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第一章 興味本位



◆夕餉の決意


 アルシエル家の食卓には、ランプの灯りが揺れていた。

 パンとシチューの香りが漂い、家族四人の夜は、いつも通りに穏やかだ。


 ノアトは椅子に腰を下ろし、パンをちぎりながら何気なく口を開いた。


「最近さ……貴族ってなんかつまらないから、冒険者になろうと思う」


 その一言に、場の空気がぴたりと止まった。


 父は、街の事件が載った新聞からゆっくりと目を離し、眉をひそめる。

 母はスプーンを持ったまま、驚愕と不安を浮かべた表情で固まっていた。


 向かいに座るスノアは、赤い瞳を丸くして、兄をまじまじと見つめる。


「え? ……お兄ちゃん、ほんとに?」


「ん? あぁ、うん」


 あっけらかんとした声が、静かな食卓を揺らした。


「だってさ、屋敷の中は退屈だし。事件とか遺物とか、面白そうなのはだいたい外に転がってるしね」


 あまりにも軽い言いぶりに、父はこめかみを押さえる。


「ノアト、お前な……。外の世界は“面白い”だけじゃない。危険も多いんだぞ」


「危険なのは分かってるよ。だから、ちゃんとギルドに登録してから行く」


 ノアトはさらりと返し、シチューを口に運んだ。


 スノアの胸には、不安とざわめきが残る。


(……お兄ちゃん、本当に行っちゃうの?)


