140・シェイプシフターの弟 5
最終話なので少し長めです。
僕は、清潔で柔らかい布をぬるま湯に浸けて絞り、リリーの全身を拭う。
抵抗した時に付いたのだろう。
白い肌に付けられた傷を撫で、砂や血を取り除く。
ベッドから逃げられないように縛り付けられていた左手首は、拭った後、もう一度縛り直す。
痛くないようにしたいが上手く出来ない。
そして僕は上半身は脱ぎ、裸のままのリリーに寄り添うようにベッドに入った。
唇を噛み締め、リブに言われた通り、なるべく彼女が気を失った状況と同じになるように。
リリーが拐われたのは慰問の帰り、午後も遅い時間だ。
後は屋敷に戻るだけ、と護衛たちが気を抜きかけた頃である。
当日、急にリリーが護衛を変更した。
それが仇になったようで、敵の息がかかった者が紛れ込んだらしい。
「う……うーん」
既に陽は落ち、今はもう夜中に近い時間になっていた。
「アーリー?」
薄暗い部屋の中、灰茶の瞳がパチクリと僕を見る。
「うん、ごめんね、リリー。 ちょっと手荒なことをして」
「え?、……あっ!」
自分が一糸纏わぬ姿であることに気付いて、リリーは真っ赤になる。
ああ、子供の頃みたいだ。
小さなことでよく真っ赤になったり、泣き喚いたり。
僕たちはそうやって長い時間、一緒に過ごして来たのに。
「アーリー!、これは何?、なんのつもりなの」
僕はリブを真似て、口元を歪めて笑う。
「だから謝っただろ?。 僕はね、どうしてもキミが欲しくて我慢出来なくなったんだよ」
逃げようとするリリーが縛られた片手に気付く。
僕は彼女の自由な右手を取り、口付けする。
「キミの馬車を襲わせて、僕が王子様みたいに颯爽と登場して助ける。
そして、キミに感謝してもらう予定だったのに」
「手違いで怪我をさせてしまったね」と緩く微笑む。
そうして僕はリリーの首筋に口付けする。
ゆっくりと腕を背中に回して抱き付く。
「アーリー、やめて」
「僕は、本当にもう待てなくなったんだ」
ずっと、ずっと。
「キミが好きだと、何度も見せてきたのに」
リリーの身体に僕の体重を掛けて、身動き出来ないようにする。
「キミから返ってくるのは友情だとか、身分だとか、そんな言い訳ばかり。
僕たちもいい加減大人になったんだ。
我慢出来なくなっても仕方ないと思わない?」
まるでリブが乗り移ったみたいに、教えられた言葉が溢れる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
リブはいつも通り無表情だった。
「いいか、アーリー。 白昼堂々と馬車で拐われたというとは他にも協力者がいる。
ここにいる者、全てを排除してもリリーの評判は落ちるだろう」
拐われ、辱めを受けた令嬢として。
人の目に触れる場所で拐われたということは、そういうことなのだ。
「だから、アーリー、キミがやったことにする必要がある」
それにはリリーさえも騙さなければならない。
「そのせいでリリーに嫌われても手に入れるか。
それとも、傷物の令嬢として、早々にどこかの貴族や富豪の愛人として囲われるのを見送るか、だ」
リブの言ってることは分かる。
貴族とは名誉を重んじるらしい。
下手をすればリリー自身が自害しかねないのだ。
そんなこと、絶対させられない。
「僕に出来ることなら何でもする」
たとえ、リリーに嫌われても。
リブは頷く。
「服は最後まで渡すな。 下着もだ。
それでも、リリーが裸で外に逃げ出したら、もう打つ手はない」
それくらい激しい拒絶なら「その時は諦めろ」とリブは言った。
「人形になったリリーなんて、欲しくないだろ?」
魔物であるリブは「違う手段もある」と言いながら、それは僕に勧めてこなかった。
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僕は、その夜、リリーを抱き締めた。
どんなに罵倒されても、引っ掻かれ、殴られても、彼女が疲れ果てて諦めるまで離さなかった。
服を渡さず、逃げることは出来ない状態。
さすがに手首の紐は外し、シーツを巻き付けたリリーのお手洗いに付き添い、食事も手伝い、他の誰の目にも触れさせない。
彼女が受けた屈辱を僕だけの記憶にして、彼女の記憶から他の全てを追い出すために。
そんな一日が過ぎ、二日目の夜。
「私にどうしろっていうの?」
ベッドに腰掛けたまま、リリーがため息を吐く。
「僕の妻になって欲しい」
「馬鹿なの」
公爵家の名に傷が付くとリリーは喚いた。
「お祖父様はもう諦めてるよ」
一人息子の結婚を反対したために失くした過去がある。
「キミの噂も僕が責任をとれば済む話だ」
傷を付けた本人が責任を持って引き取ることに何の文句があるだろう。
「文句ないよね?」
リリーは怒りなのか、恥ずかしいからなのか、赤くなった顔を背ける。
