70話 羨ましい
琴音は走っていた。
学校の廊下をただガムシャラに走っていた。
校内の廊下を走るという行いは何処の学校でも基本的に禁じられている。
一種の校則として多くの生徒と教師の共通認識、つまりは常識として知られている。
無論琴音がそれを知らないワケが無く、これまでの人生で琴音が無為に廊下を走るなんて事は無かった。
廊下を走るという行為は節操のない愚か者が取る短慮な行いでああはなりたくない物だと琴音自身敬遠している行為だ。
それを今琴音は自ら行っていた。
そうでないと、走ってないと、イライラしてどうにかなってしまいそうだったから…。
琴音が悪い?何故琴音のせいになる?
悪いのは頭の悪い兄様じゃないか?
琴音の教えを理解しない兄様じゃないか!?
『ホントにそうか?』
当たり前だ
『ホントに?』
黙れ!
『本当はわかってるクセに?』
違う!
『中学の時仲の良かった友達が皆離れて行ったのも本当は琴音が悪かったのに皆の責任にした。』
あれはあの人達が悪いんだ、琴音の言う通りにしていれば何も問題無かったんだ!
なのにアイツ等が馬鹿だから見限ったんだ。
『違うでしょ?見限ったんじゃない、見限られたんだ』
違う違う違う!琴音は悪くない!
琴音は悪くないもん!
前も見ずに必死に走っていたからか、琴音は前方を歩いていた女子生徒と勢いよくぶつかってしまう。
女子生徒は最大に倒れ込み尻餅をついてしまう。
琴音も同様に倒れ込んでしまう。
廊下の地面に手を付きなんとか受け身をとるがぶつかった女子生徒はいたぁ〜いと悲鳴を上げている。
琴音はそんな女子生徒には脇目も振らず走り去ろうとするがそれを阻む様にもう一人の女子生徒が立ちはだかった。
「ちょっと〜、ぶつかっといて謝んないとか何様のつもり〜、ってかアンタ1年の生徒会長じゃなーい、生徒会長がそんな態度で良いと思ってんの?」
「いったぁ〜、マジふざけんなし〜」
「今貴方方の相手をしている暇は無いんです、悪いけど今度にしてくれません?」
「はぁ?チョーシのんなし!ぶつかってきたのはそっちでしょぉが!」
「つーかコイツのせいで私達の四ノ宮生徒会長が落とされたんだよ、マジムカつく!」
「1年で生徒会長とかふざけてるし、ちょっとシメとこうよ?」
「良いねそれ!皆呼んで学校来れなくしてやろーよ」
「はぁ…」
高校生にもなってなんて程度の低い。
これだから馬鹿は嫌いなんだ。
琴音はスマホを取り出した女子生徒の手をぐわっと掴むとそのまま関節を捻るように握る
すると
「っっ!?いた!?いただだ!?だい!痛い」
「ちょ!?何してんのよアンタ」
「調子に乗ってるのは貴方方のほうでしょ?たしかにぶつかって謝らなかった私の態度は褒められた物ではないです、それは素直に認めましょう、ですがだからといってなぶり物にされてはたまりませんしねぇ?」
「こっこいつ!!」
関節を決められていた女子生徒は琴音の顔に苦し紛れのビンタを食らわせる、その反動で琴音の手から開放された女子生徒は琴音から距離を取りすかさずスマホを取りだし仲間を呼ぼうとするがそれより速く琴音はスマホを取りだして何かを再生した。
「つーかコイツのせいで私達の四ノ宮生徒会長が落とされたんだよ、マジムカつく!」
「1年で生徒会長とかふざけてるし、ちょっとシメとこうよ?」
「良いねそれ!皆呼んで学校来れなくしてやろーよ」
琴音のスマホから流れたのは先程彼女等が話していた内容そのものだった。
いつの間に録音したのか解らないがまさかの早業である。
当然それを聞かされた女子生徒達は顔面蒼白である。
「生徒会長特権でコレを先生方と保護者に開示しますね?殴られた頬は別途慰謝料を請求しましょうか?貴方方は無論前生徒会長の四ノ宮先輩にも責任が問われますよね?ふふ、良かったですね?貴方方のおかげで彼の未来はめちゃくちゃですよ?」
「ふ…巫山戯んな!消せよそれ!消せよ!」
「もう家のパソコンにデータを送信しましたからこのスマホを奪っても無駄ですよ?楽しみですね?この私に歯向かったんですから?ただで済むなんて思わないでくださいね?」
「あぁ~!?そんな!謝るから!謝るからー!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!!」
