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-ORIZO- 異世界の英雄  作者: 小浦すてぃ
11/18

ーキノゾータス・レィシアからソウシマアタの塔へー


「ミナリ、お前なのか?」

「うんっ。そうだよ。やっと会えたね」

 普早ミナリは生きていた。数ヶ月前、ホノカの目の前で炎に包まれたはずのその友人は、身に纏うものこそ違えど体は変わらぬままホノカを強く抱きしめ、甘えるように胸に頬ずりをする。

 ホノカもしばらく呆然とした後、湧き立つ感情の雫が溢れ無秩序に零れるのを防ぐように、思いの丈を一滴残らず注ぎ込むかのようにミナリの頭を抱えた。

 そんな二人の周囲では、緋色の腕章を付けた兵士たちがそれぞれの仕事をこなす。荒くれたちの救助及び連行、崩れた屋敷の解体、事態収拾のための警備。忙しなく動く彼らの間を縫い、二人に駆け寄る影があった。

「ミナリさまー!」

 二人が幼い声に顔を向けると、星の光が照らす煌びやかなドレスを纏い、透き通るような銀色の髪を風になびかせながら手を振るジェイビーと、頬に汗を垂らしながらその後ろを追うコルチの姿が目に映る。お屋敷から逃げ出したおてんば姫と執事の構図に近いそれはホノカ達の前で足を止めた。

「ジェイビー。恐かったかい?」

 身を屈めて頭を撫でるミナリにジェイビーは少し蒼ざめた顔で頷き、顔を俯かせる。

「でも、コルチさんとホノカさんがいましたから」

 照れくさそうにはにかむジェイビーの声に、ミナリは慈愛に満ちた表情で応えながらポンポンと優しく触れる。目の前で交わされる“会話”に、ホノカは釘付けになるばかりだ。

「なんとかなったな。男だってバレたらどうなってたことか」

 コルチの言葉にホノカだけが驚嘆の声を上げる。アクバーの一室で過ごした三日間、彼はジェイビーを“声が出せない女の子”だと思って過ごしてきたのだから当然だ。彼は目を丸くし、次から次へ湧き出す疑問に眉を歪めて声を絞り出した。

「なにが、いったいどういう?」

「さ、俺たちはこっちだ」

 コルチは困惑するホノカの肩を組み、離れたゴルデアの灯りに向けて歩き出す。ジェイビーやミナリも後に続き、程なくして夜のシュプリンシュディラへと入った。表に下げられた照明器具が家々の彫壁を光と影で彩り、通りに民がいないのがかえって独特の雰囲気を演出している。声を出すのもはばかられるほど街全体が美術館のような格式高い華々しさに満ち溢れているが、ホノカは夜景どころではない。

「いろいろ聞きたいことがあるんだけど、そろそろ教えてくれても」

「いい街だよな。ほら、見てみろよ。まるで光が生まれてるみたいだ」

 コルチが指した噴水は色とりどりの光に溢れて、夜空に輝く水の華を咲かせている。闇に弧を描く無数の雫はそれ自体が発光しながら、縁の内側に広がる水面を幾度となく揺らし続け、水面は規則正しく舞いながら落ちてくる光を無秩序に照り返す。

 縁に駆け寄るジェイビーが覗きこんだ水底では、ホノカが入れた小さな石の手前で光の粒が消えてゆくのがかろうじて見える。夜のスプリンシュディラを彩る夢のような光景に三人は目を見張り、コルチは目尻の涙を拭った。

「いったい何だって水が光ったりするんだろうなぁ。いや、仕組みなんてどうでもいいか、なぁ!」

 コルチの先導で街を見物すること数時間。街の明かりも多くが消えたころ、一行は営業時間のとっくに過ぎたピニヤク軌道の駅に辿りついた。コルチが何の躊躇もなく扉を開け、ミナリが身体中に炎を纏い宙に浮いて中を照らす。設備はカッサルスレイルにあるものと同様だが、真夜中とあって当然行き交う民の姿はない。

