた。


「お、来たな兄ちゃん!」


 この前も顔を合わせた警備兵が、真っ先に声をかけてくる。

 口の軽い、あの“おじさん”だ。


「まだ新人だったとはなぁ。てっきりベテランのシーフかと思ったぞ」


 その何気ない言葉に、周囲の冒険者たちがちらりとノアトを振り返る。

 だが本人はいつもの調子で気にしていない。


 受付のカウンターでは、金髪をひとつに結んだフェリスが、冷ややかな目で書類を整理していた。


「次の依頼を探しに来たんですか?」


「まあ、そんな感じです」


「ちょうど調査依頼があります。――市場で出回っている妙な魔具について、です」


 フェリスの眼鏡の奥に、冷たい光が宿る。


「危険度は低いと見なされています。聞き取りと現物確認が中心ですから。……くれぐれも、単独で深入りはしないでくださいね」


「了解。市場なら慣れてるし、なんとかなるでしょ」


 ノアトは依頼書を受け取り、軽く首をかしげる。


(また市場……? ま、面白ければなんでもいいか)



---


 アストラの中庭に、生徒たちが集められていた。

 石造りの講堂を背に、整列した新入生たちのざわめきが風に乗って揺れる。


「――お集まりの皆さん、ようこそ」


 壇上に立ったのは、白衣をまとった壮年の教師だった。落ち着いた声が中庭に広がる。


「ここでは、皆さんの素質に応じて授業が分けられます。まずは適性を測る簡単な実技を行いましょう」


 その言葉に、生徒たちの顔が一斉にこわばる。

 スノアも思わず背筋を伸ばした。


 一人ずつ呼ばれ、魔力を込める試験器具の前に立つ。

 透明な水晶柱の中に手を差し入れ、魔力を流すと、光の色と形が現れる仕組みだ。


「次――スノア・アルシエル」


 名前を呼ばれた瞬間、周囲の視線が集まる。

 少女はゆっくりと歩み出て、水晶に手を触れた。


 冷たい感触。息を整え、指先から意識を流し込む。


 途端に――水晶の内部が淡い蒼色に染まり、ひとひらの雪の結晶が浮かび上がった。

 やがて結晶はひらひらと舞い散り、中庭に小さな霜を残す。


「氷属性……見事だ」


 教師が目を見張る。周囲からもざわめきが上がった。


「きれい……!」「氷魔法なんて、珍しいな」


 スノアは頬を赤らめ、思わず下を向く。


(目立っちゃった……。でも――)


(……お兄ちゃん、見てたらなんて言うかな)


 胸の奥で、ほんの少しだけ誇らしさが芽生えていた。



---


 その後、講堂に案内された生徒たちは座学と基礎魔法の説明を受ける。

 スノアは真剣にノートを取りながらも、ちらりと窓の外に目をやった。


(今ごろ、お兄ちゃんは……ギルドで「面白い依頼」を探してるのかな)


 そう思うと、胸の中に小さな緊張と、負けたくないという感情が生まれる。


(わたしだって、ちゃんと――お兄ちゃんの隣に立てるようにならなきゃ)



---


 午後の授業は実技演習だった。

 中庭に設置された円形の魔法陣が光を帯び、教師が告げる。


「では二人一組になり、模擬戦を行います。攻撃の威力ではなく、魔力の制御と使い方の工夫を見ます。致命的な術は禁止。結界は張ってあるので、全力で構いません」


 生徒たちがざわつき、次々とペアを組んでいく。


 スノアの前に立ったのは、銀髪の少年だった。

 冷たい蒼の瞳が、彼女を値踏みするように見つめる。


「氷の才媛。俺は風を操る。――どっちが上か、はっきりさせよう」


 ライオネル・グレイ。名門グレイ侯爵家の次男だ。


 挑発するような笑みに、スノアはきゅっと唇を結んだ。


「いいわ。手加減はしません」


(……お兄ちゃんの妹だからって、なめないで)



