第八章 偶然の結成
――遺物調査局クロニカ。
帳場の朝は、紙の擦れる音で明ける。綴じ紐、角の揃った束、インクの匂い。
フェリス・ハートリーは眼鏡のブリッジを押し上げて、今日も紙山と対峙した。紙は裏切らない。たまにホッチキスの針だけが指先を奇襲する。
前日のメモが目に入る――《ノアト・アルシエル、パーティ結成》。
今まで依頼にだけ現れては、達成して静かに去る、そんな青年。だがパーティを組んだ以上、危険域に踏み込む確率は跳ね上がる。そろそろ、ギルドの根幹――**GR(ギルド等級)とRCL(Relic Clearance Level/遺物ライセンス)**をきちんと通すべきだ。
フェリスは新人帳のページをめくる。
氏名:ノアト・アルシエル/性別:男/年齢:16
所属パス:探索/登録等級:GR-0/RCL-0
視線を上げると、掲示板の前で腕を組み、依頼書に理屈で挑む拳の男がいた。《鉄拳》ライアン・グレイン。拳は物理、脳は理論。
「ライアンさん。アルシエル家のノアトさんを呼んできていただけますか?」
「承知した。呼び出しの最短経路を算出し――」
理論の唸りを背に、フェリスは《クロニカ登録端末》を起動。魔導ガラスの冷たい面に、帳簿UIと文字バッジのテンプレートが灯る。準備は万端だ。
――アルシエル家
朝日。ベッド。枕。素晴らしい三位一体。
ノアトは、二度寝への滑走路でふわりと身を委ね――
扉が開き、母の手がシーツをつかんだ。
「うわっ、まだ寝たいのに……」
シーツは軽業のように裏返り、ノアトは床で横回転。見事な受け身。痛くはない、心だけが痛い。
「ギルドでフェリスさんが呼んでるそうよ。ライアンって人が来てるから、待たせないの」
圧倒的家の権威。母はそれだけ告げて去る。
ノアトは着替えを抱えて廊下へ飛び出し、曲がり角でスノアと正面衝突しかけた。
「お、お兄ちゃん危ない! どうしたの!?」
「いや……朝からギルドにお呼ばれらしい。じゃあな〜」
ひらひらと手を振って駆け出す兄の背。スノアの頬がぷくっと膨らむ。期間限定の「お兄ちゃんと雑談タイム」は、今日も幻と散った。
部屋の戸口からスミレが顔を出す。黒髪、伏せた睫毛、控えめな会釈。
「……おはよ、う」
「おはよう、スミレ。学校、一緒にいく?」
差し出されたスノアの手に、スミレは小さく頷いた。
通り角で、いつもの警備兵がひょいと手を上げる。
「お、アルシエルの嬢ちゃん。兄ちゃんは今日も“曇りなき眼”で出勤か?」
スノアの顔がさらにムスっとする。「……誰が言い出したの、その二つ名」と小さく漏らし、二人は足早に校へ向かった。
――クロニカ支部
ギルドの扉を押すと、インクと革の匂いが迎える。
受付にはフェリス。背筋は書見台のように真っ直ぐで、視線は紙より冷静。隣に腕組みのライアン。
「来ましたよ?」
「お待ちしていました、ノアトさん。今日は『冒険者とは何か』の基礎を、正式に通しておきます」
フェリスが端末をこちらへ向ける。魔導ガラスに、二つの柱が浮かぶ。
【冒険者の二本柱】
1)GR(Guild Rank)――信頼度と遂行能力の総合評価
2)RCL(Relic Clearance Level)――遺物に触れる許可等級
「まずGRです。範囲はGR-0からGR-9。数値は“強さ”の絶対値ではなく、“信頼できる結果の再現性”を示します」
ライアンが咳払いで頷く。「同意だ。殴りの威力ではなく、殴るべきときに殴り、殴らないべきときに殴らない精度の話だ」
「言い回し」とフェリスが控えめに牽制し、説明を滑らせる。
「おおまかに――
・GR-0:研修生。受注は安全な探索や雑務が中心。
・GR-3:単独で一般依頼が可能。
・GR-6:中堅。危険度B相当をパーティで。イリスさん、セラフィナさん、ライアンさんがここ。
・GR-8以上:上位。国家絡みの案件も視野。
・GR-9:特例上限。……帳簿がうるさいので、空欄管理です」
「伝説枠は統計外、というやつだ」とライアン。説得力が物理で殴ってくる。
フェリスは画面を指で払う。もう一つの柱が大書される。
「次にレリック・クリアランス・レベル、略すとRCL。遺物に対する“触っていい度”です。範囲はRCL-0からRCL-5」
RCL-0:許可制度なし
RCL-1:一般的。記録と自己管理義務
RCL-2:低リスク。基本装備・訓練済み
RCL-3:中リスク。影響評価と事前訓練が必須
RCL-4:高リスク。案件ごとに申請、審査会
RCL-5:禁制。王令・本部直轄
「RCL-5に勝手に触ると、書類が倍になります」