「ここがゴール? 誰もいないみたいだけど」

 ミナリが幽霊のように駅の中を舞い涼しい顔で尋ねると、コルチは奥の下り階段を顎で指して歩き出す。当然のようにそのまま後に続く燃える友人から、ホノカは目を離せない。

 一行は小屋の前を過ぎ地下へ続く階段を下り、金色の目印がついたホームを通り過ぎる。やがて行き着いた壁を一定のリズムで叩くと、壁が横にずれて道が現れた。“まるでゲームの世界だよね”というミナリの楽しそうな声にホノカは曖昧な声しか返せない。ミナリの火に照らされた通路を曲がった先には、深緑色のマッチ箱に車輪が付いた、電車のようなものがホームに停まっていた。

「俺は、夢でも見てんのか」

 ホノカの疑問に応えなく、マッチ箱に開いた四角い穴に入っていくコルチとジェイビー。いつの間にか発火を止め地に足つけたミナリもホノカの手を取って後に続いた。

 中は木の板張りの部屋になっており、椅子とテーブルが一行を出迎える。壁に張られた地図は火の国を中心としたオーレスウサ地方一帯のものだ。扉の側に飾られた兜鎧にはうっすらと埃が積もり、コルチはゴルデアを磨いては壁の窪みにはめ込んでいく。

「なぁ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか」

 部屋に明かりが灯ったところで、ホノカは少し苛立ったように言った。ジェイビーはミナリとコルチの顔を窺い、コルチはニヤッと口の端を歪めて笑う。

「そうだな。とりあえず座ってくれ。ゆっくり話そうじゃないか」

 ホノカが腰を下ろしたのと、コルチが側の棚にある本を取ったのは同時だった。ガタンと部屋が揺れ、少しよろめく一同。床下からゴウゴウと車輪の回る音が染み出す。

「面白いだろ? クシミア様の置き土産さ。あの方は凝った仕掛けが好きだったからなぁ」

 部屋全体が進行方向とは逆に傾く。窓は迫る無機質な壁から広い夜の草原へと景色を変え、部屋の傾きも緩やかに元に戻る。

「なんで教えてくれなかったんだ。ジェイビーが男だって」

 申し訳なさそうに身をすくめるジェイビーとは対照的に、ネタばらしを肴にするつもりかコルチは棚の酒瓶に手を伸ばす。片手で蓋を開けぐいとビンをあおると、身体の芯まで染み渡らせ余韻すら溢さない味わいの唸りを上げた。

「ま、それが作戦の肝だったからな。それにこのあたりじゃ、会って間もない奴をそう易々と信じてられないんだよ。ほら」

 棚から瓶を取り出し次々と渡していくコルチは既に赤ら顔だ。ホノカはそれを受け取り、しかめた顔のままグイっと瓶をあおった。

「それにしてはあっさり正体を明かしてくれた気がするけど」

「信じてもらうためさ。相手のことを知らなきゃ、信じるなんて出来ないだろ? まぁとにかく、今回の作戦は男だってバレたら台無しになってた。だからお前にも言わなかったし、ジェイビー様にも喋らないようお願いしたんだ」

 言いながら早くも空になった瓶を床に転がし、新たな酒瓶を取り出す。蓋を開け喉を鳴らしながら酒を流し込むと、コルチは力強く瓶を机上に据えた。

「生きていくには金がないと話にならねぇ。金を得るために手っ取り早いのは暴力だが、効率がいいのは信頼を築いて名を知らしめることだ。そうすりゃ嫌でも仕事の話が入るってもんよ! だが信じることと疑うことってのは実は似ててだなぁ……」

 酔いに勢いづいたのか次第に声が大きくなり、話がどこかへ行ってしまいそうになるコルチに酒を進め、ホノカは次の疑問を繰り出す。

「ところで、どうしてラジーマは俺を同じ部屋に? 高く売るつもりなら普通新入りに任せたりしないだろ? それにその……女の子だと思ってたなら尚更……」

 途中で言いよどむホノカの話を聞いているのかいないのか、コルチは目を細めて満足げにうんうんと頷いて唸っている。そしてのめり込むように顔を近づけると、コルチは急に真顔になった。