---


 開始の合図と同時に、ライオネルが風の刃を放った。

 細かく散った刃は、音もなくスノアを切り裂かんと迫る。


 スノアは一歩退き、両手をかざす。


「――《氷壁アイスシェル》!」


 空気が震え、透明な氷の壁が立ち上がった。

 風刃がぶつかり、鋭い音を立てて砕け散る。


「ほう、防御か。だが守ってばかりでは……」


 ライオネルはさらに風を集め、竜巻のようにねじり込む。


 スノアは後退せず、逆に一歩踏み出した。


「なら――こちらも!」


 足元に霜が走り、氷の槍が幾本も突き出す。

 竜巻と氷槍が正面からぶつかり合い、中庭に白い霧が舞った。



---


 観戦していたミリエルが声を上げる。


「すごい! 本気の応酬だわ!」


 霧の向こうからライオネルの声が響く。


「ふん、やるな。だが――まだ制御が甘い!」


 次の瞬間、風圧で氷槍が弾かれ、飛び散った欠片が観客席を凍らせる。

 生徒たちが慌てて後ずさり、教師が即座に結界を強化した。


「スノア、落ち着け! 魔力を絞るんだ!」


 教師の声に、スノアははっと我に返る。

 深呼吸をして手を下ろすと、氷の欠片はぱきんと音を立てて崩れ落ちた。


「そこまで!」


 教師が合図を送り、模擬戦は終了となる。



---


 模擬戦後、ライオネルは制服の袖を払いつつ言った。


「俺はグレイ侯爵家の者。風は血筋に宿る誇りだ。珍しさで勝てると思うな」


 スノアは悔しさを押し殺しながらも、すぐに視線をまっすぐ返した。


「血筋も大切です。でも、わたしは自分で証明します。この氷が、ただの飾りじゃないって」


 周囲の生徒たちが息をのむ。

 才媛と呼ばれる少女と、名門の少年。

 その対立は、学院の日常に新たな緊張をもたらしていた。


(わたしは――お兄ちゃんの妹だから、じゃなくて。

 “スノア・アルシエル”として、胸を張れるようにならなきゃ)


 そう静かに自分に言い聞かせる。



---


 生徒たちがそれぞれ感想を交わす中、スノアが肩で息をしていると、金髪ツインテールの少女がぱっと駆け寄ってきた。


「すごかったわ! 氷の壁も槍も、すっごく綺麗だった!」


 勢いよく手を取られ、スノアは思わず戸惑う。


「え、えっと……ありがとうございます」


「わたし、ミリエル・カンデラ! ねえ、友達になろ?」


 眩しい笑顔に、スノアの胸が温かくなる。

 外では「才媛」と呼ばれるようにしっかり振る舞ってきた彼女だが、こうして真正面から「友達になろう」と言われたのは初めてだった。


「……はい。よろしくお願いします」


 自然と笑みがこぼれた。



---


 そこへ、おずおずと近づいてきた小柄な少女が一人。

 眼鏡の奥で、落ち着いた瞳が揺れている。


「あの……わ、わたしはサラサ・ブルーミア。氷の結晶……とても素敵で、見とれちゃった」


「サラサさん……ありがとう」


 スノアが丁寧に返すと、少女はほっと安堵の息をついた。


 こうして彼女は、初めての学院で二人の友を得た。

 ミリエルの明るさと、サラサの優しさ。

 それはスノアの心を支える力となり、やがて学院での日々を彩っていくことになる。



---


兄妹それぞれの一歩(ノアト・依頼パート)


 ギルドの受付を離れたノアトは、手にした依頼書をひらひらと振りながら市場へと向かっていた。


 『市場に出回る不思議な遺物の調査』。

 字面だけ見れば退屈そうだが、どこか妙な期待を抱かせる響きがある。


「ふーん……人が消える鏡とか、夜に笑う人形とか……噂がごちゃ混ぜだな」


 依頼書に走り書きされた情報を読み上げ、ノアトは肩をすくめた。


「まあ、面白いかどうかは実際見てから……だな」



---


 市場はいつも以上に賑わっていた。

 果物を並べる露店、声を張り上げる商人たち。その隙間を縫うように、情報屋や子供たちが走り回っている。


「おっ、兄ちゃん!」


 この前の警備兵が、手を振ってきた。


「また来たのか! この前は“目がいいシーフ”って評判になってるぞ!」


(一応シーフだった。適当に決めてしまったけど)


