表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
-ORIZO- 異世界の英雄  作者: 小浦すてぃ
13/18

ーランドグラーシャの城ー


 乾いた土の地面を蹴って、兵士は女性に斬りかかる。構えているのは切れ味の悪い演習用の大剣だが、スパッと斬れない分いたぶるのにはちょうどいい。彼はどこかの田舎で使われていたであろう薄灰色の聖衣を纏った女目掛けて斜めに振り下ろす。しかしその剣先はわずかに届いていない。

 大剣を振るうにはどうしても動作が大振りになる。その間は彼女の格好の獲物だ。事実男は大剣を構えなおす前に遥か後方へと弾き飛ばされた。

 ぞろぞろと錆色の鎧を着た十数人の兵士たちが槍と盾を構えて紅い髪の女を取り囲む。兵士たちの後ろには数十人の男達が弓を絞り、盾と盾の間から狙いを定めている。それを小さく嘲るように笑う女の胸元に、ペンダントの上下に繋がった球の飾りが揺れる。

 無数の矢が一点を目掛けて疾走する。それでも一本たりとて彼女を射止めることはなく、兵士たちが囲む中心にいたはずの彼女は数本の矢を片手に一人の兵士を盾ごと蹴り飛ばしていた。

「姉貴、だいぶ溜まってるみてぇだなぁ」

 ソウシマアタの塔を後にした翌日、一向はランドグラーシャの中心部にある、城の側の演習場に来ていた。民衆用観席でコルチが呟きながら手持ちの肉を頬張る。火の国の兵士が定期的に行う乱戦の訓練は、こうして民衆に公開され娯楽の一つになっている。乱戦と言っても、大抵は強靭な力を持つ一人を残りの兵士が力を合わせて袋叩きにしようとするパターンに落ち着く。そして今回もまた、演習場に立っているのは強靭な力を持つ一人である、火の国将軍代理のアンニィだ。

「ねぇホノカ。ちょっと水飛ばしてみない?」

 ジェイビーの隣から、ミナリはいかにもいいアイデアだといった顔で提案する。しかしホノカがやんわりと断ると素直に引き下がった。

「じゃあ僕行ってくるね」

 ミナリの飛び入りに他の民が沸く。アンニィもギョッとしているが、すぐに気絶している兵士から盾と槍を奪って構えた。

「あれがクシミア様の右腕。アンニィ将軍代理さ」

 コルチの声にホノカは、自分と同じ歳程の彼女が持つ肩書きに驚き、実力に納得した。文字通り目にも留まらぬ速さで走る彼女はまさに突風だ。コルチが話す彼女の嘘みたいに輝かしい戦績――例えばピレットサンデノワッタの戦いは彼女の二度目の戦場にも関わらず、一人でクニの三分の一を掌握したことなど――は、目の前の戦いが証明している。燃えながら宙を舞うミナリにも対等に立ち回ってみせる戦いぶり。これは将軍の立場なら手元に置かない手はない。因みにコルチ曰く、右腕といってもあっちの意味ではないらしい。

「なんで“代理”なんだ?」

 ホノカの問いに、コルチが気まずそうに顔を歪める。そして声を潜め“お前がオリゾだってことは、姉貴には絶対に言うなよ”と釘を刺す。

「姉貴は、クシミア様が帰ってくるって、生きてるって信じてるんだよ。将軍が生きているのに勝手にその後を継げないってさ」

 宙に浮いて火球を飛ばすミナリに、アンニィは歯噛みしながら槍を投げる。当然のように余裕をもってすっと避けて見送るミナリは、直後に飛んでくる盾に反応が遅れ、もろにくらって地面へと落ちた。

「調子に乗ったな、ライズ」

 アンニィが新たに拾った盾越しに仰向けのミナリの上に乗るとミナリもお手上げといった風に力なく手を広げる。ライズの正体を知りさらに仕留めた彼女は勝負あったと満足げな笑みを浮かべる。

「将軍代理って、結構重いんですね」

 ミナリはそう口走ると、笑顔のままの彼女に頭を殴られ気を失った。


「アンニィだ。将軍の代理を任されている」

「魚田峰ホノカです」

 コルチは演習が終わると、城へ向かうアンニィにホノカを客として紹介した。火の国では大抵の客は手厚くもてなされ、城内に部屋まで与えられる。それは今足首をつかまれ引きずられているミナリも同じだ。アンニィはミナリの体をコルチに預けると、ホノカの体を見定めるように眺めた。