「手を出してたらお前、今頃ピンポンの腹の中だぜ」

 重く沈んだ声が淡々と響く。部屋に溢れていた賑やかな宴の空気が一瞬にして消え、緊張に満たされる。外の星々に託された伝承に花を咲かせていたミナリとジェイビーも口を噤んで二人の様子を窺っている。

 ふっ――と、コルチの口から息が漏れ、口角が上がっていく。やがて溢れ出さんとする水に堪えきれなくなった堰は崩れだす。ひとしきり笑った後コルチは酒をあおって咳き込み、なおも楽しそうに続ける。

「それこそ信じてもらうためさ。それだけお前を用心棒として信頼しているんだってな。それに、お前とジェイビー様が怪しまれてたっていうのもある。考えてもみろ。攫ってくださいと言わんばかりの格好したガキを仕入れられたかと思えば次は途方もなく強い用心棒だ。都合がよすぎるだろ? だから……大事な二人に万が一危険があってはならないってことで、隣の部屋でお前らの安全を見守る役目を仰せつかっていたのさ。お前が床で寝てるところまでな」

 あてつけがましい物言いに顔をしかめながらホノカも酒を飲み干し、新しい瓶を取り出して机上にどんと置いた。

「俺だってジェイビーが男だって知ってたら床で寝なくてすんだんだ。おかげで体中が痛いのなんのって」

「ごめんなさい! 僕でよければ身体お揉みしましょうか!?」

 様子を見ていたジェイビーが急に立ち上がって言うのを、ホノカは慌てて断る。それを見てケタケタと笑うコルチ。彼らにとっていまや床下の車輪の音など気になるものではない。

「それにしても、取り逃がしちまったなぁ。ダスターゴの野郎。あそこで捕まえられてりゃ、あとはどうにでもなったんだが……クソッ」

 コルチは勢いに任せて床に瓶を叩きつけ、ぐったりと背もたれに寄りかかる。散らばった破片にすかさず立ち上がるジェイビーの肩を、ミナリはがしりと掴み、そっとしておこうと首を振った。

「何者なんだ? そのダスターゴっていうのは」

苦い過去がふっと蘇ったかのように俯くジェイビーを座らせながら、ミナリが壁際のゴルデアに手を伸ばし口を挟む。

「この石が取れる鉱山の地主みたいだよ。だいぶ嫌われてるみたい」

「とにかくいけ好かない奴だ。自分さえよければ何だって切り捨てやがる、欲望が服着て歩いてるようなもんさ。ラジーマだって褒められた男じゃないが、奴が性質が悪いのは自分が根っからの善だと言って憚らないところだ。ったく、思い出したら腹が立ってきたぜ」

 酔うと黙ってられないのか、コルチは息継ぎのように酒を呷って続ける。

「目撃証言くらいじゃ揉み消されちまう。部下が勝手にやったことだと、奴なら簡単に切り捨てるだろう。だから現行犯で捉えたかったんだがよぉ」

「悪運が強いというのかな。ここで捕まる運命じゃなかったみたいだね」

「あんだと?」

 ミナリの言葉に、コルチは据わった目をギロリと向ける。しかしミナリは涼しい顔で窓の外に広がる夜景から目を離さない。

「ミナリさまよぉ、あんたなら奴を止めるくらい簡単だったんじゃねぇのか。だからあんたはこの作戦に呼ばれたんだろうがよ」

 机から身を乗り出し、よろめきながら声を上げるが、ミナリはまったく動かない。二人の間でジェイビーとホノカが気まずそうに様子を窺っている。

「知らないよ。僕はホノカに会いに来ただけだもん」

 ホノカが慌てて立ち上がったのと同時に、コルチが腕を回してミナリに殴りかかろうとする。怒り心頭のコルチをなだめつつ椅子に座らせて酒を飲ませると、彼は顔を机に横たわらせブツブツと呟き始めた。