「シーフだけど、俺は盗まないよ」


 正しくは『盗めない』なんだけどね。


 ノアトがぼそりと返すと、周囲の商人たちが「シーフなのに盗まない!?」と驚いたように振り返る。

 本人は気にも留めず、露店の奥――人通りの少ない方へと歩き出した。



---


 露天商の一人が、奇妙な木箱を客に見せているのが目に入った。

 その箱は、まるで呼吸するように小さく膨らんだり縮んだりしていた。


 ノアトの青い瞳が細められる。


 ――ほんの一瞬、木箱の隙間から、黒い光が漏れた。


「……お?」


 口元にかすかな笑みが浮かぶ。


 木箱の異様な脈動を目にしてから、ノアトは市場の雑踏を歩き回っていた。

 露天商や客たちの会話に耳を傾ける。


「昨夜、倉庫で勝手に動く人形を見たってよ」

「いやいや、聞いたか? 鏡に映ると顔が別人になるんだと」

「俺は聞いたぞ。あの木箱から、子供の泣き声がしたってな」


 どの噂も怪しげで、真偽のほどは分からない。

 だが――ノアトの観察眼は、群衆の中の一人にぴたりと留まった。



---


「ちょっといいですか?」


 ノアトは気楽な声で、古びた布をまとった行商人に近づいた。

 男は一瞬ぎくりと肩を震わせる。


「な、なんだい?」


「いや、別に。……丁度声をかけるタイミングがよかったから」


 何気ない一言に、商人は箱を隠そうとしていた手を止めた。


「……っ!」


 周囲の商人がざわつく。

 いつのまにか例の警備兵も近くに来ていた。


「やっぱり目がいい! ほら見ろ、あの視線だ!」


「こ、これがシーフの洞察か!」


 ノアトは首をかしげる。


「え、そんなつもりはなかったんだけど」


 行商人は観念したようにため息をついた。


「……わかった。話す。俺はただ、あの“箱”を運んだだけだ。北の街外れにある廃屋で手に入れたんだよ」


「廃屋?」


「ああ。人が寄りつかねえ古い屋敷だ。中にはまだ、得体の知れない遺物が残ってるらしい」



---


 ノアトは依頼書を折りたたみ、空を見上げた。


「街外れ、か。……面白そうかも」


 その呟きに、近くで聞いていた警備兵が勢いよくうなずいた。


「お前なら絶対に解決できる! 俺が保証する! なんたって影まで見通す“眼”だからな!」


「俺、そんなこと言ったっけ……?」


 ノアトは曖昧に笑って肩をすくめ、そのまま街外れへと歩き出した。



---


 街を抜けると、冷たい風が吹き抜ける丘にぽつんと古びた屋敷が見えた。

 屋根は崩れ、窓は割れ、蔦が絡みついた壁は今にも倒れそうだ。


 人の気配はなく、代わりに――妙な“ざわめき”が漂っていた。


「……なるほど。怪しいって言えば怪しい」


 ノアトは扉を押し開けた。



---


 中は埃とカビの匂いに満ち、床板はギシギシと悲鳴を上げる。

 奥へ進むと、家具や書物が乱雑に放置され、まるで住人が突然消えたかのようだった。


 ふと、廊下の隅に“木箱”が置かれているのが目に入る。

 市場で見たのと同じ……いや、それ以上に不気味な脈動を繰り返している。


 ノアトは一歩近づき、眉をひそめた。


「……心臓みたいに、脈打ってるな」


 その瞬間――箱の隙間から、子供の泣き声のような音が漏れた。


「おいおい……冗談だろ」


 呟いた矢先、箱がガタンと跳ね上がり、床を這うように動き出した。


 ノアトは即座に横へ跳び、床板が砕ける寸前にかわす。

 箱は転がりながら黒い靄を撒き散らし、幻のように人影を映し出した。

 泣き声が重なり、部屋中に不気味な残響が響く。



---


 ノアトはじっと目を凝らした。

 幻影の揺らぎの中に、ほんの一瞬――“模様”が浮かび上がったのを見逃さなかった。


「……ああ、なるほど。これはただの幻惑だ」


 木箱の表面に刻まれた符号が、淡く光を放っている。

 幻を見せ、音を響かせる仕掛け。中身は空っぽだ。


 ノアトは手近な鉄片を拾い、符号の一部を軽く削り取った。


 靄は一気に薄れ、泣き声も消える。箱はただの古い木箱に戻った。


「……ふう。なんとかなったか」


 苦笑を浮かべ、ノアトは肩の力を抜いた。


 だが――その背後で。

 廃屋の奥の部屋から、別の箱がカタンと音を立てた。



---


 廃屋の奥は、さらに暗かった。

 窓は板で打ちつけられ、ほのかな光も届かない。


 ノアトは壁にかかった古い燭台を取り、火を灯す。

 途端に、部屋の隅々が浮かび上がった。


「……マジで?」


 そこにあったのは、大小さまざまな木箱。

 十も二十も、まるで倉庫のように積み上げられていた。


 そのどれもが、かすかに脈打ち、黒い靄を漏らしている。


 不気味な泣き声や囁き声が重なり合い、耳を覆いたくなるほどの雑音になった。

 普通の人間なら恐怖で立ちすくむだろう。


 しかしノアトは、ただ目を細めて靄を観察していた。


(全部が同じ動きをしてる……いや、違う。

 箱ごとに“符号”の欠け方が微妙に違うのか)