「倍どころではない。指数関数的増加だ」とライアン。
「言い方」
ノアトは「遺物にはRCLが……」と心の中で音を転がし、素直に頷いた。
端末がスクロールし、具体例がいくつか映る。**跳躍靴**はRCL-1~2相当、**鏡影仮面**は影響範囲の性質上、案件時RCL-4以上の審査、など。
「なお、同行参加制度が適用されます」
フェリスが追加する。「パーティ代表が受注条件を満たしていれば、同行者は規定範囲で行動可能です。未熟な者の実地経験を、責任の傘下で積ませるため。代表者はその分、報告義務と監督責任が増えます」
「責任……増えるんだ」とノアトは小声で反芻する。責任は重い。
フェリスが端末を閉じ、書類の束を差し出した。
「そしてもう一点。パーティ登録の仕上げです。代表者と名称が必要。名称に不適切な文言は端末が弾きます。……念のため申し上げますが、『昼寝同盟』『給湯室ハンターズ』などは既に他所で弾かれています」
「そんな候補を出すなよ」とライアンが真顔で言い、ノアトは視線を外して「うーん…」と天井の木目を数えはじめる。
――午後の受付前。
フェリスは帳簿を片手に眼鏡を押し上げ、二人を見やる。
「さて、パーティの名、どうします?」
ノアトは椅子にだらりと座り、ライアンは腕を組んで頷いた。
「名は志の象徴だ。……“誉れ”という響きは良い」
「そんな大げさに……」
フェリスが帳簿の一欄をちらりと見て、ぽつり。「ノアトさん、実績欄では“運が強い”と、しばしば記録されています」
「偶然……」
ノアトがぽつり。
「……の……」
ライアンがぽつり。
「誉れ……」
三人の口から出た言葉が、机の上でぴたりと組み合わさる。短い沈黙。
そして、フェリスとライアンの声が重なった。
「アーナー・オブラック?」
「それにしよう」
ノアトの即答。フェリスは無言でペンを走らせ、端末へ入力。
魔導印刷機がウィン、と唸り、薄紙が吐き出される。朱印が一閃、ぱしん。
登録完了
パーティ名:偶然の誉れ《アーナーオブラック》
代表者:ノアト・アルシエル
所属パス:探索
メンバー:ノアト(GR-0/RCL-0)/他1名(後日追記)
フェリスの声は、普段より半拍だけ柔らかかった。
「本日付で“偶然の誉れ《アーナーオブラック》”はギルド公認パーティになりました。以降、パーティ受注が可能です」
ライアンが印字紙を覗き込み、眉を上げる。「ふむ、響きがいい。経済合理的でもある」
「どこが経済なの」とフェリスが呟き、もう一枚、見本を差し出した。募集掲示板に載せる紹介文だ。
【偶然の誉れ《アーナーオブラック》】
代表:ノアト・アルシエル/所属:探索/等級:GR-0 RCL-0
受注傾向:捜索・調査・軽探索(危険度E〜D)
備考:戦闘より補助向き。**今のところ、依頼達成率100%**の実績あり。
「備考って、フェリスさんが考えたの?」
「事実に基づく簡潔な紹介です。……ライアンさん、勝手に端末に触らないでください」
「すまない、つい“パンチライン”を書き足したくなった」
「それはあなたの担当じゃないわ」
短いやりとりのあと、フェリスは再び端末を軽く叩き、内部帳簿の注記欄を開いた。そこには、命名の経緯がきれいに記録される。
備考:パーティ命名の経緯
名称は、登録時の雑談から偶然成立。
ライアン:「……誉れ」
フェリス:「偶然……?」
ノアト:「……の……」
ライアン&フェリス:「アーナー・オブラック?」
ノアト:「それにしよう」
以後、「最も自然発生的なパーティ名」としてギルド内口伝に残る。
フェリスはペンを置き、真面目な調子へ戻した。
「では最後に、運用上の注意です。
一、依頼の範囲は当面、危険度E〜D。
一、RCL対象の遺物を発見・接触する場合、必ず事前申請か事後届。影響評価の提出。
一、同行制度を用いる際は、代表者が行動範囲を管理すること。
――以上、守れないと書類の山が増えます」
「指数関数的に」とライアン。
「言い方」
ノアトは印字紙を受け取り、名前を見た。
偶然の誉れ《アーナーオブラック》。
スミレは気に入るかな?
「――では、解散」とフェリスが締めて、三人は立ち上がった。
外に出ると、午後の陽が石畳に柔らかい光を落としていた。
扉の脇で、あの気さくな警備兵がひょいと会釈する。
「お、アルシエル坊。聞いたぜ、公認パーティ結成だってな。やるじゃねえか、“曇りなき眼”」
「誰が言い出したの、それ…」と肩をすくめるノアトの横で、ライアンが真顔で言う。
「二つ名は外部評価の凝縮値だ。経済合理――」
ノアトは二人の雑談に付き合わされるのであった。