「もう寝かせた方がいいかもな……それよりミナリ。お前、何があったんだ?」

 それまでピクリとも動かなかった彼の顔が、髪が、目線がわずかに動いた。

「ボク?」

「そうだよ。あれからずっと気が気じゃなかったんだ。こんなところで生きてるなんて――」

 すっとミナリは立ち上がり、森林浴をするような足取りで近づくと、正面からホノカに抱きついた。

「ごめんね。心配かけちゃって。でももう大丈夫。ずっと側にいるよ」

 仲睦まじい男女の姿に似てこそいるものの、決定的に異なるその様にジェイビーは首を傾げるばかりだ。

「……それはありがたいけど、まず教えてくれ。何があったらそんな格好になれるんだ?」

 ミナリは自分の体を見回した。灰色の硬い布で作られた服はゴワゴワとして着心地が悪そうに見え、背中のマントもちょっとやそっとじゃなびきそうにない。しかも何度も火にあたったせいで煤けている。それでもミナリはくすくすと嬉しそうに笑っていた。

「城の人が作ってくれたんだー。燃え尽きない布なんだって。すごいでしょ。 ……あ、ホノカのも用意しようか?」

「いや、着たいってわけじゃなくて」

「目元を隠すマスクもあるんだよ。まるでヒーローみたい」

 話している間にジェイビーが床に散らばった破片を片付ける。途中ぐおおと轟音が鳴り、三人は反射的に音の方へと目を向けた。そこではコルチが花ちょうちんを作って気分良さそうに寝ており、一同は苦笑いを浮かべる。

「まだ聞きたいことあったんだけどな」

「今日はもう寝ましょう。二階に個室があるはずです」

 ジェイビーの言葉にホノカは頷き、コルチを背負うと奥の階段を上った。二階には青絨毯の引かれた細長い廊下に面した扉が四つあり、一番手前の部屋のベッドにコルチを寝かせると、ホノカは大きく息を吐いて部屋を後にした。



「んっ……うう……」

「すごく固くなってる……でも、それも当然かもしれないね」

 二階の一番奥の部屋。ベッドで馬乗りになるミナリは、小さな体を使ってホノカの疲れをほぐしていた。うつ伏せのホノカは、これまでの旅をミナリに語り終え起き上がろうとしているがミナリが背中から動こうとしない。

「船旅が結構堪えたみたいだね。それにしても、水の国かぁ。僕そっちに行きたかったなぁ……えっ」

 ミナリの股の間に、じわりと染みが広がる。厚い布の上からでもわかる生暖かさとぐっしょりぬれた服自体の感触が気持ち悪かったのか、ミナリはあわてて飛び退き、ズボンの中を覗いた。しかしそこはまったくと言っていいほど濡れておらず、動揺するミナリの様子にホノカは笑いをかみ殺せなくなって吹き出した。

「さっさとどかないからだぞ」

 背中から出していた水を戻し、彼は仰向けに寝転がる。ミナリは胸を撫で下ろしてホノカの横に寝そべると、一緒になって笑った

「もー、びっくりさせないでよ」

 窓の外に流れる景色は絵画のように、常に夜の自然の美しさを見せている。夜空の星々から降る光が、そよ風に舟をこぐ草の群れを優しく照らす。その中を走っているというのはさぞ気分が良いことだろう。

「それにしても、トラックにはねられて異世界だなんてね。陳腐というか……まるでネット小説だよ」

 一人用の個室は窓から差し込む星明りのおかげで視界は十分で、元の世界や水の国より夜が明るいことがわかる。用意されたベッドは二人が横たわるといささか狭く、体を寄せるミナリはホノカに抱きつくように後ろから手を回した。