「いい体つきをしているな。出身はどこだ?」

「彼と同じです。友達なんですよ」

 相手が将軍の立場となると貫禄があるようで、ホノカも自然と敬語になる。アンニィに同情されつつ“早く帰る方法が見つかるといいな”との返事をうけて軽く頭を下げた。どうやらある程度のことはミナリが既に話しているようだ。

「お前の実力が見たい。近いうちに稽古をつけてやろう。明日の昼食後でどうだ? そこらの酔っ払いを退けられるくらいならすぐ鍛えてやれるぞ」

 歩き出すアンニィの後ろに続き、彼はコルチの顔を窺ってから了承した。彼女はホノカがそこらの酔っ払いにも負けると思っているようだ。まさか彼がクシミアの仇だとは気づきもしないだろう。

「すみません姉貴。奴を仕留められませんで」

 コルチがダスターゴの件を口走ると、アンニィはうんざりした顔で頭を抱えた。なんでもミナリや兵士たちの襲撃から逃げ出したダスターゴはスプリンシュディラの街で兵士に見つかったが、取引の関与を否定しそれどころか迎えまで要求したという。引き車を用意しここまで引いてきたと話す彼女は心底腹を立てているようだった。

「まったく、さっさとお引取り願いたいものだ」

 一行が石で作られた城門をくぐると、噴水の前から声が響いた。空色のローブを纏う宰相ナンシーが、少し背が高く体格の良い男に何かを説得している。男の重厚感のある深い赤のマントには金の刺繍が施されており、猛々しい炎が描かれている。王冠には緋色の宝石がはめ込まれ、所々に入った皺や立派に蓄えた髭、皺の入った気難しそうな顔にも貫禄がある。

「王様。この件はもう引き伸ばすことは出来ません。早急に手を打たないと」

「何度も言っているように、そんなつもりはない。新たな争いを起こす時でもないだろう」

 整えられたうす緑色の髪が日を受けて輝いており、ホノカの世界で言えば彼は四十ほどの容貌だ。土地を治める者としては水の国と比べても随分若い。

「そんなこと言って、何かあってからでは遅いと何故わからないんですか」

 一行が二人に近づきアンニィが頭を垂れると、王はホノカの姿に目を光らせた。新しい客は口うるさい宰相から逃げる口実になる。彼は早速ホノカの手を取り、顔を綻ばせた。

「新しい客人よ。よく参られた!」

 コルチが王へ耳打ちすると、王の表情は驚嘆に変わり、目の色が興味に溢れ輝く。本当かという確認にコルチが頷くと、王はホノカの手をぶんぶんと振って喜んだ。

「是非貴方のお話を聞かせてもらいたい! 今から早速――」

 コルチとアンニィから同時に静止が入る。午後はダスターゴとの交渉が控えていると言われがっくりうなだれたのも束の間“では明日の朝一に用意させよう”と言ってその場を後にした。ナンシーはといえば、帰ってきたジェイビーを、彼の母親のように強く抱きすくめ頬ずりをしている。

「貴方がジェイビーを助けてくれたのね。ありがとう。感謝してるわ」

 ジェイビーの頬にキスをし頭を撫でながら、ナンシーが歓迎する。その清廉で落ち着いた雰囲気は相手に敵意を抱かせない包容力に溢れている。ジェイビーが赤面するのも気恥ずかしさゆえだ。

「あとで、私の部屋にいらして」

「ホノカ。部屋に連れて行ってあげる」

 彼女の言葉を遮るように、いつの間にか意識を取り戻したミナリが手を引き、彼を城の中へ案内する。既に城に泊まることになっていることに驚きながらも、ホノカは友好的な面々に安堵の息を漏らした。

コルチが二人の後を追い、ナンシーは去ろうとしたアンニィを引き止める。

「訓練の方はどう? 久々に思いっきり動けて気持ちよかったでしょ?」

「おかげさまで。でも、しばらく戦場に出ていなかったせいか、少し体が重くなってしまったようで。訓練を怠っているつもりはないのですが……」

 ナンシーはジェイビーから手を離し、アンニィの肩を抱く。そしてゆっくりその手を体の線に沿って下ろし、おなかの辺りで不自然に目を留めた。彼女の挙動にアンニィも訝しむ。

