最終話 ぼくらの町のヘンテコ世界地図
光が消えると、時計台の中が静かになった。
針が動き続けていた。カチ、カチ、カチ、と一定のリズムで。止まっていた時間が、少しずつ動き始めていた。ぼくたちは天井を見上げていた。
「終わった?」
タイガが口を開いた。
「終わった気がする」
ぼくが答えた。
「気がするってなんだ」
「ちゃんと終わった」
ポッケが言った。
「トキワスレは、過去を閉じこめるのをやめた。これから先の星坂町を見守る存在になった。時計台は、また動く」
「またここに来ることはある?」
スズが聞いた。
「ある。ただし、夏休みを止めに来るんじゃない。次の子どもたちの冒険を、見守りにくるだけだ」
「それならいい」
タイガが伸びをした。
「帰ろう。腹減った」
「今それを言うか」
「だって減ったし」
ミウが小さく笑った。ぼくも笑った。
扉へ向かって、歩き始めた。
時計台の扉を開けると、外は朝だった。でも、いつもの朝じゃなかった。
空が明るくて、商店街から声が聞こえた。魚屋のおじさんが水をまいている音、パン屋さんのいいにおい、どこかで子どもが笑う声。
時計台の針を見た。動いていた。
七月二十二日、午前七時三十五分。夏休み二日目が、来ていた。
「動いた」
ミウが言った。
「時計台、動いてる」
タイガが時計台を見上げて、それから叫んだ。
「やったぁーーーっ!!」
声が商店街に響いた。スズが耳をふさいだ。
「タイガくん、朝だよ」
「やったからしょうがない」
「しょうがなくない」
「でも、やった」
スズが少し考えて、それから小さな声で言った。
「やった」
ぼくもそう思った。やった、という言葉が、胸のあたりにじんわりと広がった。
そのあと、ぼくたちはいったん家に帰ることにした。朝ごはんも食べていないし、昨日からずっと同じ七月二十一日の中を走り回っていたからだ。
「昼ごろ、また商店街のベンチに集合な」
タイガが言った。
「今度はちゃんと七月二十二日の昼だね」
ミウがそう言って、少し笑った。
ぼくは家に帰ると、朝ごはんを食べながらテレビに目をやった。
画面のすみに、日付が出ていた。七月二十二日。ちゃんと日付が変わっていた。
ニュースで流れている内容も、昨日の朝とは違うものだった。
それだけのことなのに、なんだかすごいことみたいに思えた。
昼前、ぼくはポッケを背負って、もう一度商店街へ向かった。
スターボタンのシャッターに、貼り紙があった。
夏休み大会 七月二十八日開催
そう書いてあった。ミウの字だった。
商店街のベンチまで行くと三人はもう来ていた。タイガはベンチに片足を乗せて、スズはその横でラムネの瓶を両手で持っている。ミウはノートを開いて、何かを書き足していた。
「遅いぞ、ナギサ」
「まだ集合時間の前だよ」
「おれより遅いから遅い」
「それ、タイガ基準じゃん」
いつもの会話だった。でも、昨日までのいつもとは少し違っていた。ちゃんと七月二十二日の昼に、ぼくたちはここに集まっていた。
「スターボタンの貼り紙、見たよ」
ぼくが言うと、ミウは少し得意そうにうなずいた。
「ちゃんと七月二十二日になってたから、ゴトウさんに渡してきた」
「ちゃんとやってた」
「当たり前でしょ。約束したから」
タイガが貼り紙を見て、にやっとした。
「行くぞ、夏休み大会」
「行く」
「絶対行く」
四人が同時に言った。ポッケが背中でぽそっと言った。
「賑やかだな」
「嬉しいから」
「まあ、悪くない」
プラネタリウムの前を通ると、新しいポスターが貼ってあった。
「夏休み特別上映 星座と星坂町の夜空」と書いてあった。
手書きで、ユイさんの字だった。
「新しいポスターだ」
スズが言った。