僕は彼女の胸元に口付けた。
彼女は大人しく僕に身を任せてくれる。
その夜のうちに僕たちは公爵家本邸に戻ることにした。
新しい着替え一式が用意されていたことに、リリーは呆れながらも素直に身に付けてくれる。
深夜、僕はリリーを連れて、周りに気付かれないよう静かに公爵邸内に入った。
待機していたエイダンに案内された部屋に入り、着替えるとベッドに潜り込む。
二人とも疲れていたようで、すぐに眠りに落ちた。
翌朝、僕は見慣れない部屋で目を覚ます。
「ここはアーリー様がご結婚された時のために大旦那様がご用意された、ご夫婦用の寝室です」
「へえ」
リリーは静かに寝かせておき、僕はお祖父様の部屋に向かう。
「やあ」
お祖父様の執務室に入るとリブが居た。
僕たちは顔を見合わせて小さく微笑む。
「それで、アーリー。 私に何か言うことがあるのだろう?」
重厚な椅子に座る公爵閣下。
僕はその前に立つ。
傍にある客用の椅子にリブが座っていた。
「はい。 ロジヴィ伯爵家リリアン嬢との婚姻を望みます」
お祖父様が頷いた。
「本人の許可は取ったのだな?」
「はい、勿論です」
僕のニヤけた顔に、お祖父様は何故か深いため息を零す。
「リブが早いほうが良いと言うので、既に教会と伯爵家には遣いを出した。
明日の朝、式を執り行う」
早過ぎない?、とリブを見ると肩を揺らして笑っている。
「それまではヴィーに付き添わせるよ。 逃げられる心配はないと思うが念のため」
リブはそう言って立ち上がり、扉を開く。
それと同時にカートさんが入って来た。
「すみません、両手が塞がっていて扉を叩けませんでした」
大量の書類を抱えている。
「あ、アーリー様、これ、署名をお願いします!」
と、僕にそれを全て押し付けてきた。
「は?」
クスクス笑っていたリブが僕の耳元で囁く。
「これ、婚姻に必要な書類だよ」
公爵家には膨大な財産がある。
結婚と同時に夫婦で一つの籍と認められ、たくさんの責任や資産が共有になったり、お祖父様から譲渡されたりするのだ。
「大丈夫、朝までには終わるよ。 僕もやったからね。 がんばれ」
ポンポンと肩を叩いて、リブは部屋を出て行った。
「いやあ、大変、急なお話でしたからねえ。
取り寄せたり、新しく作成したり、すごおく大変でしたー」
とても良い笑顔でカートさんが僕にペンを差し出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
暑かった夏が終わりに近付いた日。
ラヴィーズン公爵家の庭にある教会で婚姻の儀式が行われた。
「いやー、若いって良いですなー」
小太りの神官は腹を揺らしながら街の噂を聞かせてきた。
「誘拐は狂言、ひと気のない宿で二人だけになったところで求婚ですか。
なかなか微笑ましいお話ですなあ」
アーリーは曖昧な笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
新しい夫婦は揃って神官を見送り、両家の身内だけの食事会に向かう。
昨夜、リリアンは姉のヴィオラの部屋で過ごした。
大変な目に遭ったはずなのに、あまり彼女の記憶には残っていない。
目覚めた後のほうが衝撃が強かったせいかも知れないと思われた。
(もし、相手がアーリーじゃなかったら、と思うとゾッとするわ)
リリアンは考えただけでも身体が震える。
幼い頃からずっと気弱で優しいアーリーを見てきた。
そのアーリーが、女性にとってこんなに恐ろしいことを思い付くだろうか、と疑問が湧いてくる。
(アーリーが私を傷付けるはずなんてない)
そう思っても口には出せなかった。
庭を並んで歩きながら、リリアンは浮かれているアーリーに釘を刺す。
「アーリー、私、あなたに恐い思いをさせられたこと、一生忘れないから」
縛られた跡や身体の傷は、薬や魔法で綺麗に消えている。
しかし、襲われた恐怖や乱暴に扱われた心の傷は永遠に消えない。
「うん、分かってる。 一生、傍にいて償うから」
アーリーは手を伸ばし、リリアンの手を握る。
しっかりと指を絡み付かせギュッと力を込めると、リリアンからも握り返された。
もう離さないと誓うように。
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それから約九ヶ月後にリリアンは女の子と男の子の双子を出産する。
その双子は金色の髪に鮮やかな青い目をしていたという。
公爵家本邸に赤子が産まれて三ヶ月後、分家であるリブジュール辺境伯家にも男子の双子が産まれた。
~ 完 結 ~
お付き合いいただきありがとうございました。
これで「シェイプシフターの子」シリーズは終了です。
続くとしたら「シェイプシフターの孫」になるのではないかなあ……。