「どうかされましたか?」

 きょとんとしたアンニィの耳元に唇を近づけ、そっとナンシーが囁くと彼女は面食らった顔になって仰け反った。

「そういえば、ダスターゴ様の部屋のゴルデアが古くなってきたらしいの。交渉中に取り替えて差し上げて」

 彼女の表情はその程度では変えられない。しかしナンシーが噴水の中からメキュハクヒの槍を取り出せば話は別だ。彼女は槍を受け取ると信じられないと目で訴える。ナンシーは黙って首を横に振ると、全て悟ったアンニィは槍を持ったまま、伏目がちにその場を後にした。



 城内の一室で寝具に横たわっていたホノカはノックの音に目を開けた。窓の外は既に暗く、ゴルデアの灯りが爛々と整理された部屋を照らしている。彼が扉を開けると、籠を下げたナンシーがにっこりと微笑んでいた。

「ご夕食を共にと思いまして」

 籠の中には青い瓶と木目の箱が二つずつあり、ふんわりと香ばしい香りが溢れている。彼は部屋に招き入れると、ナンシーに言われるがままテーブルに付いた。彼の目の前で瞬く間に食事の用意を整えた彼女は向かいに座り、瓶の中身を無色水晶のカップに注いで手渡す。その動作のどれをとっても優雅かつ滑らかで、乾杯を促されるまでホノカも見惚れていた。

 木目の箱の中は薄く輪切りにされた燻製肉や花の形に飾り切られた果実、桃色の根野菜を甘辛く煮付けたもの等様々なおかずが四辺を囲み、その中心には炊き立てのご飯が湯気を立てている。さらに箱の側にそっと置かれているのは箸だ。さながら準和食といった夕食にホノカの顔が綻ぶ。

「この料理は特別なお客様にしか用意しないの。味に自信がないわけじゃないけど、食べ慣れていないでしょうからお口に合うかどうか……あら?」

 ホノカが根野菜の煮付けを一口含むと、彼女は不思議そうに彼の右手を眺めた。考えてもみてほしい。始めて日本に来た人が見事な箸捌きを披露すれば驚くのも無理はない。彼女は今まったく同じ立場なのだ。

「どうかしました?」

「いえ、なんでも。それより、ここに来るまでのお話を伺ってもいいかしら」

 ホノカは少しの間軽く唸って、ぽっと話し始めた。ラインッシュターリアでラジーマに出会う以前のことと自分の能力、そしてメキュハクヒの槍については一切触れない彼の話をナンシーは羨ましそうにうんうんと頷きながら箸を動かす。

「……そして次は……スプリンシュディラで一回……下ろしてもらったんです」

 話すホノカの箸から豆が逃げる。何度も掴もうとしてもするりと抜け続けた豆は、向かいから伸びてきた箸に捕まり持ち上げられ、ホノカの口の前へと出された。“はい、あ~ん”という優しく甘い声にホノカは顔を赤くし“すみません”と謝りながら口にする。

「それで……そこでバスタっていうおじいさんに会ったんです。とても親しみやすくて礼儀の良い方だと思ってたんですけど」

「あら、偶然かしら。同じ名前の女の子が昨日来たばかりなの。ご親戚かもしれないわね」

 ホノカの話がソウシマアタの塔へ差し掛かったところで、二人とも食事を終えた。因みにホノカは一つも豆を掴むことが出来なかった。ナンシーはてきぱきと食器を籠に戻すと、彼に暖かな眼差しを向けて寝具に腰かけ、横をポンポンとたたいた。遠慮するホノカだが、ぐいっと腕を引っ張られて横に座らされる。

「さあ、続きを」

 困惑するホノカは彼女から視線を遠ざけるかのように、出来るだけ窓の外を眺める。ソウシマアタの塔ではコルチが遠い水の国へ行った時の記憶を見たと言ってごまかすと、ナンシーは信じ込んでいるようだった。

「水の国ですか。さぞ素敵なところなのでしょうね」

「ええ。きっと――」

 ホノカの体がぐらっと傾き、その頭はナンシーの膝に受け止められる。空色のローブに浮き出る彼女の身体、その美しい曲線は触れ心地がよさそうだ。彼女はホノカが動くよりも早く片方の手で彼の耳に細い棒を当て、もう片方の手で頭を撫でる。

「力を抜いて、じっとしててくださいね。お耳の掃除をするだけですから」

 断るのも悪いとでも思ったのか、ホノカは姿勢を戻すこと無く話を続けた。にこっと笑う彼女の白い指先がさわっと耳の溝をなぞり棒の先端が奥を磨くと時おり彼の話が止まる。

「オリゾという名の戦士を見ましたか? 水を操ると聞きましたが」

「え、ええ。まあ」

「ふふ。もし戦うとすればどちらが勝つのかしら。水を操る戦士とメキュハクヒの槍」

 ホノカの体がビィッと震える。心配そうに顔を覗き込むナンシーに“さ、さぁ、どっちなんでしょうねぇ”とごまかすホノカは能力を使っていなければ冷や汗でだらだらだっただろう。