「ユイさん、続ける気になったのかな」
ぼくが言うと、スズが小さくうなずいた。
「続けてほしい」
「来年も来ようぜ、プラネタリウム」
タイガが言った。
「来年」
ぼくは少しだけ、その言葉に引っかかった。来年の夏休みは、ぼくは星坂町にいない。
でも。
「来る。バスで三十分だから。遊びに来る」
「絶対来いよ」
「行く。『また今度』じゃなくて、絶対に」
ミウが横で聞いていた。
「行くって言ったら、行くんだよ。また今度じゃなくて」
「また今度じゃなくて、行く」
ぼくはその言葉を、自分で言った。怖くなかった。言ったら本当になる、と怖かったけど、本当になればいい、と今は思えた。本当になれば、来年の夏休みも、もう一つ思い出になる。
まるふく堂の前を通ったとき、おじいさんが店先に出ていた。いつもの作務衣で、羽の折れた扇風機の横に立っていた。ぼくたちを見て、目を細めた。
「おかえり」
「ただいま」
ぼくが返事をすると、おじいさんがポッケを見た。
「役に立ったかね」
「立った」
ぼくが答えたら、ポッケが自慢げに言った。
「伝説の冒険道具だからな」
「そうだね。またいつでも来なさい。ポッケも、次の冒険までここにいる」
「休むだけだ。待つわけじゃない」
おじいさんは笑って、店へ戻った。
「それを待つって言うんじゃないの」
ぼくはポッケに小声で言った。
「うるさい」
ポッケはそれ以上、何も言わなかった。
昼の商店街は、いつもより少しにぎやかに見えた。お店が開いて、人が歩いて、子どもの声がする。ただそれだけのことが、今はすごく特別に思えた。昨日まで何度も繰り返していた夏休み一日目じゃない。新しい今日だった。
ミウが鞄から地図を出した。破れた地図の二枚と、七枚のページがミウの膝の上に並んだ。
「全部、合わせてみよう」
ミウがそう言って、二枚の地図を並べた。破れた地図を合わせ、その上に取り戻したページをすべて重ねた。光が出た。今度は弱い光じゃなかった。はっきりとした、明るい光だった。光の中で、地図が変わっていった。
星坂町の地図に、全部の場所が描き込まれていった。商店街宇宙船。雲の上の駅。文房具の地下王国。宇宙船みたいなゲームセンター。霧のかかったバス停。苔むした神社。星空のプラネタリウム。ぼくたちが歩いた、ヘンテコな場所が全部、地図の上に現れた。
ミウが声をあげた。
「これ、ただの地図じゃない」
「どういうこと」
「商店街の地図に、宇宙船の通路がいっしょに描いてある。駄菓子屋の場所に、雲の駅への扉も描いてある。校庭に、地下への階段も。ぜんぶ、重なってる」
星坂町の地図と、ヘンテコな場所の地図が、一枚の地図になっていた。
「ヘンテコ世界地図だ」
タイガが言った。
ぼくは地図を見つめた。ぼくたちが歩いた場所が、全部そこにある。
「ぼくらの、ヘンテコ世界地図」
そう言うと、胸の奥が少し熱くなった。
ポッケが背中で言った。
「それが、この夏休みに作った地図だ。ふつうの地図じゃない。おまえたちが歩いて、見て、聞いて、話して、作った地図だ」
「すごい」
ミウがぼそっと言った。
「きれいじゃないし、破れてるし、タイガの字は下手だし、スズの雲の絵もよく分からないけど」
「おれの字だけ言うなよ」
タイガがむっとした。
「でも、すごくいい地図だね」
ミウは地図をじっと見ていた。目が、いつもより少しだけ潤んでいた気がした。
「わたし、地図をきれいに作ることしか考えてなかった。でも、この地図は、きれいじゃないのに、一番大事なものが全部入ってる」
「何が入ってるの?」
ぼくが聞いた。
「わたしたちが、この夏休みにいたってことが、入ってる」
スズが地図を見て、うなずいた。
「ちゃんと残ってる」
