表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/25

灰の公国ヴァルカデス編  ― 闇市の荷開き ―


 灰色の風が街門を抜けた。

 ヴァルカデス公国――“灰の国”と呼ばれる所以は、

 空の色ではなく、人々の目に宿る濁った欲望のせいだと知るのに時間はかからなかった。


 煤に染まった建物。

 通りには商人と奴隷、魔獣使いと傭兵が入り乱れ、

 全ての命に値札が貼られているかのような無機質な喧騒が広がっていた。



---


 馬車が止まったのは、裏通りの奥。

 石畳が途切れ、代わりに泥と煤が混じる地面。

 そこに立っていたのは、黒い蔦の刺繍を施したベストを着た男たち。


「よう、おつかれさん。こっからは俺たちが受け取る」



 そのうちの一人が、煙草を噛みながらにやりと笑う。

 馬車の運転手――あの臆病な商人が、慌てて降りて会釈した。


「こ、これが……例の“装置”です。」

「へぇ、随分厳重に運んだな。中身は“割れ物”じゃねぇんだろ?」

「い、いえ……! くれぐれも――乱暴には……」


 商人の声は震えていた。

 だが黒蔦の商人たちはそれを面白がるように笑い、

 ノアトたちの存在を確認する。


「お前らが護送隊か。……ご苦労さん。依頼はここで終いだ」




 そう言って、指を鳴らした。

 裏路地の鉄格子が開き、階段が地下へと続いている。

 灰の匂いとともに、金属と血の混じったような臭気が立ち上った。



---


 地下は倉庫のような広間だった。

 裸電球がいくつも吊るされ、鉄の檻が並んでいる。

 その中には、震える孤児、耳や尻尾を持つ人獣が押し込められていた。


「……これが、“商魂の国”の現実か」

ヴァレンの低い声が、いつになく冷たい。



 黒蔦の男たちは馬車の荷台に群がり、布を乱暴に剥がす。

 黒い箱が露わになり、鍵が外された。

 箱の中から、白銀の髪と獣耳を持つ少女が転がり出た。


 少女は鉄の枷を両手に繋がれたまま、

 怯えと怒りの入り混じった瞳で周囲を見渡した。


「……っ、話が違う!」


 低く震える声が、倉庫に響く。

 彼女の背中の毛が逆立ち、魔力がうっすらと滲んだ。


「あたしは、協力すれば……家族を助けてくれるって――そう言ったじゃない!」


とぼけたフリをした男たちは、お互いの顔を見合わせて

真顔で答えた。

「ああ? あー、悪ぃな。あれ嘘だわ」

 