「ちょっと、なにやってんのさ」

 窓辺からの声に二人が顔を上げると、ミナリがむすっとした顔で窓枠に腰かけていた。ホノカは助かったと言わんばかりに体を起こし、ナンシーは微笑んで上品に手を振っている。

「まさかミナリ様が噂のライズだったなんて、驚きましたわ。どおりで毎晩尋ねてもいらっしゃらなかったのですね」

「ナンシーさん。少し席を外して貰えませんか。今からホノカと大事な話があるので」

 淡々とした声にはピリピリと敵意が感じられるが、彼女はまったく気にする様子も無くミナリの言葉に目を丸くし、“まあ” と上品かつ大げさに両手で口を押さえている。

「お二人ってそういう関係でしたの? ……でもせっかくですし、三人で楽しむというのも」

「ナンシーさん」

 冗談ですと笑いながらナンシーは籠を手にとって部屋を後にし、部屋には重い沈黙が漂う。しかしそれも束の間、ホノカの“おかえり”にミナリが笑って“ただいま”と返すと、直前の気まずさが嘘のように洗い流された。

「大丈夫? 変なことされなかった?」

「いや、ご飯食べて耳かきしてもらっただけ」

「そっか、危ないところだった。ここじゃ宰相の悪戯好きは有名だからね」

 と言いながら窓枠をひょいと降りホノカの耳を丹念に調べるミナリ。よっぽど宰相を信用していないらしい。息がかかってくすぐったがるホノカの頭をがっしりと固定し、耳を見回し続ける。

「ミナリはなにしてたんだ?」

「義賊。昼間負けちゃったからさ。威信を取り戻そうと思って」

 ようやく頭から手を放すと、ミナリはホノカの隣に座ってホノカに体を預け、肩をすくめながら重い溜息をついた。

「でもね。思ったんだ。僕がどんなにやったって、みんなの生活自体は変わらないんだなって。……僕がやってることって、結局意味のないことなのかな」

 弱々しい態度にホノカは戸惑いながら、ポンポンと励ますように背中を叩く。

「どうした。らしくないぞ?」

「……この世界に来てからずっと、流れに身を任せて好きにやってきた。でも、何のために何をしに来たんだろうって、ふと考えちゃってね。僕がこれをやってたのはね、もしホノカがこっちの世界に来てくれてるなら、きっと気づいてくれるって思ったからなんだ。だからもう、ライズになる必要はないんだ」

 語るミナリの声は穏やかで、どこか言い聞かせる風で、納得しているようでもある。しかしその表情は寂しげで、目には憂いすら浮かんでいるように見える。

「ホノカなら、どうする?」

「俺?」

 そっと問いかけたミナリは立ち上がり、間の抜けた顔で自分の顔を指差すホノカに向き直る。

「悩んでるんでしょ。元の世界にも戻りたいけど、英雄オリゾとしてこの世界のために働きたい。お見通しだよ」

 テーブルに体重をかけ凛々しく笑むミナリを前に、ホノカは図星とばかりに俯いた。今彼に元いた世界に帰らなければならない理由を問えばおそらく答えられないだろう。執着するものがあるほど彼は元の世界をよく見ていないのだ。

「そうだな。だって俺は、まだ俺自身の世界で見てないものが山ほどあるんだ……でも、こっちの世界もまだ見ていたい」

 自分がいる環境を当たり前のこととして漫然と日常を過ごしていた彼にとって、こちらの世界で過ごしてきた数ヶ月の方が充実し貢献できる世界と感じるのも当然だ。それと同時に元の世界を恋しく思うこともまた自然な感情だ。

「俺は、もう元の世界に帰れないのかな」

 ホノカは呟き、そっと顔を上げる。その顔は少し迷いを拭ったように、なにかを諦めたときのように、それでもこれでいいんだと自らを納得させようとするかのように笑みを浮かべていた。

「って、こっちに来たときは考えていた。でも今は、こんな時に帰ってもいいんだろうかって思ってる。これが俺にできることだっていうなら、やりとげたい。もっとも、こういうことは変える方法が見つかってから考えることなんだろうけどな」