「タンクローリーな。実際そうなんだから仕方ないだろ」

「これが小説だとしたら、作者はただ車変えたくらいで“他とは違う”って言いたかったわけだ。軽四じゃなくてよかったね」

 冗談めかした言葉に、ホノカの反応はない。確かに相手が軽四ではカッコがつきそうにないが、それは彼にとってどうでもよいことだ。

「このままずっと、この世界で生きていかなくちゃならないのかな」

 横たわった姿勢で窓の外を眺めたまま、ホノカがぽつり独り言のように呟く。

「ホノカは元いた世界が気になるの?」

「ミナリは気にならないのか? もしかしたら帰れないかもしれないんだぞ?」

 うーん、と少し唸った後、ミナリはケロッとした声で返す。

「全然。帰れるときは帰れるし、帰れないなら帰れない。そういうもんだよ」

「……ミナリはそれでいいのか?」

「よくなくったって、どうしようもないもの。水は上には流れないし。それに、そこまで未練もない。ホノカのいない世界に興味なんてないんだよ」

 ホノカの背中で気持ちよさそうに頬ずりするミナリを振り返り、ホノカは押し黙った。ミナリの言葉に嘘はない。思っていることをそのまま言葉にしている彼の顔に躊躇いや後悔が表れるわけもなく、代わりに愛しい者に向ける優しい笑みだけがそこにある。

「……そういえば、ミナリは今までどうしてたんだ?」

 視線を合わせての沈黙に耐えられなくなったホノカは姿勢を戻す。ミナリはそれを追いかけるようにホノカの体から身を乗り出し、不思議そうに顔を覗き込んで、そのまま前に手を着いて一回転。ベッドから綺麗に降りた。

「僕は――ずっとこっちで義賊やってた」

「義賊?」

「そう。巷じゃライズって名前で通ってるんだから」

 得意げに話すミナリはひょいとジャンプすると、身体中に炎を纏わせそのまま宙に浮いて見せた。

「この姿になれば悪党達は一目見て逃げ出すんだよ。すごいでしょ」

相手が宙に浮いて燃えていれば誰だって逃げ出すに違いない。宙に浮いたままミナリはくるくると踊るように回り、チラチラと火の粉が舞う。ホノカは冷や汗を垂らしつつ部屋の小物に目を配り、いつどこに燃え移っても対応できるよう片手に水を纏わせた。

「火を出せるのはいいけど、なんで飛べるんだ?」

 ミナリはピタッと止まり、火を消して床へと降り立った。少し俯き、思案顔で人差し指の付け根を唇の下に当てたかと思うと、目だけでホノカを捉え口元をにやつかせる。

「どう? ホノカのマネ」

「いや、どうって言われても……そんなドヤ顔したことないと思うぞ」

 顔を挙げ目を丸くしたミナリはにんまり顔で姿勢を解き、ホノカの側に腰かけた。

「ホノカ。運命って信じる?」

 突然の問いに虚を突かれたらしいホノカの口はすぐには開かなかった。窓の外に視線を移ししばらく眺めると、彼は戸惑った口調で声を絞り出す。

「あるとは、思う」

 その答えに嬉しそうに笑うと、ミナリはベッドから下りて窓辺へと歩く。

「僕もだよ。人生はきっと、全部運命で決まっているんだね」

「いや、全部ってのは流石に」

 身を起こしたホノカに振り返るミナリは、穏やかながらも切なさに満ちた目にホノカの姿を映し、口は噤んだままうっすらとした笑みを崩さない。

「こんなところにきて、普通なら淘汰されるはずの僕たちがこうしてここにいる。言葉もわかるし不思議な力を使えるようになって、さらにホノカにも会えた。全部運命で決まっていたとしか思えないんだよね……ホノカだってあの百戦錬磨のクシミアさんを倒しちゃったんでしょ?」

「待ってくれ。それも、そういう運命だったって言うのか?」

 ミナリは表情をそのままに、静かに頷いた。話が大きすぎて実感はないが、言われてみるとそのとおりかもしれない。そんな考えがよぎったのか、ホノカの体は硬直する。 

「そんな、そんな都合のいいことが」

「そうじゃないと勝てるはずないよ。相手は本当の戦場にいた戦いのプロ。この国じゃ英雄だったんだから」

 水の国に伝わる英雄の伝説。その力を得たホノカ。彼がオリゾとしての運命を背負っていることは彼の能力が証明している。ホノカの硬直は徐々に解け、口どもりながらも

「もしそうだとして、なんで俺なんだ。誰だってよかっただろ。俺でなきゃいけない理由がない」

「そうだね。もしかしたら誰でもよかったのかも」

「誰でもいい?」

「運命って言うのはね。生まれる前から決まってるんだ。神様だけが結果を知ってる出来レース。どの運命が誰の役割かなんて関係なくて、もう勝手に決まってしまってるものなんだよ。現に僕は、キミと死ぬまで一緒にいる――キミと添い遂げるっていう運命だけは、生まれる前から知っていたんだから」