 確かめたいのに、言葉にはならなかった。



---


◆冒険者ギルド《遺物調査局クロニカ》


 翌日。

 市場都市ブレストンの中央、石造りの大きな建物の前でノアトは立ち止まった。


 街一番の喧騒を集めるこの場所こそ――冒険者ギルド《遺物調査局クロニカ》。


 正式名称が示す通り、クロニカは各地に眠る“遺物”を調査・管理する役割を担う。

 古代文明が残した道具、力を持つ宝具、未知の器具……遺物は有用であると同時に、危険性を孕むものでもある。

 それを探し、運び、守るのがクロニカの冒険者たちだ。


 ブレストン支部は市場都市ならではの特色を持ち、“取引”や“流通”を巡る依頼が多い。

 内部には仲間探しのロビー、びっしりと紙が貼られた依頼掲示板、そして受付カウンター。

 大広間には冒険者たちの笑い声や、交渉する商人の声が飛び交っていた。


 ノアトは人混みを抜け、受付の前に立つ。

 そこには金髪をポニーテールにまとめ、眼鏡をかけた若い女性がいた。

 あっさりした口調の受付嬢――フェリス・ハートリーだ。


「登録希望ですね。……では、簡単な確認を。特技は?」


「観察、かな」


「……観察?」


 フェリスは一瞬だけ瞬きをし、すぐに事務的な調子に戻る。


「それならシーフですね。視界と状況把握が武器になります」


「じゃあそれで」


「……はい、登録完了しました」


 淡々と書類を処理したフェリスは、依頼掲示板を顎で示した。


「最初の依頼はこちらから選んでください。ただし、新人向けのものにしてくださいね。危険な地域への単独行動は禁止です」


「了解。……あ、これ」


 ノアトはひととおり眺め、適当に一枚を引き抜いた。


《市場での盗難事件の犯人調査》


「……ただの調査? まあ、簡単そうだね」



---


◆市場の違和感


 ブレストンの市場は、今日も賑やかだった。

 果物の香り、焼き肉の匂い、布地の色彩。人々の声が溢れる。


 ノアトはぶらぶら歩きながら、適当に露店を眺めていた。

 そのとき――ふと視線が止まる。


 商人が客に荷を渡す。……軽い。

 受け取った瞬間、その腕の沈み方が、商品にしては「軽すぎる」。


 さらに少し離れた路地側で――同じ服装、同じ顔立ちの商人が、別の客に荷を受け渡していた。


「ん? さっき違う場所にいたはずの……」


 ノアトは足を止め、首をかしげる。


「なんか、変だな」


 面白そうだと判断した瞬間、青い瞳がわずかに鋭くなった。

 彼は人混みの中に紛れ、自然な足取りで尾行を始めた。



---


◆ブローカーの影


 人波を抜け、石畳の路地裏に差し掛かったところで、荒っぽい声が飛んだ。


「小僧、何を見ていた?」


 振り向くと、紳士風の中年男と、その取り巻きが道を塞いでいた。

 市場の裏で暗躍するブローカー――そんな雰囲気が全身から滲み出ている。


 取り巻きの一人は眼鏡をかけ、どこか“作りものめいた”印象をまとっていた。


「人の顔?」


 ノアトは素直に答える。


「つまり、ここに来た理由があるんだな?」


「いや、なんとなく」


「“なんとなく”で俺たちを尾ける奴があるか!」


 取り巻きが一歩踏み出し、ノアトの襟首を掴もうと手を伸ばした。


 ノアトは肩をすくめ、ちらりと路地の出口――市場の方へ視線をやる。


「……まだなんとかなりそう?」


 走り抜けようとした瞬間、腕を掴まれて持ち上げられた。


「うわー、たすけてー!」


 叫ぶノアトの口を塞ごうと、前に回り込んだ眼鏡の商人。


「おい、だまれって!!」


 揉み合いの拍子に、商人の眼鏡が足元に転がった。


 ぱきん、と小さな音。

 次の瞬間――商人の顔が、見る間に別人へと「揺らいで」消えた。


「なっ……幻影が……!」


 部下は慌てて顔を手で覆う。


 路地の外からは、騒ぎを聞きつけた人々のざわめきが近づいてきていた。


「おい、今の見たか?」「顔が変わったぞ……!」「遺物じゃないのかあれ!」


 ドタドタとこちらに走る足音が聞こえ、数人の警備兵が駆け込んでくる。


「何事だ……!?」


 その中の一人――気さくそうな中年の兵が、転がった眼鏡を拾い上げた。


「こりゃ……遺物か」


 兵は眼鏡をまじまじと観察し、それからノアトに視線を移すと、にやりと笑った。


「見破ったのか、これを。お前は目がいい、センスあるぞ!」


「え?」


「おいお前ら! この坊主が幻惑を見抜いたんだとよ!」


 口の軽い兵がわざわざ大声で言ったせいで、その場にいた野次馬たちにも話は一瞬で広がっていくのだった。



---


◆拾い物は幻惑眼鏡ミラージュレンズ


 ギルドに戻ったノアトは、依頼の報告をしにフェリスへ声をかける。


「依頼、終わったよ。あとこれを拾った」


 そう言って古びた眼鏡を掲げ、軽く顔にかけてみせる。

 その瞬間、ノアトの姿がふっと別人に揺らいだ。


「……っ!? な、なにをしているんですか!」


 フェリスは血相を変えてカウンターから身を乗り出し、眼鏡をむしり取るように奪い取った。

 指先が震え、顔色が変わる。


「まさか……幻惑眼鏡ミラージュレンズ……! これは犯罪指定遺物です!」


「え? そうなの?」


 ロビーは一気にざわついた。


「犯罪指定だってよ」「新人が持ち帰ってきたのか?」


 フェリスは眼鏡を布で包みながら、きっちりとした口調に戻る。


「……詳細な鑑定は《アプレイザ》に回します。あなたはこれ以上触らないこと。いいですね?」


「了解」


「それと、さきほど警備隊からも通達がありました。あなたが現場で犯人を特定したと」


「いや、あれは勝手に眼鏡が落ちて……」


「“勝手に”落ちて、“勝手に”見破れたら誰も苦労しません」


 フェリスはため息をつきつつ、支部長への報告書を握りしめた。


「これは、支部長に報告します。犯罪遺物が絡む案件ですから」


「依頼一つで……大変なんだなぁ、冒険者って」


 フェリスの後ろ姿を見送ったノアトは、あっさりギルドを後にした。



---


◆家族の食卓


 その夜。

 アルシエル家の夕食には、黒いシチューの香りが漂っていた。


 新聞を畳んだ父が、ふと話題を切り出す。


「市場で盗賊が捕まったらしいな。……危ないことに巻き込まれてないだろうな? ノアト」


 その言葉に、母も心配そうにノアトを見つめる。


「ん? 今日は調査依頼やってただけ」


「“だけ”って……」


 スノアは赤い瞳を細め、兄をじっと見つめた。


「お兄ちゃん……大丈夫だった?」


「え? 大丈夫。余裕で達成したし」


 平然とパンを頬張るノアトは、どこか上機嫌だった。

 面白い依頼に出会える――そう思うと、自然と食が進んでしまう。


(……お兄ちゃん、楽しそうにしてるな)


 スノアは胸の奥に小さな棘のような不安と、ほんのわずかな誇らしさを同時に抱え込んでいた。



---


 そのころ、ギルドの一部では噂が広がっていた。


 ――「新人冒険者が犯罪遺物を摘発したって?」

 ――「ただの調査依頼で、犯人まで特定したらしい」

 ――「曇りなき眼とは、このことだな」

 ――「目がいいシーフが入ったって、警備隊のおっさんが言ってたぞ」


 口の軽い警備兵の一言から、「眼のいい新人」の噂は静かに広がり始めていた。

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