 黒蔦の一人がベストの胸元から黒い銃型遺物、「魔砲マホウ」を取り出す。


 少女の瞳が血走る。

「……ふざけるなぁぁっ!!!」



 瞬間、鉄の枷が弾け飛んだ。

 獣の咆哮とともに、床に魔力の波紋が走る。

 髪が逆立ち、瞳が紅く光った。

 獣人特有の魔力――“魔狼”の力が暴走する。



ヴァレンが即座に立ち位置を確認、そして悪態をつく。

「クソッたれ…。ボサッとするな下がれ、ノアト!」

「…強そう。まるで魔力纏った狼じゃん…略して魔狼?」



 ヴァレンが《メカニカルガントレット》を起動。

 金属音が鳴り響き、爆符の青い光が走った。

 暴走した魔狼が檻を蹴り破り、黒蔦のチンピラを一人吹き飛ばす。

 周囲の鉄柵が歪み、逃げ惑う孤児たちの悲鳴が重なる。


珍ドラが叫ぶ。

「こっちも危ないっていう!」

ヴァレンが叫ぶ。

「黙ってろ、尻尾巻いとけ!」

珍ドラが叫ぶ。

「巻けないっていう!」


ノアトがヴァレンと尻尾を交互に見る。

「どっちもピンピンしてるなぁ」


 ヴァレンの爆符が炸裂し、魔狼の暴走を一瞬だけ止めた。

 光と煙が広がる中、ノアトが狼娘を落ち着かせようと試みる。


「周りの子たちが危ないから…そこの子一旦落ち着い――」

「うるさいっ! 人間なんて信じるんじゃなかった!」



 魔狼の拳が振り抜かれる。

 ヴァレンは間一髪で身を引いたが、風圧だけで壁が砕けた。

 瓦礫と煙の中、ヴァレンが歯噛みする。


「――もう依頼は終わってる。ずらかるぞ!」



 倉庫の奥で火花が散り、魔力が渦巻く。

 ノアトは躊躇しながらも頷き、珍ドラと共に出口へ走る。

 だが――


「まてっていう!」

 珍ドラが立ち止まった。

 鼻をひくひくさせ、瓦礫の影に視線を向ける。


「……こっち、獣じゃない普通の人の匂いするっていう」

「え、でも今それどころじゃ――」

「おい、はやくしろっ!!」

「本当にすぐ近くにいるっていう!」



 珍ドラが瓦礫をかき分けた。

 崩れた壁の裏に、小さな鉄檻。

 そこに――少女が一人、膝を抱えていた。

 長い黒青の髪、光のない瞳。

 腕には黒い腕輪が巻かれ、声を出せないまま怯えている。


「……ヴァレン」

「……見なかったことにしろ。……俺たちは護送屋だ。人助けしにきたわけじゃねぇ」

「……いや」


 ノアトはしゃがみ込み、檻越しに少女と目を合わせた。

 その瞬間――彼女の長い前髪の隙間から、紫の瞳が光に反射して視線が合う。


「……助けよう」



 ノアトの言葉に、ヴァレンが短く息を吐いた。

「ったく、面倒事ばっか拾いやがって……!」


珍ドラが短い手を伸ばした。

「吾輩、もう逃げ道見つけたっていう!」

「よし珍ドラ、いけ!先導しろ!」

「あとノアト、お前は檻の鍵なんとかしろ!」

「おっけー!」


 珍ドラが瓦礫を蹴散らし、ノアトがボロくなった檻の鍵を叩き壊す。

 少女の細い腕を掴み、引き上げた。

 冷たい指先が、震えてノアトの袖を掴む。


「よし。行こう!」



 煙と怒号、火花の中――

 ノアトたちは地下の闇を駆け抜けた。


 背後で、魔狼の咆哮が響く。

 その声は怒りとも悲しみともつかず、

 灰の国の地下を震わせていた。



---



― 灰の街の宿 ―


 夜の帳が落ちたヴァルカデスの裏通り。

 崩れた壁の隙間を抜け、ノアトたちは息を切らせながら走っていた。

 瓦礫の破片を踏むたび、鈍い音が響く。


「……ここまで来れば、追っては来ねぇだろ」



 ヴァレンが壁に背を預けて息を吐く。

 腕の《メカニカルガントレット》は焦げ跡を残し、機構の一部が火花を散らしていた。


「……無茶しすぎじゃない?」


「お前が“助けよう”なんて言うからだ」

そう言いながらも、ヴァレンの口調に怒気はなかった。


「ありがとう、助かったよ」



 隣には、ノアトの外套に包まれた少女が座り込んでいる。

 全身に煤と血の汚れ。

 それでも、どこか人形のように静かだった。


「……どうすんだよ、これ」

 ヴァレンが頭をかきながら少女を指差した。

 