「謝るくらいなら最初から絡んで来ないでくださいよ?私今ムシャクシャしてるんです」
「ごめんなさいごめんなさいごめん…」
「謝るからー謝るから!」
必死に頭を下げる女子生徒の二人。
この二人はおそらく上級生、先輩にあたる存在だ。
そんな存在に対して恐喝紛いの言葉をかけて脅している自分。
なんだか突然自分のやってる事がバカらしくなってくる。
何をやっているんだ私はと現実に引きずり戻される。
「………はぁ…もういいですよ…」
「「え…?」」
「もういいと言ったんです…」
「え…と…じゃ?」
「元はと言えば前を見ずに走ってぶつかった私の前方不注意が原因ですからね、特別に今回は見逃しますが次はないですよ?」
「あ…あはは…そのごめんね?」
「ごめんね……じゃ……ねぇ…行こう…」
「うん…それじゃ…」
女子生徒達はその場から逃げる様にそそくさと立ち去って行った。
その場にはポツンと琴音だけが取り残されていた。
「何をやってるんでしょうね…私は…高校生にもなって…」
心に去来するのは自己嫌悪、姉に言われた事は全て事実、それは琴音も理解していた。
それでも認めるつもりはなかった。
認めたら今までの自分を否定する事になる。
天才で特別で完璧な自分。
それを否定する事になるから。
自分は完璧なんかではないと認める事になるから。
それからまたしばらくは何も無い平穏な時間が経過し数ヶ月の時間が経過、先の中間テストから時間が空き、今度は期末テスト。
今回は明が今まで通り康太のテスト勉強を見る事になった。
琴音は二人の勉強している姿を流し見ていたが未だに非効率この上ない、遠回りな方法でしか無いように思えたのだが康太の飲み込みはこれ迄にない程良く教え方一つでこうまで変わるのかと驚かされた。
実際その成果は結果が物語っており前回とは比較にならない好成績を収め良好な結果を作り出していた。
返却された期末テストの結果はどれも70〜80点代と良く前回の結果が噓のようだ。
もっとも琴音も明も基本100点をとっている、まぁ…明に関しては90〜80点代の方が多かったりするのだが…。
結果としては琴音の教え方は康太には合わなかった、
それだけははっきりと理解出来た。
今琴音は生徒会長席に座ってむくれている。
自分が正しい、絶対者だと信じてきた。
しかしそれは否定された。
その事実が琴音の頭にずっとのしかかっていた。
城島武はキョドっていた。
彼は一応は新生生徒会の正規の一員だが殆ど生徒会室には行っていたない。
当たり前だ。
彼はもともと生徒会になんて入りたくなかった。
姉に騙されて入る事になった中学時代の生徒会でいろいろ面倒くさい目に遭ってきた。
高校では平穏な生活を送るために是非とも今回は帰宅部になりたい…なるつもりでいた。
しかし琴音に無理矢理生徒会に入れられたのである。
彼女は何故自分のような特に取り柄のない奴を生徒会にまた入れたのか、その理由はわからない。
しかし彼女とは中学3年生の1年間まがりなりにも接してきたから多少は解る事がある。
それは彼女は他人を信じないし頼らないという事。
中学時代彼女は生徒会の仕事を全て自分1人でまかなっていた。
だから中学当時城島武はずっと生徒会の仕事など殆どしなかったし、琴音の言うように…いやいいなりになって対処してきたのだ。
なら高校もその時と同じで名前だけ生徒会に貸してるだけでいいではないかと思うかもしれないがそれは違う。
彼女は他とはかなりズレた価値観を持っている。
頭の良い彼女は頭の悪い人間の考え方が理解出来ない。
そんなズレに城島武はこれまでなんども生唾を飲み下す思いをさせられてきた。
他の生徒と取っ組み合いになるような事もあったし例の中学時代の野球部事件みたいな事も沢山あった。
正直あんなのはもう勘弁願いたいのだ。
しかし
「城島君、今後も生徒会の会計担当…よろしくお願いしますね?」
と頼まれれば断れない。
彼女に惚れてるとか弱みを握られてるとかそんなんじゃない。
蛇に睨まれた蛙が一番しっくりくる表現だろう。
たしかに彼女はかわいいし美人だ。
スタイルもいいし所作は優雅で丁寧。
長い黒髪はまさにお嬢様のようだがそれが彼女に惚れる理由にはなりえない。