 ホノカは一呼吸置き、人差し指の付け根を唇の下に当てて目を閉じる。ミナリの説によれば、クシミアはあの時どうあがいても死ぬ定めだったということになる。しかし必死の思いで戦った彼はどうしても納得がいかないようで、不意にベッドに座るミナリの腕を掴んで引き寄せた。

 二人の体は服越しに触れあい、顔は鼻の先がぶつかりそうなほど近い。ホノカは鳩が豆鉄砲を食らったような顔のミナリにおでこをぶつけ、じっと彼の目を見据える。

「自分の意思で引き寄せたつもりなんだけど、これも運命で決まっていたことだって言うのか?」

 その言葉にミナリは黙って目を閉じ、二人は蛹のように固まって動かなくなった。


 翌朝、ランドグラーシャに隣接するキノゾータス・レィシアの街に降り立った一行は、コルチ先導のもと緩やかながらも長い長い坂を上っていた。両脇に立ち並ぶ家々の白壁が光を反射し街中を照らしあっている。行く手に爽やかな風が吹き、散策日和に恵まれた彼らは賑やかに歩く。

「そして森の中に潜んでちょっとしたら、もじゃもじゃした髪の男がやってきたんだ。景気よく歌なんか歌ってて、その脳天気っぷりに思わずわらいそうになっちまったぜ」

 コルチが話しているのは、水の国に行った時のことだ。彼曰くハイトランズで海中に潜り、嵐の壁をくぐり抜けて水の国を見つけたらしい。上陸後、偵察に出た彼が出会ったもじゃもじゃ髪の男。思い当たる人物に気づいたか、ホノカの口元が緩む。

「でまあ、いい機会だと思ってな、草陰から声を掛けたんだ。“止まれ”ってな。そしたらそいつすっげえビビッてて、必死な顔で“誰だ!”って聞くんだぜ。もう面白くなっちまって、“この森の神だ”とか言ったんだ。その男がまたすっかり信じ込んじまってな。国のことを洗いざらい話してくれたってわけよ。まあ一日ずっと聞きっぱなしってのは大変だったが、楽しかったなぁ」

 途中まで笑いを堪えていたホノカの顔が真剣なものへと変わるが、先頭のコルチは気づかぬまま話を続ける。生命の滝壺と知識の祭壇にかけられた結界、それが解かれる条件、そしてマヤツミの街との位置関係等々の情報を得た彼はハイトランズへ戻りクシミアへ報告したという。

「そして夜が明けて作戦開始……だがそこにコイツが現れて、俺達は撤退を余儀なくされたんだ。覚えてないみてぇだがな」

 作戦を潰し、将軍を討ち取った男がすぐそこにいるというのに、コルチの言葉には一塵の憎悪も含まれていなかった。世間話のように軽く言ってのける様はどこか気味悪くすらある。

「あ、話の腰を折って悪いけど、聞いてもいいかな」

 居心地が悪かったのか、ホノカはあくまで雰囲気を壊さないよう明るく言う。コルチは軽く振り返り“どうした?”と聞き返すが、その一瞬彼の目には怒りの炎が平静を装う幕の向こうで光っていた。

「その、コルチさんやこの大陸の……民達は、水の国に攻め込むつもりはあるのか?」

 問いが終わらぬうちにフンと鼻で笑い飛ばし、コルチは正面を向きなおす。

「水の国を攻めようなんて考えてたのは俺たちくらいのもんさ。考えてもみろ。この大陸にいる民の多くは水の国なんて知らねぇし、本を読んでたって普通作り話だとしか思わねぇよ。それに王は正直あまり侵略に乗り気じゃないんだ」

「乗り気じゃない?」

「ま、会って直接聞いてみな」

長い上り坂の果てに、灰色の塔が小さく見える。あれがコルチが案内したいと早朝に三人をたたき起こした原因らしい。そこに何があるのかも知らされぬまま一同は数時間ほど歩いている。