 小さく笑ってぐっと立ち上がり、彼は窓枠の前でミナリに振り返る。部屋に入ろうとしたやけに冷たい風がホノカの背中を強く撫で、音を立てて別を当たった。

「でも……そういやちょっと前に言ってたよな。全部運命で決まってるって。だったら、どうしたいかなんて考えたって無駄かな」

 ミナリはしっとりかつ確かな足取りでホノカの前に立つと、シャツの襟を掴んて顔を引き寄せた。二人の顔は言葉通り目と鼻の先にある。

「運命に身を任せていても、意思は自分だけのものだよ。運命で決まっているからじゃない。僕は自分の意思で君を好きだって思い続けてきたんだ」

 鼻の先がちょんと触れあい、ミナリは手を離してベッドへと向かう。そしてピタッと止まると、後ろで組んだ手をそのままに振り返った。

「決めた。僕はホノカの側でライズを続けるよ。守ってもらうのも悪くないけど、やっぱり隣で一緒に戦いたいもん」

 パリィン――ガラスが割れたような音が窓の外から響く。とっさに外を覗きこんだホノカは、離れた部屋の窓から中へ入ろうとする影を目に捉えた。

「何の音?」

「行こう。王様が危ない」


 二人が部屋を出ると、ちょうどアンニィが前を通り過ぎた。二人は彼女の後へ続き王の寝室の前まで来ると、準備が整ったと見たのかアンニィは勢いよく扉を開けはなつ。

 気品に溢れた部屋は夜の暗さと散らばる無色水晶の破片で物々しく、王は腰を抜かし震えるジェイビーを庇うように立ち、黒い影がバッとどこかへ跳び消えた窓の外から目を離さずにいる。

「お二人はここで警護を。あたしは奴を追います」

「いや、俺も行きます!」

 ホノカが廊下へ駆け出したアンニィの後を追うと、アンニィは少し驚いたような顔をした。廊下を走り階段を下り、程なくして二人は昼間にくぐった庭への扉の前に着くが、夜も遅いとあって固く閉ざされている。

「レバーは二階……私が開けてきます。開いたらすぐに追ってください」

 ホノカが頷くと、走り出した彼女は少し離れた所の角を曲がって姿を消した。数十秒ほどして、大きな扉が音を立てて動き始める。彼は通れる隙間が出来るとすぐに王の部屋のすぐ外に当たる場所へと駆けた。

「……え?」

 彼の目の前では、扉を開けてくれたアンニィが、縄で縛られ頭に袋を被った背の高い民をメキュハクヒの槍の石突で小突いている。

「よく来た。だが、少し遅かったな」

「な、なんで」

「客に任せるわけにはいかん。将軍としての立場があるからな」

 フンと不適に笑ってみせる彼女にホノカが目を離せないでいると、ぞろぞろと兵士が集まり手際よく拘束された民を持ち上げた。民は何か喚いているが、何かを咥えさせられているのか袋の中からの声は不明瞭だ。アンニィとホノカは兵士たちに随伴し、やがて開ききった扉をくぐると、ゴルデアの光が眩しい鎧を纏った、背の高い男が整った顔立ちに眉を顰めていた。

「こんな遅くに何事でしょうか。客人の就寝を妨げるのがここのもてなし方なのですか?」

 麗人といった表現が似合う彼の言葉に、アンニィは姿勢を正す。

「ダスターゴ様、申し訳ありません。王を狙う刺客が――」

「何でも構いませんが、もう少し静かにお願いしますよ」

 欠伸をしながら去るダスターゴ。その手首に揺れる小さな細い筒にホノカは目を留めていたが、アンニィの声が視線を動かす。

「私は奴を牢にぶち込んでくるから、君は王を頼む」

 それだけ言うと彼女は兵士たちのが進んだ方へと歩き出した。ホノカもついさっき駆けた階段を上り廊下を戻る。その間、彼は人差し指の付け根をずっと唇の下に押し当てていた。


「だから言ったではありませんか!」

 廊下に宰相の声が木霊し、ホノカは急いで王の寝室へと向かう。そこでは震えるジェイビーを抱きしめるナンシーが、ベッドに腰かけた王に悲痛な顔で叫んでいた。落ち着くよう促すミナリになだめられ、ナンシーは呼吸を整える。事情を窺うようにミナリを見るホノカだが、ミナリは肩をすくめるだけだ。

