番外編1 出会い
「ニコラ、どうしたんだ?」
カールハインツ殿下が、ティーカップを置き私を見つめた。
「いえ、ただ殿下と初めてお会いした時の事を思い出していただけですよ。」
軽く微笑みそう返すと、殿下も少し考え込む。
「初めて……というのは俺がカイとして君に話しかけた時のことか?」
「えぇ。そうですよ。」
そう答え、私は殿下との出会いに思いを巡らせた。
☆☆☆
「お前には街へ買い出しへ行ってもらう。メイドに頼るなよ。」
突然、父に呼び出されたかと思えば意味のわからないことを言われた。何が目的か初めは分からず困惑する。しかし、父の命令を断る事が出来ず言われるがまま街へ向かう事になった。
「ニコラ様……また、そんなことを言われたのですか。行かなくてもいいですよ!」
セーラは怒って私を止めようとしてくれたが、セーラに迷惑をかけたくなかった。
「大丈夫よ。心配しないで。」
と微笑んだがセーラは納得してくれなかった。侯爵令嬢が一人で街へ行くのは危険だと言われ、地味な商人の娘に見える変装を施す。それがニーナの始まりだ。
街へは一人で行ったことはないが、なんとかなるだろうと思い、船着き場へ向かうことにした。
不安もあったが息の詰まるような生活に、嫌気が差していた私にとって外に出ることができるというのは魅力的だ。
しかし、そんな好奇心も直ぐになくなった。
「お嬢ちゃん、こんな所でどうしたんだい?」
気づいたら、道に迷い裏路地に迷い込んでいた。慌てて声の方を向くと大柄の男が二人いる。
目の前にいる男が私に何をしようとしているかは分からないが、早く逃げなければ危ないのは間違いない。
「何でもないですよ。では、私はこれで」
一刻も早くその場を離れようと、走り出したが勿論見逃してくれる訳はなく腕を掴まれた。
「お嬢ちゃん、お金持ってるだろ?商人の娘ならそこら辺のやつよりありそうだ。」
大柄の男は、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、腕を掴む手に力を入れる。
「持ってないです。それに、私は先を急いでいるので。」
何を言っても解放してくれる気は無いようだ。お金を少し渡しても、命がある保証はない。だからと言って、打開策は見つからない。
「いい加減出せよ!」
もう一人の男が痺れを切らしたのか、私を突き飛ばした。
「きゃ!」
思わず声が漏れてしまった。突き飛ばされた私は、襲ってくるであろう衝撃に思わず目を瞑る。
……? しかし、衝撃は襲ってこなかった。それに後ろに気配を感じ振り返ると、誰かが私の肩を支えている。大柄の男の顔がみるみるうちに歪んでいく。
誰かを巻き込んでしまった。このままだと親切なこの人まで……。焦った私の様子を見てか、肩を支えてくれた男の人は軽く微笑んだ。
「すみません。彼女、俺の連れなんですよ。そういえば、先程兵士が見回りしていましたが大丈夫ですか?」
男の人はさりげなく私を隠すと、淡々と言い放った。大柄の男は暫く睨んでいたが、兵士達の声が聞こえると焦ったように逃げて行く。
「あの、すみません。助けていただいて」
男達がいなくなり、親切な男性と二人になった。とりあえずお礼をしなければと口を開く。
「大丈夫です。それに、連れなどと言って申し訳ない」
そう言った彼は切れ長の目にサラサラの黒髪が印象的な人だった。身なりを見る限り庶民ではなさそうだけれど、私の知っている顔ではない。もし、知っている人でも今の姿では他人だ。
「いえ、本当にありがとうございました。お礼を……」
「お礼なら大丈夫ですよ。俺が勝手にしたことです。とりあえずこの裏路地は危険ですし大通りに出ましょう」
「は、はい」
そう言って彼は私を大通りに連れ出す。迷ってしまうなんて情けないと思っていると彼は、気をつけて下さいねと言って去ろうとした。
「どうしてもお礼がしたいです。あ、お名前だけでも」
名前を聞くのは失礼かな? でも、調べれば分かるからお礼はできる。このまま助けてもらったお礼が出来ないのは嫌だ。
「そうですか……私はカイです。君は……」
「私はニーナです。商人の娘でまだこの街に慣れていなくて、本当にありがとうございました」