「ミナリ様は飛べばすぐじゃないですか」

「向こうで一人待ってるのもつまらないでしょ。それにホノカと一緒の空気を吸いたいし」

「まったく何度目だよのろけ話。アツいのはその能力だけにしてくれよ」

 二人が一つのベッドで寝ていたとわかってから、コルチは隙あらば茶化し、それにホノカは否定したり顔を背けたりと様々な反応をする。コルチもミナリも面白がって似たやり取りを繰り返すが、正直他に目を楽しませるような場所がないためでもあった。立ち並ぶ家々の白壁が終わりに気づいたホノカが話題をそらさんと、広がる荒野や聳える塔の感想を言っている。

「コルチさん、そろそろ教えてくれませんか? あの塔に何があるんです?」

 ジェイビーの疑問にコルチは咳払いを一つすると、振り返ることなく話し始める。

「かつて世界は一つの大陸だった。それを火の国、水の国、土の国の三つに分けた天上の神。そして三国の間に嵐の壁を作った常闇の国。長い時を経て、火の国の民の多くは繰り返される争いの中でそんな昔話を忘れていき、それぞれが小さな“クニ”を作って争っていた。しかし200年前、フランシング・フライターという男がその話を知って、『火の国』を掲げて大陸の統一に乗り出したんだ」

 コルチが話し終えた時、四人はちょうど塔の前にいて、高く聳えるその塔を見上げていた。巨大な石を削って作られたのか、まったく継ぎ目が見当たらない。コルチ曰く天上の神が造ったと言われる古代の遺跡なのだそうだ。

 後から付けられたであろう木製の扉を開き中へ入る。そこは六角形の広間があり、三つの螺旋階段がぶつかり合わないように壁を沿っている。規則的に設けられた窓代わりの穴から光が差し込んでおり、日中なら視界に困ることはなさそうだ。

 中央には石造の椅子が六角形の一面に相対するように生えている。コルチが他の二人と共に辺りを見回すホノカの手を引いて椅子に座らせると、すべての小窓がみるみる塞がり、宙に舞う塵も闇に呑まれる。やがてホノカの背後から対面の壁へ向けて青白い光が照らされる。

「何が始まるんだ?」

「黙って見てな。ほら、始まったぜ」

 よく目を凝らすと、照らされた壁に模様が浮かんでいるのがわかる。輪郭と色合いが徐々に鮮明になる。もくもくと立ち上る黒煙。その出本は小さな煙突付きの小箪笥のような黒い機械。脇には水面の凍った湖があり、近くの砂利の上に大の字に横たわるのは火の国の英雄クシミアだ。手元に突き立てているメキュハクヒはまっすぐ空へ聳えている。

 そこに現れたのは他でもないホノカその人で、光に移された自分の姿を見るホノカは言葉を失った。そこで繰り広げられているのはクシミアとの決闘の一部始終。肉を食べ、激しくぶつかり合い、湖の中で凍らされるも復活し、崖からの一撃でクシミアを下す。映像は敗北を認め息絶えたクシミアを海へ流すところまで続くと、水平線に日の沈む構図が青白い光に溶けて辺りは再び闇に包まれた。

「なんだったんだ、今のは」

ホノカの声と共に塔の中へ光が差し込み、一同がここに来たときの明るさを取り戻す。

「一部の奴にしか知られていないが、このソウシマアタの塔では民の記憶をもとに歴史を映し出し、それを蓄積することができる。さっきのはお前の記憶から再現された光景だ。だから――」

 コルチはホノカの胸ぐらを掴むと力いっぱいに投げ飛ばす。戦いの場では巨大なブーメランを操ることもあって、ホノカの体は軽々と宙に舞い壁へとぶち当たった。うなだれる彼にコルチが歩き出すと、火に包まれたミナリが割って入った。

「いったい何のつもり?」

 彼の言葉は刺すように冷たく、目は怯え竦む心を射るように鋭い。そんな彼が立ちはだかってなお、コルチは苦虫をつぶしたような顔で歩みを止めない。

「なんだろうなぁ……俺たちのクシミア様が不意打ちでやられたってのが気に食わねぇし、そんな手を使ったお前にも腹が立つ。だが、クシミア様がお前でさえ不意打ちしないと勝てないってことに嬉しくもあってな」

