第4話:無骨な男
「だから、大丈夫かって」
「は、はい! 助けていただいてありがとうございます!」
手を握り慌てて立ち上がる。
体の向きが変わったので、ラフという人の顔が良く見えた。
(ずいぶんと綺麗なお顔をされているのね……でも何だか怖そう)
少し近寄りがたい雰囲気をまとっている。
意外なことに、声からは想像がつかない端整な顔立ちだ。
その中でも、猟犬みたいな鋭い目が印象的だった。
大柄だけど若そうで、私とそれほど年は違わないかもしれない。
「俺はラフって名前だ」
「私はウェーザ・ポトリーって言います。何とお礼を言ったらいいかわかりません。本当にありがとうございます」
何度も何度も頭を下げた。
感謝の印として何か差し上げたいけど、あいにくと何も持っていない。
「別に気にするな。それと、あまりウロウロしない方がいい。この辺りは決して治安が良いとは言えんぞ」
「そうですね。身をもって経験いたしました。私の不注意でご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。それでは、私はこれで失礼しますね」
これ以上ここにいると、またラフさんに迷惑をかけてしまいそうだ。
路地から出るため大通りへ向かう。
(あっ)
少し歩いただけで、フラフラと座り込んでしまった。
緊張の糸が切れたらしい。
身体に全然力が入らない。
ラフさんが慌てて近づいてきた。
「おい、無理すんなよ」
「す、すみません」
(今日は謝ってばかりだな……)
だんだん気持ちまで沈んでくる。
「お前、この辺のヤツじゃねえだろ。どこから来たんだ?」
一番聞かれたくないことをラフさんに聞かれた。
プライド様やアローガとの一件を思い出してしまう。
とてもじゃないが話すような気にはならなかった。
「あ、あなたには関係ありません。それより、早く私から離れた方がいいです。また変な人たちが来るかもしれませんから」
私はもう自分がどうなっても良かった。
ここが私の死に場所なのだ。
――ぐぎゅるる。
暗い雰囲気に似つかわしくない、のんきな音が響いた。
こんなときでも身体は正直だった。
「なんだ、お前。腹減ってんのか?」
「は、はい……ずっと、何も食べてなくて……」
(男性の前でお腹を鳴らすなんて!)
心も体もボロボロでそんな余裕はないのに、じわじわと恥ずかしくなってくる。
でも、ラフさんは笑ったりしなかった。
気にしているのは私だけみたいだ。
「ほら、これ食えよ」
ラフさんが懐から何か渡してきた。
それを見た瞬間、飛びつきそうになった。
「パ、パンじゃないですか!? い、いただいてよろしいんですか?」
「ああ、お前にやる」
「ありがとうございます!」
慌てて受け取ると、獣のようにかぶりつく。
(お、美味しい……)
あまりのおいしさに自然と涙が出てきた。
今まで、これほど美味しいパンを食べたことはない。
「ただし、何があったのか教えろ。お前、貴族だろ」
貴族と言われ、ギクッとした。
「……どうしてわかったんですか?」
「話し方も丁寧だし、苗字だってあるからな」
ラフさんは何でもお見通しのようだ。
助けてくれたしパンだってくれたのだ。
(話した方が……良いわよね)
心の中で覚悟を決め、重い口をグッと開いた。
「実は私、婚約破棄されて国外追放されたんです……」
ここに来るまでにあったことをぽつぽつと全て話した。
プライド様のこと、アローガのこと、"メイドの子"で"赤い髪"のこと、【天気予報】のスキルのこと。
ラフさんは黙って聞いてくれていた。
不思議なことに、話し終わると心が少しだけ軽くなった。
「……そうか、そんなことがあったのか。じゃあお前は、もう帰る場所がないんだな」
「はい。実家も頼れませんから、思い切ってロファンティまで出てきたんです。ラフさんに出会えなければ、私はどうなっていたかわかりません」
「だから、別にいいって」
「ありがとうございました。パンまでいただいてしまって……食べると元気が出てきました」
これは強がりでもウソでもなかった。
本当にちょっとずつ力が出てきたのだ。
「それでは、私はもう行きますね。何のお礼もできなくてすみません。でも、このご恩は一生忘れませんから」
ラフさんを置いてスッと立ち上がる。
いつまでも、ここにいるわけにはいかない。
(この先、私はどうなるんだろう)
不安に駆られながら細い路地を歩いていく。
「ちょっと待て」
少し歩いたところで、ラフさんに呼び止められた。
「はい……何でしょう?」
「さっき食堂で言っていたことは本当なんだな?」
ラフさんは奴隷商人たちをやっつけたときより、真剣な目をしている。
「え? さっき言っていたことって……」
「お前は明日の天気がわかる、って言ってただろ」
そういえば、料理屋さんでそんなやり取りをした。
「はい、わかります。先ほども言ったように、私には【天気予報】のスキルがあるので。だけど、それがどうかしたんですか? どうせ、この街じゃ役には……」
「本当なんだな?」
ラフさんはガッと私の両肩を掴んできた。
あまりの勢いに少し怖気づいてしまう。
「は、はい、本当です」
そう言うと、ラフさんは安心したような表情になった。
「俺たちのギルドに来い。お前が必要だ」
「ラフさんたちの……ギルド?」
ギルドと聞いて、奴隷商人たちが言っていたことを思い出した。
("重農の鋤"のラフって呼ばれてた。あれ? 鋤って農業に使う道具だよね?)