 ホノカが声をかけると、全員の視線が彼に集まった。彼は襲撃者が捕まったことを告げると、国王とナンシーは胸を撫で下ろす。

「申し訳ありませんホノカ様。お手を煩わせてしまって……奴らは、水の国の民に間違いありません。本で読んだとおりでしたわ。ここから出てきた民の頭、その後ろが垂れ下がっていました。クシミア将軍が行った侵攻の報復に来たとみて間違いありません」

 ナンシーの部屋は王の部屋の真下にあるとミナリが耳打ちする。窓の割れる音に彼女が窓辺に寄っていたため逃げる刺客の姿を見ていたらしい。ホノカは愕然とした表情でミナリを見返すが、彼はいたって真面目な顔をしている。

「しかし、侵入者を知らせる鎖の罠が動いていない。これはつまり――」

「それだけ相手が手ごわかったと言うことです」

「あるいは、この罠のことを知っている身内か…………まさかまた君の悪戯ではなかろうな?」」

 王の言葉にナンシーはヒステリックに顔を覆う。そして甲高い声でこれでもかと怒りを表した。

「この期に及んでなにをおっしゃいますか。私は王様のためを思って……ああもう、今圧倒的な力を見せつけて反抗する意思を奪わないと、向こうはきっと何度でも寝首をかこうとしてきますわ!」

「落ち着きたまえ。まだ水の国の復讐と決まったわけではなかろう。襲撃者を捕まえたのであれば情報を聞き出せばいい。刺客程度で慌てる必要がどこにある」

 水の国の民は火の国に来る手段を持っていない。それを知るホノカは口を挟もうと一歩踏み出すが、ミナリが肩を掴んで制止する。

「王様。侵略ではなく、王の身を護るための先制的自衛としてお考えください。仮にこの襲撃が水の民の仕業でなかったとしても、いつ水の国が攻めて来るともわかりません。それにこのようなことが続くと、お客様も怖がってしまいますわ」

 説得するナンシーの脇を、ミナリがホノカの手を引いて抜ける。そして二人は部屋へ戻ると顔を見合わせた。

「何で止めたんだ。水の国が攻められるかもしれないっていうのに」

「まだその時じゃないからだよ。今“水の国から来ました”なんて言ったら、内通者だって疑われるよ。そうなったらまともに話も聞いてくれなくなる」

「そうかもしれないけど」

言葉につまり、顔を背けるホノカは力任せに拳を壁へ打ち付ける。

「そんなことよりさっきの襲撃、妙なところはなかった?」

「そんなことって」

「どうだったの?」

 問いただすミナリに気圧され、ホノカは憮然とした態度で答える。扉を開けに行ったはずのアンニィが先に襲撃犯を捕まえていたこと。扉をくぐる前と後で彼女の様子に違和感を覚えたこと。シュプリンシュディラでバスタと名乗る老紳士にとられたはずのメキュハクヒの槍を彼女が持っていたこと。挙げていく内にホノカも訝しむように表情を歪めていく。

「少なくともナンシーやアンニィには言わない方がいいよ」

 ミナリはホノカの肩に触れたかと思うとサッとベッドに潜り込み、椅子に座ったホノカは納得がいかないという様子で忙しなく指を動かす。

「ここで何が起ころうとしているんだ?」

「何が起きても不思議じゃないよね。でも、起こる前から騒いだって仕方ないよ。今日はもう寝よう」

 今回の一件で火の国は選択を迫られる。“リベアを置いてきて正解だった。”ホノカはミナリにも聞こえない程の小さな声で呟き、そっと腰を上げた。連れてくれば彼女が内通者として疑われていたであろうことは想像に難くない。彼の中で、リベアを巻き込まずに済んだという小さな自信が込み上げたのか、その顔は迷いを振り払ったように、なにかを志し進むときのように、これからが勝負だと自らを奮い立たせるようとするかのように引き締まっていた。


 不吉な風が窓を叩いても、二人は気づかない。終焉はもう近くまで迫っているというのに。



 二人の部屋にノックが響く。ホノカが扉を開くと、ダスターゴが言葉もなく中へと割り入った。

「な、なんですか急に」

 ダスターゴは手首に巻きつけた紐を解き、先に付いた小さな細い筒をテーブルの上に置いた。すると彼の姿は靄に包まれ、徐々にさっぱりとした顔立ちと豊満な胸部が見えてくる。

「勝手な申し出で悪いと思ってる。だけど、あたしにはどうしてもホノカと、そこのあんたの力が必要なんだ。タダでとは言わないから協力してくれないかな。ピレットサンデノワッタの……砂のクニの、皆の仇を取るために」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