 コルチの手がミナリの肩に触れ、ジュウと音が鳴る。彼の様子にミナリも目つきこそ変えないものの、優しく押しのけられるがまま宙を漂い道を開ける。

「正直、今すぐにでもクシミア様の仇を取りたい気持ちはある。だが、ここでお前を殺しても、俺が死んでも、何にもならねぇ」

 ホノカの前で止まったコルチが、真っ赤になった手を差し伸べる。

「だから、さっきのでおあいこにしてやる」

 差し出された手を見上げ、ホノカはその手を取って立ち上がると、手をつないだまま冷たい水を流し続ける。お互い言葉はないが、その目は通じ合っている。

「で、もういいかな? そういうのは僕の役目だと思うんだけど」

 火を納めて口を挟むミナリは明らかに機嫌が悪そうだ。コルチは肩をすくめ、一人一人を見回した。

「初代国王は、ここでさっき話した昔話を見たそうだ。彼はもう一度、この大陸を『火の国』という一つに纏め上げようとしたのさ。だがその真意は後を継いだ王達には引き継がれなかった。彼らは勢力を広げる自分たちの歴史にしか興味がなかったからな。……前の王もそうだった。“全ての歴史が残るなら、小さな村を残しておく必要はない”そう言って次々とクニを滅ぼし、民をここに引き連れ、知っていることを吐き出させて殺した。

 現国王スコリエルも、代々続く侵略を是としてきた。が、その動機は大陸に残る伝説が知りたいという、ある種の好奇心からくるものだった。そこが先代達とは違うところだ。そして侵略そのものが、各地の伝説をつぶしていることを知った。彼は侵略をやめたがっている。当然これまで火の国がやってきたことには取り返しのつかないこともたくさんある。だが、だからと言ってそれが侵略を続ける理由にも、和平の道を目指してはいけない理由にもならない」

 コルチの言葉に熱が篭る。瞳は闘志の炎が揺らめいているかのようだ。彼はホノカに向き直り、両肩を掴んでまっすぐ見つめる。

「ここに来たのは、お前が英雄足りうるかを見極めたかったからだ。同時にクシミア様との戦いの真相を確かめたかったというのもあるがな。とにかく、この大陸の真の統一のために、手を貸してくれないか。この国には新しい英雄が必要なんだ。お前の持つ力と、お前自身が」

 水の国に伝えられた英雄なら、火の国統一のために動くよりも、戦火が水の国へ飛び移らぬよう身を引くべきかもしれない。しかし魚田峰ホノカはまっすぐコルチの目を見つめたまま、しっかりと頷いた。

「わかった。できることはやるよ」

 コルチも手を離して頷き返し、顔をミナリの方へ向ける。“どうかミナリ様も”という言葉にミナリはむすっとした顔のまま“僕? 何で僕がそんなこと”と言いながらずかずかと二人に近づき、ホノカの腕をぐいと抱き寄せた。

「僕はいつだってホノカの味方だ。君の味方をするわけじゃない」

 ツンとした態度にも満足げに口元に笑みを浮かべながら、コルチはもう一人のほうへ体を向けた。

「そして、ジェイビー様にも力になってもらいたい」

 小柄の少年は驚き戸惑い、恐縮しながら答える。

「力になれるかどうか……」

「戦うばかりが力じゃない。ジェイビー様にしかできないことだってある。そして、俺たちは協力しないとできないことをやろうとしている」

 自分にしかできないこと。それが何なのかが分からないジェイビーには、コルチの誘いに簡単には乗られない。返事をためらうジェイビーに代わってミナリが口を開く。

「で、具体的には何するの?」

「まだ決めていない。だが、仲間がいるってのは心強いもんだ」

 仲間がいるということはお互いの不安を和らげることに繋がる。しかし同時に、仲間の足を引っ張っていないかといった新たな不安も生まれる。いずれにせよ不安からは逃げられない。ならばと考えたのか、ジェイビーは不安げながらも小さく頷いた。



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