私の疑問を察したかのように、ラフさんが説明を続けてくれた。
「俺たちのギルド"重農の鋤"は農業ギルドなんだ」
「農業ギルド……ですか? 冒険者のギルドじゃないんですか?」
聞きなれない言葉だ。
ギルドは冒険者の集まりだと思っていた。
「俺たちはなかなか手に入らない、貴重な作物や植物を栽培してんだ。毎回採取しに行くのは結構大変だからな」
「へぇ、そんなギルドがあるんですね」
王都にいたときは、ギルドそのものと特に関わりがなかった。
ギルドにも色んな種類があることを初めて知った。
「で、どうだ? 俺たちのとこに来ねえか?」
「……でも、私には天気を予報することしかできません」
農作業など一度もやったことがない。
不器用な私はケガをしないようにするので精一杯だろう。
「だから、それでいいんだよ。というか、それ以外に何を求める」
「え?」
私のスキルが何かの役に立つのだろうか。
「作物の中には天気の影響をもろに受けるヤツもある。天気がわかるお前がいれば、栽培だってやりやすくなるはずだろ」
「あっ……言われてみればそうですね」
農業にとって天気はとても大事な条件だ。
疲れのせいか、どうにも頭が回らなくなっている。
「だから、帰るところがねえんなら俺たちのギルドに来いよ。俺から紹介するから」
嬉しくて飛びあがりそうになる。
願ってもないことだ。
興奮を抑えようとしても、全然抑えられないほどだった。
「ぜひ……お願いします!」
「よし。じゃあ、さっそくギルドへ行くぞ」
私にはラフさんという人が、どんな人かわかってきた気がする。
(無骨な感じだけど、優しい人なのかな。良い人に出会えて本当に良かった……)
感傷に浸っていたら、ラフさんはとんでもないことを言ってきた。
「それはそうと、お前……なんか臭えな」
(なっ!)
雨に降られたり泥道を歩いたりしてきたので、私の体は泥だらけだ。
当たり前だけど、お風呂だって何日も入っていない。
(だけど、面と向かって……香りが強いって言うなんて)
怒らないよう努めて冷静に言う。
「ラ、ラフさん。これでも私は一応女の子なんですがね」
「だから何だよ。臭えもんは臭えだろうが」
残念ながら、ラフさんの辞書にはデリカシーのデの字もないみたいだった。
だんだん、くちびるの端がヒクヒクしてくる。
ラフさんは命の恩人だけど、それとこれと話は別だ。
(助けてくれたけど! パンくれたけど!)
「おい」
「……」
ちょっと怒って、路地をずんずん進んでいく。
ラフさんがなんか言ってるけど知るもんか。
「おいって」
「何ですか!」
ささやかな反撃として、キッとラフさんを睨みつける。
「"重農の鋤"はそっちじゃねえぞ」
「……!」
ラフさんはさっさと歩いていく。
私が進んでいた方向と真反対だった。
(……もう!)
プンスカしながらもラフさんの後について行く。
知らないうちに、暗い気持ちはどこかへ消えていた。