 そう気づいた瞬間、一つの箱がガタリと大きく揺れた。

 次の瞬間、黒い靄が人型を結び――廊下にまで伸び上がる。



---


「おー……これは面白いな」


 ノアトは呟き、後ろへ跳んだ。

 人影はまるで操り人形のように、ぎこちなく首を傾けて迫ってくる。


 箱に刻まれた符号が強く光り、黒い靄を繋ぎ止めていた。


「……ってことは、繋ぎ目を断てば」


 ノアトは近くの机を蹴り飛ばし、その破片を掴んで影の動線に投げつけた。

 木片が符号を叩き割り、光が途絶える。


 靄は悲鳴のような音を残して霧散した。


 静けさが戻る。

 だが、積み上げられた他の箱はなお脈打ち続けていた。


 ノアトは一番大きな箱に目を向ける。

 そこには他のものとは違う、見慣れぬ紋章が刻まれていた。

 刃のような曲線と、緑色の塗料。


「これは誰かが“意図的に”流した?」


 そのとき、背後の床に、ひらりと一枚の羊皮紙が落ちた。

 拾い上げると、そこにはこう記されていた。


 『市場の中央広場――』



---


 ノアトは廃屋を後にし、ギルド《クロニカ》へと足を向けていた。

 手には一枚の羊皮紙――そこには「市場の中央広場」と記されている。


「市場か……ギルドに伝えれば、あとは騎士団がなんとかするだろ」


 肩をすくめつつ歩いていると、不意に人々の叫び声が耳を打った。


「うわああっ! な、なんだあれは!」

「逃げろ! 遺物だ!」


 市場の方角だった。



---


 広場は群衆が逃げ惑い、その中心で異様な光景が広がっていた。


 石畳の中央に、黒い箱がひとつ。

 そこから噴き出す靄が絡まり合い、巨大な“影の獣”を形作っていた。


 牙をむいた幻影が咆哮を上げ、露店を吹き飛ばす。

 人々の悲鳴が響き渡る。


「……報告はもういらないか」


 ノアトは羊皮紙をひらひらと掲げ、皮肉げに笑った。



---


 警備兵たちが必死に剣を振るうが、靄の獣は斬っても形を変えて迫ってくる。

 ただの幻ではなく、実体を持つ力が混じっているのだ。


「くそっ、斬っても手応えがない!」

「矢も効かんぞ!」


 広場の中央に鎮座する黒い箱は、靄を吐き出し続けていた。

 靄は人影をつくり、やがて巨大な獣の幻を形作る。

 その咆哮が広場を震わせ、群衆が悲鳴を上げる。



---


 ノアトは一歩引いた場所から、その光景を冷静に眺めていた。


(あの靄はただの幻じゃない。箱に刻まれた“符号”が力の源だ)


 彼は既に廃屋で箱の仕組みを見ていた。

 戦う必要はない。ただ“あの符号”を壊せばいい。


 周囲を素早く見渡す。

 箱はまだ広場の中心に脈打っている。

靄は幻獣の体を繋ぐ鎖のように、符号から溢れ出していた。


「……狙うのは、あれ」


 ノアトは近くに転がっていた槍を拾い上げ、符号の光を目がけて投げつけた。


 鋭い音を立てて槍が突き刺さり、符号の一角が砕け散る。


 瞬間――幻獣の体が崩れ、轟音とともに靄は一気に霧散した。



---


 静まり返った広場に、しばしの沈黙。

 そして、誰かが叫んだ。


「やったぞ! あの子が倒したんだ!」


「あの符号が……? 初見で完全に見抜いていたんだな!」

「さっすが“目がいいシーフ”だぜ!」

「今の、影そのものの“繋ぎ目”を狙ったんだろ? こえぇな……!」


 歓声が渦を巻き、兵士も市民もノアトを見上げて口々に称える。


 例の警備兵が、これ見よがしに胸を張って叫んだ。


「言っただろう! こいつは影を見通す眼を持ってるってな!」


「いや、それ俺のセリフじゃ……」


 ノアトは頭をかきながら、困ったように笑った。


「……いや、壊しただけなんだけどな……」



---


 ノアトはギルド《クロニカ》に寄り、依頼報告を済ませた。


 受付のフェリスは眼鏡を押し上げ、信じられないものを見るような目で彼を見た。


「あなた……調査なのに、また厄介な事件を片づけたんですか?」


「箱を壊したら終わったんです」


「……それを人は“解決”って呼ぶんです」


 書類に淡々と記入するフェリス。その背後で、支部長エリオットが姿を現した。

 学者風の長衣をまとい、落ち着いた眼差しに知的な光を宿した男だ。


「また、あの少年が……か」


 エリオットは顎に手を当て、独りごちる。


「偶然にしては出来すぎている。あの幻獣の構造を一目で看破し、要点だけを断ち切るとは……。

 ――おそらく高度な観察魔術か何かだな」


「いえ、ただの新人シーフです」


 フェリスの即座のツッコミは、支部長の耳には届いていない。


「ふむ、やはり本人に一度、詳しく話を聞いてみる必要があるな……」


 支部長の「深読み」が静かに始まり、ノアトにまつわる“勘違い”の火種が、また一つ増えたのだった。


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