もう一度、お礼を言うとカイと名乗った男性は軽く微笑んだ。
「商人の娘なんですね。私は遠くの地域を治める貴族です。あ、でも弱小貴族ですけどね」
「貴族の方でしたか。すみません無礼な態度を」
今の私は商人の娘。侯爵令嬢ではない。
「大丈夫です、堅苦しいの苦手なんで。あ、そうでした。お礼……思いつきました」
「何でしょうか?」
自分で言っておいて、カイさんの要求に不安になり彼の顔を見る。
「とても綺麗に海が見える場所があるんですよ。一緒に見てくれませんか?」
「え? それでいいのですか」
思ってもいない提案に思わず驚いてしまう。カイさんは柔らかく笑う。
「一人で見るのは少し味気ないので」
そう言ったカイさんについていくと、静かな海辺に着いた。
「綺麗ですね。ほんとうに……」
ゆっくりと海なんて見たことがなかった。こんなに光ってキラキラしているものなのね。行きの船では緊張して気が気じゃなかったから海に気を回す余裕はなかった。
こうして、静かな海を眺めていると自分が侯爵令嬢で嫌がらせを家族に受けていることなんて忘れてしまう。冷えきった心がとけていくような、そんな感覚になる。
「海が好きなのかい?」
隣を見るとカイさんが私を見ていた。海に集中し過ぎて忘れていたなんて恥ずかしい。
「好きですね、広くて綺麗です。カイ様は好きではないのですか?」
「様なんて、やめてくれよ。そうだ……敬語もやめて欲しい」
カイさんはそう言うが、今の私にはそんなこと出来ない。
「それはできません。平民ですので」
「じゃあ、さっきのお礼ってことで」
海に行くだけではお礼になっていないことが気がかりだったし……でも本当にいいのかな。
「わ、分かりました」
「ニーナよろしくね」
何故だか、ニーナという偽りの名で呼ばれることが虚しく感じた。
「よろしくお願いします。カイさ……ん」
恥ずかしくなり下を向く。こうして人と気さくに話すことなんて殆どない。どうせもう会わないのに仲良くなっても意味が無いはずなのに仲良くなろうとしている自分に驚く。
「大丈夫かい?」
「えっと……なにがですか?」
突然のカイさんの言葉に首を傾げる。カイさんの視線は私の目元だ。慌てて触ると湿っている。泣いている? 自分でも気が付かないほど自然に涙は流れていた。
「何か悪いことをしてしまったか?」
焦るカイさんに首を振る。
「嬉しかったのです。身分を気にせず話せる方がいると思うと……」
「そうか。なら、たまに会えないか……俺もこの街によく来る。」
「私も来ます。だから、また会いましょう」
会える保証なんてどこにもないのに私は気づいたらそう答えていた。
それから私たちは、定期的に会うようになった。初めは少なからず素が出せる友達のような存在で、さらに時間が経つと、掛け替えのない親友のような大切な人で、互いのことを知っていくうちに気が付いたら愛し合っている。そんな不思議な感覚のまま彼が私の世界の心の支えとなっていく。
今、思えば全てが運命だったような恋。私は運命を信じていないけれど、この恋だけは運命でもいいかもしれない。
☆☆☆
「気が付いたら、婚約して今紅茶を飲んでいると?」
思い出に浸っていたら、長い時が経っていたようだ。カイと過ごした時間も大切な思い出だけど、こうして本当の姿で想いが通じ合えた今が1番幸せなのだろう。
「そうなりますね。殿下は運命って信じますか?」
「運命? ルーカスとメイリアについては運命だと思うな」
カールハインツ殿下は弟君のルーカス殿下を思いそう言ったようだ。
「たしかに……ルーカス様の妻を務められるのはメイリア様しかいないですね」
ルーカス殿下は自由奔放が似合う様な人で、人好きのする笑みの裏の腹黒さが問題だと殿下も言っている。メイリア様はそんなルーカス殿下の婚約者だけれど、完全に尻に敷いている。なんだかんだでお似合いだ。
「まぁ、俺の妻を務められるのもニコラだけだと思ってる」
「……が、頑張ります」
突然の言葉に顔に熱が集まる。早くこの照れやすい性格を直さないと、心臓が持たないなと、密かに思っているがそれも伝わってしまいそうで恥ずかしい。
こんな平和な午後が続きますようにと願わずにはいられない、そんな日だった。