第7話 また帰ってきなよ
神力を吸い取ることができなくなってから、三か月目に突入した。お盆が終わる日はあいにくの雨で。
「神様もこれくらいは配慮してやればいいのに……」
オレはうつらうつらと船をこぎながら、暗い夜の中、山の入り口でうずくまっていた。
明日、郵便が来ても起きていられるか怪しいな。
意識がぷつりと途絶えた。
『ましろくん。今までありがとうね』
『オレ何もしてねえよ、ジジ』
『本当に一緒に行かないでよかったのかい? 一人で生きていける?』
『うん、山神様の神力をわけてもらえることになったからさ。二人こそ元気で生きていくんだぞ』
ジジと、ババだ。
オレは、オレとジジババが水城邸の玄関で話し込んでいる様子を少し上から見ていた。なんだ、この夢。手指の感覚はないけれど、全身を包み込む空気はひどく優しくて暖かい。ババが家を惜しむように見上げた。
『この家はしばらくこのまま残しておくよ。ましろくん、守ってくれるかい?』
夢の中のオレは、得意げに胸を叩いていた。
『もちろんだよ! オレがいつまでもこの家を守るよ。だから、また帰ってきなよ』
『ふふ、それは安心だねえ』
あ、これ、最後の会話だ。
そう自覚した瞬間、するりと誰かがオレの頬を撫でていった。頭にもぽんと手が置かれる。まぎれもなく、分厚くてカサカサした、大きな人間の手だ。
「あ」
サアアアァァァ、と耳元で雨音が響いた。夢から覚めたオレは、変わらず山の入り口で丸くなっていた。
「おはよう。これ、今日の郵便ね」
いつもの配達員のおじさんが、目の前に絵葉書入りのビニール袋を差し出してくる。
「あ、うん」
反射的に受け取ると、おじさんはうるさいバイクに乗って去っていった。
生きてる。
「……ジジババが、会いに来てくれたのかな」
それで、思い出させてくれたんだ。溶けて消えていってしまった記憶を。それで。
「生きてって、言われてるなあ」
顔を雨が濡らしていく。暗く閉ざされていた心の中の何かに、光る雨粒がしみ込んでいく。
頭痛がひどい。体中のだるさも抜けそうにない。でも。
オレは顔を上げると、ビニール袋を口でつまみ、四本脚を懸命に動かして、山を登っていった。
オレが契約する人間は、後にも先にもジジババだけだ。だから、あいつと契約するなんてありえない。一緒に生きていくなんて、想像できない。
早朝の水城邸は雨の中に沈んでいた。いつもよりもずっと早い訪問になってしまう。薫が起きているかも怪しい。玄関に行く足を方向転換して、縁側に突進した。ぺちぺちと縁側を叩く。
「薫!」
でも、ジジババが言ったのだ。
「あら? 今日は早いわね」
寝ていたわけではないようだ。薫はすぐに出てきてくれた。雨の中びしょぬれのオレを見て一瞬目を見張り、バスタオル! と家の中に引き返そうとする。オレはあわてた。雨だし、かなり走ったし、いつ自分の妖力が尽きるか分からない。焦りすぎて、思ったよりも大きな声が口から飛び出してしまった。
「ちょっと待って!」
「ましろくん?」
振り返った薫の顔が、ひどく心配そうに歪んでいた。そんな顔しなくて大丈夫なのにな。
「オレさ」
薫を見上げて、オレはにひひっと笑った。
「ジジとババと、約束したんだ」
『ましろくん、守ってくれるかい?』
『もちろんだよ! オレがいつまでもこの家を守るよ』
契約主の頼みだ。オレの、望みだ。
「オレ、この家を守らなきゃ。だからさ」
薫の瞳が輝いたように見えた。初めてちゃんと見た。薫の瞳は、どこまでも見通せるような、きれいな夜空の色だ。
「薫、オレと契約してくれ!」
そしてまた来年、ジジババが会いに来てくれるまで生きていたい。
これにて完結になります。
最後までお読みくださりありがとうございました!