その顔には、皮肉とも迷いともつかない表情が浮かんでいる。


「連れてきたはいいが、どう見ても厄介事の塊だろ」

「……放っておけるわけないよ。同じ年頃の妹がいるんだ」

「お前はお人好しか?全く…」



 ため息混じりにヴァレンは懐から何かを取り出した。

 黒焦げた紙束――逃げる途中で掴んだ書類だった。


「みろ、これ。ついでに掠めてきた。黒蔦の連中が管理してた資料だ」

それを聞いて感心したノアトが覗きこむ。

「おぉ、盗んだの?」


ヴァレンはノアトのデコを指で弾いた。

「“拾った”って言え」

「いてっ…」



 ヴァレンは乱暴に紙をめくりながらぼそりと呟く。


「……とりあえず今夜は宿を取る。

こんな小汚ねぇ格好のままじゃ目立つ。

それに……このガントレットも限界だ」



 珍ドラが尻尾をぱたぱたと振る。


「吾輩、お風呂入りたいっていう!」

「そのへんの水溜まりでも浴びてろ……」

「ひどいっていう!」


ノアトがちらりと視線をやるとーー


薄汚れた長い髪の少女は、こっちのやり取りを静かに傍観していた。



---



 宿の浴場から、かすかな湯気が漏れていた。

 鉄の匂いを含んだ灰の街で、唯一ぬくもりを感じる場所だった。


 湯船の縁に腰かけたノアトは、桶の水を汲んで少女の髪を洗ってあげる。

 長く絡まった髪が、青黒い光を帯びながらほどけていく。


「……おとなしいね。まぁ、あんなところにいたし…」



 少女は答えない。

 ただ、湯に浮かぶ髪を見つめたまま、僅かに瞬きをした。

 ノアトは手ぬぐいを絞りながら、柔らかい声で話しかける。


「俺、ノアト。同じくらいの歳の妹がいるんだ。

……だから、ほっとけなかったんだよ。嫌じゃなければ、しばらく一緒にいていいから」



 少女は反応を示さない。

 けれど、ほんの一瞬、湯の表面に小さな波紋が広がった。

 頷いたように見えた。



---


 部屋に戻ると、ヴァレンが机の上に書類を広げていた。

 珍ドラは布団の上で丸まり、いびきをかいている。


真面目な顔で書類を見ているヴァレンに、ノアトは声をかける。

「何かわかった?」


視線は書類を見たまま、返事をする。

「少しだけな」



 ヴァレンが指で紙を叩いた。

 その指先には、例の黒い腕輪の写し絵。


「“共鳴腕輪エモーションリンク”……って書いてある。

感情に反応する遺物だ。使い方を間違えると……使用者を呪うらしい」

「呪い……?」

「心を閉ざすと、声と感情が封じられる――だとさ。

まぁ、ありきたりな失敗例だ。誰かが、強制的に実験したんだろう」



 ノアトは少女の腕輪に目を落とした。

「……これ外せないの?」

「無理だな。普通の錬金師でも手出しできねぇ。」



 ヴァレンの言葉に、ノアトは沈黙した。

 少女はベッドの隅に座り、膝を抱えている。

 髪は湯でほどけ光に反射して艶めいて、顔立ちは年相応に戻っていた。

 けれど、口は閉ざされたまま。


 ノアトが膝を折って、目線を合わせた。

 少女の紫の瞳がかすかに揺れる。


「名前はなんていうの?」


小さな首が横に振られる。


「……そっか」


 ノアトは少し考え、微笑んだ。


「じゃあ――スミレ、って呼ぶよ。

その髪と瞳の色、スミレみたいだったから」



 少女は一瞬だけ瞬きをした。

 そして、ごく僅かに――頷いた。


 ヴァレンがソファに身を沈め、呆れたように笑う。


「……勝手に名前までつけたか。お前はほんと、拾い癖がひでぇな」

「だって、呼べないと今後困ると思うし…」

「……まぁ、悪くねぇ名前だ。」



---


 夜が更け、風が窓を叩く。

 ヴァレンは机に頬杖をつき、手元の資料を眺めたまま呟いた。


「……“心を閉ざした者には感情と声が戻らない”。

けど逆に、心を開くとどうなる……?」



 その問いに答える者はいない。

 灰の国の夜は静かだった。

 けれど、その静寂の中で――

 黒い腕輪が、淡く光始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