彼女の性格を知っているからそこ恋人なんかになる人には同情を禁じ得ないし、まず僕のような凡人では釣り合わないのだ。
しかし何故だろうか、僕は今そんな前園琴音と二人っきりだ。
今日も帰ろうと思っていたらいきなり名前を呼ばれここに連れてこられ会計決算の計算を手伝わされている。
いつもは彼女が1人でやってくれるのにだ。
とうの彼女はうつむき何かを考え込んでいる。
しかし手元の書類には恐ろしいスピードで文字が書き記されている。
計算に頭を使ってるんじゃない、あくまで考え事に頭が使われている。
彼女にとっては難解な計算もついでに解く程度の労力でしか無いのである。
「そちらは終りましたか?」
「え?いえ…まだ4割くらいで…」
「4割……まぁいいでしょう…半分手伝いますから貸して下さい…」
「え?あ…はい…」
プリントを彼女に渡し、彼女も黙って受け取りそれを机においたらモクモクと進めていく。
凄いスピードだ、頭の中に電卓が搭載されているんじゃないかと思う速さだ。
「城島君」
「え…はい…?」
「貴方には憧れている人とか目標にしてる人っている?」
「え……?……えぇ…と…何故そんな事を僕に聞くんですか?」
「その質問に答えれば私の答えに答えてくれるのかしら?」
「え…?あっ、ごめん……僕には…いないかな?…両親とか模範解答は求めてないよね?」
「ええ、求めてないわ…私が聞きたいのは純粋に貴方が尊敬出来る人はいるのかって事だけだから、でもいないのね…」
「それで…どうしてそんな事を…?」
「私はね…純粋に姉を…明姉様を尊敬してるわ」
「あぁ、前園先輩か、凄い人気だよね、」
「そんな表面的なものじゃないわ…私は姉を心から尊敬してるの…。」
「どうして?」
ここは聞いておく所だろうと思ったから僕は聞いて見る事にした。
多分聞かないと機嫌を損ねそうだ。
「自惚れなく、私は姉より優れた人間だと自負してるわ、そしてその自己評価は正しい。私はあらゆる勉学において優れてるし運動においても性別の差なんてあってない程の体力と持久力があるわ、それに瞬発力や判断力にかんしても優れてるわ、予習や復習なんていらない、常に最高の状態を維持出来るのよ!ただそれだけが真実、それに比べて姉は私程優れてはいない、姉の学力は努力の上に成り立ってるしその努力でもどうにもならない穴がある、姉にとって運動音痴なのがソレ、私は完璧な人間で姉は不完全な人間、ずっとそう思って私は生きてきたの。」
「…………おっ…おう…」
なんと言うか凄いなコイツ…。
それが彼女の自己評価を聞いた第一印象だ。
よくもこれだけ自惚れられるものだ。
素直に尊敬する。
でも彼女がいってる通り彼女自身に自惚れてるつもりは無いんだろう。
コレが彼女の姉に対する真っ当な評価なんだろう、
こんなのが身内にいたらと思うとゾッとする。
「でもその評価じゃ僕からは前園さんがお姉ちゃんを尊敬してるようには思えないよ?」
「尊敬してるわ、誰よりも…姉は不完全だからこそ美しく輝いてるの…。」
「……はあ…」
「アシンメトリーの美学とでも言えば良いのかしらね?人は歪な物に惹かれる習性を持ってるわ、左右非対称な物に魅力を感じた事があるでしょ?未完全な物に魅力を感じた事があるでしょ?私は姉を…明姉様の不完全な魅力に魅せられてるの。」
「不完全…ね、」
「そうよ、姉は不完全なの、だから美しい、だから魅力的に映るの。姉のカリスマはそれ故に太陽の如く輝くのよ。」
「ふーん、要は前園さんはお姉さんが羨ましいんだね」
「は?」
「小難しい事言って誤魔化してるけど要は羨ましいんだろ?お姉さんが?」
「貴方…何をいってるの?私の話をちゃんと聞いていたの?そんな事を言ってるんじゃないのよ?」
「いや、論点はズレてないよ、前園さん。」
「だから!」
普段ならこんな他人の内情に切り込んだりしない。
面倒くさいしメリットが無いからね。
でも彼女は今後も僕を巻き込むだろうと何となく思ったのでここらでやり返しておこう。
上手くいけばもう彼女からお誘いを受ける事も無くなるだろう。
「前園さんは羨ましいんだよお姉さんが、自分には無いモノを持ってるお姉さんが。」
僕は恐らくは彼女にとってのタブーを言い放った。