「残ってる」
ぼくも見た。破れた地図の継ぎ目に、ミウの字と、タイガの下手な字と、スズの小さな雲が並んでいた。この夏休みがあったことが、ここに残っていた。
ポッケがファスナーを開けた。中から、白い紙がひらりと落ちてきた。
拾い上げると、何も描かれていない白紙の地図だった。
「なんだこれ?」
タイガが不思議そうに眺める。
「次の地図だ。地図にない場所は、まだまだあるぞ」
ポッケが答えた。
タイガが紙を受け取って広げた。
真っ白だった。でも、真っ白だということは、まだ何も決まっていないということだ。
「次って、また冒険できるってこと?」
「この町にヘンテコな場所は、一つや二つじゃない」
「やった!」
タイガが立ち上がった。
「じゃあ、今日から次の冒険だ!」
「今日は少し休め」
ポッケが言った。
「なんで?」
「疲れたろ」
「疲れたけど、元気だ」
「それは矛盾してる」
ポッケが言った。
「でも、元気だ」
タイガが言い張ると、ミウが笑った。
「今日は休む。ちゃんと眠って、ちゃんと食べて、明日から考える」
「明日から?」
タイガが聞き返した。
「明日から」
ミウが念を押した。
タイガはしぶしぶ座った。
スズが空を見上げた。
「今日、晴れてよかった」
「また天気予報なし?」
「なし」
みんなで空を見た。雲が少し浮かぶ、夏の青い空だった。蝉が鳴き、日差しが商店街を照らしている。時計台の針も、動いていた。七月二十二日の昼が、ちゃんとあった。
家に帰ったのは、夕方だった。ポッケを部屋に置いて、鞄を下ろして、ベッドに座った。ヘンテコ世界地図は、鞄の中に入っている。夏休み帳は、机の上にある。開いてみると、消えていたページはすべて戻っていた。最初のページに、七月二十一日と書いてあった。でも、それだけだった。その日に何があったか、ぼくにはちゃんと覚えている。でも、帳面には何も書いていない。ペンを持った。何を書こうか、少し考えた。
「七月二十一日。しゃべるリュックを拾った。ポッケという名前だった。商店街が宇宙船になった。雲の上の駅に行った。地下王国があった。ゲームセンターでゴトウさんに会った。バス停で地図が破れた。スズだけが見える道を歩いた。プラネタリウムで星を見た。みんなに転校のことを話した。時計台でトキワスレに会った。夏休みが戻ってきた」
書いたら、一ページに収まらなかった。一日のことを書いたのに、何ページにもなった。でも、いいと思った。それだけ、いろんなことがあったんだから。
ポッケが机の横から言った。
「何を書いた」
「今日のこと」
「全部書けたか」
「全部は無理だった。でも、大事なことは書いた」
「そうか」
「ポッケ」
「なんだ」
「ありがとう」
ポッケがしばらく黙った。
「オレは伝説の冒険道具だ。礼は要らない」
「でも、ありがとう」
「……どういたしまして」
ポッケのファスナーが、にやっと開いた。目玉の飾りが、きょろっとこちらを向いた。
「まだ夏休みは続くぞ。今日は休め。次の空白は、明日から探せ」
「明日からか」
「そうだ。伝説の冒険道具にも、整備が必要なんだ」
「昼寝じゃなくて?」
「整備だ」
ぼくは笑った。
窓の外で、蝉が鳴いた。夏休み二日目の夕方の空気が、部屋に入ってきた。
ぼくは夏休み帳を閉じた。何度もくり返した七月二十一日のことが、ページの中にちゃんと残っている。転校しても、なくならない。星の光みたいに、これからも届き続ける。
そう思ったら、窓の外の景色が、少しだけきれいに見えた。
夕方の空と、白い雲と、遠くに見える海と、ずっとそこにある時計台。
動いている。
ぼくは窓を大きく開けた。
夏の風が部屋の中に入ってきた。
(おしまい)




